1. 後村上天皇
日本大百科全書
南北朝時代初期の(南朝第2代)天皇(在位1339~68)。名は義良(のりよし)(「のりなが」とも読む)。後醍醐(ごだいご)天皇の皇子。母は阿野廉子(あのれんし) ...
2. 後村上天皇
世界大百科事典
1328-68(嘉暦3-正平23・応安1) 第97代に数えられる天皇。在位1339-68年。後醍醐天皇の第8皇子。名は初め憲良,のち義良。母は新待賢門院阿野廉子 ...
3. ごむらかみ‐てんのう[‥テンワウ]【後村上天皇】
日本国語大辞典
第九七代南朝の天皇。後醍醐天皇の皇子。母は新待賢門院廉子。名は義良(のりよし)。元弘三年(一三三三)北畠顕家とともに陸奥に赴いて、東北の鎮護にあたった。南北朝分 ...
4. ごむらかみてんのう【後村上天皇】画像
国史大辞典
正平二十三年三月十一日条、木村武夫『後村上天皇の聖蹟』、村田正志「後村上天皇と三光国師」(『村田正志著作集』一所収)、同「村手重雄氏蔵後村上天皇宸翰の考証」(同 ...
5. 後村上天皇(ごむらかみてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 32ページ ...
6. ごむらかみてんのう【後村上天皇】
日本人名大辞典
1328−1368 南北朝時代,第97代(南朝第2代)天皇。在位1339-68。嘉暦(かりゃく)3年生まれ。後醍醐(ごだいご)天皇の第7(または第8)皇子。母は ...
7. 後村上天皇[文献目録]
日本人物文献目録
林屋辰三郎『後村上天皇と三光国師』村田正志『後村上天皇と三光国師』村田正志『後村上天皇の継述の御精神』久保田収『正平七年の後村上天皇八幡行幸に就いて』木村武夫『 ...
8. 義良親王・後村上天皇
日本史年表
南朝】正平12 丁酉⑦〉 5・‐ 後村上天皇 ,河内観心寺に行幸(観心寺文書)。 1359年〈【北朝】延文4・【南朝】正平14 己亥〉 12・23 後村上天皇 ...
9. 後村上天皇住吉神社行幸 (見出し語:後村上天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 254ページ ...
10. 後村上天皇山陵 (見出し語:後村上天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1017ページ ...
11. 後村上天皇諡 (見出し語:後村上天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 946ページ ...
12. 後村上天皇花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
13. 後村上天皇御系(著作ID:2684017)
新日本古典籍データベース
ごむらかみてんのうごけい 系譜 ...
14. あいぜんどう【愛染堂】和歌山県:伊都郡/高野町/高野山
日本歴史地名大系
勤行が遅れる羽目となり、「早退一類張行、可全両ケ之御願」との南朝綸旨が出され、正平九年(一三五四)二月には後村上天皇からも高野山寺領を安堵すべき旨の綸旨が出され ...
15. あかさかじょう【赤坂城】
国史大辞典
らに率いられた鎌倉幕府軍の攻撃をうけ、食糧も尽きて陥落した。文和元年(正平七、一三五二)、後村上天皇が賀名生(あのう)を出て、この城に立ち寄り、摂津住吉に向かっ ...
16. あがたほ【英田保】石川県:河北郡
日本歴史地名大系
が領家に居住したという伝承が記載されている。南英田保は、正平九年(一三五四)一一月二二日の後村上天皇綸旨(水無瀬神宮文書)に「南県庄」とみえ、地頭職が水無瀬神宮 ...
17. あきづきのしょう【秋月庄】徳島県:阿波郡
日本歴史地名大系
延元三年(一三三八)一二月六日の後醍醐天皇綸旨(愛洲文書)、興国二年(一三四一)四月八日の後村上天皇綸旨(同文書)によれば、それぞれ愛洲七郎左衛門尉憲俊に当庄地 ...
18. あさどの【阿佐殿】
日本人名大辞典
−? 南北朝時代,後亀山(ごかめやま)天皇の中宮(ちゅうぐう)。応安4=建徳2年(1371)後村上天皇の女御(にょうご)嘉喜(かき)門院に紅葉ひと枝を献じ,その ...
19. あしかがたかうじ【足利尊氏】画像
国史大辞典
ここに北朝は同年八月、尊氏を征夷大将軍に任命、南軍不振のうちに、翌二年後醍醐天皇も吉野の行宮で世を去り、後村上天皇が践祚した。尊氏・直義はこれを悼み、その百箇日 ...
20. あしかがよしあきら【足利義詮】画像
国史大辞典
奉じた。ついで尊氏は兵を東国に進めて直義を討ち、義詮は京都を守ったが、南北の講和によって南朝の後村上天皇が男山に進出すると、義詮は南軍の強くなることを恐れてこれ ...
