1. 仲恭天皇
日本大百科全書
在位80日足らずで幕府のために廃された。このため半帝、九条廃帝などとよばれたが、1870年(明治3)に仲恭天皇と追諡(ついし)された。天福(てんぷく)2年5月2 ...
2. ちゅうきょう‐てんのう[‥テンワウ]【仲恭天皇】
日本国語大辞典
第八五代天皇。順徳天皇第四皇子。名は懐成(かねなり)。母は藤原立子。承久三年(一二二一)四月践祚後、まもなく起こった承久の乱で京方が敗れたため、在位七十余日で、 ...
3. ちゅうきょうてんのう【仲恭天皇】
国史大辞典
摂政とした。承久の乱の結果、同年七月九日、鎌倉幕府の沙汰によって譲位させられ、後堀河天皇に代わった。仲恭天皇は、正式な即位礼や大嘗祭などもないうちに、わずか八十 ...
4. 仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 28ページ ...
5. ちゅうきょうてんのう【仲恭天皇】
日本人名大辞典
正式な即位式もできないまま在位70日余で幕府により廃された。天福2年5月20日死去。17歳。明治3年仲恭天皇の諡号(しごう)がおくられ,歴代にくわえられた。墓所 ...
6. 仲恭天皇事變行幸 (見出し語:仲恭天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 665ページ ...
7. 仲恭天皇遜位 (見出し語:仲恭天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 1614ページ ...
8. 十六夜日記(中世日記紀行集) 295ページ
日本古典文学全集
きまり。習慣。例外なしに。底本「みし」。誤写と認め松平本により改訂。差別。気をもむことになって。仲恭天皇皇女、義子内親王。弘長元年(一二六一)院号、この年四十六 ...
9. うきょうのだいぶのつぼね【右京大夫局】
日本人名大辞典
?−? 鎌倉時代の女官。承久(じょうきゅう)の乱でわずか七十余日ほどで廃位された九条廃帝(仲恭天皇)につかえ,文暦(ぶんりゃく)元年(1234)義子内親王(和徳 ...
10. うわだむら【上田村】石川県:羽咋郡/押水町
日本歴史地名大系
江戸時代の宝達修験関係史料を蔵する。集落南方畑中にあった日野宮(秘の宮)について仁徳天皇の皇子墓(能登志徴)、仲恭天皇陵(羽咋郡誌)とする伝承があり、明治四年( ...
11. かとくもんいん【和徳門院】
日本人名大辞典
1234−1290* 鎌倉時代,仲恭天皇の皇女。文暦(ぶんりゃく)元年生まれ。母は法印性慶の娘右京大夫局(うきょうのだいぶのつぼね)。正嘉(しょうか)元年内親王 ...
12. かまくらじだいけんむせいけん【鎌倉時代―建武政権】 : 朝幕関係
国史大辞典
上皇は討幕を決意し、承久三年には承久の乱を起こしたが敗北した。幕府は後鳥羽上皇ら三上皇を流し、仲恭天皇を退け後堀河天皇を立て、その父後高倉法皇に院政をとらせた。 ...
13. きげんとへんせん【起源と変遷】 : 大嘗祭
国史大辞典
はかなりの変化があったらしいが、基本的な形式は中世まで維持された。中世には承久の乱で退位した仲恭天皇や、南北朝内乱期の後村上・後亀山両天皇のように大嘗祭を挙行で ...
14. ぎょくずい【玉蘂】
国史大辞典
鎌倉時代初・中期の公卿であり、仲恭天皇の摂政、後堀河天皇の関白、四条天皇の摂政となった九条道家の日記。現在見られるところは、逸文を除けば、承元三年(一二〇九) ...
15. くじょういん【九条院】
国史大辞典
承久三年(一二二一)七月廃せられた九条廃帝(仲恭天皇)が遷った御所(『吾妻鏡』『百錬抄』)。『神皇正統記』は外舅藤原道家(良経男、兼実孫)の九条第と記すが、古 ...
16. 九条家 系図[図版]画像
国史大辞典
任子 (宜秋門院) 道家 教実 基家 良実 (二条家) 頼経 (鎌倉将軍) 立子 (東一条院 仲恭天皇母) 実経 (一条家) 竴子 (藻璧門院 四条天皇母) 忠 ...
17. くじょうのみささぎ【九条陵】
国史大辞典
⇒仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう) ...
18. くじょうはいてい【九条廃帝】
国史大辞典
⇒仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう) ...
19. くじょうみちいえ【九条道家】画像
国史大辞典
。同三年、順徳天皇は立子所生の懐成親王(仲恭天皇)に譲位し、道家は摂政となったが、やがて承久の乱によって、後鳥羽・土御門・順徳の三上皇は流され、仲恭天皇は廃され ...
