1. 崇光天皇
日本大百科全書
)一門の内紛に伴い南北の一時的和議がなると、南朝の後村上(ごむらかみ)天皇が京都に迎えられ、崇光天皇は廃位され、太上天皇の尊号を受けた。翌年北畠顕能(きたばたけ ...
2. 崇光天皇
世界大百科事典
1334-98(建武1-応永5) 北朝第3代天皇。在位1348-51年。光厳天皇第1皇子。名は初め益仁,後に興仁と改めた。母は陽禄門院三条秀子。1338年(延元 ...
3. すこう‐てんのう[スクヮウテンワウ]【崇光天皇】
日本国語大辞典
北朝第三代の天皇。光厳天皇の第一皇子。母は正親町(おおぎまち)公秀の娘陽祿門院藤原秀子。名は興仁。貞和四=正平三年(一三四八)践祚(せんそ)、翌年即位。南北朝の ...
4. すこうてんのう【崇光天皇】画像
国史大辞典
一三三四―九八 一三四八―五一北朝在位。諱は興仁(初め益仁)。建武元年(一三三四)四月二十二日、光厳上皇の第一皇子として誕生。母は三条公秀の女、典侍秀子(陽禄 ...
5. 崇光天皇(すこうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 35ページ ...
6. すこうてんのう【崇光天皇】
日本人名大辞典
1334−1398 南北朝時代,北朝第3代天皇。在位1348-51。建武(けんむ)元年4月22日生まれ。光厳(こうごん)天皇の第1皇子。母は藤原秀子(陽禄門院) ...
7. 崇光天皇一流相續 (見出し語:崇光天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 411ページ ...
8. 崇光天皇不レ行二大嘗一 (見出し語:崇光天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 1397ページ ...
9. 崇光天皇花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
10. 崇光天皇御即位記(著作ID:3162581)
新日本古典籍データベース
すこうてんのうごそくいき 貞和御即位記 記録 貞和五 ...
11. 崇光院御文類(著作ID:3162514)
新日本古典籍データベース
すこういんおんふみるい 崇光天皇宸翰御文 崇光天皇(すこうてんのう) 文書 ...
12. あしやのしょう【葦屋荘】
国史大辞典
収公され、同院を本所とする長講堂領に入った。その後、宣陽門院を経て持明院統に受けつがれ、北朝崇光天皇の陵墓である大光明寺領となった。『長講堂領目六(録)』に「摂 ...
13. あつたじんぐう【熱田神宮】愛知県:名古屋市/熱田区/宮宿
日本歴史地名大系
の光厳上皇が管領するところとなり(国史叢説)、のち崇光天皇に伝領された(伏見宮御記録)。正平六年(一三五一)、足利尊氏が南朝に降って崇光天皇を廃するや、また熱田 ...
14. あんぷくでんのにょうご【安福殿女御】
日本人名大辞典
洞院公賢(とういん-きんかた)の娘。はじめ光厳(こうごん)天皇の妃徽安(きあん)門院につかえ,のち崇光天皇の女御となる。延文2=正平(しょうへい)12年(135 ...
15. 一休和尚年譜 1 16ページ
東洋文庫
一介の僧が皇胤であることを嫌うというのであれば、中世の禅僧で皇胤であった人は、長慶天皇皇子海門承朝、崇光天皇皇子用健周乾、明江宗叡などがいる。 『年譜』に「世無 ...
16. 一休和尚年譜 1 232ページ
東洋文庫
されるべぎことになる。 嘉吉二年(一四四二)十月にも日峰に大徳寺入寺の噂があった。 そのころ崇光天皇皇子の明江宗叡西堂に妙心寺入院を勧める後崇光院貞成親王の書状 ...
17. いなばのくに【因幡国】鳥取県
日本歴史地名大系
厳上皇は、因幡国の国衙領を一期ののち直仁親王(萩原宮)へ返付するという条件を付して興仁親王(崇光天皇)に譲与した(「光厳上皇譲状写」伏見宮御記録)。また建武四年 ...
18. いりえ【入江】京都市:上京区/中立学区/元真如堂町地図
日本歴史地名大系
れた。北梨本宮、北白川宮と号したが、また入江とも称し入江の名がこの地に残ることになる。次いで崇光天皇の御所が営まれ、入江殿とよばれ、後光厳天皇の皇女見子内親王に ...
19. 正親町忠季琵琶伝業灌頂事(著作ID:4400522)
新日本古典籍データベース
おおぎまちただすえびわでんぎょうかんじょうのこと 崇光天皇(すこうてんのう) 雅楽 延文三 ...
