1. 後嵯峨天皇
日本大百科全書
第88代天皇(在位1242~46)。名は邦仁(くにひと)。法名素覚。土御門(つちみかど)天皇の第3皇子。母は贈皇太后源通子(みちこ)。四条(しじょう)天皇が急死 ...
2. 後嵯峨天皇
世界大百科事典
1220-72(承久2-文永9) 第88代に数えられる天皇。在位1242-46年。土御門天皇の第2皇子。名は邦仁。母は土御門通宗の女源通子。誕生後1年にして母を ...
3. ごさが‐てんのう[‥テンワウ]【後嵯峨天皇】
日本国語大辞典
第八八代天皇。土御門(つちみかど)天皇の第一皇子。名は邦仁(くにひと)。母は源通子。仁治三年(一二四二)北条泰時に推されて即位。在位五年で第三子の久仁親王(後深 ...
4. ごさがてんのう【後嵯峨天皇】画像
国史大辞典
権大納言四条隆親の冷泉万里小路殿で践祚し、さらに三月十八日太政官庁で即位の儀を行なった。すなわち後嵯峨天皇である。在位四年ののち寛元四年(一二四六)、皇子の久仁 ...
5. 後嵯峨天皇(ごさがてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 29ページ ...
6. ごさがてんのう【後嵯峨天皇】
日本人名大辞典
1220−1272 鎌倉時代,第88代天皇。在位1242-46。承久(じょうきゅう)2年2月26日生まれ。土御門(つちみかど)天皇の第3皇子。母は源通子(つうし ...
7. 後嵯峨天皇・後嵯峨上皇・後嵯峨法皇
日本史年表
1242年〈仁治3 壬寅〉 1・20 土御門院皇子(後嵯峨天皇) ,元服,践祚(平戸記)。 1248年〈宝治2 戊申⑫〉 7・25 後嵯峨上皇 ,藤原為家に ...
8. 後嵯峨天皇即位 (見出し語:後嵯峨天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 257ページ ...
9. 納二後嵯峨天皇遺骨於深草法華堂一 (見出し語:後嵯峨天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 999ページ ...
10. 後嵯峨天皇 所領一覧1[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
11. 後嵯峨天皇 所領一覧2[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
12. ごさがてんのうりょう【後嵯峨天皇陵】京都市:右京区/天龍寺門前村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町 天龍寺境内、方丈の西北にあり、後嵯峨天皇嵯峨南陵といい、陵内に法華堂が建つ。後嵯峨天皇は土御門天皇第一皇子で、母は源通子(通宗 ...
13. 後嵯峨天皇御譲位記(著作ID:2622095)
新日本古典籍データベース
ごさがてんのうごじょういき 記録 寛元四 ...
14. 排蘆小船(近世随想集) 376ページ
日本古典文学全集
天皇系の大覚寺統の二つに分裂、対立し、その後の南北朝期につながる。第九十代天皇。名は恒仁。後嵯峨天皇の皇子。母は西園寺実氏女の姞子。嘉元三年没、五七歳。大覚寺統 ...
15. あだちやすもり【安達泰盛】画像
国史大辞典
将軍実朝夫人は夫の菩提のために、京都に遍照心院を建てた時、その維持について泰盛に委嘱した。また文永十年後嵯峨天皇一周忌に高野山奥院に建碑して天皇から『文選』等を ...
16. あだちよしかげ【安達義景】画像
国史大辞典
政に参加した。仁治二年(一二四一)に従五位上、翌三年正月、四条天皇の後嗣問題で、邦仁親王(後嵯峨天皇)を推す幕府の使者として、二階堂行義とともに上洛、幕府の意志 ...
17. あわづはしもとのみくりや【粟津橋本御厨】滋賀県:大津市/中部地域/粟津
日本歴史地名大系
華頂要略)。鎌倉中期には内侍所を本家とし、領家職は天王寺入道大納言近衛基嗣から尊助法親王・後嵯峨天皇・大宮女院・昭慶門院・世良親王と伝領し、元徳元年(一三二九) ...
18. いくたまのしょう【生玉庄】大阪府:大阪市/東区
日本歴史地名大系
掌握する意味でも注目される。なお、蓮聖が年貢の油一石を五斗に値切ったのを「大宮院御時」とするが、大宮院は後嵯峨天皇の皇后藤原嬉子で、文永一〇年(一二七三)二月に ...
19. 一条家
世界大百科事典
元4)良実に強要して関白を弟の実経に譲らせ,ついでこれを摂政とした。この更迭は実経に対する後嵯峨天皇の信任と道家の寵愛によるもので,良実ははなはだ不満であったが ...
20. いちじょうさねつね【一条実経】
国史大辞典
長兄教実は夭死し、次兄良実は道家と不和であって、道家は実経を愛し、寛元四年(一二四六)正月、後嵯峨天皇が久仁親王(後深草天皇)に譲位の際、関白良実にかえて、左大 ...
