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四条天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『四条天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典のサンプルページ

国史大辞典
四条天皇
しじょうてんのう
一二三一 - 四二
一二三二―四二在位。諱は秀仁(みつひと)。寛喜三年(一二三一)二月十二日一条室町亭で誕生。後堀河天皇の第一皇子。母は藻壁門院藤原〓子(九条道家の娘)。同年四月十一日親王、十月二十八日皇太子となる。貞永元年(一二三二)十月四日父天皇の譲により践祚、十二月五日わずか二歳で即位。母方の縁者西園寺公経・九条道家らが権勢を振るったが、天皇は仁治三年(一二四二)正月九日、在位九年余にして閑院内裏に没した。歳十二。殿舎で顛倒したのが原因で大事に至ったという。陵は京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵。四条天皇に皇嗣なく、道家は順徳上皇の子忠成王の即位を計り、公経も同意したが、鎌倉幕府はこれを拒否、強引に邦仁王(後嵯峨天皇)を即位させた。この紛争のため空位十一日に及び、朝臣の悲憤は激しかったが、以後、皇位選定権は幕府の掌中に帰した。→月輪陵(つきのわのみささぎ)
[参考文献]
『大日本史料』五ノ一四 仁治三年正月九日条、三浦周行『鎌倉時代史』(『日本時代史』五)
(杉橋 隆夫)


日本大百科全書(ニッポニカ)
四条天皇
しじょうてんのう
[1231―1242]

第87代天皇(在位1232~42)。名は秀仁(みつひと)。後堀河(ごほりかわ)天皇の第1皇子。母は中宮、藻壁門院藤原竴(たか)子(父九条道家)。1232年(貞永1)10月2歳で践祚(せんそ)、同12月即位。幼少のため九条教実(のりざね)、道家、兼経(かねつね)らが相次ぎ摂政(せっしょう)となった。在位約10年間に改元六度、12歳で没。陵墓は京都市東山区今熊野の月輪(つきのわ)陵。
[小野信二]



日本人名大辞典
四条天皇
しじょうてんのう
1231−1242
鎌倉時代,第87代天皇。在位1232-42。
寛喜(かんぎ)3年2月12日生まれ。後堀河天皇の第1皇子。母は藤原〓子(しゅんし)(藻璧門院)。父の譲位をうけ2歳で即位。六波羅(ろくはら)探題が整備され,御成敗式目(貞永(じょうえい)式目)の制定などで幕府体制が強化され,朝廷監視がつよまった。仁治(にんじ)3年1月9日死去。12歳。墓所は月輪陵(つきのわのみささぎ)(京都市東山区)。諱(いみな)は秀仁(みつひと)。
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検索コンテンツ
1. 四条天皇
日本大百科全書
第87代天皇(在位1232~42)。名は秀仁(みつひと)。後堀河(ごほりかわ)天皇の第1皇子。母は中宮、藻壁門院藤原竴(たか)子(父九条道家)。1232年(貞永 ...
2. しじょう‐てんのう[シデウテンワウ]【四条天皇】
日本国語大辞典
第八七代の天皇。名は秀仁(みつひと)。後堀河天皇の第一皇子。母は藤原道家の娘〓子。二歳で践祚(せんそ)し、九条教実(のりざね)、九 ...
3. しじょうてんのう【四条天皇】
国史大辞典
。歳十二。殿舎で顛倒したのが原因で大事に至ったという。陵は京都市東山区今熊野泉山町の月輪陵。四条天皇に皇嗣なく、道家は順徳上皇の子忠成王の即位を計り、公経も同意 ...
4. 四条天皇
日本史年表
1242年〈仁治3 壬寅〉 1・9 九条道家, 四条天皇 の死により,皇嗣を幕府に諮問(民経記)。  ...
5. 四條天皇(しじょうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 29ページ ...
6. しじょうてんのう【四条天皇】
日本人名大辞典
1231−1242 鎌倉時代,第87代天皇。在位1232-42。寛喜(かんぎ)3年2月12日生まれ。後堀河天皇の第1皇子。母は藤原 ...
