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正親町天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『正親町天皇』の国史大辞典・日本人名大辞典のサンプルページ

国史大辞典
正親町天皇
おおぎまちてんのう
一五一七 - 九三
一五五七―八六在位。諱は方仁(みちひと)。永正十四年(一五一七)五月二十九日生まる。後奈良天皇の第二皇子、母は参議万里小路賢房の女贈皇太后栄子(吉徳門院)である。天文二年(一五三三)十二月親王宣下および元服の儀を挙げ、弘治三年(一五五七)十月二十七日に後奈良天皇崩御のあとを承けて践祚、ついで永禄三年(一五六〇)正月二十七日即位礼を挙げられた。治世の初めは戦国時代の末期にあたって朝廷の窮乏もはなはだしく、その即位礼のごときも毛利元就らの献資にまたなければならなかった。しかし同十一年織田信長の入京を期としてようやく時代の転換を迎え、これより信長および豊臣秀吉による国内平定が進展したが、天皇は伝統的権威によってこれを助けるとともに、織豊二氏の推尊を受けられ、またその尽力により御料所の復旧・新設、皇居の修理、朝儀の復興、神宮の造替などが行われて朝廷の面目は一新し、公家社会もまた安定するに至った。かくて天正十三年(一五八五)、秀吉は関白に任ぜられ、国内もおおむね平定するに至ったが、翌十四年十一月七日天皇は皇孫和仁親王(後陽成天皇)に譲位された。譲位のことは朝廷の式微のため後土御門天皇以来行われなかったことであった。この後、文禄二年(一五九三)正月五日御年七十七を以て崩御、ついで正親町院と追号した。その号は仙洞御所北面の町名にちなんだものという。陵は京都深草にあり、深草北陵と称する。天皇は御資性仁慈、京都大覚寺所蔵の宸筆『般若心経』は永禄四年辛酉の厄歳に際し、万民のために攘災与楽を祈念して書写されたものであり、また『時慶卿記』にもその御仁徳を偲んで「御情深慈悲ニ御座故惜歎限ナシ」と伝えている。なお御撰には後陽成天皇に進められた御教訓の書や朝儀に関する覚書の類があり、御製には『正親町院御百首』(『続群書類従』和歌部)が伝えられ、日記としては天正三年正月の宸筆御記が伝存する。→深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)
[参考文献]
『大日本史料』一〇・一一編、『本朝皇胤紹運録』、和田英松『皇室御撰之研究』、帝国学士院編『宸翰英華』
(武部 敏夫)


日本人名大辞典
正親町天皇
おおぎまちてんのう
1517−1593
戦国-織豊時代,第106代天皇。在位1557-86。
永正(えいしょう)14年5月29日生まれ。後奈良天皇の第2皇子。母は藤原栄子(吉徳門院)。弘治(こうじ)3年父の死で践祚(せんそ)したが,即位式は毛利元就(もとなり)らの献金により3年後におこなった。織田信長,豊臣秀吉らの援助で,宿願だった皇居の修理,伊勢神宮の造営や遷宮,朝儀の復興などにつくした。秀吉を関白に任じた翌年譲位。文禄(ぶんろく)2年1月5日死去。77歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は方仁(みちひと)。著作に「年中御作法留」,歌集に「正親町院御百首」。
【格言など】憂世(うきよ)とて誰れをかこたむ我れさへや心の儘にあらぬ身なれば(「正親町院御百首」)
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正親町天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 293
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検索コンテンツ
1. 正親町天皇
日本大百科全書
第106代天皇(在位1557~86)。後奈良(ごなら)天皇第1皇子、母は吉徳門院藤原栄子。名は方仁(みちひと)。1557年(弘治3)に践祚(せんそ)したものの戦 ...
2. 正親町天皇
世界大百科事典
1517-93(永正14-文禄2) 第106代に数えられる天皇。在位1560-86年。諱(いみな)は方仁(みちひと)。後奈良天皇の皇子,母は万里小路賢房の女栄子 ...
3. おおぎまち‐てんのう[おほぎまちテンワウ]【正親町天皇】
日本国語大辞典
第一〇六代天皇。後奈良天皇の第一皇子。名は方仁(しげひと)。弘治三年(一五五七)践祚、三年後に毛利元就の献上金で即位の礼を行なう。また、織田信長、豊臣秀吉に働き ...