21. いわしみずはちまんぐう【石清水八幡宮】京都府:八幡市
日本歴史地名大系
寛元三年(一二四五)には「近日宮寺、以武勇為先、以博奕為業」という有様だったので、同年九月一八日後嵯峨天皇から停止の綸旨が出され、さらに同様の趣旨の亀山院院宣が ...
22. いんりょう【院領】
国史大辞典
そこに寄進して成立した、祈願の社寺領が圧倒的に多いことである。この社寺の創建は後三条天皇の金剛寿院に始まり、後嵯峨天皇の浄金剛院まで約二十八寺と、新熊野・新日吉 ...
23. うりうのしょう【瓜生庄】福井県:遠敷郡/上中町/瓜生村
日本歴史地名大系
すなわち当庄は覚仁親王門跡領から円助親王領となったわけである。円助は「円満院門跡相承次第」によれば、後嵯峨天皇の皇子で円満院門跡を継承している。その後、同一〇年 ...
24. うんがんじ【雲巌寺】
国史大辞典
という人の開創と伝えるが詳しいことは不明。開山は高峯顕日(仏国禅師・応供広済国師)。高峯は後嵯峨天皇皇子といわれ、円覚寺開山・建長寺五世無学祖元(仏光禅師・円満 ...
25. うんがんじ【雲巌寺】栃木県:那須郡/黒羽町/雲巌寺村
日本歴史地名大系
再建、鎌倉円覚寺仏光の弟子仏国(高峰顕日)を招いて開山としたという(開山御由緒調)。仏国は後嵯峨天皇の皇子で、康元元年(一二五六)一六歳で京都東福寺に入った(仏 ...
26. 影供歌合/建長三年九月十三夜(著作ID:107028)
新日本古典籍データベース
仙洞影供十首歌合 建長三年影供歌合 建長三年九月十三夜十首歌合 建長三年鳥羽殿十首歌合 後嵯峨天皇(ごさがてんのう) 藤原実氏(ふじわらさねうじ) 二条為氏( ...
27. えいふくじ【叡福寺】
国史大辞典
はじめ上下の尊崇をあつめ、太子信仰の隆盛に伴って、四天王寺・法隆寺とともにその中心地となった。
後嵯峨天皇の中宮大宮院(藤原
子)の遺
...28. えいふくじ【叡福寺】大阪府:南河内郡/太子町/太子村地図
日本歴史地名大系
ともにその中心となり、天皇の行幸や寄進、高僧の来訪するところとなった。叡福寺文書によると、
後嵯峨天皇中宮大宮院(藤原
子)の遺骨を
...29. えんざほ【円座保】香川県:高松市/旧香川郡地区
日本歴史地名大系
)の讃岐国内の公領を書上げた箇所に「円座保京極准后 定氏卿知行」とみえる京極准后のことで、後嵯峨天皇典侍でその皇子鎌倉将軍宗尊親王を生んだ平棟基娘棟子である。当 ...
30. えんせいもんいん【延政門院】
日本人名大辞典
1259−1332 鎌倉時代,後嵯峨天皇の第2皇女。正元(しょうげん)元年生まれ。母は藤原公子。弘安(こうあん)7年内親王,准三宮(じゅさんぐう)となり,院号を ...
31. えんめいじ【延命寺】香川県:観音寺市/黒淵村
日本歴史地名大系
行基の開創と伝え、古くは現三豊郡大野原町花稲にあった(大野原町誌)。寛元年間(一二四三―四七)後嵯峨天皇の勅を賜り、近江日吉社山王権現を勧請、その別当職に補せら ...
32. 大宮院
世界大百科事典
1225-92(嘉禄1-正応5) 後嵯峨天皇の皇后藤原姞子。太政大臣西園寺実氏の長女。母は四条隆衡の女,今林准后貞子。1242年(仁治3)入内し,ほどなく立后し ...
33. おおみやいん【大宮院】画像
国史大辞典
一二二五―九二
後嵯峨天皇の皇后。藤原
子。西園寺実氏の第一女、母は四条隆衡の女。嘉禄元年(一二二五)誕生。仁治三年(一二四二)六月女御
...34. おはらむら【小原村】滋賀県:伊香郡/余呉町
日本歴史地名大系
[現]余呉町小原 菅並村の北、高時川上流右岸の山村。鎌倉時代、後嵯峨天皇の第三皇子が当地御所ヶ平に来て小原籠の製法を教えたと伝える。慶長七年(一六〇二)検地帳写 ...
35. 改訂 京都民俗志 59ページ
東洋文庫
しく落ちていて、自然のすがたの水である。土地の旧字をシコブチという。後嵯峨天皇の皇子寛仁法親王がこの傍に住み、桜井宮と称し給うた。都花月名所には桜水とあって、こ ...
