1. 順徳天皇 画像
日本大百科全書
第84代の天皇(在位1210~21)。名は守成(もりなり)。後鳥羽(ごとば)天皇の第3皇子。母は藤原範季(のりすえ)の女(むすめ)重子(修明門院(しゅめいもんい ...
2. 順徳天皇
世界大百科事典
1197-1242(建久8-仁治3) 第84代に数えられる天皇。在位1210-21年。後鳥羽天皇の第3皇子。名は守成,のち佐渡院とも称す。母は高倉範季の娘修明門 ...
3. じゅんとく‐てんのう[‥テンワウ]【順徳天皇】
日本国語大辞典
第八四代の天皇。後鳥羽天皇の第二または第三皇子。母は修明門院藤原重子。名は守成(もりなり)。承元四年(一二一〇)即位。父上皇の討幕計画に、承久三年(一二二一)皇 ...
4. じゅんとくてんのう【順徳天皇】
国史大辞典
和田英松『皇室御撰之研究』、長藤蔵『順徳天皇と佐渡』、角田文衛「岡前別当三位」(『王朝の明暗』所収) (角田 文衛) 真野御陵(まののみささぎ) 佐渡にある順 ...
5. 順德天皇(じゅんとくてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 27ページ ...
6. じゅんとくてんのう【順徳天皇】
日本人名大辞典
1197−1242 鎌倉時代,第84代天皇。在位1210-21。建久8年9月10日生まれ。後鳥羽(ごとば)天皇の第3(または第2)皇子。母は藤原重子(修明門院) ...
7. 順徳天皇[文献目録]
日本人物文献目録
藤勘治郎『順徳天皇を仰ぎ奉る』平泉澄『順徳天皇佐渡聖蹟誌』山本修之助『順徳天皇』伊藤治一『順徳天皇』今春聴『宮沢の天子塚 順徳天皇御陵伝説の考察』後藤嘉一『順徳 ...
8. 守成親王・順徳天皇・順徳上皇
日本史年表
1210年〈承元4 庚午〉 11・25 天皇 ,守成親王(順徳天皇)に譲位(御譲位部類記)。 1221年〈承久3 辛巳⑩〉 4・‐ この頃までに,順徳天皇, 『 ...
9. 祀二順德天皇於水無瀨宮一 (見出し語:順德天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 291ページ ...
10. 順德天皇佐渡國還幸 (見出し語:順德天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 998ページ ...
11. 順德天皇號二佐渡院一 (見出し語:順德天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 952ページ ...
12. 順德天皇御廟所 (見出し語:順德天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 998ページ ...
13. ごとばてんのうりょう・じゅんとくてんのうりょう【後鳥羽天皇陵・順徳天皇陵】京都市:左京区/来迎院村 地図
日本歴史地名大系
その地で没した。武を好み、また優れた歌人としても知られ、藤原定家らに命じて「新古今集」を撰ばせている。順徳天皇(一一九七―一二四二)は後鳥羽天皇第三皇子で土御門 ...
14. じゅんとくてんのうしんき【順徳天皇宸記】
国史大辞典
順徳天皇の日記。『人左記』ともいう。『人左記』とは、佐渡院の佐字の偏と旁とを分けて記したものである。執筆の年月は、建暦元年(一二一一)から承久三年(一二二一) ...
15. 順徳天皇御遺蹟聚感園築造図(著作ID:4333817)
新日本古典籍データベース
じゅんとくてんのうごいせきしゅうかんえんちくぞうず ...
16. 建保中殿御会図(著作ID:174232)
新日本古典籍データベース
けんぽうちゅうでんぎょかいず 中殿御会図 順徳中殿御会之図 順徳天皇建保中殿御会 藤原信実(ふじわらのぶざね) 画 伝 和歌 絵巻 建保六 ...
17. 順徳院御記(著作ID:1238046)
新日本古典籍データベース
じゅんとくいんぎょき 順徳院宸記 順徳御記 順徳天皇御記 人左記 順徳天皇(じゅんとくてんのう) 日記 ...
18. 小倉百人一首(100) 歌人/順徳天皇(順徳院)[百科マルチメディア] 画像
日本大百科全書
ばのしのぶにも なほあまりあるむかしなりけり定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/もも順徳天皇(じゅんとくてんのう)(順徳院)菱川師宣(ひしかわもろのぶ) ...
19. 順徳院御即位記(著作ID:228411)
新日本古典籍データベース
じゅんとくいんごそくいき 承元御即位記 承元四年順徳天皇御即位記 即位御記 九条道家(くじょうみちいえ) 記録 承元四 ...
20. 排蘆小船(近世随想集) 252ページ
日本古典文学全集
『続後撰和歌集』秋下、藤原定家「をぐら山しぐるるころのあさなあさな昨日はうすきよもの紅葉葉」。順徳天皇著『八雲御抄』六「ちかき人の歌の詞をぬすみとる事、この事、 ...