4. おおぎまちてんのう【正親町天皇】画像
国史大辞典
一五一七―九三 一五五七―八六在位。諱は方仁(みちひと)。永正十四年(一五一七)五月二十九日生まる。後奈良天皇の第二皇子、母は参議万里小路賢房の女贈皇太后栄子 ...
5. 正親町天皇(おおぎまちてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 37ページ ...
6. おおぎまちてんのう【正親町天皇】
日本人名大辞典
1517−1593 戦国-織豊時代,第106代天皇。在位1557-86。永正(えいしょう)14年5月29日生まれ。後奈良天皇の第2皇子。母は藤原栄子(吉徳門院) ...
7. 正親町天皇山陵 (見出し語:正親町天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1017ページ ...
8. 正親町天皇諡 (見出し語:正親町天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 940ページ ...
9. 正親町天皇花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
10. 正親町天皇宸翰和歌(著作ID:732183)
新日本古典籍データベース
おおぎまちてんのうしんかんわか  ...
11. 正親町天皇綸旨案(著作ID:3513675)
新日本古典籍データベース
おおぎまちてんのうりんじあん 文書 永禄元 ...
12. 正親町天皇綸旨并信長義景誓紙案(著作ID:3513686)
新日本古典籍データベース
おおぎまちてんのうりんじならびにのぶながよしかげせいしあん 文書 元亀元 ...
13. あかぶちだいみようじんしやあと【赤淵大明神社跡】福井県:福井市/一乗谷地区/城戸内村
日本歴史地名大系
応総芸に赤淵大明神縁起を作らせ(松平文庫蔵「赤淵大明神縁起」奥書)、翌四年その外題の染筆を正親町天皇に求めた。「御湯殿上日記」同年七月一一日条に「せうみやう院よ ...
14. あかまじんぐう【赤間神宮】
国史大辞典
り、『赤間神宮文書』(旧阿弥陀寺文書、重要文化財)十巻一冊には、後土御門天皇・後奈良天皇・正親町天皇の綸旨や天福元年(一二三三)の長門国司庁宣、嘉禎四年(一二三 ...
15. あかまじんぐうもんじょ【赤間神宮文書】
国史大辞典
天正十五年和歌会作者覚に至る十通、第七巻は文明十一年(一四七九)後土御門天皇綸旨以下、永禄五年(一五六二)正親町天皇綸旨に至る四通、第八巻は元和四年長府藩主毛利 ...
16. あずちももやまじだい【安土桃山時代】 : 朝幕関係
国史大辞典
〔安土桃山時代〕 織田信長にとって朝廷との最初の大きな関係は、永禄十年(一五六七)十一月九日付の正親町天皇綸旨を受けたことであろう。その綸旨で天皇は、信長に対し ...
17. 阿弥陀寺
世界大百科事典
本能寺の変のあと,清玉は信長やその家臣の屍を境内に葬った。一方,1570年(元亀1)清玉は正親町天皇の綸旨を得て,東大寺大仏殿再興の勧進上人となり,豊臣秀吉の時 ...
18. あみだじ【阿弥陀寺】京都市:上京区/京極学区/鶴山町地図
日本歴史地名大系
清玉は生誉とも号し、織田信長の帰依をうけ、上立売大宮東(現上京区)に居住したという(山城名跡巡行志)。正親町天皇綸旨(浄家寺鑑)によれば、元亀元年(一五七〇)奈 ...
19. あり‐きた・る【在来】
日本国語大辞典
事」*東寺文書‐神泉苑文書・天正三年〔1575〕四月・正親町天皇女房奉書「さうち以下やくしゃやくしゃありきたることく、寺家より申つけ候へきよしおほせつたへら ...
20. いかけやま【伊掛山】石川県:七尾市/庵村
日本歴史地名大系
田利家黒印状」高橋文書)、石動山衆徒の監視を強める意味もあったといわれる。同年一〇月一七日正親町天皇の石動山再興の綸旨(伊須流岐比古神社文書)が出され、慶長二年 ...
21. いがくてんしょうき【医学天正記】
国史大辞典
た年、寛文三年は板行年を示していると考えられる。また別に総計百八種の疾患を記す異本もある。正親町天皇をはじめ、皇族・公卿・大名・武士の名がみえる間に、町人の名が ...
