1. 後陽成天皇画像
日本大百科全書
第107代天皇(在位1586~1611)。名は和仁(たかひと)、のち周仁(かたひと)。正親町(おおぎまち)天皇の皇子誠仁(さねひと)親王の第1王子。母は新上東門 ...
2. 後陽成天皇[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
「後陽成天皇宸影」 東京大学史料編纂所所蔵模写(部分) ©東京大学史料編纂所 ...
3. 後陽成天皇
世界大百科事典
皇の意にかなわず,しだいに幕府との関係に円滑を欠き,憤慨のあまりついに11年譲位。日記に《後陽成天皇宸記》(慶長6年1月)がある。橋本 政宣 禁裏御料 慶長勅版 ...
4. ごようぜい‐てんのう[ゴヤウゼイテンワウ]【後陽成天皇】
日本国語大辞典
第一〇七代天皇。正親町(おおぎまち)天皇の子誠仁(のぶひと)親王の子。母は新上東門院勧修寺晴子。初名和仁、のち周仁(かたひと)。天正一四年(一五八六)、正親町天 ...
5. ごようぜいてんのう【後陽成天皇】画像
国史大辞典
一五七一―一六一七 一五八六―一六一一在位。元亀二年(一五七一)十二月十五日正親町天皇の皇子誠仁親王(陽光太上天皇)の第一王子として誕生。母は贈左大臣勧修寺晴 ...
6. 後陽成天皇(ごようぜいてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 37ページ ...
7. ごようぜいてんのう【後陽成天皇】
日本人名大辞典
1571−1617 織豊-江戸時代前期,第107代天皇。在位1586-1611。元亀(げんき)2年12月15日生まれ。誠仁(さねひと)親王(陽光院)の第1王子。 ...
8. 後陽成天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:2件 『後陽成天皇と下鴨社』中村直勝『聚楽第行幸』堀田璋左右 ...
9. 後陽成天皇・後陽成上皇
日本史年表
1611年〈慶長16 辛亥〉 3・27 後陽成天皇 譲位(公卿補任)。 1617年〈元和3 丁巳〉 8・26 没。 ...
10. 後陽成天皇印[図版]画像
国史大辞典
金竜 雅輔 周仁 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
11. 後陽成天皇花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
12. 後陽成天皇以来公家年中行事(著作ID:2689603)
新日本古典籍データベース
ごようぜいてんのういらいくげねんじゅうぎょうじ 後陽成院以来公家年事 後陽成院以来/当事公家年事 ...
13. 後陽成天皇升遐の記(著作ID:1082264)
新日本古典籍データベース
ごようぜいてんのうしょうかのき 西洞院時慶(にしのとういんときよし) ...
14. 後陽成天皇宸翰(著作ID:4365201)
新日本古典籍データベース
ごようぜいてんのうしんかん 後陽成天皇(ごようぜいてんのう) ...
15. 後陽成天皇宸翰御消息(著作ID:1131880)
新日本古典籍データベース
ごようぜいてんのうしんかんごしょうそく 後陽成天皇宸翰 後陽成天皇(ごようぜいてんのう) 書簡 ...
16. 後陽成天皇宸翰神号(著作ID:4399697)
新日本古典籍データベース
ごようぜいてんのうしんかんしんごう ...
17. 後陽成天皇をいたみ奉る辞(著作ID:1082275)
新日本古典籍データベース
ごようぜいてんのうをいたみたてまつることば 烏丸光広(からすまるみつひろ) ...
18. 後陽成天皇をいたみ奉る辞(著作ID:1082286)
新日本古典籍データベース
ごようぜいてんのうをいたみたてまつることば 水無瀬氏成(みなせうじなり) ...
19. 院昇殿日記(著作ID:4399651)
新日本古典籍データベース
いんしょうでんにっき 後陽成天皇御譲位記 鳥居大路詮平(とりいおおじよしひら) 記録 慶長一六 ...
20. 方輿勝覧集(著作ID:578596)
新日本古典籍データベース
ほうよしょうらんしゅう 後陽成天皇方輿勝覧集 後陽成天皇(ごようぜいてんのう) 和歌 ...
21. 文字鎖(著作ID:514385)
新日本古典籍データベース
もじぐさり 源氏文字鎖 後陽成天皇文字鎖 後陽成天皇(ごようぜいてんのう) 和歌 ...
