1. 後花園天皇
日本大百科全書
上皇の意志により、貞成親王の第1皇子が、上皇の猶子(ゆうし)として迎えられて位についたのが後花園天皇である。そこで血統上、皇位は持明院(じみょういん)統嫡流たる ...
2. 後花園天皇
世界大百科事典
1419-70(応永26-文明2) 第102代に数えられる天皇。在位1428-64年。北朝の崇光天皇の曾孫。父は伏見宮3代貞成親王。諱は彦仁。称光天皇に皇嗣がな ...
3. ごはなぞの‐てんのう[‥テンワウ]【後花園天皇】
日本国語大辞典
第一〇二代天皇。北朝崇光天皇の曾孫。貞成親王(後崇光院)の子。名は彦仁(ひこひと)。正長元年(一四二八)、後小松上皇の猶子として践祚(せんそ)し、翌年即位。在位 ...
4. ごはなぞのてんのう【後花園天皇】画像
国史大辞典
したため、七月二十八日彦仁が践祚し、翌永享元年(一四二九)十二月二十七日即位して後花園天皇となった。後花園天皇は、はじめの数年間は上皇の院政をうけたが、上皇の崩 ...
5. 後花園天皇(ごはなぞのてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 36ページ ...
6. ごはなぞのてんのう【後花園天皇】
日本人名大辞典
1419−1471* 室町時代,第102代天皇。在位1428-64。応永26年6月18日生まれ。伏見宮貞成(ふしみのみや-さだふさ)親王(後崇光院(ごすこういん ...
7. 後花園天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『後花園天皇宸筆仏統国師諡号勅書』玉村竹二 ...
8. 後花園天皇・後花園上皇・後花園法皇
日本史年表
1429年〈永享元(9・5) 己酉〉 12・27 後花園天皇 即位(看聞)。 1464年〈寛正5 甲申〉 7・19 後花園天皇 ,譲位(雑事記)。 1465年 ...
9. 後崇光院誡二後花園天皇一 (見出し語:後花園天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 167ページ ...
10. 後花園天皇出家 (見出し語:後花園天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 886ページ ...
11. 後花園天皇諡 (見出し語:後花園天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 947ページ ...
12. 納二後花園天皇遺骨於大原法華堂一 (見出し語:後花園天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1005ページ ...
13. 後花園天皇花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
14. 後花園天皇後土御門天皇年代記(著作ID:4382821)
新日本古典籍データベース
ごはなぞのてんのうごつちみかどてんのうねんだいき 年代記 ...
15. 後花園天皇宸翰(著作ID:4365160)
新日本古典籍データベース
ごはなぞのてんのうしんかん 後花園天皇(ごはなぞのてんのう) ...
16. 後花園天皇宸筆模(著作ID:438506)
新日本古典籍データベース
ごはなぞのてんのうしんぴつも ...
17. 後花園天皇遷幸記(著作ID:4401062)
新日本古典籍データベース
ごはなぞのてんのうせんこうき 中原康富(なかはらやすとみ) 記録 永享二 ...
18. 後花園天皇綸旨(著作ID:2669354)
新日本古典籍データベース
ごはなぞのてんのうりんじ 文書 ...
19. 後花園天皇をいたみ奉る辞(著作ID:4365161)
新日本古典籍データベース
ごはなぞのてんのうをいたみたてまつることば ...
20. 後花園院御独吟百韻(著作ID:194070)
新日本古典籍データベース
ごはなぞのいんごどくぎんひゃくいん 応仁二年後花園院御独吟百韻 後花園天皇独吟御百韻 法皇御独吟百韻 後花園天皇(ごはなぞのてんのう) 連歌 応仁二 ...
21. 後崇光院誡二後花園天皇一 (見出し語:後崇光院)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 167ページ ...
22. 於二悲田院一行二後花園天皇葬禮一 (見出し語:悲田院)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 67ページ ...
23. あかまつさだむら【赤松貞村】
国史大辞典
五十五歳としているのが事実に近いようである。法名は福伝寺月理祐心。彼はまた茶の湯の嗜みが深く、ある時、後花園天皇から義教が拝領した道具を用いて行なった台子の点前 ...
