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大正天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『大正天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典のサンプルページ

国史大辞典
大正天皇
たいしょうてんのう
一八七九 - 一九二六
一九一二―二六在位。明治十二年(一八七九)八月三十一日午前八時十二分、東京青山御所内御産所にて生誕。明治天皇第三皇子、生母権典侍柳原愛子。九月六日、嘉仁(よしひと)と命名、明宮(はるのみや)と称した。同月、正親町実徳が御養育御用掛となる。七歳まで中山忠能邸ですごし、その後は青山御所に移る。二十年八月三十一日、九歳に達したので儲君に治定し皇后(昭憲皇太后)の実子と定め、二十二年十一月三日、立太子の儀を行なって皇太子となる。この日また陸軍歩兵少尉に任官。幼少のころは脳膜炎などを病んで病弱であった。佐佐木高行・曾我祐準らが教養主任となる。九歳で学習院に入学、二十二年、赤坂離宮花御殿を東宮御所としここに移る。二十七年、学習院が震災で破損したので離宮内に御学問所を設け川田剛・三島毅・本居豊穎・仏国人サラザンらから漢書・国書・フランス語を学ぶ。三十年、満十八歳で貴族院に議席を持つ。三十三年五月十日、二十二歳で旧摂家九条道孝の四女節子(さだこ)をいれて妃とした(貞明皇后)。翌年四月、第一皇孫迪(みち)宮裕仁親王誕生。日露戦争が勃発すると陸海軍大佐で大本営付となり、その功で功三級をうけ陸海軍少将に昇進した。四十年十月、韓国統監伊藤博文の要請により有栖川宮威仁親王・伊藤統監・桂太郎らを従えて渡韓し、同国皇帝以下の顕官と会見して数日滞在した。その後、四十三年八月、韓国併合が行われた。四十五年七月三十日、明治天皇崩御、直ちに踐祚して皇位につく。同日、大正と改元。大正四年(一九一五)十一月十日、京都御所紫宸殿において即位の典を行う。三年には第一次世界大戦が勃発し世界情勢が激変、政界では政党政治が確立し時勢が変わった。即位後は健康がすぐれず、九年三月、病状が容易でないことが宮内省から発表され、十年十一月、皇族会議で摂政設置が決定され、同二十五日皇太子裕仁親王が摂政に任命され、以後、天皇はもっぱら療養生活に入った。十五年十二月二十五日午前一時過ぎ、葉山御用邸において崩御。年四十八。翌昭和二年(一九二七)一月諡号を大正天皇と定め、二月七日、大葬挙行。著作、『大正天皇御記』(明治三十三年十月四日―三十日、西巡日記抜萃、『中央史壇』一三ノ二)、『大正天皇御製歌集』(二冊、昭和二十年、宮内省)。
[参考文献]
宮内省編『明治天皇紀』、高木八太郎・小島徳弥『大正天皇御治世史』、『太陽』大正二年二月号、「大正天皇御年譜」(『中央史壇』一三ノ二)、中島利一郎「漢詩人としての大正天皇」(同)、布施秀治「日光御用邸に於ける先帝陛下の御生活」(同)、「大正天皇御大葬儀」(同一三ノ三)、徳川義親「大正天皇の成績表」(『文芸春秋』三九ノ八)、入沢達吉「大正天皇御臨終記」(同三一ノ一)
(大久保 利謙)

多摩陵(たまのみささぎ)

東京都八王子市長房町の武蔵陵墓地内にある。天皇崩御ののち霊柩を葉山御用邸から宮城に遷し、昭和二年(一九二七)一月三日陵所を点定。二月七日夜新宿御苑内に設けられた葬場殿において大喪儀を行い、翌日未明埋葬、陵号を多摩陵と定められた。当陵は大正十五年(一九二六)十月二十一日に公布された皇室陵墓令の規定に従って営建されたもので、陵形は上円下方で各三段に築かれ南面し、兆域は二五〇〇平方メートルである。昭和二年五月工を起し、同年十二月に竣成した。
[参考文献]
上野竹次郎『山陵』下
(戸原 純一)


日本大百科全書(ニッポニカ)
大正天皇
たいしょうてんのう
[1879―1926]

皇統譜にいう第123代天皇(在位1912~26)。明治12年8月31日、明治天皇の第3皇子として誕生。生母は早蕨典侍(さわらびのてんじ)柳原愛子(やなぎはらなるこ)。名は嘉仁(よしひと)、称号は明宮(はるのみや)。幼時は中山忠能(なかやまただやす)・慶子(よしこ)に養育され、1889年(明治22)の誕生日に東宮(とうぐう)宣下があり、同年11月皇太子にたち、陸軍ならびに海軍少尉に任官、1909年(明治42)には同中将にまで累進。1900年、九条道孝(くじょうみちたか)の四女節子(さだこ)(貞明皇后(ていめいこうごう))と結婚、裕仁(ひろひと)(昭和天皇)、雍仁(やすひと)(秩父宮(ちちぶのみや))、宣仁(のぶひと)(高松宮(たかまつのみや))、崇仁(たかひと)(三笠宮(みかさのみや))の4子をあげた。12年7月30日、明治天皇の死により践祚(せんそ)、大正と改元、1915年(大正4)11月即位式を挙行した。生誕まもなく髄膜炎を患い、その後健康を取り戻したが、即位式の翌年ころから健康が優れず、第一次世界大戦期には政務を十分とることができず、1919年以降は帝国議会開院式の出席も取りやめとなった。1921年皇太子裕仁を摂政(せっしょう)に任じた。1926年12月25日死去。多摩陵に葬られた。
[由井正臣]



大正天皇[百科マルチメディア]
大正天皇[百科マルチメディア]

©小学館ライブラリー


日本人名大辞典
大正天皇
たいしょうてんのう
1879−1926
第123代天皇。在位1912-26。
明治12年8月31日生まれ。明治天皇の第3皇子。母は柳原愛子(なるこ)。父の死により即位し,大正と改元。在位中は,第一次世界大戦,中国に対しての二十一ヵ条の要求,ロシア革命後のシベリア出兵,国内では護憲運動,天皇機関説論争,関東大震災などがおきた。幼少から健康がすぐれず,大正10年11月皇太子裕仁(ひろひと)(のちの昭和天皇)を摂政とした。皇室としてはじめて一夫一妻制を確立した。大正15年12月25日死去。48歳。墓所は多摩陵(みささぎ)(東京都八王子市)。幼称は明(はるの)宮。諱(いみな)は嘉仁(よしひと)。
【格言など】年どしにわが日の本のさかゆくもいそしむ民のあればなりけり(大正5年歌会始)
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