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  11. 豊明節会

豊明節会

ジャパンナレッジで閲覧できる『豊明節会』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

豊明節会
とよのあかりのせちえ
新嘗祭の翌日の辰日、および大嘗祭においては午日に、天皇が出御して行われる公儀の宴会。荷田在満『大嘗会儀式具釈』に「豊明トハ宴会ヲ云、古クハ宴会豊楽等ノ字ヲ直ニトヨノアカリト訓ズ、大嘗新嘗ノ後ニハ必宴会アリ、仍テ大嘗ノ豊明、新嘗ノ豊明ナドトハイヘド、節会ノ字ヲ加ヘテ豊明節会トハ云ハザリシヲ、中古以後ハ十一月ノ節会ノ名トナリテ、豊明節会ト称ス、(中略)大嘗ノ儀ハ、巳日マデニ亘ル故ニ、午日ニ豊明アリ、新嘗ノ儀ハ、卯日ニテ了ル故ニ、辰日ニ豊明アリ」とある。「とよのあかり」の語義については、大嘗祭の祝詞の「千秋五百秋に平らけく安らけく聞食して、豊明に明り坐さむ」や中臣神寿詞の「赤丹の穂に聞食して、豊明に明り御坐しまして」などの例を引き、「豊明に明り坐す」という慣用句が、宴会の呼称として固定したものであり、「豊は例の称辞、明はもと大御酒を食て、大御顔色の赤らみ坐すを申せる言」と説く本居宣長『古事記伝』三二の解釈が最も妥当とみられる。『塵添〓嚢鈔(じんてんあいのうしょう)』に新嘗祭の豊明節会について、「昨日神ニ手向奉リシ胙ヲ、君モ聞食シ、臣ニモ賜ハン為ニ、節会ヲ行ハルルナリ」と説き、豊明節会が直会(なおらい)の性格をもつことを指摘している。『江家次第』によると「供〓白黒御酒(供八度、各四度)〓、次給〓同酒臣下(各一度、称〓名給〓之、拍手飲〓之)〓」とあり、新嘗祭に献供された白酒(しろき)・黒酒(くろき)が翌日の節会に勧められたことが知られる。一方、大嘗祭では、同書によると辰日節会(悠紀(ゆき)帳)に「供〓白黒酒(八度)〓、給〓臣下(小忌悠紀国司給〓之、大忌諸司給〓之)〓」とみえ、午日の豊明節会には神酒の儀はない。すなわち、大嘗祭の豊明節会には直会の性格は存しない。荷田在満『大嘗会便蒙』に「午の日に豊明節会といふ事あり、是は大嘗の礼畢りぬるから、群臣を遊宴し給ふ儀也」と説くように、豊明節会の本姿は大嘗祭にみられ、その儀礼性格は宴会を本義とするものであった。新嘗・大嘗両祭の豊明節会は、儀礼構成上は本質的相違は存せず、ただ大嘗祭にはさらに種々の芸能が加わる。新嘗祭の場合の次第を『儀式』に基づき略述する。天皇、豊楽(ぶらく)殿(のちには紫宸殿)に出御。大臣・皇太子、着座ののち、儀鸞・豊楽両門を開く。まず参議以上、次に五位以上、次は六位以下の順に群臣参入、着座。大嘗祭には次に叙位の儀がある。天皇の御膳を献供、次に皇太子および群臣に饗饌を賜わる。宴会が始まり、一献ののちに、吉野の国栖(くず)が儀鸞門外で歌笛を奏し、御贄(みにえ)を献る。大嘗祭にはこれに続いて種々の歌舞が奏舞される。まず伴(とも)・佐伯両氏が舞人を率いて参入し久米(くめ)舞を奏す。次に安倍氏の人が吉志(きし)舞を奏す。次には悠紀・主基(すき)両国司が歌人・歌女を率いて参入し、両国の風俗歌舞を奏す。このあと、新嘗・大嘗両祭ともに、大歌所別当が歌人および琴師以下の楽人を率いて参入し、大歌を奏す。次に舞姫が参入し舞台の上で歌に合わせて五節舞(ごせちのまい)を舞う。次に雅楽寮の楽人が立楽(たちがく)を奏す。大嘗祭には最後に解斎の大和舞が舞われる。このあと、禄を賜わり、退出となる。→大嘗祭(だいじょうさい),→新嘗祭(にいなめさい)
[参考文献]
倉林正次『饗宴の研究』儀礼編、田中初夫『践祚大嘗祭』研究篇
(倉林 正次)