20. ぐかんしょう【愚管抄】
国史大辞典
計画にもとづくものとされる。しかして、建保六年(一二一八)には、九条家を外戚とする懐成親王(仲恭天皇)の立太子、九条道家の左大臣就任、また翌承久元年(一二一九) ...
21. けっか【結果】 : 承久の乱
国史大辞典
みずからの希望による)、後鳥羽上皇の兄で皇位の経験もない行助入道親王を立てて後高倉院となし、院政をしかせ、また仲恭天皇を廃して行助入道親王の子茂仁王を即位させた ...
22. こうだいき【皇代記】
国史大辞典
天皇(一二二一―三二)の安貞元年(一二二七)八月まで。下は順徳天皇(一二一〇―二一)を当今、仲恭天皇(一二二一)を今上、後堀河天皇を当今と称するので、原撰本は順 ...
23. ごたかくらいん【後高倉院】
国史大辞典
を挙げたが敗れ(承久の乱)、後鳥羽・土御門・順徳三上皇はそれぞれ隠岐・土佐・佐渡に配流され、仲恭天皇も廃帝となった。そこで鎌倉幕府はこの乱とは全く無関係で、しか ...
24. 後鳥羽天皇
世界大百科事典
子為仁(土御門天皇)に譲位,上皇として院政をはじめ,1221年(承久3)まで,土御門・順徳・仲恭天皇の3代にわたり院政を行った。院政開始後も通親が実権を持ってい ...
25. ごとばてんのう【後鳥羽天皇】画像
国史大辞典
後鳥羽天皇は為仁(土御門天皇)に譲位して院政を始め、承久三年(一二二一)まで、土御門・順徳・仲恭天皇の三代、二十三年にわたり院政を行なった。特に建仁二年(一二〇 ...
26. ごとばてんのう【後鳥羽天皇】
日本人名大辞典
器なしに4歳で践祚(せんそ)し,一時天皇がふたりとなった。19歳で譲位した後,土御門・順徳・仲恭天皇の3代23年間院政をしいた。鎌倉幕府の打倒をくわだてたが敗れ ...
27. 後堀河天皇
世界大百科事典
在位1221-32年。名は茂仁。後高倉院の第3王子。承久の乱に勝利した鎌倉幕府は,後鳥羽上皇の皇統を嫌って仲恭天皇を廃し,すでに僧正仁慶の弟子として十楽院に入室 ...
28. ごほりかわてんのう【後堀河天皇】画像
国史大辞典
この時点での上皇は、後鳥羽上皇の皇子土御門・順徳両上皇だけであったため、後鳥羽上皇の兄行助入道親王を院とし、仲恭天皇の位を廃したあとには、親王の王子茂仁を天皇と ...
29. ごほりかわてんのう【後堀河天皇】
日本人名大辞典
後高倉院(守貞親王)の皇子。母は藤原陳子(のぶこ)(北白河院)。承久(じょうきゅう)の乱ののち,幕府の意向で仲恭天皇が廃され,10歳で即位。僧籍にあった父が院政 ...
30. 沙石集 37ページ
日本古典文学全集
画したが、敗れ、後鳥羽院は隠岐へ、順徳上皇は佐渡へ、土御門上皇は土佐(後に阿波)へ配流され、仲恭天皇は廃帝とされた。尾張国。資産や生活道具。本来の意味は出産のた ...
31. 順徳天皇
世界大百科事典
土御門天皇の皇太弟を経て即位。後鳥羽上皇の討幕計画に参画。そのため承久の乱直前の1221年(承久3)4月仲恭天皇に譲位したが,結局,乱に敗れて佐渡に配流され,同 ...
32. じゅんとく‐てんのう[‥テンワウ]【順徳天皇】
日本国語大辞典
名は守成(もりなり)。承元四年(一二一〇)即位。父上皇の討幕計画に、承久三年(一二二一)皇子(仲恭天皇)に譲位して参加したが敗れ、佐渡に配流。佐渡院と称される。 ...
33. じゅんとくてんのう【順徳天皇】
国史大辞典
ついで建暦元年(一二一一)正月、女御立子は中宮に立てられた(のち東一条院)。中宮との間には懐成(かねなり、仲恭天皇)・諦子、また内大臣藤原信清の女の位子との間に ...
34. じゅんとくてんのう【順徳天皇】
日本人名大辞典
母は藤原重子(修明門院)。兄土御門(つちみかど)天皇の譲位をうけて14歳で即位。父の院政下にあって,皇子仲恭天皇に位をゆずり父とともに討幕の戦い(承久(じょうき ...