21. 排蘆小船(近世随想集) 294ページ
日本古典文学全集
背いていること。藤原基俊仮託の歌論書。鎌倉、南北朝期成立。詠歌の心得、文字遣その他の条々について、順徳天皇著『八雲御抄』や『十訓抄』などの内容を抄出、要約して一 ...
22. 排蘆小船(近世随想集) 302ページ
日本古典文学全集
仏教者が仏道以外の教えをいう語。宣長の頭書「後京極殿千五百番歌合の判詞に云ふ、神国の古風、詞上に顕はる」。順徳天皇著『八雲御抄』六、用意部に「第三に詞を先とすべ ...
23. あわづむら【粟津村】石川県:珠洲市
日本歴史地名大系
京都東福寺の大明国師の弟子正徹により、正中二年(一三二五)に開創したと伝える。開基にかかわって順徳天皇第七皇子・長慶天皇など諸所伝を残すが、いずれも方上保ゆかり ...
24. あんどのしょう【安堵庄】奈良県:生駒郡/安堵村/東安堵村・西安堵村
日本歴史地名大系
後鳥羽天皇の母。同庄の本家職の相承次第は、東寺百合文書によれば七条院―後鳥羽天皇皇后修明門院―順徳天皇皇子四辻宮善統親王―後宇多天皇―後醍醐天皇―善統親王皇子四 ...
25. あんらくじゅいん【安楽寿院】京都市:伏見区/竹田村 地図
日本歴史地名大系
され、姫宮没後は再び女院の手に帰し、女院没後春華門院昇子(後鳥羽皇女)、その没後は昇子の猶子順徳天皇へと伝領。承久の乱で後鳥羽上皇方の多くが八条院領関係者であっ ...
26. いくたのもり【生田森】
国史大辞典
主として楠の老樹からなり、古くは生田川のほとりにまで及んでいたといわれる。古来名勝地として多くの歌によまれ、順徳天皇の歌に「秋風にまたこそ訪はめ津の国の生田の森 ...
27. いるさやま【入佐山】兵庫県:出石郡/出石町
日本歴史地名大系
いるさの山の 山蘭 手な取り触れそや 貌優るがにや 速く優るがにや」がある。この入佐山を但馬としたのは、順徳天皇の「八雲御抄」巻五名所部の山の項で「いるさの山」 ...
28. いわたむら【岩田村】三重県:津市
日本歴史地名大系
「去建保年中ニ、夢相ノ告ニヨリテ、岩田ノ御園ヲモチテ、風日祈ノ社ノ饗料所ニスヘキ由」とあり、順徳天皇の宣旨によって、内宮風日祈宮へ寄進されて御園がつくられたとい ...
29. いんぷもんいん【殷富門院】
国史大辞典
後白河法皇より金剛勝院および押小路殿を伝領。なお九条兼実の子良恵、後鳥羽天皇の皇子長仁親王・守成親王(のちの順徳天皇)、以仁王の子道尊を猶子とした。治承四年(一 ...
30. うえきのしよう【植木庄】福岡県:直方市
日本歴史地名大系
安貞二年(一二二八)七条院は所領三八ヵ所を修明門院(藤原重子、順徳天皇母)に譲ったが、うち一七ヵ所の本所(領家)職は四辻宮善統親王(順徳天皇の皇子)に止められて ...
31. うじしゅういものがたり【宇治拾遺物語】
国史大辞典
ろ成立の『古事談』から話を採っていることと、承元四年(一二一〇)―承久三年(一二二一)在位の順徳天皇を「当今」と書いていることなどから、そのころに成立したものと ...
32. 宇治拾遺物語 308ページ
日本古典文学全集
ろさを伝えた、「名人・名手よく名人・名手を知る」という話。建保三年(一二一五)は、第八十四代順徳天皇の治世。九四七~九五七年、第六十二代村上天皇の治世。三善清行 ...
33. うだのしょう【宇多荘】
国史大辞典
注に八条院姫宮とあり、八条院の猶子となった後鳥羽院皇女春華門院昇子に伝えられたことが知られる。春華門院没後、順徳天皇に伝えられ、承久の乱後一時幕府に没収され、承 ...
34. えいあんもんいん【永安門院】
日本人名大辞典
1216−1279 鎌倉時代,順徳天皇の第1皇女。建保(けんぽ)4年生まれ。母は坊門信清の娘。建長3年内親王,准三宮(じゅさんぐう)となり,院号をゆるされる。5 ...
35. 江戸小咄集 2 88ページ
東洋文庫
古今和歌集の仮名序にみられる。本書に収録した咄にそれにならい六体にわけて構成されている (天)順徳天皇撰になる歌学、歌論書。正義、作法、枝葉、言語、名所、用意の ...