22. 近世皇系図/後陽成天皇至桜町天皇(著作ID:4382355)
新日本古典籍データベース
きんせいこうけいず/ごようぜいてんのうさくらまちてんのうにいたる 系譜 ...
23. 県召除目次第(著作ID:80137)
新日本古典籍データベース
あがためしじもくしだい 県召除目三夜次第 慶長六年正月六日叙位記 慶長六年県召除目次第 後陽成院宸記 後陽成天皇(ごようぜいてんのう) 有職故実 慶長六 ...
24. あさまじんじゃ【浅間神社】
国史大辞典
本殿は慶長九年(一六〇四)徳川家康の造営にして、重層五間四面の四注造の、いわゆる浅間造である。社宝には後陽成天皇宸翰・武田信玄願文・太刀(備前国長船住景光)・脇 ...
25. あさまじんじゃ【浅間神社】 : 浅間神社/(一)
国史大辞典
本殿は慶長九年(一六〇四)徳川家康の造営にして、重層五間四面の四注造の、いわゆる浅間造である。社宝には後陽成天皇宸翰・武田信玄願文・太刀(備前国長船住景光)・脇 ...
26. 排蘆小船(近世随想集) 268ページ
日本古典文学全集
されど又、歌のさまをくはしうえたらんうへにては、さのみいひてやむべきにもあらず」。細川幽斎より後陽成天皇の勅旨により智仁親王に伝授されて以来、御所伝授となる。『 ...
27. 排蘆小船(近世随想集) 384ページ
日本古典文学全集
是より代々天子の事となり、古今伝授、近代に至ては事々しき重典のやうになれり」。第百七代天皇。後陽成天皇。名ははじめ和仁、のち周仁。誠仁親王皇子。母は勧修寺晴子。 ...
28. あずちももやまじだい【安土桃山時代】 : 朝幕関係
国史大辞典
置したのである。しかも天正十六年、京都に新築した秀吉の荘厳な居所聚楽第に、みずから擁立した後陽成天皇を迎え、徳川家康以下の諸大名に忠誠を誓わせた。これは、豊臣政 ...
29. 安土桃山時代
世界大百科事典
この折にキリシタン宣教師の追放令を発し,長崎を直轄領にしている。88年には聚楽第(じゆらくだい)に後陽成天皇を迎えて盛大な宴を張った。また刀狩令,海上賊船禁止令 ...
30. 安土桃山時代(年表)
日本大百科全書
大友氏を討つ。11月後陽成天皇即位。12月秀吉、太政大臣となる1587(天正15)5月島津義久、秀吉に降伏。6月秀吉、宣教師追放令を発布1588(天正16)4月 ...
31. ありすがわ‐の‐みや[ありすがは‥]【有栖川宮】
日本国語大辞典
家名の一つ。近世に成立した宮家。世襲親王家で、寛永二年(一六二五)に、後陽成天皇の皇子好仁親王が、高松宮の称号を得て、一家を設けたのをはじめとする。寛文一二年( ...
32. 有栖川宮
世界大百科事典
後陽成天皇の皇子好仁親王が1625年(寛永2)一家を起こして高松宮と称したのに始まる宮家。その称は親王の養母新上東門院の居所高松殿に由来する。世襲親王家の一つ。 ...
33. ありすがわのみやけ【有栖川宮家】画像
国史大辞典
世襲親王家の一つ。後陽成天皇の皇子好仁親王が寛永二年(一六二五)十月、高松宮の称号を賜わって一家を創立したのに始まる。親王には王子がなく、後水尾天皇の皇子良仁 ...
34. 有栖川宮家 系図[図版]画像
国史大辞典
後陽成天皇 後水尾天皇 好仁親王 良仁親王 (後西天皇) 幸仁親王 正仁親王 音仁親王 霊元天皇 職仁親王 織仁親王 韶仁親王 幟仁親王 熾仁親王 威仁親王 栽 ...
35. あわじにんぎょう【淡路人形】
国史大辞典
路島の三条村とが何らかのつながりを持って始まったと思われる。元亀元年(一五七〇)京に上り、後陽成天皇の天覧に供し、淡路大掾を受領した上村源之丞の家を中心に、江戸 ...