7. あがのしょう【安賀庄】福井県:遠敷郡/上中町/安賀里村
日本歴史地名大系
現上中町安賀里に比定される。暦仁元年(一二三八)一二月三日付四条天皇宣旨案(勝尾寺文書)に「応任先師前大僧正円基付属、令大法師円尊相伝領掌房舎聖教所領等事」とし ...
8. あきこないしんのう【〓子内親王】
日本人名大辞典
。母は権(ごんの)大納言藤原兼良の娘。嘉禎(かてい)3年伊勢斎宮となるが,仁治(にんじ)3年四条天皇死去にともないしりぞく。寛元4年8月15日死去。16歳。 ...
9. あげのしょう【安下庄】山口県:大島郡/橘町
日本歴史地名大系
荘(建久三年六月三日付「前右大将家政所下文」正閏史料外編一)の一つで、延応元年(一二三九)の四条天皇宣旨(門葉記)に、応任故二品尊性法親王附属状、令無品尊守法親 ...
10. あげのしょう・あげのしょううら【安下庄・安下庄浦】山口県:大島郡/橘町
日本歴史地名大系
東は西方村(現東和町)、南は安下庄湾に面する。安下庄の名は延応元年(一二三九)一二月二五日付の四条天皇宣旨(門葉記)に「周防国安下庄」とみえるのが早く、中世前期 ...
11. あだちよしかげ【安達義景】画像
国史大辞典
延応元年(一二三九)には評定衆に列して幕政に参加した。仁治二年(一二四一)に従五位上、翌三年正月、四条天皇の後嗣問題で、邦仁親王(後嵯峨天皇)を推す幕府の使者と ...
12. あだち-よしかげ【安達義景】
日本人名大辞典
安達景盛(かげもり)の長男。父の出家後,秋田城介(じょうのすけ)をつぎ,評定衆として幕政にくわわる。四条天皇の死後,幕府の使者として京都にいき,後嵯峨(ごさが) ...
13. ありふくのしょう【有福庄】広島県:甲奴郡/上下町/有福村
日本歴史地名大系
として挙兵した竹内兼幸は、土肥実平の子孫と称した。一方、延応元年(一二三九)一二月二五日付の四条天皇宣旨(門葉記)に「応任故二品尊性法親王附属状、令無品尊守法親 ...
14. いかのしょう【伊香庄】滋賀県:伊香郡/木之本町
日本歴史地名大系
なお年月日未詳の北野社社領目録写(北野神社文書)に「中庄之内田井郷」がみえる。暦仁元年(一二三八)一二月三日の四条天皇宣旨案(摂津勝尾寺文書)に天台座主相伝延暦 ...
15. 十六夜日記(中世日記紀行集) 288ページ
日本古典文学全集
「旅衣」に続ける。贈歌で比喩的に用いた「旅衣」の現実の状況を述べて答歌とする。後高倉院一女、利子内親王。四条天皇准母。建長三年没、五十五歳。生年未詳、弘安六年在 ...
16. いしかわのしょう【石川庄】大阪府:南河内郡
日本歴史地名大系
頼経領から室町院領になる前に四条天皇准母式乾門院利子内親王に相伝され、式乾門院は領家職と思われる権益の一部を四条天皇の陵墓がある泉涌寺(現京都市東山区)の新御堂 ...
17. いなばむら【稲葉村】滋賀県:東浅井郡/びわ町
日本歴史地名大系
道が集落を通る。中世は稲葉今村庄に属した。史料上は稲場とも。暦仁元年(一二三八)一二月三日の四条天皇宣旨案(摂津勝尾寺文書)、建治二年(一二七六)一〇月二一日の ...
18. いまぐまのむら【新熊野村】京都市:東山区地図
日本歴史地名大系
「今熊野」の表記が一般化するのは明治以降である。月輪陵(現今熊野泉山町)は泉山に所在する歴代天皇の陵墓。四条天皇及び後水尾以下明正・後光明・後西・霊元・東山・中 ...
