1. 量仁親王・光厳天皇・光厳上皇・光厳法皇
日本史年表
5・9 北条仲時,近江国番場で自刃. 光厳天皇 捕えられる(太)。 1333年〈【幕府】正慶2/・【朝廷】元弘3 癸酉②〉 5・25 後醍醐天皇, 光厳天皇 を ...
2. 光嚴天皇(こうげんてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 34ページ ...
3. 光厳天皇
日本大百科全書
び河内(かわち)(大阪府)天野(あまの)の金剛寺に幽居の数年を過ごし、その間に出家を遂げた。光厳天皇は先に夢窓疎石(むそうそせき)を尊信して禅宗に帰依(きえ)し ...
4. 光厳天皇
世界大百科事典
1313-64(正和2-正平19・貞治3) 北朝第1代の天皇。在位1331-33年。後伏見天皇の第3皇子。名は量仁,母は広義門院寧子。祖父伏見上皇の意向で持明院 ...
5. こうごん‐てんのう[クヮウゴンテンワウ]【光厳天皇】
日本国語大辞典
南北朝時代、北朝の第一代天皇。後伏見天皇の第一皇子。名は量仁(かずひと)。後醍醐天皇の皇太子となり、元弘元年(一三三一)北条高時に擁立されて践祚(せんそ)、翌年 ...
6. こうごんてんのう【光厳天皇】画像
国史大辞典
[参考文献]『大日本史料』六ノ二五 貞治三年七月七日条、『光厳天皇遺芳』、中村直勝『光厳天皇』(『中村直勝著作集』六)、赤松俊秀「光厳天皇について」(『京都寺史 ...
7. こうごんてんのう【光厳天皇】
日本人名大辞典
1313−1364 南北朝時代,北朝第1代天皇。在位1331-33。正和(しょうわ)2年7月9日生まれ。後伏見天皇の第1皇子。母は藤原寧子(広義門院)。鎌倉幕府 ...
8. 光厳天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:2件 【逐次刊行物】:2件 『光厳天皇』中村直勝『光厳天皇と常念寺』森徳一郎『光厳上皇』粟野秀穂『光厳天皇宸翰に就いて 大徳寺蔵伝後醍 ...
9. 光嚴天皇出家 (見出し語:光嚴天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 875ページ ...
10. 光嚴天皇山陵 (見出し語:光嚴天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1004ページ ...
11. 光嚴天皇建二常照寺一 (見出し語:光嚴天皇)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 865ページ ...
12. 光嚴天皇行二幸六波羅一 (見出し語:光嚴天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 675ページ ...
13. 花園天皇誡二光嚴天皇一 (見出し語:光嚴天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 165ページ ...
14. 光厳天皇花押[図版]画像
国史大辞典
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15. 光厳天皇 所領一覧1[図版]画像
国史大辞典
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16. 光厳天皇 所領一覧2[図版]画像
国史大辞典
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17. こうごんてんのうしんき【光厳天皇宸記】
国史大辞典
鎌倉時代末期、光厳天皇の日記。光厳天皇は皇太子であった元徳年間(一三二九―三一)から日記をつけていたことが知られるが、現存の日記はすべて元弘二年(正慶元、一三 ...
18. 光厳天皇御凶事記(著作ID:2534454)
新日本古典籍データベース
こうごんてんのうごきょうじき 東坊城秀長(ひがしぼうじょうひでなが) 記録 貞治三 ...
19. 光厳院御即位記(著作ID:178165)
新日本古典籍データベース
こうごんいんごそくいき 光厳天皇御即位次第記 後円光院関白記 鷹司冬教(たかつかさふゆのり) 記録 ...
20. 光厳院宸記(著作ID:974867)
新日本古典籍データベース
こうごんいんしんき 光厳院御記 光厳天皇宸記 光厳天皇(こうごんてんのう) 日記 ...
21. 光嚴天皇行二幸六波羅一 (見出し語:六波羅)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 675ページ ...
22. 後光厳天皇
日本大百科全書
北朝第4代の天皇(在位1352~71)。名は弥仁(いやひと)。法名光融。光厳天皇の第2皇子。母は陽禄門院(ようろくもんいん)秀子。南朝後村上(ごむらかみ)天皇の ...
23. 後光厳天皇
世界大百科事典
1338-74(延元3・暦応1-文中3・応安7) 北朝第4代の天皇。在位1352-71年。光厳天皇の皇子。名は弥仁。1351年(正平6・観応2)兄崇光天皇が南朝 ...
24. ごこうごん‐てんのう[ゴクヮウゴンテンワウ]【後光厳天皇】
日本国語大辞典
北朝の第四代天皇。光厳天皇の第二皇子。母は陽祿門院秀子。名は彌仁(いやひと)。法名、光融。文和元年(一三五二)足利尊氏らに擁立されて践祚(せんそ)し、翌年即位。 ...
25. ごこうごんてんのう【後光厳天皇】画像
国史大辞典
一三三八―七四 一三五二―七一北朝在位。暦応元年(一三三八)三月二日光厳天皇の第二皇子として誕生。母は三条公秀の女陽禄門院藤原秀子。諱は弥仁(いやひと)。仏門 ...
26. 後光嚴天皇(ごこうごんてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 35ページ ...