21. あじろのしょう【足代庄】大阪府:東大阪市/旧布施市地区/東足代村
日本歴史地名大系
西足代村(現生野区)辺りを領域とした庄園。網代庄とも記す。正平五年(一三五〇)七月一一日の後村上天皇綸旨案(妙心寺文書)に「河内国網代庄領家職」とみえる。この綸 ...
22. あぜかわじょうあと【阿瀬川城跡】和歌山県:有田郡/清水町/中原村
日本歴史地名大系
拠点であった。正平三年(一三四八)正月、北朝方高師直の吉野行宮焼討(「太平記」ほか)以後、後村上天皇は湯浅党の勢力下にある当地に潜幸、阿瀬川城を一時行宮としたが ...
23. あそうごう【麻生郷】大阪府:貝塚市
日本歴史地名大系
後醍醐天皇綸旨(同文書)をもって丹生明神社に麻生郷知行を安堵した。しかし興国二年(一三四一)五月二八日の後村上天皇綸旨(同文書)で丹生明神社には麻生郷にかえて和 ...
24. あつただいぐうじまさよし【熱田大宮司昌能】
国史大辞典
建武三年(延元元、一三三六)五月の後醍醐天皇山門行幸および十月の京都還幸に供奉、側近として奉仕した。後村上天皇の時代になってもかわることなく、文和元年(正平七、 ...
25. あつみのしょう【厚見庄】大阪府:羽曳野市
日本歴史地名大系
しかしこの公文職をめぐっては幸盛と西琳寺の間に相論が起こり、興国四年(一三四三)四月四日の後村上天皇綸旨、同日の近衛三位中将家御教書案、同月二二日の楠木正行施行 ...
26. あてがわのしょう【阿
河庄】和歌山県:有田郡/清水町
日本歴史地名大系
・立神・井谷(文永四年五月一〇日「上庄在家綿注文案」同集)、湯河(正平一五年一一月一三日「後村上天皇綸旨」上山文書)などが知られ、有田川・湯川川合流点付近が、上 ...
27. あの【阿野】
日本国語大辞典
興したことにはじまる。鎌倉後期にでた実廉は、後醍醐天皇の後宮に仕えた廉子(新待賢門院)とは兄弟で、廉子が後村上天皇をはじめ恒良親王らを生んだことから、実廉はもと ...
28. あのう[あなふ]【穴生】
日本国語大辞典
【一】〔一〕奈良県吉野郡西吉野村の古地名。後村上天皇が北朝の吉野攻略の難を避けて皇居を置いてからは、賀名生と表記した。*太平記〔14C後〕二六・芳野炎上事「今夜 ...
29. 賀名生
世界大百科事典
2月26日条に〈伝聞,今上皇帝令出穴太此間改名於賀名生宸居,令赴住吉給〉とあり,今上皇帝(後村上天皇)がこの時期以前,賀名生に在住していたことがわかる。〈穴太此 ...
30. あのう【賀名生】奈良県:吉野郡/西吉野村
日本歴史地名大系
天皇の阿那宇入御から二八日吉野山へ潜幸までと(「禅恵奥書」天野山金剛寺文書)、正平三年秋頃後村上天皇が吉野山の戦火を避けて賀名生に逃れてから(「太平記」巻二六の ...
31. あのうのあんぐう【賀名生行宮】
国史大辞典
はっきりは定め難い。貞和四年(正平三、一三四八)足利方の将高師直によって吉野行宮が攻撃された際、後村上天皇は、逃れて賀名生に移り、文和元年(正平七、一三五二)二 ...
32. あのけ【阿野家】画像
国史大辞典
実直の孫に公廉、公廉の女に廉子があり、後醍醐天皇の後宮となり、新待賢門院号を宣下せられ、その腹に後村上天皇・恒良親王・成良親王らが生まれた。その関係から以後の一 ...
33. 阿野廉子
世界大百科事典
後醍醐天皇の寵愛をうけ,25年(正中2)に恒良(のち東宮),翌26年(嘉暦1)に成良,28年に義良(のち後村上天皇)の3親王の誕生をみ,ほかに2人の皇女を生んだ ...
34. あの-れんし【阿野廉子】
日本人名大辞典
正安(しょうあん)3年生まれ。阿野公廉の娘。洞院公賢(きんかた)の養女。天皇の寵愛(ちょうあい)をうけ,後村上天皇,恒良(つねよし)親王,成良(なりよし)親王ら ...
35. あまの【天野】
日本国語大辞典
【一】大阪府河内長野市の北部の地名。後村上天皇の皇居となった金剛寺がある。*太平記〔14C後〕三四・和田楠軍評定事「此の比(ころ)吉野の新帝は、河内の天野(アマ ...
36. あまの【天野】大阪府:河内長野市地図
日本歴史地名大系
状(淡輪文書)にも同一九日の天野合戦が記される。南北朝期、金剛寺は南朝との結び付きが深く、後村上天皇の行在所となっている。楠木正儀の築城と考えられる仁王山城の地 ...