日本大百科全書(ニッポニカ)

豊明節会
とよのあかりのせちえ

新嘗祭 (にいなめのまつり)の後にくる辰 (たつ)の日に行う饗宴 (きょうえん)で、新穀供御の神事。その年の稲を神に供え、天皇が初めて召し上がる日でもある。天皇が豊楽院 (ぶらくいん)あるいは紫宸殿 (ししんでん)に出御し、皇太子以下群臣に酒などを賜り、吉野の国栖人 (くずびと)たちに歌笛を奏させる。また大歌所 (おおうたどころ)の別当が歌人を率いて五節の歌をうたい、五節舞姫が舞台で五節舞を舞う。この行事は大化改新(645)後まもなく、天武 (てんむ)、聖武 (しょうむ)天皇のころに行われていたが、応仁 (おうにん)の乱(1467~77)後一時中絶した。そして1688年(元禄1)に再興されている。その後、1740年(元文5)になると、儀式も完全に再現されるようになった。

[山中 裕]



世界大百科事典

豊明節会
とよのあかりのせちえ

豊明は宴会の意で豊明節会とは大嘗祭,新嘗祭(にいなめさい)ののちに行われる饗宴をいう。天皇が豊楽院,または紫宸殿に出席して行われる新穀供御の神事。大嘗祭,新嘗祭はともに原則として11月の下の卯の日に行われるが,大嘗祭では次の辰の日を悠紀(ゆき)の節会,巳の日を主基(すき)の節会とし,3日目の午の日が豊明節会となる。新嘗祭では辰の日に行われ,辰の日の節会として知られた。当日は天皇出席ののち,天皇に新穀の御膳を供進。太子以下群臣も饗饌をたまわる。一献で国栖奏(くずのそう),二献で御酒勅使(みきのちよくし)が来る。そして三献では五節舞(ごせちのまい)となる。吉野の国栖が歌笛を奏し,大歌所の別当が歌人をひきいて五節の歌を歌い,舞姫が参入して庭前の舞台で五度袖をひるがえして舞う五節舞がある。雅楽寮の楽人が立歌の後,皇太子以下禄を拝領して儀式は終了する。文献にみえるはじめは,《続日本紀》の神護景雲2年(768)である。
[山中 裕]