36. アーネスト・サトウ 神道論 223ページ
東洋文庫
を持っている。(2)長く続いた内乱を制し日本を統一した家康は、学問を奨励した。当時の朝廷(後陽成天皇)も学を好み、家康にあわせて勅版の史書を刊行した。この学問復 ...
37. アーネスト・サトウ 神道論 254ページ
東洋文庫
と沈み、かなり長い間暗闇に閉ざされた。『国史略』を編纂したある合理主義的な著述家[神代から後陽成天皇の聚楽 ...
38. いおうじ【医王寺】石川県:江沼郡/山中町/山中村
日本歴史地名大系
で類焼したが、九谷焼の祖後藤才次郎作と伝える陶製金剛童子立像(国指定重要文化財)のほか、伝後陽成天皇宸筆掛軸・伝兆殿司筆十六羅漢像・伝弘仁期大日如来像などを寺宝 ...
39. いきみてんまんぐう【生身天満宮】京都府:船井郡/園部町/園部村
日本歴史地名大系
橋図、嘉永(一八四八―五四)の生身天満宮社頭の図の絵馬は、ともに実景図絵馬として貴重。また後陽成天皇宸筆天神像・近衛伊信筆渡唐天神像がある。 ...
40. いけのもくず[いけのもくづ]【池藻屑】
日本国語大辞典
荒木田麗女著。安永三年(一七七四)序。「増鏡」の後を受けて、後醍醐天皇の元弘三年(一三三三)から後陽成天皇の慶長八年(一六〇三)まで、一四代約二七〇年間のできご ...
41. いけのもくず【池の藻
】
国史大辞典
著者の夫慶徳如松筆写本が伊勢市の神宮文庫に所蔵。『増鏡』のあとを継いで、後醍醐天皇元弘三年(一三三三)から後陽成天皇慶長八年(一六〇三)までの歴史を、石山寺で老 ...
42. いしやまでら【石山寺】滋賀県:大津市/南部地域/寺辺村
日本歴史地名大系
住した。一方、徳川政権下での寺のあり方も、同一四年より当寺の寺務を執っていた京都仁和寺宮(後陽成天皇第一皇子)が下した一五条の寺内法度を受け(同書)、翌一五年の ...
43. いずもじは【出雲路派】
国史大辞典
この一派は三門徒のなかでは、最も本願寺に近く、石山本願寺合戦にも参加し、天正十七年(一五八九)後陽成天皇のときから勅願寺となり、元禄年中(一六八八―一七〇四)青 ...
44. 伊勢物語愚案抄(著作ID:634377)
新日本古典籍データベース
いせものがたりぐあんしょう 伊勢物語愚案鈔 後陽成院伊勢物語御抄 伊勢物語御抄 後陽成天皇(ごようぜいてんのう) 講 注釈 慶長一二 ...
45. 伊勢物語御講釈聞書(著作ID:93367)
新日本古典籍データベース
いせものがたりごこうしゃくききがき 上皇御講釈聞書 後陽成天皇(ごようぜいてんのう) 講 西洞院時直(にしのとういんときなお) 記 注釈 慶長一九 ...
46. いちじょうあきよし【一条昭良】
国史大辞典
一六〇五―七二 江戸時代前期の公家。慶長十年(一六〇五)四月二十六日後陽成天皇第九皇子として誕生。母は中和門院前子。幼称を九宮という。同十四年正月、前関白一条 ...
47. 一乗院
世界大百科事典
して近衛家が本所となって管領したが,南北朝ころに後醍醐天皇の皇子玄円が入寺し,近世に至って後陽成天皇の皇子尊覚が院主となって以来,法親王が相承して宮門跡となった ...
48. いちじょういん【一乗院】 : 興福寺
国史大辞典
物として千四百九十二石を充行われて近世朱印領主寺院として確立した。慶長十五年(一六一〇)、後陽成天皇皇子十宮が近衛家猶子として入室して、のち尊覚法親王となり、以 ...
49. 一条家画像
日本大百科全書
兼良の子で興福寺大乗院門跡(もんぜき)に入った尋尊(じんそん)も有名である。近世初めには、後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の皇子兼遐(かねとお)(昭良(あきよし ...
50. 一条家
世界大百科事典
継ぎ,江戸時代末まで他の五摂家と並んで摂関の任に就き,明治に入って華族に列し,公爵を授けられた。その間,後陽成天皇の皇子昭良(初名兼遐)が内基の嗣に迎えられ,忠 ...