「文化」カテゴリの記事一覧
オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」の「文化」のカテゴリ別サンプルページです。
ジャパンナレッジは日本最大級のオンライン辞書・事典サービスです。
「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
「国史大辞典」「日本古典文学全集」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など80種類以上の辞書・事典をパソコン、タブレット、スマートフォンで利用できます。
ころもがえ(日本国語大辞典)
解説・用例【一】〔名〕(1)着ている衣服を別の衣服に着かえること。着がえ。*源氏物語〔1001~14頃〕葵「時雨うちして、物あはれなる暮つ方、中将の君、鈍色の直衣、指貫うすらかに衣かへして、いとををしう、あざやかに、心はづかしきさまして、まゐり給へり
大祓(国史大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
百官以下万民の罪穢を祓い除き、清浄にするための神道儀礼。毎年六月・十二月晦日に行うほか、大嘗祭、斎宮・斎院の卜定・群行、また疫病流行、妖星出現、災害異変などのときに行なった。その起源は、伊弉諾尊が黄泉国よりかえり、筑紫の日向の小戸橘之檍原
能面(日本大百科全書・世界大百科事典)
能に用いる仮面。「おもて」とよばれ、「めん」とはいわない。ヒノキを彫り、顔料(がんりょう)で彩色して仕上げる。キリ、クスノキ、カツラを材料とすることもある。種類によっては目や歯に銅をはめ込み、めっきを施す。ひげやまゆげなどに植毛を施すこともある
時の記念日(日本大百科全書・平成ニッポン生活便利帳)
時間を尊重、厳守し、生活の改善、合理化を進めることを目的とする日。毎年6月10日。1920年(大正9)生活改善同盟会が主催、実施した。6月10日を記念日とした根拠は、『日本書紀』天智(てんじ)天皇10年(671)4月25日の項に「漏剋(ろこく)
夏越(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
旧暦6月30日の祓(はら)いの行事。名越とも書く。水無月(みなつき)つごもりの大祓いといい、宮中をはじめ民間においても忌(い)み日として祓いの行事が行われた。この日、輪くぐりといって氏神の社前に設けた大きな茅(ち)の輪(わ)をくぐり災厄を祓う。宮廷に
中元(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
本来は、1月15日の上元、10月15日の下元と並ぶ中国の道教の三元信仰の一つで、陰暦7月15日をいう。善悪を判別し人間の罪を許す神(地宮)を祭る贖罪(しょくざい)の日とされたが、これが仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と結び付いて祖先崇拝行事になった。日本
十五夜(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
陰暦の毎月15日の満月の夜のことであるが、通例は陰暦8月15日の夜をいう。この夜、月見をしたり、綱引、相撲(すもう)などを行い、年占(としうら)的行事が多い。月の満ち欠けを基準とする太陰暦では、満月はもっともわかりやすい目印であり、生活の折り目の
中秋節(世界大百科事典)
陰暦8月15日は秋の半ば(中秋)にあたり,中国では月を祭る日とされてきた。古くから観月の習慣はあるが,中秋のそれに固定化したのは唐代以後であり,中秋の名月こそ一年中で最も美しい月とされた。初めは高楼等に登って月を眺めながら酒食を楽しむにすぎなかったが
長月(日本大百科全書・日本国語大辞典)
陰暦9月の異称。語源は明らかではないが、中古以来、夜がようやく長くなる月の意の夜長月の略称といわれてきた。稲熟(いなあがり)月、稲刈(いなかり)月、穂長月などが変化したものとする説もあり、近時では、9月は5月と並ぶ長雨の時季で「ながめ」とよぶ物忌みの