22. いき‐みたま【生御霊・生身魂】
日本国語大辞典
」とあるのに基づくものか。この行事は、民間に行なわれるのみでなく、正親町天皇の頃から、宮中でも宮門跡比丘尼の伺候によって行なわれている。(3)江戸時代には、幕府 ...
23. 医心方
世界大百科事典
婦人科,養生,房内等を含む)で,984年(永観2)に円融天皇に奏進された。以来,戦国時代に正親町天皇から典薬頭半井瑞策(なからいずいさく)に下賜されるまで康頼自 ...
24. いしんぽう【医心方】
国史大辞典
ので、隋唐医学を知るうえにも本書の価値は大きい。本書は奏進以来永く宮中に秘蔵されていたが、正親町天皇が典薬頭の半井瑞策に下賜されて以来、現在に至るまで半井家の蔵 ...
25. いっきこうぞうのかいたいとてんかびと【一揆構造の解体と天下人】 : 織豊政権
国史大辞典
正当化する二つの名目を手にしていた。一つは室町将軍家再興を企図する足利義昭からの支援要請であり、二つは正親町天皇の綸旨による誠仁親王元服料の献上・禁裏御料所回復 ...
26. いなりたいしゃ【稲荷大社】
国史大辞典
、社領加賀国針道荘が安堵され、室町時代には将軍家よりしばしば諸荘安堵のことがあった。さらに正親町天皇は、元亀二年(一五七一)、特に室町幕府に対して本社に濫妨した ...
27. いのいえのしょう【井家庄】石川県:河北郡
日本歴史地名大系
以後も両家の確執は継続し、元亀元年(一五七〇)勧修寺尹豊の子晴右は二条晴良の当庄押領を愁訴、正親町天皇は晴右への還付を将軍足利義昭に命じた。だが義昭は晴右が一四 ...
28. いまみちごえ【今道越】滋賀県:大津市/中部地域/山中村
日本歴史地名大系
が破壊された時も、信長は直ちに修理を近郷に命じ、一〇日余りで修復している(同書)。永禄七年正親町天皇の綸旨を携えて尾張の信長のもとに赴き、その上洛を促した立入宗 ...
29. いわまでら【岩間寺】滋賀県:大津市/南部地域/内畑村
日本歴史地名大系
」同年一〇月一八日条)。天正五年(一五七七)八月二四日の女房奉書案(醍醐寺文書)によれば、正親町天皇は勅願寺の正法寺が退転しているのに「おどろき覚しめし」て、そ ...
30. 詠三十首和歌(著作ID:4411113)
新日本古典籍データベース
えいさんじっしゅわか 正親町天皇(おおぎまちてんのう) 和歌  ...
31. 詠七夕惜別和歌御懐紙(著作ID:4400561)
新日本古典籍データベース
えいたなばたせきべつわかおんかいし 正親町天皇(おおぎまちてんのう) 伝 和歌  ...
32. 詠百首和歌(著作ID:4369607)
新日本古典籍データベース
えいひゃくしゅわか 正親町天皇(おおぎまちてんのう) 貞敦親王(さだあつしんのう) 尊鎮親王(そんちんしんのう) 等 和歌  ...
33. えいろく【永禄】
国史大辞典
正親町天皇の時の年号(一五五八―七〇)。弘治四年二月二十八日改元。代始による。権中納言菅原長雅の勘申。出典は『群書治要』二六「保〓世持 ...
34. えっちゅうしりょう【越中史料】
国史大辞典
編纂兼発行者は富山県。本文四冊、付録(付図)一冊。本文の収載年次は次のとおり。第一巻は神代より正親町天皇(天正十四年)まで。第二巻は後陽成天皇(同十五年)より桜 ...
35. 江戸繁昌記 2 89ページ
東洋文庫
大徳寺総見院の大茶事にも茶を点てたし、天正十三年九月七日秀吉が禁裏の小御所で黄金の茶会を催し、正親町天皇に献じた時、.初めて利休と号して御茶事の後見をつとめた。 ...
36. 江戸繁昌記 3 168ページ
東洋文庫
った (君)鬼子母神 雑司ヶ谷法明寺の子院大行院が管理し、鬼子母神像を祀る。伝説によれば、正親町天皇の永禄四年(一五六一)五月六日、雑司谷の柳下若狭守の下僕が畑 ...