20. おおやまのしょう・おおやまごう【大山庄・大山郷】兵庫県:神崎郡/神崎町/大山下村
日本歴史地名大系
ら入江御所東庵(現京都市上京区)に年貢の一部を上納している。入江御所は後光厳天皇の皇女見子が崇光天皇の御所入江殿を賜り、将軍足利義満の娘覚窓性山を開基として寺院 ...
21. かんのう[クヮンオウ]【観応】
日本国語大辞典
南北朝時代、北朝の崇光天皇の代の年号。貞和六年(一三五〇)二月二七日、代始により改元。南朝の後村上天皇の代の正平五~七年にあたる。将軍足利尊氏の時代。観応三年( ...
22. かんのう【観応】
国史大辞典
北朝崇光天皇の時の年号(一三五〇―五二)。「かんおう」とも読む。貞和六年二月二十七日改元。即位による。文章博士藤原行光の勘申。その勘文に「荘子曰、玄古之君、天 ...
23. くすのきまさのり【楠木正儀】画像
国史大辞典
請い、十月南朝側がそれを許すと、南北両朝の和平策は南朝側主導のもとに急速に進展し、十一月北朝の崇光天皇および皇太弟直仁(なおひと)親王は廃されることとなった。さ ...
24. 光厳天皇
世界大百科事典
足利尊氏が後醍醐天皇に離反して,光明天皇を擁立し,上皇に院政を奏請したので,以後北朝において崇光天皇の代まで院政をしいた。51年(正平6・観応2)足利尊氏・義詮 ...
25. こうごんてんのう【光厳天皇】画像
国史大辞典
十五年に及んだが、足利氏の内紛によって一時南朝方の勢力が強まり、正平六年(一三五一)南朝の後村上天皇は北朝の崇光天皇を廃し、さらに翌七年には光厳・光明・崇光の三 ...
26. こうしつせいど【皇室制度】
国史大辞典
た点が共通するが、次の伏見宮の成立にも皇位継承の問題がからんでいる。その初代栄仁親王は北朝の崇光天皇の第一皇子で、持明院統の正嫡であるが、南北朝の争乱のなかで即 ...
27. 光明天皇
世界大百科事典
政によって行われ,48年(正平3・貞和4)に上皇の皇子崇光天皇に譲位した。51年(正平6・観応2)足利尊氏・義詮が南朝に降伏し,崇光天皇が廃されると,世の無常さ ...
28. こんごうじ【金剛寺】画像
国史大辞典
を勅願寺にしたが、その後正平六年(北朝観応二、一三五一)十一月、南朝が天下を一統すると、北朝崇光天皇を廃し、同天皇および光厳・光明両上皇らを迎え取り、同九年(北 ...
29. こんごうじ【金剛寺】 : 金剛寺/(一)
国史大辞典
を勅願寺にしたが、その後正平六年(北朝観応二、一三五一)十一月、南朝が天下を一統すると、北朝崇光天皇を廃し、同天皇および光厳・光明両上皇らを迎え取り、同九年(北 ...
30. 後光厳天皇
世界大百科事典
北朝第4代の天皇。在位1352-71年。光厳天皇の皇子。名は弥仁。1351年(正平6・観応2)兄崇光天皇が南朝によって退位させられ,翌年吉野に幽閉された後,足利 ...
31. ごこうごんてんのう【後光厳天皇】
日本人名大辞典
建武(けんむ)5=延元3年3月2日生まれ。光厳(こうごん)天皇の第2皇子。母は藤原秀子(陽禄門院)。崇光天皇の同母弟。室町幕府内の紛争で北朝の天皇,皇太子が廃さ ...
32. ごすこう‐いん[ゴスクヮウヰン]【後崇光院】
日本国語大辞典
崇光天皇の孫。伏見宮栄仁(なかひと)親王の皇子。後花園天皇の父。名は貞成(さだふさ)。後花園天皇の即位後、太上天皇の尊号を受ける。著に「椿葉記」、日記「看聞御記 ...
33. ごすこういん【後崇光院】
日本人名大辞典
室町時代の尊称天皇。応安5=建徳3年3月25日生まれ。栄仁(よしひと)親王の第2王子。母は三条治子。崇光天皇の孫。40歳で元服し,伏見宮家第3代をついだのが45 ...
34. 後花園天皇
世界大百科事典
1419-70(応永26-文明2) 第102代に数えられる天皇。在位1428-64年。北朝の崇光天皇の曾孫。父は伏見宮3代貞成親王。諱は彦仁。称光天皇に皇嗣がな ...
