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皇位継承

ジャパンナレッジで閲覧できる『皇位継承』の改訂新版・世界大百科事典のサンプルページ

皇位継承
こういけいしょう

7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で,兄弟相続が多い。応神・仁徳を境として,皇位継承の原則に大きな変化が起こっているように見える。しかし,父子直系相続は7世紀末以降の天皇の目ざした皇位継承法であり,兄弟相続は日本固有の継承法であることからすると,応神以前の直系相続は記紀編纂の過程で作為された可能性が強い。また,記紀にみえる天皇の名称をみると,7,8,9代の孝霊,孝元,開化と41,42,43,44代の持統,文武,元明,元正はヤマトネコ,10,11代の崇神,垂仁はイリヒコ,12,13,14代の景行,成務,仲哀と34,35代の舒明,皇極はタラシヒコ(メ),15,17,18代の応神,履中,反正と38代の天智はワケ,27,28,29代の安閑,宣化,欽明はクニオシという称をもつというように時期により特色があり,それらを検討すると,7~9代の名称は持統以下の名称を手本に,12~14代の名称は舒明,皇極の名称を手本にして作られたと推定される。これに加えて記紀には9代までの天皇の事績については神武以外ほとんど所伝がないこと,10代の崇神が初代の天皇を意味する所知初国(はつくにしらす)天皇の称号をもつことなどから,9代までの天皇の実在性は疑われている。10代以後も,皇居や陵墓の所在地や称号の変化などから,10~12代の天皇は大和を根拠としていたが,15~25代の天皇は河内平野を主要な根拠地とする別系統の天皇ではないかとして,前者を三輪政権(初期大和政権),後者を河内政権と呼ぶ説もある。同様に26代の継体以後の天皇もそれまでとは別系統の天皇とする説もある。これらの説に従えば,古代の皇位継承は,10代の崇神以後2度断絶したが,6世紀中葉以降に,万世一系の思想により崇神からはじまる一系統の系譜にまとめ,さらに崇神以前の系譜をつぎ足したということになる。しかしこれも一つの解釈ないし仮説であって,古代の皇位継承にはなお多くの疑問が残っている。
→王朝交替論
[直木 孝次郎]

皇嗣の冊定

大化以前の皇位継承については,天皇が任意に選定したとする中田薫の選定相続説,天皇が神意により卜定したとする滝川政次郎の卜定相続説,末子相続から兄弟相続への移行を説く白鳥清の兄弟継承説,あるいは大兄(おおえ)(同腹中の長子)からその兄弟,ついで大兄の子の順に継承反復したとする井上光貞の大兄相続説などがある。そして天智朝に至り,中国より継受した嫡長子相続主義にもとづく皇位継承法が定められたとも説かれている。しかし爾後の実例に徴すると,皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則とした。ただ立太子の儀はときに省略された例も少なくなく,ことに室町時代から江戸初期にかけて中絶したが,霊元天皇がこれを再興するに当たり,立太子に先立ち朝仁親王(東山天皇)を儲君(ちよくん)に治定したのが例となって,明治の嘉仁親王(大正天皇)の立太子に至るまで,儲君治定が実質的な皇嗣冊立を意味した。

皇位継承の資格

皇位継承者は,いうまでもなく皇親に限られる。推古天皇をはじめ皇后から皇位を継いだ例も数例あるが,皇曾孫の皇極,皇孫の元正以外の女帝はみな皇女である。継嗣令に〈女帝子〉の語が見えるから,令制では女帝の存在を公認しており,江戸中期の後桜町まで10代8女帝が生まれたが,いずれも中継ぎ的色彩が濃く,やはり皇男子の継承が本則であったとすべきであろう。平安・鎌倉時代には,いったん臣籍に降下したのち,さらに皇籍に復した例が数例あり,そのうち光孝の皇子定省(宇多)は皇位にのぼったが,やはり変則であろう。

皇位継承の原因

上古の皇位継承は,天皇が没することによって行われたが,645年(大化1)皇極が孝徳に皇位を譲って譲位の例を開いてからは,明治まで87代中(北朝天皇を除く)56代の天皇が譲位によって皇位を継いだ。天皇譲位の場合には,皇嗣が禅(ゆずり)を受けて直ちに践祚(せんそ)するのを常例としたが,天皇が没した場合には,没時と践祚との間に時日を要した例も多く,ことに上古においては数年月を経ることもあった。また鎌倉時代以後は,皇嗣の選定について朝廷と幕府の間の交渉に日時を要した場合も数例ある。なお斉明の皇太子中大兄(天智天皇),天武の皇后鸕野讃良(持統天皇)は,天皇没後,皇位につかずに数年にわたり執政したが,これを〈称制(しようせい)〉といった。81代安徳が平氏に擁されて西海に幸した後,京都において後鳥羽が践祚し,1年余にわたって2人の天皇が存立し,また96代後醍醐の譲位否認のもとで光厳が践祚し,爾後50余年にわたって南北両朝が併存対立した。また天皇がいったん譲位したのち,再び皇位についたことが2度あり,これを重祚(ちようそ)という。35代皇極が重祚して37代斉明となり,46代孝謙が重祚して48代称徳となったのがそれで,ともに女帝にして,特殊な政情によるものである。
→天皇
[橋本 義彦]

