1. 後小松天皇
日本大百科全書
徳3)閏(うるう)10月、南北両朝の合一により南朝後亀山(ごかめやま)天皇から神器を受け、後小松天皇の一統に帰した。1412年(応永19)位を皇子称光(しょうこ ...
2. 後小松天皇
世界大百科事典
1377-1433(天授3・永和3-永享5) 第100代に数えられる南北朝末から室町初期の持明院統の天皇。在位1382-1412年。名は幹仁(もとひと)。法諱は ...
3. ごこまつ‐てんのう[‥テンワウ]【後小松天皇】
日本国語大辞典
第一〇〇代天皇。後円融天皇の第一皇子。母は三条公忠女通陽門院厳子。名は幹仁(もとひと)。永徳二年(一三八二)北朝の天皇となったが、明徳三年(一三九二)後亀山天皇 ...
4. ごこまつてんのう【後小松天皇】画像
国史大辞典
天皇が親政・院政をとった時期は、義満の全盛期にあたっている。天皇には、日記のごく一部分を集めた『後小松天皇宸記』(『(増補)史料大成』一)のほか、『御即位日神秘 ...
5. 後小松天皇(ごこまつてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 36ページ ...
6. ごこまつてんのう【後小松天皇】
日本人名大辞典
1377−1433 南北朝-室町時代,第100代天皇(北朝第6代)。在位1382-1412。永和3=天授3年6月27日生まれ。後円融天皇の第1皇子。母は藤原厳子 ...
7. 後小松天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:1件 【逐次刊行物】:2件 『後小松天皇五百回忌御法要記念』蓮沼晃陽(編刊)『後小松天皇とその聖徳の御一端 香川県多和文庫奉蔵の宸翰に関聯して』林屋辰 ...
8. 後小松天皇・後小松上皇・後小松法皇
日本史年表
1392年〈【北朝】明徳3・【南朝】元中9/ 壬申⑩〉 閏10・5 後亀山,後小松天皇に神器を渡す( 南北朝の合体 )(続神皇正統記)。 1412年〈応永19 ...
9. 後小松天皇受二神器於後龜山天皇一 (見出し語:後小松天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 119ページ ...
10. 後小松天皇國忌 (見出し語:後小松天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1285ページ ...
11. 後小松天皇諡 (見出し語:後小松天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 948ページ ...
12. 後小松天皇遺勅 (見出し語:後小松天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 409ページ ...
13. 後小松天皇花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
14. ごこまつてんのうしんき【後小松天皇宸記】
国史大辞典
後小松天皇の日記。原本は天皇の在位中に焼失し、現在は、神祇伯資忠王が応永十年(一四〇三)原本から抜萃した同五年・同七年の数日分が知られるのみである(ただし日々 ...
15. 後小松天皇行幸次第(著作ID:4400387)
新日本古典籍データベース
ごこまつてんのうぎょうこうしだい 記録 ...
16. 後小松天皇御凶事記(著作ID:2616720)
新日本古典籍データベース
ごこまつてんのうごきょうじき 雅世卿記 飛鳥井雅世(あすかいまさよ) 記録 永享五 ...
17. 後小松天皇御譲位記(著作ID:2616742)
新日本古典籍データベース
ごこまつてんのうごじょういき 記録 応永一九 ...
18. 後小松天皇宸筆秘曲御伝授状(著作ID:4401146)
新日本古典籍データベース
ごこまつてんのうしんぴつひきょくごでんじゅじょう 雅楽 応永一七 ...
19. 後小松天皇遺下勅不レ可レ斷二絶後光嚴天皇一流一之事上 (見出し語:後光嚴天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 409ページ ...
20. 後小松院御製(著作ID:186709)
新日本古典籍データベース
ごこまついんぎょせい 後小松天皇御製 後小松天皇(ごこまつてんのう) 和歌 ...
21. 後龜山天皇傳二神器於後小松天皇一 (見出し語:後龜山天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 119ページ ...
22. あさひしんしょう【上日新庄】石川県:鹿島郡/鹿島町/尾崎村
日本歴史地名大系
治氏旧蔵文書)。応永一四年(一四〇七)三月の長講堂領目録(同文書)には、本家であった皇室(後小松天皇)への年貢米は七〇石で、それを上納する領家は東大寺の東南院と ...