36. かくじょほうしんのう【覚助法親王】
日本人名大辞典
1247−1336 鎌倉時代,後嵯峨天皇の第10皇子。宝治(ほうじ)元年生まれ。静忠(じょうちゅう)に師事して京都聖護院にはいる。正元(しょうげん)元年出家し, ...
37. 鎌倉時代画像
日本大百科全書
。 これらの反幕府勢力を結集したのは、後醍醐(ごだいご)天皇による皇権回復の動きであった。後嵯峨天皇ののち、その皇子後深草(ごふかくさ)・亀山(かめやま)両天皇 ...
38. 鎌倉時代
世界大百科事典
は順徳上皇の皇子忠成王を即位させようとしたが,幕府は強硬に反対して強引に土御門上皇の皇子(後嵯峨天皇)を即位させた。土御門上皇が承久の乱の際,討幕に賛成でなかっ ...
39. かまくらじだい【鎌倉時代】
国史大辞典
悪党の行動などは、幕府支配を動揺させつつあった。一方、仁治三年(一二四二)幕府が皇位に干渉して後嵯峨天皇を擁立したことが端緒となって、持明院・大覚寺両統の対立が ...
40. かまくらじだいけんむせいけん【鎌倉時代―建武政権】 : 朝幕関係
国史大辞典
強引に邦仁(後嵯峨天皇)を即位させた。これに対して貴族間に強い反発が見られたのは、なお幕府が皇位選定権を握っていなかったことを示している。順徳上皇の外戚であった ...
41. かめやちょう【亀屋町】京都市:中京区/富有学区地図
日本歴史地名大系
也」とあるから、藤原隆衡・同隆親の第が当町を中心とした方一町にあり(冷泉万里小路殿として)後嵯峨天皇の里内裏、後に同上皇の院御所となったことがわかる。寛永一四年 ...
42. 亀山天皇
世界大百科事典
1249-1305(建長1-嘉元3) 第90代に数えられる天皇。在位1259-74年。後嵯峨天皇の第3皇子,名は恒仁。母は西園寺実氏の娘大宮院姞子。父天皇のはか ...
43. かめやま‐てんのう[‥テンワウ]【亀山天皇】
日本国語大辞典
第九〇代天皇。後嵯峨天皇の皇子。名は恒仁。正元元年(一二五九)即位し在位一五年。譲位後院政をとり、正応二年(一二八九)出家。大覚寺統のはじめ。法名金剛源。建長元 ...
44. かめやまてんのう【亀山天皇】画像
国史大辞典
に竣功した。東側に同形の後嵯峨天皇陵が並んでいる。亀山天皇はかつて本願寺を庇護し勅願寺にしたという寺伝により、修陵の際、東本願寺が報恩のために、当陵と相並ぶ後嵯 ...
45. かめやまてんのうりょう【亀山天皇陵】京都市:右京区/天龍寺門前村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町 天龍寺境内方丈の西北、後嵯峨天皇陵に並ぶ。亀山陵といい、陵内に法華堂が建つ。亀山天皇は後嵯峨天皇第三皇子で、母は西園寺 ...
46. かめやまどのあと【亀山殿跡】京都市:右京区/天龍寺門前村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町付近 後嵯峨上皇が亀山の麓に造営した仙居で、のち亀山上皇(後嵯峨天皇皇子)の仙洞ともなる。嵯峨殿ともいう。「百錬抄」建長七年(一 ...
47. 亀山殿五首歌合/文永二年(著作ID:819750)
新日本古典籍データベース
ん 院御歌合 文永二年九月十三夜亀山殿五首歌合 亀山院歌合 仙洞歌合/文永 仙洞五首歌合 後嵯峨天皇(ごさがてんのう) 一条実経(いちじょうさねつね) 等 歌合 ...
48. かめやまのみささぎ【亀山陵】 : 亀山天皇
国史大辞典
に竣功した。東側に同形の後嵯峨天皇陵が並んでいる。亀山天皇はかつて本願寺を庇護し勅願寺にしたという寺伝により、修陵の際、東本願寺が報恩のために、当陵と相並ぶ後嵯 ...
49. かんさついん【観察院】山口県:下関市/富任村
日本歴史地名大系
富任の北東部、蒲生野との境付近にある。臨済宗東福寺派で善光山と号し、本尊は善光寺如来。寺伝によれば、後嵯峨天皇の勅願で伝宗の開山といい、全国四八ヵ所に善光寺三尊 ...
50. 感身学正記 1 西大寺叡尊の自伝 141ページ
東洋文庫
金剛仏子叡尊感身学正記中後嵯峨天皇治天下四年寛元元年(癸卯)四十三歳二月、去年の約束によって、額安寺学春(善春房)の持仏堂において梵網経下巻古迩を講ず。この間、 ...