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崇光天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『崇光天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
崇光天皇
すこうてんのう
一三三四 - 九八
一三四八―五一北朝在位。諱は興仁(初め益仁)。建武元年(一三三四)四月二十二日、光厳上皇の第一皇子として誕生。母は三条公秀の女、典侍秀子(陽禄門院)。のち徽安門院寿子内親王を准母となす。暦応元年(一三三八)光明天皇の皇太子に立ち、貞和四年(一三四八)十月二十七日、十五歳で践祚し、同日花園上皇の皇子直仁親王を皇太子とした。父上皇が養父花園上皇の恩義に報いんとする意思によるものである。ところがその翌年に端を発した室町幕府の内紛は、全国的な争乱に発展し(観応擾乱)、観応二年(一三五一)十月、足利尊氏が弟直義に対抗するため南朝に降服したので、十一月七日、天皇および皇太子は廃位され、十二月二十八日天皇には太上天皇の尊号が贈られた。しかし間もなく状勢は一変し、南朝勢は京都から退却したので、上皇は、光厳・光明両上皇および直仁親王とともに南朝方に拘致され、河内国東条を経て、大和国賀名生に移された。ついで文和三年(一三五四)賀名生より河内金剛寺に遷座し、幽居三年ののち、延文二年(一三五七)二月に至ってようやく解放され、京都に還って伏見殿に居を定めた。明徳三年(一三九二)落飾して勝円心と称したが、応永五年(一三九八)正月十三日、六十五歳をもって伏見殿に崩じ、二十三日、伏見大光明寺に葬られた。追号は遺勅により崇光院と定められた。なお上皇の南方幽居の間、幕府は上皇の同母弟後光厳天皇を擁立したので、持明院統の正嫡を自任する上皇は、帰京後、皇子栄仁親王の皇位継承を幕府に強く要求したが、ついに実現せず、同親王を初代とする伏見宮家が成立することになった。しかし上皇の悲願は、のちに曾孫後花園天皇が称光天皇の没後、皇統を継いで達成された。→大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)
[参考文献]
『大日本史料』七ノ三 応永五年正月十三日条
(橋本 義彦)


日本大百科全書(ニッポニカ)
崇光天皇
すこうてんのう
[1334―1398]

北朝第3代天皇(在位1348~51)。名は興仁(おきひと)、益仁(ますひと)、伏見(ふしみ)殿。光厳(こうごん)天皇の第1皇子。母は陽禄門院藤原秀子(父正親町公秀(おおぎまちきんひで))。1338年(暦応1)8月立太子、48年(貞和4)10月践祚(せんそ)、翌年12月即位した。51年(観応2)足利(あしかが)一門の内紛に伴い南北の一時的和議がなると、南朝の後村上(ごむらかみ)天皇が京都に迎えられ、崇光天皇は廃位され、太上天皇の尊号を受けた。翌年北畠顕能(きたばたけあきよし)らの南軍により、光厳、光明(こうみょう)両上皇とともに賀名生(あのう)(奈良県吉野郡)に移された。57年(延文2)京都に帰り伏見殿に住し、92年(明徳3)出家した。陵墓は京都市伏見区桃山の大光明寺陵。
[小野信二]



世界大百科事典
崇光天皇
すこうてんのう
1334-98(建武1-応永5)

北朝第3代天皇。在位1348-51年。光厳天皇第1皇子。名は初め益仁,後に興仁と改めた。母は陽禄門院三条秀子。1338年(延元3・暦応1)立太子,48年(正平3・貞和4)受禅,翌年即位式を挙げたが,51年(正平6・観応2)足利氏内紛により尊氏が南朝に一時降伏したため(正平一統)北朝は廃され,その翌年光厳・光明両上皇とともに吉野の賀名生に,後に河内天野山金剛寺に移された。57年(正平12・延文2)還京,伏見に住んだ。その間,光厳上皇より琵琶の奥義を受けた。還京後は御領の返還や,皇子直仁親王の即位を望み幕府に申し入れたがかなえられず,92年(明徳3)落飾し法名を勝円心と称した。98年1月13日65歳で死去。子孫は伏見宮家となり,曾孫彦仁親王は皇位を継いで後花園天皇となった。陵所は京都市伏見区桃山町の大光明寺陵。
[飯倉 晴武]

[索引語]
正平一統 勝円心 伏見宮家
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27. 光明天皇
世界大百科事典
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北朝第4代の天皇。在位1352-71年。光厳天皇の皇子。名は弥仁。1351年(正平6・観応2)兄崇光天皇が南朝によって退位させられ,翌年吉野に幽閉された後,足利 ...
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国史大辞典
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37. ごむらかみてんのう【後村上天皇】画像
国史大辞典
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39. さんじちおんじ【三時知恩寺】
国史大辞典
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国史大辞典
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45. 崇光院御歌会仙洞歌合(著作ID:338567)
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47. (一)撰集下命者系譜[図版]画像
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48. せんみょう‐じ[センメウ‥]【千妙寺】
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山号は東叡山。承和元年(八三四)円仁(えんにん)の創建と伝えられる。南北朝初期、亮守が再興し、崇光天皇の勅願所となった。センミョージ ...
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『公卿補任』によれば権中納言となるのは康永三年(一三四四)のことで、当時は前左中将。持明院統に仕え、娘資子は崇光天皇の典侍となり栄仁親王を生む。→五七ページ注一 ...
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