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顯宗天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』によれば第二十三代天皇、在位三年(四八五―八七)。『古事記』に治世八年、崩年三十八歳とみえるが、いずれも確かでない。在位の実年代はもう少しおそく、五世紀の末であろう。父は履中天皇の皇子市辺押磐皇子、母は蟻臣の娘媛。仁賢天皇の同母弟。子はない
清寧天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』で第二十二代と伝える天皇。白髪武広国押稚日本根子天皇(記には白髪大倭根子命)・白髪皇子などという。父は雄略天皇、母は葛城円大臣の娘韓媛。雄略天皇二十二年立太子、二十三年雄略天皇崩後、異母弟星川皇子の反乱を討って磐余甕栗宮に即位
雄略天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』では第二十一代で、大泊瀬幼武(おおはつせわかたける)天皇と表記し、『古事記』では大長谷若建命と表記する。允恭天皇第五子。母は忍坂大中姫命。兄の安康天皇が眉弱(まよわ)王に暗殺されると、王と王を保護した葛城円(かずらきのつぶら)
安康天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』では第二十代の天皇。諱は穴穂皇子。允恭天皇第二子。母は忍坂大中姫命。兄の木梨軽皇子を物部大前宿禰の家に殺して即位し、宮を大和山辺郡石上(奈良県天理市)に移して、石上穴穂宮と称した。さらに大草香皇子を殺し、その妻を皇后としたため、皇后が大草香皇子との
允恭天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』では第十九代の天皇。諱は雄朝津間稚子宿禰。仁徳天皇皇子。母は磐之媛。履中・反正天皇の同母弟。忍坂大中姫を皇后とし、刑部を定め、木梨軽皇子、安康・雄略両天皇を生み、また皇后の妹衣通郎姫を妃とし、そのため藤原宮をたて、藤原部を定めたという。甘檮岡の盟神探湯により
反正天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
生没年不詳。記紀では第18代の天皇とする。5世紀中葉の天皇で、『日本書紀』には、河内(かわち)の丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや)(大阪府羽曳野(はびきの)市丹比付近か)で在位5年にして崩ずと記す。「多遅比瑞歯別(たじひのみずはわけ)(水歯別)天皇(命(みこと))」ともいう。
仲哀天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』に伝える第十四代の天皇。和風諡号は足仲彦(たらしなかつひこ)尊。景行天皇の皇子日本武尊の子で、母は垂仁天皇の女両道入姫(ふたじのいりびめ)皇女。紀によれば、子に皇后気長足姫尊(神功皇后)の生んだ誉田別皇子(応神天皇)のほか、坂(かごさか)
成務天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『古事記』『日本書紀』に伝える第十三代の天皇。和風諡号は稚足彦(わかたらしひこ)尊。第十二代景行天皇の第四子で、母は皇后八坂入姫(やさかのいりびめ)命。景行天皇の皇子日本武尊の没後、景行天皇五十一年に立太子し、同六十年に天皇が崩じた後、翌年正月即位したという
景行天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』『古事記』に第十二代と伝える天皇。大足彦忍代別天皇(記には大帯日子淤斯呂和気天皇)・大足日子天皇などという。父は垂仁天皇、母は丹波道主王の女、皇后日葉洲媛命。垂仁天皇三十七年に立太子、同九十九年父天皇の崩後即位し纏向日代宮に都したとされる
垂仁天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『古事記』『日本書紀』に第十一代と伝える天皇。活目入彦五十狭茅天皇・伊久米天皇などという。父は崇神天皇、母は大彦命の娘、皇后御間城姫。崇神天皇二十九年誕生、四十八年立太子、六十八年崇神天皇が亡くなると翌年纒向珠城宮に即位したという
崇神天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『古事記』『日本書紀』などの皇室系譜では第十代の天皇。開化天皇の皇子。『日本書紀』によれば母は伊香色謎(いかがしこめ)命(『古事記』では伊迦賀色許売(いかがしこめ)命)と伝える。御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)天皇
開化天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
皇室系譜に第9代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおひひのみこと)。孝元(こうげん)天皇の第2子で、母は欝色謎命(うつしこめのみこと)。孝元天皇57年に、父天皇の没を受けて即位、翌開化元年に都を
孝元天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
皇室系譜に第8代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)。孝霊(こうれい)天皇の皇子で、母は細媛命(ほそひめのみこと)。孝霊36年に19歳で立太子、孝元元年即位、同4年に都を軽(かる)
孝霊天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
皇室系譜に第7代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)。孝安(こうあん)天皇の皇子で、母は押媛(おしひめ)。都を黒田(くろだ)(奈良県磯城(しき)郡田原本(たわらもと)町)の廬戸宮(いおとのみや)に
孝安天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
