「文化」カテゴリの記事一覧
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助六由縁江戸桜(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎狂言。世話物。一幕。通称《助六》。歌舞伎十八番の一つで三時間近く(現行一時間半から二時間)を要する花やかな大曲。正徳三(1713)年、江戸・山村座上演の《花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)》で二世市川団十郎が助六に扮したのが初演とされる。
鳴神(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
歌舞伎狂言。時代物。一幕。本名題《雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)》。津打半十郎・安田蛙文・中田万助ら合作。寛保二(1742)年正月大坂・佐渡嶋長五郎座(大西)初演。鳴神上人=二世市川団十郎。題材は謡曲の《一角仙人》。歌舞伎で頼光四天王
太陽暦(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
季節を調節してゆくため一太陽年だけを基本用数として日を数える暦法。生活に密接に関係する季節は太陽が天球の赤道の南にあるか北にあるか、いいかえればいつ春分点に再帰するかによって決まるから、太陽年(回帰年)の長さ365.242199日は太陽暦の基本周期で
網模様燈籠菊桐(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
歌舞伎狂言。世話物。五幕。通称《小猿七之助》。河竹黙阿弥作。安政四(1857)年七月江戸・市村座初演。主なる配役は、小猿七之助=四世市川小団次、奥女中滝川のち御守殿お熊=四世尾上菊五郎、与四郎=五世坂東彦三郎、七五郎・与四郎親西念=坂東亀蔵ほか
荒木与次兵衛(新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
歌舞伎俳優。【初世】生没年不詳。宝永四(1707)年までは生存を確認できる。立役。父は道外方斎藤与五郎。延宝から元禄にかけて京坂劇壇を代表する役者の一人で、堀江芝居を開発し、長く座本も勤めた。武道を得意とし、手負事、太刀打、実事、拍子事にすぐれていた
阿波鳴門物(新版 歌舞伎事典)
人形浄瑠璃・歌舞伎の一系統。夕霧伊左衛門の情話に、阿波のお家騒動や阿波十郎兵衛の伝説をからませたもの。延宝六(1678)年一月六日、二七歳で没した大坂新町扇屋の遊女夕霧と、その馴染客藤屋伊左衛門との恋愛を脚色した戯曲は多く〈夕霧伊左衛門物〉と呼ばれる
伊賀越道中双六(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
(1)人形浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の作。天明三(1783)年四月大坂・竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。安永五(1776)年一二月大坂・嵐座上演の奈河亀輔作
大塔宮曦鎧(新版 歌舞伎事典)
(1)人形浄瑠璃。時代物。五段。角書「太平記/綱目」。別名題《太平記曦鎧》。竹田出雲・松田和吉作。近松門左衛門添削。享保八(1723)年二月大坂・竹本座初演。《太平記》に題材を仰いだ作品で、北条氏討伐を図って挙兵した大塔宮が苦難の後に六波羅を攻略する
寿狂言(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
江戸の劇場の中村座・市村座・森田座に伝承された祝言儀礼的狂言のこと。家狂言ともいう。江戸時代の歌舞伎の興行権は、幕府が座元(太夫元)個人に与えた特権であった。江戸三座の座元は世襲であったので、その権威も特に大きく、各座では、由緒正しい家を誇り格式を
歌舞伎舞踊(新版 歌舞伎事典・世界大百科事典)
歌舞伎の中で演じられる舞踊および舞踊劇。また日本舞踊を代表する舞踊として同義語にも用いられる。【歴史】歌舞伎舞踊は、中世末期の風流(ふりゅう)踊という民俗舞踊を母体として発したもので、出雲のお国の踊った歌舞伎踊にはじまる。お国に追随した遊女歌舞伎も
三味線(新版 歌舞伎事典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
日本の絃楽器。〈さみせん〉ともいい、三絃(弦)ともいう。【伝来】祖型は中国の三絃で、およそ永禄の頃(16世紀後半)に南方から渡来したと考えられている。その後次第に改良が加えられ、慶長初年ごろ歌舞伎、人形浄瑠璃と結びついて発達した。【発達】まず比較的
歌舞伎十八番(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典)