[索引語]
三輪政権 河内政権 皇嗣 立太子 儲君 女帝 譲位 践祚 称制 重祚
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検索ヒット数 482
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検索コンテンツ
1. 皇位継承
日本大百科全書
皇嗣(こうし)(皇位継承の第一順位にあるもの)が皇位につくこと。皇位継承の原因(天皇が崩じたときで、生前の退位はない)が発生すると、その瞬間に皇嗣が天皇の地位を ...
2. 皇位継承
世界大百科事典
,兄弟相続が多い。応神・仁徳を境として,皇位継承の原則に大きな変化が起こっているように見える。しかし,父子直系相続は7世紀末以降の天皇の目ざした皇位継承法であり ...
3. こうい‐けいしょう【皇位継承】
デジタル大辞泉
皇位を承け継ぐこと。  ...
4. こうい‐けいしょう[クヮウヰ:]【皇位継承】
日本国語大辞典
受け継ぐこと。その資格、順序は、皇室典範に定められている。*皇室典範(明治二二年)〔1889〕一章「皇位継承」コーイケ ...
5. こういけいしょう【皇位継承】
国史大辞典
七世紀後半に入り中国の相続法の影響のもとに、近江朝の末年には嫡系主義の皇位継承法が定まったものと考えられている。しかし皇位継承は必ずしも原則通りには行われず、上 ...
6. こういけいしょう【皇位継承】 : 天皇
国史大辞典
み合わされた各皇室典範では、皇位継承の順序を、直系子孫を首位に置き、その次に傍系に及ぶ順序を厳密に法定し、女性を排除し、皇位継承の原因を天皇の死のみとし、皇位継 ...
7. 皇位継承[皇室]
現代用語の基礎知識 2016
皇位継承の資格は、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」(皇室典範1条)としており、その順序は、(1)皇長子、(2)皇長孫、(3)その他の皇長子の ...
8. 皇位継承
法律用語辞典
ることをいう。憲法は、皇位は世襲とし、従来の天皇の血統に属する者のみに皇位継承の資格を与えている(二)。その他の皇位継承の要件については憲法は皇室典範に委任して ...
9. 皇位継承
プログレッシブ和英
succession to the (Imperial) Throne ...
10. こういけいしょう‐じゅんい【皇位継承順位】
デジタル大辞泉
天皇の位を継承する順位。皇室典範は「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定め、継承順位は、皇長子、皇長孫、その他の皇長子の子孫、皇次子およびその ...
11. こういけいしょうへん【皇位継承〓
国史大辞典
⇒旧典類纂(きゅうてんるいさん)  ...
12. 特集 天皇と憲法 待ったなしの皇位継承問題 「女性宮家」で女系天皇に道筋も=森暢平
週刊エコノミスト 2015-16
2年女性宮家1─A案」)。この案では、子供には皇位継承権を与えないことになっている。 現行制度は、男子だけが継承する仕組みである(図)。皇位継承順位は、皇太子 ...
13. Fráncis Férdinand
ランダムハウス英和
フランツ・フェルディナント(1863-1914):オーストリアの大公;オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者で Francis Joseph I の甥(おい) ...
14. アウラングゼーブ(Aurangzeb)
世界大百科事典
その4皇子ダーラー・シコー,スルタン・シュジャー,アウラングゼーブ,モラード・バクシュの間で皇位継承戦争が起こり,アウラングゼーブはすぐれた軍事指揮と巧みな政治 ...
15. 青木周蔵自伝 313ページ
東洋文庫
、尚ほ甚だ高からず、老閣の齢は小生の齢を超越する纏に七、八若くは、八、九に過ぎず。皇室典範〔皇位継承、天皇・皇族の身分・財産を定めた法典〕の成規に徴下れば、所謂 ...
16. 秋篠宮妃紀子殿下[親王さまをご出産]
イミダス 2016
ま、二女の佳子さまに次ぐ第三子。 皇室に男子が誕生したのは、秋篠宮さま以来41年ぶりとなり、皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次ぎ第3位となる。 新宮さまは ...
17. 浅原為頼
日本大百科全書
いが、大覚寺(だいかくじ)、持明院(じみょういん)両統の抗争に絡むものとの見方がある。当時も皇位継承に不満をもつ大覚寺統の亀山(かめやま)法皇がこの事件に関係あ ...
18. 浅原為頼
世界大百科事典
子の殺害を企てたが,阻まれて清涼殿の天皇の褥(しとね)の上で自殺した。事件の真相は不明だが,皇位継承をめぐる大覚寺統と持明院統との対立に関連することは確実である ...
19. あさはらためより【浅原為頼】
国史大辞典
」という刀であったことから、実盛が捕えられた。中宮(永福門院)の兄西園寺公衡は、この事件には皇位継承に不満をもつ亀山法皇も関係ありと考えられるので、法皇を六波羅 ...
20. あさはら-ためより【浅原為頼】
日本人名大辞典
正応(しょうおう)3年3月,息子らと宮中に乱入して伏見天皇と皇太子を殺そうとしてはたせず,自害した。皇位継承をめぐる大覚寺統と持明院統との対立に関連する事件とみ ...
21. 飛鳥時代
世界大百科事典
妥協を図りつつ国政を執る。馬子についで蝦夷(えみし),さらに入鹿が大臣となるが,入鹿は有力な皇位継承候補の山背大兄王(聖徳太子の子)を襲って自殺させ,権力の独占 ...
22. あすかじだい【飛鳥時代】
国史大辞典
都してからは、七世紀初めまでおおよそ歴代の都は飛鳥を含む奈良盆地南部におかれた。朝廷内部では皇位継承をめぐる皇族間の争いや、豪族間の対立はあったが、朝廷自体の権 ...