24. あしかがよしかつ【足利義勝】
国史大辞典
の乱)、諸将に擁立されて八歳で家督をつぎ、管領細川持之の輔佐をうけ、ついで従五位下に叙し、後花園天皇から名を義勝と賜わった。幕府は同年九月、義勝を擁して赤松氏の ...
25. 足利義教
世界大百科事典
に介入した。称光天皇が没したあと,男子がなかったため伏見宮貞成親王の子を立てて天皇とした(後花園天皇)が,これは義教のはからいであった。南朝の後胤については極力 ...
26. 足利義政
世界大百科事典
いわゆる嘉吉の乱で義教が横死し,ついで43年義勝も夭死したため家督を継ぐ。46年(文安3)後花園天皇から義成(よししげ)と命名される。49年15歳で元服,征夷大 ...
27. あしかがよしまさ【足利義政】画像
国史大辞典
幼名三春。嘉吉三年(一四四三)七月義勝の死後、八歳で家督を嗣ぎ文安三年(一四四六)十二月十三日後花園天皇から名を義成(よししげ)と賜わり、同月十五日従五位上に叙 ...
28. あしびきえ【
引絵】
国史大辞典
の新写した『山門足引絵』五巻を借り、御子の後花園天皇が親写せられ永享十年(一四三八)に完成したこと、また叡山から『足引絵』の詞を後崇光院・後花園天皇・将軍足利義 ...
29. 排蘆小船(近世随想集) 380ページ
日本古典文学全集
第二十一番目の勅撰集。二〇巻。室町前期の永享五年、足利義教の発意によって撰集の議が起こり、後花園天皇の勅命により飛鳥井雅世が選者、尭孝が和歌所開闔となる。『新後 ...
30. あじさかのしよう【鰺坂庄】福岡県:小郡市
日本歴史地名大系
集)。文安四年(一四四七)当庄などが鷲尾隆遠(隆敦の孫)に安堵されている(同年三月一七日「後花園天皇綸旨」大友文書/大分県史料二六)。寛正六年(一四六五)頃に光 ...
31. あつたじんぐう【熱田神宮】愛知県:名古屋市/熱田区/宮宿
日本歴史地名大系
暦)、翌年、再び崇光上皇の管領に帰し、後小松天皇に伝領され(椿葉記)、永享五年(一四三三)後花園天皇は当社領を伏見宮貞成親王に還付され(熱田神宮文書)、以後、伏 ...
32. あつながしんのう【淳良親王】
日本人名大辞典
室町時代,伝承上の皇子。後花園天皇の子。応仁(おうにん)の乱の難をさけ,越中(富山県)礪波郡(となみぐん)般若(野)荘(はんにゃのしょう)にとどまったが,その間 ...
33. あわがかのう【粟賀加納】兵庫県:神崎郡/神崎町/加納村
日本歴史地名大系
が、そのなかに粟賀加納がある(「伏見宮貞成譲状案」伏見宮家文書)。貞常親王は貞成の次男で、後花園天皇の弟。延徳二年(一四九〇)九月三日、幕府奉行人清元定は粟賀加 ...
34. あんらくぎょういん【安楽行院】
国史大辞典
深草法華堂を造建してここに葬った。その後、伏見天皇以下多くの天皇をこの法華堂に葬ったが、この寺も後花園天皇(一四二八―六四)の時に退転して法華堂が残ったので、そ ...
35. いちじょうかねよし【一条兼良】画像
国史大辞典
同十九年に十一歳で急ぎ元服、翌年四月に従三位に叙し永享元年(一四二九)に従一位左大臣に昇る。同四年、後花園天皇の元服に際し、将軍足利義教が佳例により左大臣で理髪 ...
36. 一条兼良
日本史年表
1461年〈寛正2 辛巳〉 11・2 一条兼良 ,内裏で『源氏物語』を後花園天皇・足利義政に進講(雑事記)。 1481年〈文明13 辛丑〉 4・2 没。 ...
