1. 豊明節会
日本大百科全書
新嘗祭にいなめのまつりの後にくる辰たつの日に行う饗宴きょうえんで、新穀供御の神事。その年の稲を神に供え、天皇が初めて召し上がる日でもある。天皇が豊楽院ぶらくいん
2. 豊明節会
世界大百科事典
豊明は宴会の意で豊明節会とは大嘗祭,新嘗祭(にいなめさい)ののちに行われる饗宴をいう。天皇が豊楽院,または紫宸殿に出席して行われる新穀供御の神事。大嘗祭,新嘗祭
3. とよのあかりのせちえ【豊明節会】
国史大辞典
」とみえ、午日の豊明節会には神酒の儀はない。すなわち、大嘗祭の豊明節会には直会の性格は存しない。荷田在満『大嘗会便蒙』に「午の日に豊明節会といふ事あり、是は大嘗
4. ほうめい‐の‐せちえ[‥セチヱ]【豊明節会】
日本国語大辞典
〔連語〕「とよのあかり(豊明)(2)」に同じ。*譬喩尽〔1786〕一「豊明節会(ホウメイノセチヱ)〈豊明(とよのあかり)とも云〉」ホーメ
5. 【豊明節(
)会(
)】とよのあかりのせちえ(ゑ)
新選漢和辞典Web版
《国》陰暦十一月、中(なか)の辰(たつ)の日に、宮中で、天皇が新穀をめしあがり、群臣にもくだされた後、叙位などを行った儀式。
6. 大嘗祭豐明節會 (見出し語:豐明節會)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 1320ページ
7. 新嘗祭豐明節會 (見出し語:豐明節會)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 217ページ
8. 新嘗祭豐明節會 (見出し語:豐明節會)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 262ページ
9. 豊明節会外弁要(著作ID:3580378)
新日本古典籍データベース
とよのあかりのせちえげべんよう 滋野井 公麗(しげのい きんかず)
10. 豊明節会次第(著作ID:3580334)
新日本古典籍データベース
とよのあかりのせちえしだい 西園寺 賞季(さいおんじ よしすえ) 撰 有職故実
11. 豊明節会次第(著作ID:3655387)
新日本古典籍データベース
とよのあかりのせちえしだい 有職故実
12. 豊明節会続内弁要(著作ID:3580345)
新日本古典籍データベース
とよのあかりのせちえぞくないべんよう 西園寺 賞季(さいおんじ よしすえ) 撰
13. 豊明節会略次第(著作ID:4400065)
新日本古典籍データベース
とよのあかりのせちえりゃくしだい 有職故実
14. 五節停止年被行豊明節会例(著作ID:2646700)
新日本古典籍データベース
ごせちちょうじのとしとよのあかりのせちえをおこなわるるれい 有職故実
15. 大嘗会辰日豊明節会次第(著作ID:3302827)
新日本古典籍データベース
だいじょうえたつのひとよのあかりのせちえしだい 祭祀 文永一一
16. 鎮魂祭並豊明節会記(著作ID:3432664)
新日本古典籍データベース
ちんこんさいならびにとよのあかりのせちえき 白川 雅寿王(しらかわ まさとしおう) 祭祀 文政九
17. 新嘗会並豊明節会次第(著作ID:3707844)
新日本古典籍データベース
にいなめえならびにとよのあかりのせちえしだい 祭祀
18. 新嘗祭豊明節会聚類(著作ID:3709691)
新日本古典籍データベース
にいなめさいとよのあかりのせちえしゅうるい 部類記
19. 新嘗祭並豊明節会(著作ID:4405729)
新日本古典籍データベース
にいなめさいならびにとよのあかりのせちえ 祭祀
20. 新嘗祭並豊明節会/内々出御(著作ID:4425506)
新日本古典籍データベース
にいなめさいならびにとよのあかりのせちえ/ないないしゅつぎょ 祭祀
21. 午日行二豐明節會一 (見出し語:午日)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 1320ページ
22. 大嘗祭豐明節會奏二大歌一 (見出し語:大歌【篇】)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 1322ページ
23. 新嘗祭豐明節會奏二大歌一 (見出し語:大歌【篇】)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 263ページ
24. 於二紫宸殿一行二豐明節會一 (見出し語:紫宸殿)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 395ページ
25. 大嘗祭豐明節會 (見出し語:節會)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 1320ページ
26. 新嘗祭豐明節會 (見出し語:節會)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 262ページ
27. 新嘗祭豐明節會平座 (見出し語:平座)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 307ページ
28. 豐樂院豐明節會 (見出し語:豐樂院)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 394ページ