23. アッバース・ミールザー(`Abbās Mīrzā)
世界大百科事典
1789-1833 カージャール朝の第2代シャーであるファトフ・アリー・シャーの次子。皇位継承者としてアゼルバイジャン州総督を務める。進取の気風に富み,アゼルバ ...
24. 穴穂部皇子
世界大百科事典
用明天皇の没後,のちの推古天皇,蘇我馬子らに攻撃され,587年6月に殺され,守屋もまた7月に滅ぼされた。皇子は皇位継承問題で蘇我氏と対立し,蘇我対物部の政争の犠 ...
25. あまつ-まら【天津真浦】
日本人名大辞典
記・紀にみえる鍛冶(かじ)。「日本書紀」によると神武天皇の死後,皇位継承の争いに綏靖(すいぜい)天皇の命をうけて真〓鏃(まかごのやさき)(矢じり) ...
26. 天忍穂耳尊
世界大百科事典
さのおのみこと)との誓約(うけい)で,アマテラスの御統(みすまる)の玉から生まれた長子。玉は皇位継承の象徴。オシホミミのオシは威圧的なの意の美称でホミミは稲穂の ...
27. ありまのおうじ【有間皇子】
国史大辞典
北区の有馬温泉)に療養していたときに生まれたのによるのであろう。大化改新で父が即位したため、皇位継承の可能性が生じたが、実権をもつ皇太子中大兄皇子と不和のまま白 ...
28. ありま‐の‐みこ【有間皇子】
日本国語大辞典
孝徳天皇の皇子。大化の改新で父が即位したため、皇位継承の可能性が生まれたが、中大兄皇子に警戒された。斉明天皇の行幸中、留守官の蘇我赤兄に謀反をそそのかされたが、 ...
29. 在原氏
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皇の失脚によって政治的に困難な立場にあった事情が考えられる。すなわち臣籍に下ることによって,皇位継承の資格を放棄し,これによって保身をはかったものであろう。した ...
30. 在原業平
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つけているが,それはつぎのようなことを伝えている。(1)惟喬親王に従って桜狩りに行ったこと。皇位継承の望みを絶たれた惟喬親王が失意の中に出家して小野にこもると, ...
31. ありわらのなりひら【在原業平】
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32. アレクサンダル(1世)(ユーゴスラビア国王)
日本大百科全書
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33. あわじのくに【淡路国】兵庫県
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35. 飯豊青皇女
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37. いかみないしんのう【井上内親王】
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38. いさちのすくね【五十狭茅宿〓
国史大辞典
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39. 市辺押磐皇子
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42. 一休和尚年譜 1 134ページ
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43. 一休和尚年譜 1 137ページ
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44. 乙巳の変
世界大百科事典
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45. 伊予親王
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11月11日に親王号を剥奪(はくだつ)され、翌日母子は毒を飲んで抗議の自殺をした。この伊予親王事件の背景には皇位継承をめぐる貴族との抗争があったと考えられる。8 ...
46. インカ文明 66ページ
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るヨーロッパ的な規準で、以前の皇帝の数多い子孫のなかから「正統」と「非正統」を区別するため、皇位継承の規定を明らかにしようと試みたが、むだであった。ヨーロッパの ...
47. インカ文明 69ページ
文庫クセジュ
皇位継承の原則が全くないことは、インカの政治体系における大きな欠陥と思われた。後期の皇帝は、帝国にある種の連続性を与えようと、その忌むべき結果を避ける努力をい ...
48. 院政
日本大百科全書
その構想の実現を促進するのが、天皇の譲位の第一の理由であったと考えられる。そして白河天皇の譲位も、この皇位継承問題に強く結び付いている。その譲位の直接の動機は、 ...
49. 院政
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日本を代表するのは公家政権であったが,外交交渉の実権は武家政権が握っており,さらに武家政権は皇位継承問題をはじめ,重要事項の裁断の実権を掌握して,公家政権の死命 ...
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讃岐(さぬき)白峰の崇徳(すとく)上皇陵に詣(もう)でた西行(さいぎょう)が、上皇の怨霊(おんりょう)と皇位継承について議論を闘わせる話で、上皇は、魔王の本姿を ...
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