37. いちじょうふしみどの【一条伏見殿】
国史大辞典
皇居が炎上したため、後花園天皇は前関白近衛忠嗣の第に移徙、ついで一条伏見殿に移られた。貞成親王はしばらく同宿されたが、この年の暮、前右大臣三条公冬の第に移った。 ...
38. いちのよでん【市余田】兵庫県:加西市/山下村
日本歴史地名大系
)によると、市余田の知行者は春日殿(後花園天皇の乳母)であった。貞成は文安三年(一四四六)八月二七日、市余田など伏見宮家領を次男式部卿貞常親王(後花園天皇の弟) ...
39. 一休和尚年譜 1 18ページ
東洋文庫
した一休を諌止したこと、同応永三十四年(一四二七)条に、後小松院に皇位継承者として彦仁王(後花園天皇)を推挙した記事のあることも皇胤説を強めるものとした。これら ...
40. 一休和尚年譜 1 133ページ
東洋文庫
最終的には伏見宮彦仁王が立太子の儀を経ずに院の猶子となって継いだ。その経過については、伏見宮貞成親王が後花園天皇のために記した『難琶に詳しい.村田正志『馨葉記』 ...
41. 一休和尚年譜 1 153ページ
東洋文庫
門下は初七日に散じ、一休も帰京した。享徳元年(一四五二)九月十四日、養隻が奔走して、足利義成の執奏により、後花園天皇によって「大機弘宗禅師」の号が勅盗された(『 ...
42. 一休和尚年譜 1 154ページ
東洋文庫
この年条に記事はないが、大徳寺にとっては重要な年であった。正長二年(九月五日改元、永享元)八月十六日に後花園天皇倫旨と幕府公帖を得て大徳寺二十六世となり、徹翁派 ...
43. 一休和尚年譜 1 201ページ
東洋文庫
義教治世の孤立を暗示した。 七月二十八日、山名持豊を頭に幕府の赤松討伐軍が派遣され、八月一日、後花園天皇の赤松追討の論旨が出された。九月十日、播磨城山城で赤松満 ...
44. 一休和尚年譜 1 278ページ
東洋文庫
作って門人たちに心境を伝えて、月末に帰京した。 記事は、一休の「心疾」と、「餓死」の意思表示が後花園天皇の勅を得て慰留されることになったことを強調し、事件がどの ...
45. 一休和尚年譜 1 279ページ
東洋文庫
七)条の、後小松院が称光天皇の後に誰を天皇とするかについて一休に諮り、伏見宮彦仁王を推して後花園天皇が継いだとする記事とこの年の語調は連絡している。 この年八月 ...
46. 一休和尚年譜 1 296ページ
東洋文庫
『年譜』記事には無いが、一休は、四月ごろ、患っていたらしい。この年四月十七日、病に臥していた一休に後花園天皇より見舞いの女房奉書が遣わされている。その宸筆が「酬 ...
47. 一休和尚年譜 1 333ページ
東洋文庫
せぎのしぎちの事、むらさぎ野大とく寺のたつちう如意庵にぎしんの事、ぎこしめし候ぬ」云々と、後花園天皇によって勅許され(一五四三号)、次いで五月十三日、幕府が畠山 ...
48. 一休和尚年譜 1 337ページ
東洋文庫
この年九月十四日、正長元年(一四二八)六月二十七日に示寂した華隻宗曇に大機弘宗禅師の諡号が後花園天皇より贈られた。 『狂雲集』にこの時の作品がある。 「華隻老師 ...
49. 一休和尚年譜 1 340ページ
東洋文庫
草が大徳寺に遺っている。 前年享徳元年九月十四日に、養隻の運動によって、足利義政が奏聞して後花園天皇より華 ...
50. 一休和尚年譜 2 55ページ
東洋文庫
養隻門下は溜飲を下げ、一休門下は言うべぎことばがないのであった。 前年長禄元年九月十五日に、後花園天皇は養隻に「宗恵大照禅師」号を特賜された。この年六月八日、病 ...