19. いまづむら【今津村】滋賀県:高島郡/今津町
日本歴史地名大系
が木曾義仲追討のため「木津の宿」から「今津」を通過している。暦仁元年(一二三八)一二月三日の四条天皇宣旨案、建治二年(一二七六)一〇月二一日の太政官符案(ともに ...
20. いまづむら【今津村】大阪府:大阪市/鶴見区地図
日本歴史地名大系
合流して北西に向かっていた。集落は南東部川沿いの自然堤防上にある。延応元年(一二三九)一二月二五日の四条天皇宣旨(門葉記)に「河内国今津庄」とみえる。妙法院門跡 ...
21. いまばやしじゅごう【今林准后】
日本人名大辞典
1196−1302 鎌倉時代,西園寺実氏(さねうじ)の妻。建久7年生まれ。四条隆衡(たかひら)の娘。四条天皇の乳母で,大宮院(後深草天皇,亀山天皇の生母),東二 ...
22. いまむら【今村】滋賀県:神崎郡/能登川町
日本歴史地名大系
中世は垣見庄に属したとみられるが、稲葉庄(因幡庄)との関連も考えられる。暦仁元年(一二三八)一二月三日の四条天皇宣旨案(勝尾寺文書)に「稲葉今村庄」とみえ、本家 ...
23. いんりょう【院領】
国史大辞典
青蓮院慈円・平親範の寄進を受けた。承久の乱後、幕府は後高倉院に没収した皇室領の大部分を返上。のち後堀河天皇・四条天皇を経て、後嵯峨天皇は文永九年(一二七二)崩御 ...
24. 江戸参府紀行 296ページ
東洋文庫
六七八泉涌寺 京都市東山区今熊野町にあり、真言宗泉涌寺派の大本山で、天長年間(九世紀)空海の創建である。四条天皇以来の天皇の山陵をこの寺域に営まれる例が多くなり ...
25. えんおう【延応】
日本国語大辞典
鎌倉時代、四条天皇の代の年号。天変により、暦仁二年(一二三九)二月七日改元。翌年七月一六日に仁治に代わる。執権北条泰時の時代。出典は「文選‐序」の「廊廟惟清、俊 ...
26. えんおう【延応】
国史大辞典
四条天皇の時の年号(一二三九―四〇)。暦仁二年二月七日改元。天変地震による。文章博士藤原経範の勘申。出典は『文選』贈答「廊廟惟清、俊乂是延、擢応 ...
27. えんりゃくじ【延暦寺】滋賀県:大津市/北部地域
日本歴史地名大系
以上のほか第二四代座主円基から次の座主へ引継がれる所領を承認した暦仁元年(一二三八)一二月の四条天皇綸旨案(勝尾寺文書)には、延命院領近江国箕浦山方荘・栗太寺、 ...
28. おおくぼむら【大久保村】静岡県:浜松市/旧敷知郡・引佐郡地区
日本歴史地名大系
(鴨江寺文書)にみえる大窪寺は妙香城寺のことであろう。なお嘉禎三年(一二三七)一一月一六日の四条天皇綸旨写(徴古雑抄)に「浜松大窪寺」とみえるが、この文書は検討 ...
29. おおくわのしょう【大桑庄】石川県:金沢市/旧石川郡地区/大桑村
日本歴史地名大系
現在の金沢市大桑町・大桑新町・西大桑町などを遺称地とし、一帯に比定される。暦仁元年(一二三八)一二月三日の四条天皇宣旨案(勝尾寺文書)に「日吉三社御供料加賀国大 ...
30. おおのみのしょう【大呑庄】石川県:七尾市
日本歴史地名大系
正円基(前天台座主)の遺領である日吉社九月会料「能登国大呑・堀松」などの相伝を安堵された(「四条天皇宣旨案」勝尾寺文書)。また建長八年(一二五六)一月一〇日には ...
31. おおやまずみじんじゃ【大山祇神社】愛媛県:越智郡/大三島町/宮浦村
日本歴史地名大系
していたが、康和元年(一〇九九)廃止され、領家の知足院から預所兼帯のために京神主が派遣され、四条天皇の代まで続いたという。同本縁には天文一三年(一五四四)大内義 ...