37. あまのさんこんごうじ【天野山金剛寺】大阪府:河内長野市/天野山村地図
日本歴史地名大系
和田庄三分の一は勅免とされたが(同年四月一七日付後村上天皇綸旨)、この問題は同九年まで続いた。なお後村上天皇によって、正平九年に備中草壁庄西方地頭職(同年一二月 ...
38. あまのしょう【阿万庄】兵庫県:三原郡/南淡町
日本歴史地名大系
)にも馳せ参じたが(「太平記」巻一七)、暦応三年(一三四〇)四月には「安間・志知」両氏らが後村上天皇の命で伊予に下向する途中に武島(沼島)に着いた脇屋義助を、船 ...
39. あまののあんぐう【天野行宮】
国史大辞典
剛寺に入り、観蔵院を御座所にして数年を過ごした。ところが男山合戦に敗れて賀名生に退いた南朝後村上天皇も、同三年十月二十八日当寺に入り、摩尼院に滞留し、食堂を政庁 ...
40. あまむら【安満村】大阪府:高槻市地図
日本歴史地名大系
在地武士として南朝側にあった芥河右馬允信真も、安満右馬允を名乗っている(興国二年一二月二四日「後村上天皇綸旨」紀伊性応寺文書)。安満縄手は現南松原町にあたる字高 ...
41. ありもとごう【有本郷】和歌山県:和歌山市/河南地区/有本村
日本歴史地名大系
郷地頭職」に日前国懸宮神主の紀国造家が任じられている。また正平六年(一三五一)五月一〇日付後村上天皇綸旨(同文書)では紀国造家の「日前・国懸両大神宮領当国南方有 ...
42. あわのしょう・ひろせのしょう・やまだありまるのしょう【阿波庄・広瀬庄・山田有丸庄】三重県:阿山郡/大山田村
日本歴史地名大系
弘恵に交付している(「室町幕府御教書案」東大寺文書)。一方この頃、伊賀山田郡の地頭職を南朝後村上天皇が綸旨をもって安村丹後守頼直に与えているが(「良訓補忘集」法 ...
43. いいだむら【飯田村】香川県:高松市/旧香川郡地区
日本歴史地名大系
。正平七年(一三五二)八月三〇日、同郷公文職が野川太郎兵衛尉・同二郎兵衛尉に宛行われた(「後村上天皇綸旨案」野川文書)。戦国期には香西六郷の一で、飯田主水が当地 ...
44. いかがごう【伊香賀郷】大阪府:枚方市/伊加賀村
日本歴史地名大系
て、正平六年(一三五一)九月二一日に河内国守口(現守口市)で戦い、翌年二月の京中合戦には、後村上天皇の軍勢に代人として子息泰宗・信宗を遣わし(正平六年一一月日・ ...
45. いがのつぼね【伊賀局(1)】
日本人名大辞典
る。貞和(じょうわ)4=正平(しょうへい)3年高師直(こうの-もろなお)の吉野攻めにより,後村上天皇や廉子が賀名生(あのう)(奈良県南部)にのがれたとき,局は巨 ...
46. いしぜほ【石瀬保】富山県:高岡市/旧射水郡小矢部川右岸地区
日本歴史地名大系
切られていたものの、川口保・塚原保と連続していた国衙領の一。興国二年(一三四一)四月八日の後村上天皇綸旨(南狩遺文)により、石瀬保地頭職が勲功の賞として成田四郎 ...
47. いしどうよりふさ【石塔頼房】画像
国史大辞典
一三五一)に至る間伊勢国守護。この間、高師直と対立した直義に勧め、ともに南朝に帰順し、観応元年十一月、後村上天皇の詔を奉じて生駒山に挙兵、ついで男山に拠って京都 ...
48. いずしじんじゃ【出石神社】兵庫県:出石郡/出石町/宮内村
日本歴史地名大系
職(後藤上村五郎左衛門尉跡)を寄進している(神床氏古文書纂)。ところで正平六年六月七日付の後村上天皇綸旨(出石神社文書)によって出石神社の領家号が停止されている ...
49. いずみのくに【和泉国】大阪府地図
日本歴史地名大系
正平二年(一三四七)一二月に吉野に登り、後村上天皇らに授戒したが、その頃、覚明は大鳥郡内に大雄寺(跡地は現高石市)を創建、その開堂にあたって後村上天皇が臨席した ...
50. いちれんじ【一蓮寺】山梨県:甲府市/甲府城下/一蓮寺地内町
日本歴史地名大系
たことをうかがわせるもので、八世までの住職は武田一族出自であったとされる。ただし五世は南朝後村上天皇の子尊観法親王で、法阿は副住を務めている(一蓮寺過去帳)。文 ...