1. 亀山天皇
日本大百科全書
天皇よりも弟亀山天皇を愛し、後深草天皇の子を差し置いて亀山天皇の子(後宇多(ごうだ)天皇)を立太子させた。大覚寺(だいかくじ)・持明院(じみょういん)両統迭立の ...
2. 亀山天皇
世界大百科事典
1249-1305(建長1-嘉元3) 第90代に数えられる天皇。在位1259-74年。後嵯峨天皇の第3皇子,名は恒仁。母は西園寺実氏の娘大宮院姞子。父天皇のはか ...
3. かめやま‐てんのう[‥テンワウ]【亀山天皇】
日本国語大辞典
第九〇代天皇。後嵯峨天皇の皇子。名は恒仁。正元元年(一二五九)即位し在位一五年。譲位後院政をとり、正応二年(一二八九)出家。大覚寺統のはじめ。法名金剛源。建長元 ...
4. かめやまてんのう【亀山天皇】画像
国史大辞典
陵所と定めて修理し、慶応元年(一八六五)五月に竣功した。東側に同形の後嵯峨天皇陵が並んでいる。亀山天皇はかつて本願寺を庇護し勅願寺にしたという寺伝により、修陵の ...
5. 龜山天皇(かめやまてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 30ページ ...
6. かめやまてんのう【亀山天皇】
日本人名大辞典
1249−1305 鎌倉時代,第90代天皇。在位1260*-74。建長元年5月27日生まれ。後嵯峨(ごさが)天皇の皇子。母は藤原 ...
7. 亀山天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:5件 『亀山天皇御事蹟』山田無文『亀山上皇殉国の御祈願』平泉澄『亀山天皇の御遺勲』武谷水城『弘安の御願に就いて』 ...
8. 恒仁親王・亀山天皇・亀山上皇・亀山法皇
日本史年表
1259年〈正元元(3・26) 己未⑩〉 11・26 後深草天皇 ,恒仁親王(亀山天皇)に譲位(百練抄)。 1274年〈文永11 甲戌〉 11・2 亀山上皇, ...
9. 龜山天皇出家 (見出し語:龜山天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 874ページ ...
10. 龜山天皇創二南禪寺一 (見出し語:龜山天皇)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 657ページ ...
11. 龜山天皇山陵 (見出し語:龜山天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1000ページ ...
12. 龜山天皇後深草天皇兩統更立 (見出し語:龜山天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 288ページ ...
13. 龜山天皇御領處分状 (見出し語:龜山天皇)
古事類苑
政治部 洋巻 第2巻 479ページ ...
14. 亀山天皇 所領一覧1[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
15. 亀山天皇 所領一覧2[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
16. かめやまてんのうそとうばこんりゅうちあと【亀山天皇卒塔婆建立地跡】和歌山県:東牟婁郡/那智勝浦町/市野々村/那智滝
日本歴史地名大系
いわれ、この時に卒塔婆が造立されたという(続風土記)。当初の卒塔婆造立の位置は不詳。近世には亀山天皇宸筆の卒塔婆(木碑)が滝本観音堂にあり、寛政年間(一七八九― ...
17. かめやまてんのうりょう【亀山天皇陵】京都市:右京区/天龍寺門前村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町 天龍寺境内方丈の西北、後嵯峨天皇陵に並ぶ。亀山陵といい、陵内に法華堂が建つ。亀山天皇は後嵯峨天皇第三皇子で、母は西園寺 ...
18. 亀山天皇御即位叙位文書目録並勘文(著作ID:2230695)
新日本古典籍データベース
かめやまてんのうごそくいじょいもんじょもくろくならびにかんもん 記録 正元元 ...
19. 亀山天皇八幡行幸記(著作ID:2230731)
新日本古典籍データベース
かめやまてんのうはちまんぎょうこうき 二禅記 二条資季(にじょうすけすえ) 記録 弘長二 ...