32. おくしまのしょう【奥島庄】滋賀県:近江八幡市
日本歴史地名大系
法親王家領の一つ奥島庄が、親王の病危急により尊守法親王家門跡相承とされ(同年一二月二五日付「四条天皇宜旨」門葉記)、伝領関係は不明ながら、これがやがて延暦寺領と ...
33. おさかべのみくりや【刑部御厨】静岡県:引佐郡/細江町
日本歴史地名大系
五日に天台座主尊性法親王から尊守法親王への相伝が認められた家領の一つに当御厨の名がみえる(「四条天皇宣旨写」華頂要略)。弘安二年(一二七九)一月二八日に伊勢内宮 ...
34. かただのしょう【固田庄】栃木県:那須郡/黒羽町
日本歴史地名大系
「同十禅師宮四季大般若〓下野国固田庄」がある(「四条天皇綸旨案」勝尾寺文書)。鎌倉初期には参議藤原定頼の息大法師円尊(天台座主)を領家とし、近江日吉 ...
35. かてい【嘉禎】
日本国語大辞典
鎌倉前期、四条天皇の代の年号。天変地異により文暦(ぶんりゃく)二年(一二三五)九月一九日改元。嘉禎四年一一月二三日、暦仁(りゃくにん)と改元。将軍藤原頼経、執権 ...
36. かてい【嘉禎】
国史大辞典
四条天皇の時の年号(一二三五―三八)。文暦二年九月十九日改元。天変地異による。前権中納言藤原頼資の勘申。その勘文に「北斉書曰、蘊〓千祀 ...
37. 鎌倉時代
世界大百科事典
の外戚であり,そのうえ後鳥羽上皇の還京を画策したりして,幕府の疑惑を買った。42年(仁治3)四条天皇の死後,道家は順徳上皇の皇子忠成王を即位させようとしたが,幕 ...
38. かまくらじだいけんむせいけん【鎌倉時代―建武政権】 : 朝幕関係
国史大辞典
これは合戦による緊急措置であり、幕府が皇位選定権を掌握したことを意味しない。仁治三年(一二四二)四条天皇の没後、土御門上皇の皇子邦仁と順徳上皇の皇子忠成が皇嗣の ...
39. かめやちょう【亀屋町】京都市:中京区/富有学区地図
日本歴史地名大系
言隆衡卿冷泉万里小路第」とあり、また「古今著聞集」第一一に、「仁治三年(一二四二)正月九日、四条天皇十二歳禁中にして崩御の御事あるよしののしりければ(中略)同二 ...
40. 感身学正記 1 西大寺叡尊の自伝 46ページ
東洋文庫
。同二年(庚寅)光歳。同三年(辛卯)光一歳。貞永一年(壬辰)光二歳。天福一年(癸巳)光三歳(四条天皇治天下十年)。 三には戒律を受学する事文暦一年(甲午)光四歳 ...
41. 感身学正記 1 西大寺叡尊の自伝 338ページ
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同三年畔光一歳、貞永一年庭光二歳、天福一年眼光三歳四条天皇治天下+年 三受学戒律事文暦一年押光四歳 凡奉受印可後十ケ年間、或面受口決、或書写尊法、或披覧本経 ...
42. かんのんじ【観音寺】
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同寺無常所に葬り、文暦元年(一二三四)八月後堀河天皇を同寺北辺(観音寺陵)に埋葬し、寛元二年(一二四四)正月四条天皇の二周忌に法華八講が修されるなど、平安から鎌 ...
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同寺無常所に葬り、文暦元年(一二三四)八月後堀河天皇を同寺北辺(観音寺陵)に埋葬し、寛元二年(一二四四)正月四条天皇の二周忌に法華八講が修されるなど、平安から鎌 ...
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45. きたやまいん【北山院】
国史大辞典
同十三年十二月二十七日後小松天皇の生母通陽門院が薨ずると、義満は天皇御一代に両度の諒闇は不吉であると四条天皇の例をあげ、その対策を関白一条経嗣にはかった。経嗣は ...
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50. 九条家画像
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