[索引語]
悠紀(ゆき)の節会 主基(すき)の節会 辰の日の節会 国栖の奏 五節舞
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新嘗祭にいなめのまつりの後にくる辰たつの日に行う饗宴きょうえんで、新穀供御の神事。その年の稲を神に供え、天皇が初めて召し上がる日でもある。天皇が豊楽院ぶらくいん
2. 豊明節会
世界大百科事典
豊明は宴会の意で豊明節会とは大嘗祭,新嘗祭(にいなめさい)ののちに行われる饗宴をいう。天皇が豊楽院,または紫宸殿に出席して行われる新穀供御の神事。大嘗祭,新嘗祭
3. とよのあかりのせちえ【豊明節会】
国史大辞典
」とみえ、午日の豊明節会には神酒の儀はない。すなわち、大嘗祭の豊明節会には直会の性格は存しない。荷田在満『大嘗会便蒙』に「午の日に豊明節会といふ事あり、是は大嘗
4. ほうめい‐の‐せちえ[‥セチヱ]【豊明節会】
日本国語大辞典
〔連語〕「とよのあかり(豊明)(2)」に同じ。*譬喩尽〔1786〕一「豊明節会(ホウメイノセチヱ)〈豊明(とよのあかり)とも云〉」ホーメ
5. 【豊明節(〓)会(〓)】とよのあかりのせちえ(ゑ)
新選漢和辞典Web版
《国》陰暦十一月、中(なか)の辰(たつ)の日に、宮中で、天皇が新穀をめしあがり、群臣にもくだされた後、叙位などを行った儀式。
6. 大嘗祭豐明節會 (見出し語:豐明節會)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 1320ページ
7. 新嘗祭豐明節會 (見出し語:豐明節會)
古事類苑
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8. 新嘗祭豐明節會 (見出し語:豐明節會)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 262ページ
9. 豊明節会外弁要(著作ID:3580378)
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とよのあかりのせちえげべんよう 滋野井 公麗(しげのい きんかず) 
10. 豊明節会次第(著作ID:3580334)
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とよのあかりのせちえしだい 西園寺 賞季(さいおんじ よしすえ) 撰 有職故実 
11. 豊明節会次第(著作ID:3655387)
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とよのあかりのせちえしだい 有職故実 
12. 豊明節会続内弁要(著作ID:3580345)
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とよのあかりのせちえぞくないべんよう 西園寺 賞季(さいおんじ よしすえ) 撰 
13. 豊明節会略次第(著作ID:4400065)
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とよのあかりのせちえりゃくしだい 有職故実 
14. 五節停止年被行豊明節会例(著作ID:2646700)
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ごせちちょうじのとしとよのあかりのせちえをおこなわるるれい 有職故実 
15. 大嘗会辰日豊明節会次第(著作ID:3302827)
新日本古典籍データベース
だいじょうえたつのひとよのあかりのせちえしだい 祭祀 文永一一
16. 鎮魂祭並豊明節会記(著作ID:3432664)
新日本古典籍データベース
ちんこんさいならびにとよのあかりのせちえき 白川 雅寿王(しらかわ まさとしおう) 祭祀 文政九
17. 新嘗会並豊明節会次第(著作ID:3707844)
新日本古典籍データベース
にいなめえならびにとよのあかりのせちえしだい 祭祀 
18. 新嘗祭豊明節会聚類(著作ID:3709691)
新日本古典籍データベース
にいなめさいとよのあかりのせちえしゅうるい 部類記 
19. 新嘗祭並豊明節会(著作ID:4405729)
新日本古典籍データベース
にいなめさいならびにとよのあかりのせちえ 祭祀 
20. 新嘗祭並豊明節会/内々出御(著作ID:4425506)
新日本古典籍データベース
にいなめさいならびにとよのあかりのせちえ/ないないしゅつぎょ 祭祀 
21. 午日行豐明節會 (見出し語:午日)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 1320ページ
22. 大嘗祭豐明節會奏大歌 (見出し語:大歌【篇】)
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23. 新嘗祭豐明節會奏大歌 (見出し語:大歌【篇】)
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24. 於紫宸殿豐明節會 (見出し語:紫宸殿)
古事類苑
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25. 大嘗祭豐明節會 (見出し語:節會)
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26. 新嘗祭豐明節會 (見出し語:節會)