36. 老のすさみ(連歌論集) 111ページ
日本古典文学全集
姿清げにて、心あるを勝りたりとすと云へり。…心詞あひ具する事かたくは、先づ心を取るべし」とある。順徳天皇著の歌学書。六巻。その巻六に、「中比の歌のわろしといふは ...
37. 老のすさみ(連歌論集) 157ページ
日本古典文学全集
を抄出した『二十四代集』からさらに抄出したものとされる。『小倉百人一首』をさす。天智天皇から順徳天皇までの百人の歌人の歌一首ずつ集めたもの。 ...
38. おえむら【小江村】長崎県:北高来郡/高来町
日本歴史地名大系
その前身は真言宗寺院の道香密寺で、貞観一七年(八七五)の真然の開創と伝え、承久年間(一二一九―二二)に順徳天皇が千手千眼像を安置して勅願寺に定めたという。正和四 ...
39. おおいみかどどの【大炊御門殿】
国史大辞典
永久二年(一一一四)八月焼亡、再建されて同三年十一月遷幸、同四年八月また焼亡した。 (二) 後鳥羽・土御門・順徳天皇(上皇)の里内裏、仙洞御所。大炊御門富小路殿 ...
40. おおいみかどどの【大炊御門殿】 : 大炊御門殿/(二)
国史大辞典
(二) 後鳥羽・土御門・順徳天皇(上皇)の里内裏、仙洞御所。大炊御門富小路殿(おおいみかどとみのこうじどの)とも呼ばれる。大路の北、富小路と万里小路の間一町を ...
41. おおはらのみささぎ【大原陵】
国史大辞典
後鳥羽天皇と順徳天皇の陵。京都市左京区大原勝林院町にあり、三千院の北隣にあたる。後鳥羽天皇は延応元年(一二三九)二月二十二日隠岐で崩御、同二十五日苅田の山中で ...
42. おおやまのしょう【大山庄】山形県:上山市
日本歴史地名大系
領となっており(嘉元四年六月一二日「昭慶門院領目録」京都大学蔵古文書集)、八条院―春華門院―順徳天皇―後鳥羽天皇―後高倉院―安嘉門院―亀山天皇と伝領されたことが ...
43. 諡
世界大百科事典
天皇の場合でも臣下の場合でも,生前すでに出家していた人に対しては,諡を贈らないのが原則であった。天皇の漢風諡は順徳天皇以来廃絶していたが,光格天皇の没後,復興さ ...
44. おぐら‐ひゃくにんいっしゅ[をぐら‥]【小倉百人一首】
日本国語大辞典
蓮生の小倉山麓中院の山荘の障子に貼る色紙形の和歌として選んだといわれる一〇〇首の歌。天智天皇から順徳天皇までの、百人の歌人の秀歌を一首ずつ集めたもので、近世以降 ...
45. おしこうじからすまるどの【押小路烏丸殿】
国史大辞典
考えられる。順徳天皇東宮時代の建仁三年(一二〇三)十二月、藤原範光の押小路烏丸第に移り、御所としたことが『明月記』にみえるが同所であろう。建保元年(一二一三)七 ...
46. おたちむら【御館村】石川県:羽咋郡/押水町
日本歴史地名大系
鎮守の御館神社は前述の館跡南東部にあり、順徳天皇が当地滞在中に伊勢神宮を日吉山に勧請、明治四〇年(一九〇七)現在地に遷祀したと伝える(羽咋郡誌)。集落北方の牛飼 ...
47. おどむら【小渡村】山形県:西置賜郡/小国町
日本歴史地名大系
経て田代峠―沖庭権現―小渡と下り、荒川・横川沿いに小国町に出るのが本道であったという。地名も古くは御渡と記し、順徳天皇が配流先の佐渡を脱出し、当地を抜けたことに ...
48. 海道記(中世日記紀行集) 63ページ
日本古典文学全集
天皇の母(皇太后)、または国民の母(皇后)。ここは、範茂と同腹の、修明門院重子(後鳥羽上皇妃、順徳天皇母)。左右近衛府の大・中・少将をよぶ唐名。範茂は左近衛中将 ...
49. 河海抄
日本大百科全書
明らかにしようとする姿勢が強く見られる点も本書の特徴である。著者の四辻善成は南北朝時代の和学者であり、順徳天皇の皇子善統(よしむね)親王の孫。後年、『河海抄』に ...
50. かがく【歌学】
国史大辞典
述べてあるのが、当時の歌学の概要であり、範囲がきわめて広い。鎌倉時代の集大成書『八雲御抄』(順徳天皇)は、最初に序があり、本文は六巻より成っている。巻一正義部は ...