23. あしかがよしつぐ【足利義嗣】
国史大辞典
応永十五年(一四〇八)二月二十七日童殿上をとげさせた。この時義嗣と命名。三月四日従五位下。三月八日北山第に後小松天皇の行幸を迎えた時、義嗣を偏愛した義満は彼に天 ...
24. 足利義満画像
日本大百科全書
形式的には天皇の下にあることに対する不満を解消する意図だったのであろう。 1408年(応永15)3月、義満は後小松天皇を北山第(きたやまてい)に迎え、翌4月には ...
25. 足利義満
世界大百科事典
抵抗しつづけてきた南朝に和平の申入れを行った。南帝後亀山天皇は譲国の儀をもって神器を北朝の後小松天皇に渡す,今後皇位は大覚寺統(南朝)・持明院統(北朝)交互とす ...
26. あしかがよしみつ【足利義満】画像
国史大辞典
内野の戦に滅ぼし(明徳の乱)、翌三年閏十月には南朝との講和を成立させ、後亀山天皇を京都に迎えて神器を後小松天皇に奉り、五十余年の両朝対立を拾収したのである(南北 ...
27. あつたじんぐう【熱田神宮】愛知県:名古屋市/熱田区/宮宿
日本歴史地名大系
皇を廃するや、また熱田社領の管領は停止されたが(園太暦)、翌年、再び崇光上皇の管領に帰し、後小松天皇に伝領され(椿葉記)、永享五年(一四三三)後花園天皇は当社領 ...
28. あまよのみこと【雨夜尊】
国史大辞典
、『嬉遊笑覧』では城了検校の「夜の雨の窓をうつにも砕くれば心はもろき物にぞありける」の歌が後小松天皇の天聴に達して雨夜の勅号を賜わったことと、小松の帝の称ある光 ...
29. アーネスト・サトウ 神道論 155ページ
東洋文庫
(14)徳川義直編。一七〇巻、神代系図一巻、帝王系図三巻。正保三年。(15)徳川光圀が撰した神武天皇から後小松天皇までの史書。南朝を正統とし、幕末の勤皇思想に ...
30. いちのべっぷ【市別符】兵庫県:加西市/市村
日本歴史地名大系
別符はみえない。応永五年(一三九八)の崇光上皇の死去後、貞成の父栄仁親王へ伝わるべき所領は後小松天皇によって没収された。播磨国衙別納の地も七ヵ所は還付されたもの ...
31. 一休
世界大百科事典
1394-1481(応永1-文明13) 室町時代の臨済の禅僧。諱(いみな)は宗純,狂雲子とも号した。父は後小松天皇。この皇胤説には疑問をもつ人もあるが,当時の公 ...
32. いっきゅう[‥キウ]【一休】
日本国語大辞典
洋諸学校は夏冬に試業をなして一休す」【二】室町中期の臨済宗の僧。法名は宗純。別号、狂雲子。後小松天皇の落胤(らくいん)ともいう。華叟宗曇(かそうそうどん)の法を ...
33. いっきゅう【一休】
日本架空伝承人名事典
室町時代の臨済の禅僧。諱(いみな)は宗純、狂雲子とも号した。父は後小松天皇。この皇胤説には疑問をもつ人もあるが、当時の公家の日記にみえ、今日ではほぼ定説となって ...
34. 一休和尚年譜 1 15ページ
東洋文庫
襁褓の中に処ると難も龍鳳の姿あり、 世に識る者の有ること無し、正月朔、日出ずる時に胎を出ず、 一休は後小松天皇皇子で、母は藤原氏、南朝高官の子孫である。母は側室 ...
35. 一休和尚年譜 1 16ページ
東洋文庫
南朝との関係について詳しいことはわからない。明徳五年七月五日に応永元年と改元された。南朝の後亀山天皇が後小松天皇に神器を授けていわゆる南北朝合一が実現したのは明 ...
36. 一休和尚年譜 1 133ページ
東洋文庫
応永十九年八月二十九日、後小松天皇は称光天皇に譲位した。それ以後、院の一休に対する帰依は愈よ篤くなり、時々召しては禅話を交わした。「蒼梧」は、中国舜帝が死亡し ...
37. 一休和尚年譜 2 167ページ
東洋文庫
の貴公子のイメージを活かして、詩の情緒を増幅したもので、「王孫」という文字があるから一休が後小松天皇の落胤であったとする論拠にはならないとされている(『同』一一 ...