35. じゅんにんてんのう【淳仁天皇】
日本人名大辞典
うばわれ,天皇は廃され淡路(あわじ)に流された。天平神護元年10月23日死去。33歳。明治3年弘文・仲恭天皇とともに歴代にくわえられた。墓所は淡路陵(あわじのみ ...
36. じょうきゅう[ジョウキウ]【承久】
日本国語大辞典
(「しょうきゅう」とも)鎌倉時代、順徳・仲恭・後堀河天皇の代の年号(承久三年四月より仲恭天皇、同七月より後堀河天皇の代)。建保七年(一二一九)四月一二日、天変・ ...
37. 承久の乱画像
日本大百科全書
望み討幕の準備を進めた。上横手雅敬経過1221年(承久3)4月、順徳天皇(じゅんとくてんのう)は皇子の仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)に譲位し、父後鳥羽上皇の討 ...
38. 承久の乱
世界大百科事典
っていった。21年に入って世情に不穏な空気が横溢するなか,4月20日後鳥羽上皇は順徳天皇から仲恭天皇に位を譲らせ,万一に備えるとともに,順徳上皇の協力を得て,い ...
39. じょうきゅうのらん【承久の乱】画像
国史大辞典
。承久三年に入って世情に不穏な空気が汪溢するなか、四月二十日、後鳥羽上皇は順徳天皇からその子仲恭天皇に譲位させ、万一に備えるとともに新院の協力を得て、いよいよ挙 ...
40. (一)撰集下命者系譜[図版]画像
国史大辞典
土御門天皇 後嵯峨天皇 後深草天皇 (持明院統) 伏見天皇 後伏見天皇 光厳天皇 順徳天皇 仲恭天皇 花園天皇 光明天皇 崇光天皇 栄仁親王 貞成親王 後花園天 ...
41. ぜんし【前史】 : 承久の乱
国史大辞典
。承久三年に入って世情に不穏な空気が汪溢するなか、四月二十日、後鳥羽上皇は順徳天皇からその子仲恭天皇に譲位させ、万一に備えるとともに新院の協力を得て、いよいよ挙 ...
42. 即位
世界大百科事典
後柏原天皇が践祚後20年余,後奈良天皇が9年余を経てようやく挙式したのは,戦国乱世における異例であり,仲恭天皇が即位の礼を挙げずに退位したのは,承久の乱による変 ...
43. そくい【即位】
国史大辞典
後奈良天皇が践祚後九年余にして即位の礼を挙げたのは、皇室式微時代の特殊な事情によるものである。また仲恭天皇が即位の礼を行わぬまま退位したのは、承久の乱による特異 ...
44. 増訂 工芸志料 98ページ
東洋文庫
かず、毎歳献ずる所の陶器も、他物を以って代えて献ずるに至る。是に於いて、陶工の業始めて衰う。仲恭天皇(三三)の時に至りて京師乱あり、爾来大膳職漸く微なり。時に尾 ...
45. 増訂 工芸志料 316ページ
東洋文庫
後鳥羽天皇の時に至りて、源頼朝幕府を鎌倉に開く。爾来漆工此に聚まる。而れども其の製巧遠く京師に及ばず。仲恭天皇の時に至りて京師乱あり、内匠寮漸く微なり〔後世此の ...
46. 太平記 57ページ
日本古典文学全集
承久の乱には子息泰時・朝時、舎弟時房を京都へ遣わし、乱の平定に当らせた。広瀬院の称は未詳だが、承久の乱で仲恭天皇が廃された後に即位した後堀河天皇の父守貞親王をさ ...
47. だいじょうさい【大嘗祭】画像
国史大辞典
はかなりの変化があったらしいが、基本的な形式は中世まで維持された。中世には承久の乱で退位した仲恭天皇や、南北朝内乱期の後村上・後亀山両天皇のように大嘗祭を挙行で ...
48. 大日本産業事蹟 2 166ページ
東洋文庫
賜いて納めしむ。けだし二国の製器他に勝るによる。 朱雀天皇以降世情紛々諸国の工人業に安んずる事能わず。仲恭天皇の時に及んでますます衰微す。 順徳天皇の時、尾張の ...
49. ちょうばくかんけい【朝幕関係】
国史大辞典
上皇は討幕を決意し、承久三年には承久の乱を起こしたが敗北した。幕府は後鳥羽上皇ら三上皇を流し、仲恭天皇を退け後堀河天皇を立て、その父後高倉法皇に院政をとらせた。 ...
50. つかもとしやあと【塚本社跡】京都市:東山区/東福寺門前/中村町
日本歴史地名大系
見区)に所在し、当社とは別とみるべきであろう。「坊目誌」は塚本と称する由来について、九条廃帝仲恭天皇墓、舎人親王(崇道天皇)墓、藤原実頼の墓といった伝承を紹介し ...