皇室系譜に第6代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)。孝昭(こうしょう)天皇の第2子で、母は世襲足媛(よそたらしひめ)。孝安元年に即位、同2年に都を室(むろ)(奈良県御所(ごせ)市室)の
孝昭天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
皇室系譜に第5代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと)。懿徳(いとく)天皇の皇子で、母は天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)。孝昭元年に即位して都を掖上(わきのかみ)(奈良県御所(ごせ)市北東部)の
懿徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』『古事記』に第四代と伝える天皇。和風諡号は大日本彦耜友尊。『日本書紀』によれば、安寧天皇の第二子で母は事代主神の孫鴨玉の女の渟名底仲媛命(記では師木県主波延の女の阿久斗比売)、安寧天皇十一年に立太子、同三十八年父天皇の死をうけて翌年即位
安寧天皇(国史大辞典・日本大百科全書)
『日本書紀』『古事記』に第三代と伝える天皇。和風諡号は磯城津彦玉手看尊。『日本書紀』によれば、綏靖天皇の子で母は事代主神の女の五十鈴依媛命(記では師木県主の祖の河俣売)、綏靖天皇二十五年立太子、同三十三年父天皇の死をうけて即位、片塩浮孔宮に都し、事代主神の
綏靖天皇(日本大百科全書(ニッポニカ))
皇室系譜に第2代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)。神武(じんむ)天皇の第3子で、母は媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。神武天皇の没後、庶兄手研耳命(たぎしみみのみこと)を討って
神武天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『日本書紀』および『古事記』によれば、第一代の天皇で、皇室の祖先とされる。その名は、『日本書紀』神代、神皇承運章本文・同第一の一書によれば、神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)尊という。草葺不合(うがやふきあえず)尊の第四子で、母は玉依姫
朝見(日本国語大辞典)
解説・用例〔名〕(1)臣下が宮中へ行って天子に会うこと。天子に拝謁すること。*参天台五台山記〔1072〜73〕四「応毎有海外進奉、蛮子蕃客等朝見。具子与朝見目。問奏進奉人姓名已下」*済北集〔1346頃か〕一四・宗門十勝論「一日僧朝見。帝問何処来。僧云臥雲来」
御製(日本国語大辞典)
(1)天皇や皇族が、文書や作品を書いたり、ことばを賜わったりすること。また、その文書。*正倉院文書‐天平勝宝八年〔756〕六月二一日・東大寺献物帳(寧楽遺文)「太上天皇、捨国家珍宝等、入東大寺願文。皇太后御製」*続日本紀‐神護景雲三年〔769〕一〇月癸亥「長岡避
拝謁(日本国語大辞典)
身分の高い人や目上の人に面会することをへりくだっていう語。つつしんでお目にかかること。おめどおり。*吾妻鏡‐治承四年〔1180〕一一月八日「相搆伺拝謁之次、有可申事故也」*色葉字類抄〔1177〜81〕「拝謁 ハイエツ 対面詞 同分」*読本・椿説弓張月〔1807〜11〕拾遺
行幸(日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
〔名〕(1)(─する)(「ぎょうごう」とも)天皇が皇居を出て、よそへ行くこと。なお、行く先が二か所以上にわたるときには巡幸という。みゆき。いでまし*令義解〔718〕儀制・天子条「車駕。〈行幸所
還幸(日本国語大辞典)
(1)天皇が行幸からお帰りになること。還御。*平家物語〔13C前〕一〇・請文「還幸なからんにおいては、三種の神器いかでか玉躰をはなちたてまつるべきや」*神皇正統記〔1339〜43〕下・後醍醐「つゐに朝敵を追落す。やがて其夜還幸し給」*太平記〔14C後〕七・船上合戦事
皇室喪儀令(国史大辞典)
天皇および皇族の喪儀について規定したもので、大正十五年(一九二六)十月二十一日皇室令の一つとして公布された。内容は、第一章大喪儀(第一条より第一一条まで)、第二章皇族喪儀(第一二条より第二一条まで)および附式から成り、第一章には第一条の、天皇が崩御した時は宮内大臣
皇室祭祀(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
皇室で執り行われる祭祀で、おもに神道的儀式を基本としている。皇室祭祀には、新嘗祭など古代からの祭祀を継承したものや、元始祭などのように明治維新後の神道国教化政策、神仏分離政策の影響を受けて新たに定められた神道祭祀など多数ある。現行の皇室祭祀は、明治維新後新たに制度化
大嘗祭(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
天皇が即位したのち、最初に挙行する大規模な新嘗祭のこと。「おおにえのまつり」、また単に大嘗ともいい、即位儀とともに即位儀礼を構成する。近世以前には大嘗会ともよばれたが、これは節会に重きをおいた呼称である。律令時代における毎年秋の新嘗祭との相違は、新嘗祭が十一月下
仁徳天皇(改訂新版・世界大百科事典)
応神天皇につぐ16代の天皇とされる。応神の子,履中,反正,允恭天皇の父。諱はオホサザキ(大雀,大鷦鷯),宮は難波高津宮,陵は和泉百舌鳥耳原中陵。天皇は幼にして聡明,壮におよび仁慈,ために〈仁徳〉と諡されたが,悪逆無道とされた25代武烈天皇でこの応神・仁徳の王系が途絶えるの
履中天皇(国史大辞典)
第十七代とされる天皇。去来穂別天皇、大兄去来穂別天皇(『古事記』では大江之伊邪本和気命)などという。父は仁徳天皇、母は葛城襲津彦の女、皇后磐之媛命。反正・允恭両天皇の同母兄にあたる。『日本書紀』では仁徳天皇三十一年に立太子、同八十七年、父の死後、同母弟住吉仲皇子の乱
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