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27. 新嘗祭豐明節會平座 (見出し語:平座)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 307ページ
28. 豐樂院豐明節會 (見出し語:豐樂院)
古事類苑
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29. 新嘗祭豐明節會吉野國栖奏歌笛 (見出し語:吉野國栖)
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30. 新嘗祭豐明節會賜祿 (見出し語:祿)
古事類苑
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31. いんしゅ【飲酒】
国史大辞典
酒を飲み、歌い舞ったと述べている。こうした風習は、平安時代までに新嘗祭や大嘗祭の神事のあとの豊明節会、殿上宴酔や大饗などの朝儀として形式が整えられ、料酒も定めら
32. 栄花物語 147ページ
日本古典文学全集
舞姫が内裏に参入して常寧殿で帳台の試みが行われ、その後、御前の試み、童女御覧、豊明節会と続く。寛和二年の豊明節会は十一月十九日(紀略)。大嘗会の準備は記すが、そ
33. 栄花物語 426ページ
日本古典文学全集
立文の形に包んだもの。立文は書状を包んで巻き、上下を折り畳む正式の書状の形式。『後拾遺集』雑五所収。「豊」は豊明節会を指す。「さし」と「日蔭」は縁語。以下、「思
34. 栄花物語 427ページ
日本古典文学全集
「小忌の夜」はここは辰の日、豊明節会の夜を指す。五節舞の本番。山藍で摺り染めにした汗衫と唐衣を、童女と傅に着せた。小忌衣の右肩につけて前後に垂らす紐。青摺ととも
35. 栄花物語 517ページ
日本古典文学全集
同じ日の参入音声、とみのを川、天の下とみのを川の末なればいづれの秋かうるはざるべき同じ日の退出音声、ちぢ川、濁りなく見えわたるかなちぢ川のはじめて澄める豊の明に
36. 栄花物語 246ページ
日本古典文学全集
二十一歳。道長男とはいえ長家は臣下。治安元年(一〇二一)の五節は十一月十八日から。十一月二十一日の豊明節会の夜。ただし、斉信家の火事は十二月十八日夜から翌日にか
37. おおうた の 別当(べっとう)
日本国語大辞典
」*九暦‐九暦抄・天徳三年〔959〕一一月一五日「豊明節会事〈略〉大歌別当奉仕、内弁以〓右大将
38. おおのじねんまろ【多自然麻呂】
国史大辞典
のもの)」の位置にあった。嘉祥元年(八四八)に右近将監に任じ、貞観元年(八五九)十一月十九日豊明節会の時に外従五位下に叙し、同五年九月五日宿禰の姓(かばね)を賜
39. お‐せち【御節】
日本国語大辞典
ふるまうこと。節供(せちく)。お節供(せちく)。せち料理。おせちぶるまい。*俳諧・御傘〔1651〕一「豊明節会〈略〉おせちとばかりするは春也。これは天下の地下人
40. かきつばた【杜若】[能曲名]
能・狂言事典
この装束こそ歌に詠まれた唐衣(からころも)、はじめ業平と契った高子の后の御衣、冠は業平が宮中で豊明節会(とよのあかりのせちえ)に五節の舞を舞ったときのものといい
41. 神楽歌 34ページ
日本古典文学全集
「豊」は豊穣の意で、新嘗祭と関連する。「遊び」は音楽や歌舞。新嘗祭の翌日(十一月下の辰の日)に、豊明節会と称し、天皇が新穀を食し、群臣にも酒食を賜わった。「豊明
42. かってじんじゃ【勝手神社】奈良県:吉野郡/吉野町/吉野町
日本歴史地名大系
「惣国風土記」「本朝月令」などはこの天女降臨の記事を掲げて五節舞の起源としている。「吉野拾遺」には後醍醐天皇が豊明節会にこの故事をしのんで詠んだ歌の記事がある。
43. きしまい【吉志舞】
国史大辞典
原型はおそらく、「久米舞」と同じく、職業軍人団の舞踊と考えられる。奈良・平安時代には大嘗会の豊明節会で奏され、安倍氏(楽人)が担当したことが『北山抄』などにみえ
44. きょうれい【〓礼】
国史大辞典
謝酒は賜酒を受ける時に再拝する礼式をいう。勧盃・献盃などには一献・二献・三献以下種々の儀がある。豊明節会(とよのあかりのせちえ)は典型的な宴会であり、「豊明」の
45. 近世和歌集 283ページ
日本古典文学全集
導く序詞。「篠の葉に雪降り積もる冬の夜に豊の遊びをするが楽しさ」(神楽歌・篠)。「豊の遊び」は豊明節会で行われる歌舞音曲。「わが駒ははやくゆかなむあさひこがやへ
46. 近世説美少年録 607ページ
日本古典文学全集
五度翻して歌ったのが五節の舞の根元という(大和名所図会・六など)。→[1]二七五ページ注三〇。五節の豊明節会の折に舞われるもの。楚の襄王が高唐山に遊んだ際、朝に
47. ぎょうじぎしき【行事・儀式】 : 大嘗祭
国史大辞典
巳の日には主基の国司らにそれぞれ賜禄がある。第四日の午の日は前の二日よりもくだけた感じの宴で、豊明節会(とよのあかりのせちえ)という。豊楽院に高御座(たかみくら
48. 国栖奏
日本大百科全書
『古事記』にも「口鼓くちつづみを撃うち伎わざを為なし」たとある。吉野国栖のこの独特の所作は、後の豊明節会とよあかりのせちえをはじめとする諸節会に参勤して奏された
49. 久米舞
日本大百科全書
他の楽舞とともに久米舞が行われたが、平安時代になると久米舞は大伴・佐伯両氏によって大嘗会だいじょうえの豊明節会とよあかりのせちえに行われることが慣例化した。 久
50. くめまい【久米舞】
国史大辞典
天平勝宝元年(七四九)十二月東大寺で外来音楽とともに演奏されたのを初見とする。平安時代には大嘗祭の豊明節会に悠紀の舞として盛んに用いられた(主基の舞は吉志舞)。
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