29. 新嘗祭豐明節會吉野國栖奏二歌笛一 (見出し語:吉野國栖)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 263ページ
30. 新嘗祭豐明節會賜祿 (見出し語:祿)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 443ページ
31. いんしゅ【飲酒】
国史大辞典
酒を飲み、歌い舞ったと述べている。こうした風習は、平安時代までに新嘗祭や大嘗祭の神事のあとの豊明節会、殿上宴酔や大饗などの朝儀として形式が整えられ、料酒も定めら
32. 栄花物語 147ページ
日本古典文学全集
舞姫が内裏に参入して常寧殿で帳台の試みが行われ、その後、御前の試み、童女御覧、豊明節会と続く。寛和二年の豊明節会は十一月十九日(紀略)。大嘗会の準備は記すが、そ
33. 栄花物語 426ページ
日本古典文学全集
立文の形に包んだもの。立文は書状を包んで巻き、上下を折り畳む正式の書状の形式。『後拾遺集』雑五所収。「豊」は豊明節会を指す。「さし」と「日蔭」は縁語。以下、「思
34. 栄花物語 427ページ
日本古典文学全集
「小忌の夜」はここは辰の日、豊明節会の夜を指す。五節舞の本番。山藍で摺り染めにした汗衫と唐衣を、童女と傅に着せた。小忌衣の右肩につけて前後に垂らす紐。青摺ととも
35. 栄花物語 517ページ
日本古典文学全集
同じ日の参入音声、とみのを川、天の下とみのを川の末なればいづれの秋かうるはざるべき同じ日の退出音声、ちぢ川、濁りなく見えわたるかなちぢ川のはじめて澄める豊の明に
36. 栄花物語 246ページ
日本古典文学全集
二十一歳。道長男とはいえ長家は臣下。治安元年(一〇二一)の五節は十一月十八日から。十一月二十一日の豊明節会の夜。ただし、斉信家の火事は十二月十八日夜から翌日にか
37. おおうた の 別当(べっとう)
日本国語大辞典
」*九暦‐九暦抄・天徳三年〔959〕一一月一五日「
豊明節会事〈略〉大歌別当奉仕、内弁以
右大将
38. おおのじねんまろ【多自然麻呂】
国史大辞典
のもの)」の位置にあった。嘉祥元年(八四八)に右近将監に任じ、貞観元年(八五九)十一月十九日豊明節会の時に外従五位下に叙し、同五年九月五日宿禰の姓(かばね)を賜
39. お‐せち【御節】
日本国語大辞典
ふるまうこと。節供(せちく)。お節供(せちく)。せち料理。おせちぶるまい。*俳諧・御傘〔1651〕一「豊明節会〈略〉おせちとばかりするは春也。これは天下の地下人
40. かきつばた【杜若】[能曲名]
能・狂言事典
この装束こそ歌に詠まれた唐衣(からころも)、はじめ業平と契った高子の后の御衣、冠は業平が宮中で豊明節会(とよのあかりのせちえ)に五節の舞を舞ったときのものといい
41. 神楽歌 34ページ
日本古典文学全集
「豊」は豊穣の意で、新嘗祭と関連する。「遊び」は音楽や歌舞。新嘗祭の翌日(十一月下の辰の日)に、豊明節会と称し、天皇が新穀を食し、群臣にも酒食を賜わった。「豊明
42. かってじんじゃ【勝手神社】奈良県:吉野郡/吉野町/吉野町
日本歴史地名大系
「惣国風土記」「本朝月令」などはこの天女降臨の記事を掲げて五節舞の起源としている。「吉野拾遺」には後醍醐天皇が豊明節会にこの故事をしのんで詠んだ歌の記事がある。
43. きしまい【吉志舞】
国史大辞典
原型はおそらく、「久米舞」と同じく、職業軍人団の舞踊と考えられる。奈良・平安時代には大嘗会の豊明節会で奏され、安倍氏(楽人)が担当したことが『北山抄』などにみえ
44. きょうれい【
礼】
国史大辞典
謝酒は賜酒を受ける時に再拝する礼式をいう。勧盃・献盃などには一献・二献・三献以下種々の儀がある。豊明節会(とよのあかりのせちえ)は典型的な宴会であり、「豊明」の
45. 近世和歌集 283ページ
日本古典文学全集
導く序詞。「篠の葉に雪降り積もる冬の夜に豊の遊びをするが楽しさ」(神楽歌・篠)。「豊の遊び」は豊明節会で行われる歌舞音曲。「わが駒ははやくゆかなむあさひこがやへ
46. 近世説美少年録 607ページ
日本古典文学全集
五度翻して歌ったのが五節の舞の根元という(大和名所図会・六など)。→[1]二七五ページ注三〇。五節の豊明節会の折に舞われるもの。楚の襄王が高唐山に遊んだ際、朝に
47. ぎょうじぎしき【行事・儀式】 : 大嘗祭
国史大辞典
巳の日には主基の国司らにそれぞれ賜禄がある。第四日の午の日は前の二日よりもくだけた感じの宴で、豊明節会(とよのあかりのせちえ)という。豊楽院に高御座(たかみくら
48. 国栖奏
日本大百科全書
『古事記』にも「口鼓くちつづみを撃うち伎わざを為なし」たとある。吉野国栖のこの独特の所作は、後の豊明節会とよあかりのせちえをはじめとする諸節会に参勤して奏された
49. 久米舞
日本大百科全書
他の楽舞とともに久米舞が行われたが、平安時代になると久米舞は大伴・佐伯両氏によって大嘗会だいじょうえの豊明節会とよあかりのせちえに行われることが慣例化した。 久
50. くめまい【久米舞】
国史大辞典
天平勝宝元年(七四九)十二月東大寺で外来音楽とともに演奏されたのを初見とする。平安時代には大嘗祭の豊明節会に悠紀の舞として盛んに用いられた(主基の舞は吉志舞)。