38. 一休和尚年譜 2 210ページ
東洋文庫
祠堂に安置させた(『東福寺誌』)。『年譜』応永三十四年条には、後小松天皇に夢窓派の空谷明応と性海のどちらがすぐれているかと問われて、性海の方は「文字の習未だ脱せ ...
39. 一休和尚年譜 2 4ページ
東洋文庫
卜58虎関師錬 1-138,267,268,309, II-62国阿 1-314黒豆の法 II-44後小松天皇(院) 1-15~17,133, 137,16 ...
40. いっきゅうそうじゅん【一休宗純】画像
国史大辞典
はじめ法名を周建といい、のち宗純と改め、一時宗順とも称し、道号を一休といい、別に狂雲子と号した。後小松天皇の皇子、母は南朝の遺臣花山院某の女。応永元年(一三九四 ...
41. いっきゅう-そうじゅん【一休宗純】
日本人名大辞典
1394−1481 室町時代の僧。明徳5年1月1日生まれ。臨済(りんざい)宗。後小松天皇の皇子。6歳で山城(京都府)安国寺にはいり,27歳のとき華叟宗曇(かそう ...
42. いっきゅう-そうじゅんの-はは【一休宗純母】
日本人名大辞典
南北朝-室町時代の女官。南朝の花山院某の娘とも,日野照子(伊予局(いよのつぼね))ともいわれる。後小松天皇に寵愛(ちょうあい)されて身ごもるが,ねたまれて追放さ ...
43. 犬王
世界大百科事典
犬王が法名を犬阿弥から道阿弥に改めたのは義満の法名〈道義〉の一字を頂戴してのことであるし,08年の後小松天皇の義満北山邸行幸の際にも,世阿弥ではなく犬王の芸が天 ...
44. いぬおう【犬王】[人名]
能・狂言事典
犬王が法名を犬阿弥から道阿弥に改めたのは義満の法名〈道義〉の一字を頂戴してのことであるし、〇八年の後小松天皇の義満北山邸行幸の際にも、世阿弥ではなく犬王の芸が天 ...
45. いまにしのしょう【今西庄】滋賀県:東浅井郡/湖北町/今西村
日本歴史地名大系
応永五年(一三九八)五月、同親王が没すると、その一部が伏見宮栄仁親王に継承されている(同年一〇月一六日付「後小松天皇綸旨」勧修寺文書)。これ以降、伏見宮家が当庄 ...
46. いわみごう【石見郷】兵庫県:揖保郡/太子町/岩見構村
日本歴史地名大系
から持明院統皇室料所で、崇光上皇が伝領したが、上皇の死後は後小松天皇領に召上げられた。所領を失った栄仁親王が出家したと聞いた後小松天皇は当郷を含む国衙別納一〇ヵ ...
47. いんじょうじ【引接寺】京都市:上京区/乾隆学区/閻魔前町地図
日本歴史地名大系
る」といわれるほど(花洛細見図)、桜花と密接なかかわりをもっていた。当寺の名木普賢象桜は、後小松天皇が北山山荘(現北区の鹿苑寺)行幸の際、当寺に立寄り分け与えた ...
48. うおぬまじんじゃ【魚沼神社】新潟県:小千谷市/土川村
日本歴史地名大系
大きな木箱四個の中に入れられ、保存状態はややよくないが、全巻そろっている。箱蓋の裏書には「人皇一百一代後小松天皇御宇、将軍足利義満公之代従至徳二年、嘉慶・康応・ ...
49. うずらごう【鶉郷】岐阜県:岐阜市/旧厚見郡地区/鶉村
日本歴史地名大系
納めることとなっている。「実隆公記」延徳三年(一四九一)六月五日条によれば「鶉田郷」は竜樹寺殿(後小松天皇皇子小川宮か)菩提料所となっていた。本来年貢三万疋で請 ...
50. えいかんどう【永観堂】京都市:左京区/南禅寺門前地図
日本歴史地名大系
覚願、さらに二一世覚生・二二世観意が堂舎復興勧進を行い、応永年間(一三九四―一四二八)には後小松天皇の母通陽門院厳子が堂塔の修理を行った(禅林寺誌)。「師守記」 ...