20. 亀山院崩御記(著作ID:2230560)
新日本古典籍データベース
かめやまいんほうぎょき 亀山院御葬礼記 亀山天皇崩御記 西園寺公衡(さいおんじきんひら) 記録 嘉元三 ...
21. 後亀山天皇
日本大百科全書
第99代(南朝第4代)天皇(在位1383~92)。名は煕成(ひろなり)。法名金剛心。大覚寺(だいかくじ)殿と称した。後村上(ごむらかみ)天皇の皇子。母は未詳であ ...
22. 後亀山天皇
世界大百科事典
?-1424(応永31) 第99代に数えられる天皇。在位1383-92年。後村上天皇の皇子。名は熙成。兄長慶天皇のあとをついだ南朝最後の天皇。足利義満の提案によ ...
23. ごかめやま‐てんのう[‥テンワウ]【後亀山天皇】
日本国語大辞典
第九九代、南朝最後の天皇。後村上天皇の皇子。母は嘉喜門院勝子。名は熙成(ひろなり)。弘和三年(一三八三)即位。在位十年。足利義満の和議をうけて、元中九年(一三九 ...
24. ごかめやまてんのう【後亀山天皇】
国史大辞典
明徳の年号が存続、南朝は滅亡し、元中の年号は廃絶するに至った。応永元年(一三九四)二月六日、後亀山天皇は天竜寺においてはじめて義満に面接のことが行われた。その結 ...
25. 後龜山天皇(ごかめやまてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 34ページ ...
26. ごかめやまてんのう【後亀山天皇】
日本人名大辞典
?−1424 南北朝時代,第99代(南朝第4代)天皇。在位1383-92。後村上天皇の第2皇子。母は嘉喜門院。同母兄長慶天皇の譲位をうけて即位。第3代将軍足利義 ...
27. 後亀山天皇・後亀山法皇
日本史年表
1392年〈【北朝】明徳3・【南朝】元中9/ 壬申⑩〉 閏10・2 後亀山天皇 入京,大覚寺に入る(続神皇正統記)。 1392年〈【北朝】明徳3・【南朝】元中 ...
28. ごかめやまてんのうりょう【後亀山天皇陵】京都市:右京区/上嵯峨村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区嵯峨鳥居本小坂町 小倉山の東北麓、奥嵯峨にあり嵯峨小倉陵という。天皇は、後村上天皇第二皇子で、母は嘉喜門院勝子。弘和三年(一三八三)南朝最後の天皇と ...
29. 後亀山天皇考(著作ID:4372209)
新日本古典籍データベース
ごかめやまてんのうこう ...
30. 伝後亀山天皇宸翰御賀状幅(著作ID:4399703)
新日本古典籍データベース
でんごかめやまてんのうしんかんおんがじょうふく ...
31. 後龜山天皇傳二神器於後小松天皇一 (見出し語:後龜山天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 119ページ ...
32. 後小松天皇受二神器於後龜山天皇一 (見出し語:後小松天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 119ページ ...
33. 後深草天皇龜山天皇兩統更立 (見出し語:後深草天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 288ページ ...
34. あきづのしょう【秋津庄】和歌山県:田辺市/下秋津村
日本歴史地名大系
施入したが、領家職は留め置いたのであろう。その後の経緯は不明だが、文永五年(一二六八)一一月一三日付の亀山天皇宣旨案(壬生家文書)に「桜井宮門跡領 円助親王相続 ...
35. あざかじんじゃ【阿射加神社】
国史大辞典
位上を授けられ、延喜の制では三座並びに名神大社とされた。応永二十一年(一四一四)北畠満雅が後亀山天皇の孫小倉宮を奉じて社地に砦を築き義兵を挙げてのち、現在地に遷 ...
36. 足利義満
世界大百科事典
の山中に皇位の正統を唱えて,北朝=幕府に抵抗しつづけてきた南朝に和平の申入れを行った。南帝後亀山天皇は譲国の儀をもって神器を北朝の後小松天皇に渡す,今後皇位は大 ...