送り火(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
門火(かどび)ともいい、一般には盆が終わり、精霊(しょうりょう)を送るため、家の入口、四つ辻(つじ)、墓などで焚(た)く火のこと。所によっては葬式の出棺のまぎわ、あるいは婚礼のおり娘が生家を出るとき、家の入口で火を焚く習俗があり、これも送り火とか門火
神有月(日本国語大辞典)
解説・用例【一】〔名〕(陰暦一〇月すなわち神無月(かんなづき)には、日本じゅうの神々が出雲大社に集まるという俗信から)出雲国での、陰暦一〇月の異称。かみあり。神月(かみづき)。神の月。《季・冬》*詞林采葉抄〔1366〕六「抑一天下の神無月を出雲国には
十三夜(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
陰暦9月13日夜のこと。この日に月見をする慣習があり、8月15日夜の芋(いも)名月に対して豆名月といい、後の月見(あとのつきみ)ともいう。醍醐(だいご)天皇の延喜(えんぎ)19年(919)に、清涼殿で月見の宴を催されたのが九月十三夜の始めといわれて
時代祭(日本大百科全書・国史大辞典)
京都市左京区岡崎にある平安神宮の祭礼。桓武(かんむ)天皇が平安京に遷都した日を記念して、10月22日に行われる。平安神宮は桓武天皇を祭神に(のち孝明(こうめい)天皇も合祀(ごうし))、平安奠都(てんと)1100年を記念して1895年(明治28)創建
ハローウィン(日本大百科全書・世界大百科事典)
本来は聖夜の意味。イギリスでは10月31日の夜、カボチャなどのウリ類をくりぬいて提灯(ちょうちん)をつくり、藁(わら)人形やムギの穂でさまざまの動物をつくり、仮面、仮装して行列し、広場のたき火の周りで歌ったり踊ったりし、最後に人形を燃やす。これは古い
源氏物語絵巻(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
絵巻。愛知・徳川美術館ならびに東京・五島(ごとう)美術館蔵。いずれも国宝。紫式部の『源氏物語』を題材としたもので、徳川本はもと3巻、五島本はもと1巻の巻物であったが、現在はいずれも各段ごと詞(ことば)と絵とを離して、額装(徳川本43面、五島本13面)
伴大納言絵詞(日本大百科全書・国史大辞典)
平安後期の絵巻。三巻。国宝。『伴大納言絵巻』ともいう。866年(貞観8)春に起きた応天門の放火事件に題材を得たもの。時の大納言伴善男(とものよしお)が政敵の左大臣源信(まこと)を失脚させるため、京の重要な門の一つである応天門に火を放ち、その罪を源信に
三十六歌仙絵巻(日本大百科全書・世界大百科事典)
藤原公任撰(きんとうせん)の36人の歌人の画像に、略歴と歌1首を添えて構成した絵巻。もっとも古い遺品は佐竹家伝来の二巻本(通称「佐竹本」)で、鎌倉初期(13世紀前半)の制作になり、書は後京極良経(ごきょうごくよしつね)、絵は藤原信実(のぶざね)と
謡本(日本大百科全書・世界大百科事典・狂言事典)
能の台本に謡曲稽古(けいこ)用の譜をつけたもの。能として上演されるときの狂言方が担当する部分は省略されるのが普通であり、またワキ方の分担する部分も、シテ方の流儀の台本で統一されているので、実際の能の上演脚本とはいいがたい。15世紀ごろの世阿弥
飛鳥美術(日本大百科全書・世界大百科事典)
日本に仏教が伝来した6世紀の中ごろから、645年の大化改新までの約1世紀間にわたり、大和(やまと)(奈良県)の飛鳥地方に開花した美術。百済(くだら)の聖明王が仏像、経典などをわが朝廷に献じたのが538年(宣化(せんか)天皇3)あるいは552年(欽明
上巳(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕五節供の一つ。三月三日の称。古く中国で、はじめ三月の初めの巳(み)の日を上巳とよび、魏晉以後は三月三日を上巳として、みそぎをして不祥を払う行事が行なわれたのにならって、日本でも朝廷・貴族の行事として三月三日に川辺に出て、はらえを行ない