35. ごはなぞの‐てんのう[‥テンワウ]【後花園天皇】
日本国語大辞典
第一〇二代天皇。北朝崇光天皇の曾孫。貞成親王(後崇光院)の子。名は彦仁(ひこひと)。正長元年(一四二八)、後小松上皇の猶子として践祚(せんそ)し、翌年即位。在位 ...
36. ごはなぞのてんのう【後花園天皇】画像
国史大辞典
だふさ)親王(後崇光院)。母は、右近衛少将庭田経有の娘幸子(敷政門院)。経有の妹資子は、北朝崇光天皇の典侍となり、伏見宮初代の栄仁(よしひと)親王を生んでいる。 ...
37. ごむらかみてんのう【後村上天皇】画像
国史大辞典
さきに尊氏の弟直義が南朝に降参し、ついで尊氏が同じく南朝に降参した。そこで同六年十一月七日南朝は北朝崇光天皇を廃位させ、ついに天下を一統し、足利氏追討の計略をす ...
38. さんじちおん‐じ【三時知恩寺】
日本国語大辞典
京都市上京区上立売町にある浄土宗の尼寺。応永年間(一三九四~一四二八)後光厳天皇皇女見子(入江)内親王が崇光天皇の旧御所を寺とし、足利義満の娘、覚窓性山尼を第一 ...
39. さんじちおんじ【三時知恩寺】
国史大辞典
将来の善導大師像を得て、崇光天皇の御所入江殿を賜わり、これを寺に改め、足利義満の女覚窓性仙を開基にして知恩寺と号したという。『看聞御記』には崇光天皇皇女、伏見宮 ...
40. さんじちおんじ【三時知恩寺】京都市:上京区/室町学区/上立売町地図
日本歴史地名大系
善導自作の尊像を伏見(現京都市伏見区)の一庵に祀ったことに始まるとする。その後入江内親王(見子内親王)は崇光天皇の御所入江殿(現上京区元真如堂町)を賜り、覚窓性 ...
41. 正平一統
世界大百科事典
朝と和議を結び,翌月には北朝年号〈観応〉を廃し南朝年号〈正平〉を用いて恭順の意を表し,北朝の崇光天皇,皇太子直仁親王は廃された。南朝は尊氏に直義追討の綸旨を与え ...
42. しょうへいいっとう【正平一統】
国史大辞典
関東の直義党、中国の足利直冬党は依然として北朝年号の観応を用いた。後村上天皇は十一月七日北朝の崇光天皇・皇太子直仁親王(花園天皇第一皇子)を廃し、十二月使を派し ...
43. しょうぼうじ【正法寺】岩手県:水沢市/黒石村
日本歴史地名大系
葛西氏の支配地域と重なっている。〔曹洞第三の本寺〕当寺は開創わずか二年後の観応元年(一三五〇)崇光天皇から綸旨を下され、「奥羽二州僧録扶桑曹洞第三之本寺」「両国 ...
44. じみょういんどの【持明院殿】
国史大辞典
院統と称する。この系統の伏見・後伏見・花園・光厳・光明各上皇いずれも持明院殿を仙洞とし、また崇光天皇は一時持明院殿を皇居としている。持明院殿は文和二年(一三五三 ...
45. 崇光院御歌会仙洞歌合(著作ID:338567)
新日本古典籍データベース
すこういんおうたかいせんとううたあわせ 崇光天皇(すこうてんのう) 等 詠 冷泉為秀(れいぜいためひで) 判 歌合 ...
46. 崇光院宸記(著作ID:1318145)
新日本古典籍データベース
すこういんしんき 崇光院御記 崇光天皇(すこうてんのう) 日記 ...
47. (一)撰集下命者系譜[図版]画像
国史大辞典
後深草天皇 (持明院統) 伏見天皇 後伏見天皇 光厳天皇 順徳天皇 仲恭天皇 花園天皇 光明天皇 崇光天皇 栄仁親王 貞成親王 後花園天皇 後光厳天皇 後円融天 ...
48. せんみょう‐じ[センメウ‥]【千妙寺】
日本国語大辞典
山号は東叡山。承和元年(八三四)円仁(えんにん)の創建と伝えられる。南北朝初期、亮守が再興し、崇光天皇の勅願所となった。センミョージ ...
49. 太平記 462ページ
日本古典文学全集
『公卿補任』によれば権中納言となるのは康永三年(一三四四)のことで、当時は前左中将。持明院統に仕え、娘資子は崇光天皇の典侍となり栄仁親王を生む。→五七ページ注一 ...
50. 太平記 258ページ
日本古典文学全集
、日来之御本望満足之間」(八月二十八日条)とあり、「この崇光天皇の践祚にも、直義と光厳院との黙契が考えられる」(林屋辰三郎『内乱のなかの貴族』)。神田本等古 ...