37. えんこういん【円光院】山梨県:甲府市/旧山梨郡地区/岩窪村
日本歴史地名大系
分で合せて一八貫が円光院に寄進されている。同三年六月一九日の妙心寺宗植公帖、同六月二三日の正親町天皇綸旨で、説三に京都妙心寺住持職が安堵され、同月二七日付の妙心 ...
38. えんぞういん【円蔵院】山梨県:南巨摩郡/南部町/南部村
日本歴史地名大系
四〇〇文が送られており(「妙心寺官銭請取状」円蔵院文書)、天正七年(一五七九)正月一二日の正親町天皇綸旨(同文書)により、桂岩が妙心寺住持職に任ぜられ、同年二月 ...
39. えんつうじ【円通寺】栃木県:芳賀郡/益子町/大沢村
日本歴史地名大系
月二五日「徳誉書状」円通寺文書)、天正二年(一五七四)六月二六日、円通寺を勅願所とする旨の正親町天皇綸旨(同文書)が下された。慶長八年(一六〇三)伊奈忠次を通じ ...
40. えんりゃくじのやきうち【延暦寺の焼打】
国史大辞典
元亀三年三月、衆徒が武田信玄に依頼することを天台座主曼殊院覚恕に求めたが実現せず、信長の死後、正親町天皇・青蓮院尊朝法親王・正覚院豪盛・徳運軒全宗らの尽力により ...
41. えんりゃくじもんじょ【延暦寺文書】
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『六祖恵能伝』一巻、『嵯峨天皇宸翰光定戒牒』一巻、『伝教大師入唐牒』一巻は国宝に、延暦寺の再興に関する正親町天皇綸旨、羽柴秀吉判物など二巻・二通は重要文化財に指 ...
42. おおあえまさとら【大〓正虎】画像
国史大辞典
へ願文を捧げ、正成の修羅苦患を救い、みずからの武運長久を祈願したという。『楠氏系図』では、正親町天皇の時、織田信長の執奏により正虎は先祖以来の朝敵の勅免をうけ、 ...
43. 正親町院御賀状類(著作ID:4364174)
新日本古典籍データベース
おおぎまちいんおんがじょうるい 正親町天皇(おおぎまちてんのう) 書簡  ...
44. 正親町院御百首(著作ID:116961)
新日本古典籍データベース
おおぎまちいんおんひゃくしゅ 正親町天皇(おおぎまちてんのう) 和歌  ...
45. 正親町源氏 系図[図版]画像
国史大辞典
正親町天皇 誠仁親王 後陽成天皇 智仁親王 (八条宮家) 智忠親王 忠幸 (広幡家) (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
46. おきつしゅく【興津宿】静岡県:清水市/旧庵原郡地区
日本歴史地名大系
日蓮宗耀海寺・本立寺・石塔寺・理源寺、曹洞宗宗徳院がある(駿河志料)。天正八年(一五八〇)七月一六日の正親町天皇諡号勅書写(宗徳院文書)に「竜河山崇徳院」とみえ ...
47. おくにじんじゃ【小国神社】静岡県:周智郡/森町/宮代村
日本歴史地名大系
延暦寺は徳川家康に対し蓮華寺領と一宮社寺務職の返付を求め、同様の要求は正親町天皇らからも出された(元亀二年八月七日「正親町天皇綸旨」同文書など)。同三年九月二二 ...
48. 織田信長画像
日本大百科全書
やがて辞官、最後まで辞退した。これは、天下平定ののち顕職につくとの理由であり、朝廷との関係では正親町天皇(おおぎまちてんのう)の東宮誠仁親王(さねひとしんのう) ...
49. おだのぶなが【織田信長】画像
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全国統一を推進する策源地になり、その城下町加納は楽市に指定せられた。岐阜に進出した信長のもとに、正親町天皇から尾張・美濃にある御料地の回復を委嘱し、信長のことを ...
50. 御点取部類(著作ID:746430)
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おてんとりぶるい 後小松天皇(ごこまつてんのう) 正親町天皇(おおぎまちてんのう) 点 和歌  ...
「正親町天皇」の情報だけではなく、「正親町天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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