五十年忌歌念仏(近松門左衛門集)(日本古典文学全集)
上之巻〔一〕深草の少将の通い車は、小町の実のない情けにのせられた結果であり、吉田の少将が寝間に残した扇は、班女が親方に追放されるもとになり、行平の形見の烏帽子は、松風・村雨に待つ気を起させた
天衣紛上野初花(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎狂言。世話物。七幕。河竹黙阿弥作。明治一四(1881)年三月東京・新富座初演。別名題《三幅対上野風景》。通称《河内山(こうちやま)と直侍(なおざむらい)》。配役は河内山宗俊=九世市川団十郎、片岡直次郎=五世尾上菊五郎、金子市之丞・比企東左衛門
源平布引滝(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
人形浄瑠璃。時代物。五段。正本の作者署名は並木千柳、三好松洛。番付には作者竹田外記の名も加わる。寛延二(1749)年一一月大坂・竹本座初演。三段目切は二世政太夫、実盛(さねもり)の人形は初世吉田文三郎初演。《平家物語》を題材とする人形浄瑠璃の代表作の
三遊亭円朝(日本架空伝承人名事典・日本近代文学大事典・日本大百科全書)
幕末・明治の落語家。本名出淵(いづぶち)次郎吉。父は落語家橘家円太郎。七歳で小円太を名のり初高座。一時、画工を志し歌川国芳に浮世絵を学ぶものの、再び落語家に戻り、二〇歳で三遊亭円朝となる。画技を生かした道具入り正本芝居咄で人気を博したが、師匠二代目
拾遺往生伝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
大江匡房の『続本朝往生伝』のあとをついで、慶滋保胤の『日本往生極楽記』をふくめ、それまでに遺漏のあった異相往生人の行業を集め、後人への結縁・勧進のために三善為康が撰述した往生伝。『日本拾遺往生伝』ともいう。三巻。巻中・下の序によると、はじめは一巻の
出世景清(日本古典文学全集・歌舞伎事典・世界大百科事典)
第一〔一〕妙法蓮華経観世音菩薩、普門品第二十五は大乗経典の骨髄のように主要な部分で、信心の行者は広大な慈悲にあずかり奉るという、観音の威力こそありがたいことである。平家の一族悪七兵衛景清は、西国四国の合戦において討ち死にしても当然のことであったが
狂言集(日本古典文学全集)
目次 古典への招待 凡例 狂言集(扉)脇狂言(扉)末広かり囃子入り大黒連歌囃子入り松楪囃子入り栗隈神明囃子入り大名狂言(扉)粟田口靱猿二人大名墨塗武悪小名狂言(扉)千鳥素袍落縄綯木六駄棒縛附子聟女狂言(扉)雞聟
スポーツの日(日本大百科全書)
10月の第2月曜日。「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培 (つちか) うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」ことが趣旨の国民の祝日。1966年(昭和41)「国民の祝日に関する法律」の改正により建国記念の日、敬老の日とともに体育の日として追加制定された
豊明節会(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
新嘗祭の翌日の辰日、および大嘗祭においては午日に、天皇が出御して行われる公儀の宴会。荷田在満『大嘗会儀式具釈』に「豊明トハ宴会ヲ云、古クハ宴会豊楽等ノ字ヲ直ニトヨノアカリト訓ズ、大嘗新嘗ノ後ニハ必宴会アリ、仍テ大嘗ノ豊明、新嘗ノ豊明ナドトハイヘド
隈取(新版 歌舞伎事典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎独自の化粧法。江戸荒事劇にはじまり、時代物一般に用いられる。各種地色へ紅・青黛などの油性顔料で片ぼかしに筋を描き、血気・怪異・姦佞(かんねい)など、役柄を誇張して表現する。荒事の英雄とこれに対する敵役や鬼畜・神仏の化身など、非写実的・ロマン的