37. あしかがよしみつ【足利義満】画像
国史大辞典
かくして十二月山陰の大守護山名氏清を内野の戦に滅ぼし(明徳の乱)、翌三年閏十月には南朝との講和を成立させ、後亀山天皇を京都に迎えて神器を後小松天皇に奉り、五十余 ...
38. 排蘆小船(近世随想集) 376ページ
日本古典文学全集
配所で没した。「風」とあるべきところ。鎌倉後期、皇位や所領をめぐって皇統が後深草天皇の持明院統と亀山天皇系の大覚寺統の二つに分裂、対立し、その後の南北朝期につな ...
39. 排蘆小船(近世随想集) 377ページ
日本古典文学全集
二条関白良基公異風の由たびたび申し沙汰したまひて、二条家の正風を勧め奉りたまひしによりて、風体をさとり 仁。亀山天皇第二皇子。母は西園寺実雄女の佶子。元享四年 ...
40. あだしのねんぶつじ【化野念仏寺】京都市:右京区/上嵯峨村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区嵯峨鳥居本化野町 後亀山天皇陵の北西、清滝に至る愛宕街道沿いにある。華西山東漸院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。正式寺号は念仏寺。寺伝によると空海が ...
41. あのけ【阿野家】画像
国史大辞典
奉仕する者が多く、ことに実為は南朝において内大臣に任じ、吹上本『帝王系図』の付紙によれば、後亀山天皇の母は実為女とみえている。実為の子公為、孫実治も隠棲後の同天 ...
42. あのさねため【阿野実為】
国史大辞典
生没年不詳 南北朝時代の公卿。実為は祖父季継、父実村についで南朝の後亀山天皇に仕えた。特に吹上本『帝王系図』の付紙によれば、同天皇の御母は実為女とあり、そのた ...
43. あまのさんこんごうじ【天野山金剛寺】大阪府:河内長野市/天野山村地図
日本歴史地名大系
第九」に記された当寺の複雑な立場を端的に示した奥書である。弘和元年(一三八一)一一月八日の後亀山天皇綸旨を最後に、文書や経疏奥書の上からは南朝の姿は見いだせなく ...
44. あわたやまのみささぎ【粟田山陵】 : 大宮院
国史大辞典
は粟田山という)の裾にあたる。崩御後の葬儀などに関する伝えはないが、『天下南禅寺記』に「祠(
亀山天皇分骨所を指す)南有
一塔
...45. あんかもんいん【安嘉門院】
日本人名大辞典
く。貞応(じょうおう)3年院号をうけ,文暦(ぶんりゃく)2年出家。父よりゆずられた八条院領は亀山天皇に,さらに後年後醍醐(ごだいご)天皇につたわる。弘安(こうあ ...
46. あんていき【安定期】 : 室町幕府
国史大辞典
氏清の軍に大敗してのちは散発的な蜂起にすぎない。かくて南朝との和平がなり、明徳三年閏十月、後亀山天皇は洛西の大覚寺に入る。そして、明徳の乱の平定の功によって和泉 ...
47. いさ
日本国語大辞典
今和歌集〔1265〕恋三・一一九八「ながらへん人の心はいさや川いさわればかり恋ひわたるとも〈亀山天皇〉」(3)「知らず」の意味を含ませて用いる。さあどうだか知ら ...
48. 伊勢国
世界大百科事典
1392年(元中9・明徳3)の南北朝合一後も北畠氏と幕府との対立は続き,親房の曾孫満雅は後亀山天皇の孫小倉宮を奉じて挙兵し戦死した。これを機に北畠氏はようやく ...
49. 一休和尚年譜 1 16ページ
東洋文庫
南朝との関係について詳しいことはわからない。明徳五年七月五日に応永元年と改元された。南朝の後亀山天皇が後小松天皇に神器を授けていわゆる南北朝合一が実現したのは明 ...
50. 五辻宮
世界大百科事典
した世襲親王家として注目される。現在の京都市上京区西五辻東町に殿宅があったのにちなむ。初代は亀山天皇の子守良親王で,出家し覚浄(覚静とも)と号し,1327年(嘉 ...