27. ごこうごんてんのう【後光厳天皇】
日本人名大辞典
1338−1374 南北朝時代,北朝第4代天皇。在位1352-71。建武(けんむ)5=延元3年3月2日生まれ。光厳(こうごん)天皇の第2皇子。母は藤原秀子(陽禄 ...
28. 後光厳天皇花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
29. 後光厳天皇・後光厳院・後光厳上皇
日本史年表
直冬,桃井直常らが京都に迫り,尊氏,後光厳天皇を奉じて近江武佐寺に逃れる(柳原家記録)。 1355年〈【北朝】文和4・【南朝】正平10 乙未〉 3・28 後光厳 ...
30. 後光厳天皇御琵琶始並御伝受記(著作ID:4400033)
新日本古典籍データベース
ごこうごんてんのうおんびわはじめならびにごでんじゅき 音楽 ...
31. 後光厳天皇御譲位記(著作ID:2598052)
新日本古典籍データベース
ごこうごんてんのうごじょういき 譲位記 東坊城秀長(ひがしぼうじょうひでなが) 記録 応安四 ...
32. 後光厳天皇践祚部類記(著作ID:2598085)
新日本古典籍データベース
ごこうごんてんのうせんそぶるいき 部類記 観応三 ...
33. 後光嚴天皇行二幸近江國一 (見出し語:近江國【篇】)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 678ページ ...
34. 後光嚴天皇即位 (見出し語:後光嚴天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 260ページ ...
35. 後光嚴天皇御諱 (見出し語:後光嚴天皇)
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 588ページ ...
36. 後光嚴天皇行二幸近江國一 (見出し語:後光嚴天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 678ページ ...
37. 後小松天皇遺下勅不レ可レ斷二絶後光嚴天皇一流一之事上 (見出し語:後光嚴天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 409ページ ...
38. 納二後光嚴天皇遺骨於所所寺院一 (見出し語:後光嚴天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1004ページ ...
39. 葬二後光嚴天皇一 (見出し語:後光嚴天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 66ページ ...
40. 花園天皇誡二光嚴天皇一 (見出し語:花園天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 165ページ ...
41. 足利高氏・足利尊氏
日本史年表
回復(鶴岡社務記録)。 1353年〈【北朝】文和2・【南朝】正平8 癸巳〉 9・21 尊氏 ・ 義詮 ,後光厳天皇を奉じて入京(園太暦)。 1358年〈【北朝】 ...
42. あしかがよしあきら【足利義詮】画像
国史大辞典
が男山に進出すると、義詮は南軍の強くなることを恐れてこれを破り、天皇を賀名生に追い、北朝の後光厳天皇を擁立した。ときに文和元年(正平七、一三五二)八月である。し ...
43. 足利義詮
日本史年表
回復(祇園執行日記)。 1353年〈【北朝】文和2・【南朝】正平8 癸巳〉 9・21 尊氏 ・ 義詮 ,後光厳天皇を奉じて入京(園太暦)。 1361年〈【北朝】 ...
44. あしかがよしみつ【足利義満】画像
国史大辞典
所執事伊勢貞継の邸で生まれ、幼名を春王という。康安元年(一三六一)十二月南軍入京し、義詮は後光厳天皇を奉じて近江に奔ったが、時に義満は四歳。建仁寺大竜庵に逃れ、 ...
45. 排蘆小船(近世随想集) 378ページ
日本古典文学全集
継いで『続後拾遺和歌集』を奏覧し、のち足利氏にも接近し、後光厳天皇の命によって『新千載和歌集』を撰進した。北朝第四代天皇。名は弥仁、法名は光融。光厳天皇第二皇子 ...
46. 排蘆小船(近世随想集) 379ページ
日本古典文学全集
その執奏により『新拾遺和歌集』の撰者となる。第十九番目の勅撰集。貞治二年、将軍義詮の執奏により後光厳天皇の撰進の命が為明に下る。五条烏丸に和歌所を構え、頓阿、経 ...
47. あだち-たかかげ【安達高景】
日本人名大辞典
31)後醍醐(ごだいご)天皇が幕府側に捕らえられると,執権北条高時の使者として京都にはいり,光厳天皇を擁立した。北条氏滅亡後,建武政権に対して反乱をおこしたが敗 ...
48. あつみのしょう【厚見庄】大阪府:羽曳野市
日本歴史地名大系
幸盛の濫妨が止められている。なお、本所はそのときも泉涌寺で、文和三年(一三五四)一二月九日の後光厳天皇綸旨(泉涌寺文書)によれば、泉涌寺の僧全皎を東寺大勧進職に ...
49. あづちちょう【安土町】滋賀県:蒲生郡
日本歴史地名大系
して発展、一六世紀には「石寺新市」も設けられている。南北朝期には繖山の観音寺(観音正寺)に後光厳天皇が、享禄年中(一五二八―三二)には同山西麓の桑実寺に将軍足利 ...
50. あのさねかど【阿野実廉】
国史大辞典
元徳元年(一三二九)右兵衛督、同二年宮内卿に進んだ。この間、引き続き鎌倉にあって、元弘元年(一三三一)十一月光厳天皇即位に伴う更迭人事の際に宮内卿を罷められたら ...