七世市川団十郎が制定した一八の演目をいう。七世団十郎は、天保三(1832)年三月海老蔵に八世団十郎を襲名させ、自身は海老蔵と改名した時に配った刷り物で、「歌舞妓狂言組十八番」と題して一八種の名目を掲げた。その後、天保一一年《勧進帳》の初演に際し
ラテン文学史(文庫クセジュ)
第一章最初の詩ラテン文学は、詩をもってはじまった。叙事詩と演劇が同時にラテン文学を世に登場せしめたのである。これにはかずかずの理由が重なっているのであって、理由のあるものは当時のギリシア文学のありかたのうちに、すなわちホメーロスの伝統と、ヘレニズム
暫(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の荒事劇の一つ。元来独立の狂言ではなく、江戸歌舞伎の狂言中に設定された類型的な一場の通称。危機的な場面に「しばらく、しばらく」と声をかけて主人公が登場することから『暫』と呼ばれた。初代市川団十郎の創始と伝えられ、内容を確認できる最古のものは
青砥稿花紅彩画(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の世話狂言。二代目河竹新七(黙阿弥)作、五幕。文久二年(一八六二)三月、江戸市村座で十三代目市村羽左衛門(のちの五代目尾上菊五郎)らにより初演。「弁天小僧」「白浪五人男」などの通称で知られる。日本駄右衛門・弁天小僧菊之助・赤星十三郎・忠信利平
連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。能『石橋(しゃっきょう)』の替(かわり)の型からの名称で、1861年(文久1)5月、2世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲、初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が子芳次郎(よしじろう)
アイルランド文学(集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
アイルランド文学は,文字に残されたものとしては,6世紀ごろまでさかのぼることができる。それまでの文学は口承によるもので,特別な修業を積んだ詩人たちが神々,英雄,美女,妖精(ようせい)の物語を語り伝えた。文字としては,石の角(かど)に長短の直線を刻み
雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
夏至(世界大百科事典・日本国語大辞典)
二十四節気の一つ。太陽がその軌道上でもっとも北に位置するとき,すなわち黄経90°にあって春分点と秋分点の中間にある。地球の北緯23°30′の北回帰線では真上に太陽を見,日本のような北半球にあっては太陽の南中高度はもっとも高くなり日影はもっとも短くなる
立秋(日本国語大辞典・世界大百科事典)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が一三五度のときをいう。新暦八月七日頃に当たり、昔の中国および日本では、この日から秋になるとした。和語では「秋立つ」が用いられる。《季・秋》*延喜式〔927〕一六・陰陽寮
七夕(世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
旧暦の7月7日に行われる年中行事。中国を中心に,日本,朝鮮にも広がる。〈しちせき〉とも読まれる。7月7日を特別の祭日とする観念は,おそらく古い農耕儀礼に起源をもつのであろうが,文献資料にのこるものとしては後漢時代の崔寔(さいしよく)《四民月令》が最も
土用(世界大百科事典)
雑節の一つ。年4回各季にあるが,一般には太陽の黄経117°に達した夏の土用を指す。立秋前18日間をいい,初日を土用の入りという。極暑のためその暑さを利用したり,また暑気負けを防ぐ各種の習俗が行われている。利用するほうでは,衣類や書物に風を通して虫干し
立冬(日本国語大辞典・世界大百科事典)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が二二五度のときをいう。新暦の一一月七日ごろにあたり、昔の中国および日本ではこの日から冬になるとした。《季・冬》
冬至(日本国語大辞典・国史大辞典・世界大百科事典)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が二七〇度のときをいう。新暦一二月二二日頃。旧暦では一一月の中に当たる。この日、北半球では太陽の南中高度が最低で昼間が最も短い。この日から日照時間が伸びるので、生命力が復活する節日として祝う習慣があった。
立春(日本国語大辞典・世界大百科事典)
二十四節気の一つ。太陽の黄経が三一五度のときをいう。雑節の基準日、八十八夜・二百十日などの起算日。新暦二月五日頃に当たり、昔の中国および日本ではこの日から春になるとした。立春節。和語では「春立つ」が用いられ、陰暦の時代は、その年のうちにこの日を迎えることもあった。
穀雨(日本国語大辞典・平成ニッポン生活便利帳)
二十四気の一つ。清明の次に来る季節。春の季節中の最後にあたる。四月二一日頃。《季・春》*延喜式〔927〕一六・陰陽寮