1. 光明天皇
日本大百科全書
北朝第2代の天皇(在位1336~48)。名は豊仁(とよひと)。法名真常恵。後伏見(ごふしみ)天皇の第2皇子。母は広義門院寧子(やすこ)。光厳(こうごん)天皇の弟 ...
2. 光明天皇
世界大百科事典
1321-80(元亨1-天授6・康暦2) 北朝第2代の天皇。在位1336-48年。後伏見天皇の第9皇子。名は豊仁。1336年(延元1・建武3)後醍醐天皇に反した ...
3. こうみょう‐てんのう[クヮウミャウテンワウ]【光明天皇】
日本国語大辞典
北朝の第二代天皇。後伏見天皇の第二皇子。名は豊仁(とよひと)。建武三=延元元年(一三三六)足利尊氏に擁立され践祚(せんそ)し、翌年即位。在位一二年で譲位し、院政 ...
4. こうみょうてんのう【光明天皇】画像
国史大辞典
その同母弟豊仁親王を皇位につけた。一方、後醍醐天皇は再起を期していったん京都に還幸したので、光明天皇はこれに太上天皇の尊号をたてまつり、その皇子成良親王を皇太子 ...
5. 光明天皇(こうみょうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 34ページ ...
6. こうみょうてんのう【光明天皇】
日本人名大辞典
1322*−1380 南北朝時代,北朝第2代天皇。在位1336-48。元亨(げんこう)元年12月23日生まれ。後伏見天皇の皇子。母は藤原寧子(広義門院)。光厳( ...
7. 豊仁親王・光明天皇・光明法皇
日本史年表
1336年〈【北朝】建武3・【南朝】延元元(2・29) 丙子〉 8・15 豊仁親王(光明天皇) ,尊氏の奏請により践祚(洞院家記)。 1380年〈【北朝】康暦 ...
8. 光明天皇花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
9. こうみょうてんのうしんき【光明天皇宸記】
国史大辞典
南北朝時代の北朝第二代光明天皇の日記。現在、康永元年(一三四二)正月より十一月に至る一巻と、貞和元年(一三四五)四月より十二月に至る一巻の自筆日記をはじめ、建 ...
10. 後光明天皇
日本大百科全書
第110代天皇(在位1643~54)。名は紹仁(つぐひと)。素鵞宮(すがのみや)と称す。後水尾(ごみずのお)天皇の子。実母は贈左大臣園基任(そのもととう)の女( ...
11. 後光明天皇
世界大百科事典
1633-54(寛永10-承応3) 第110代に数えられる天皇。在位1643-54年。後水尾天皇の皇子で名は紹仁。剛毅な性格で学問を好んだ。はじめ和歌には興味を ...
12. ごこうみょう‐てんのう[ゴクヮウミャウテンワウ]【後光明天皇】
日本国語大辞典
第一一〇代天皇。後水尾天皇の第三皇子。母は壬生院藤原光子。名は紹仁(つぐひと)。寛永二〇年(一六四三)即位。在位一二年。儒学を好み、漢詩にすぐれ、御集「鳳啼集」 ...
13. ごこうみょうてんのう【後光明天皇】画像
国史大辞典
詩文部所収)に収めて伝えられている。→月輪陵(つきのわのみささぎ) [参考文献]三浦周行「後光明天皇の御好学と朝山意林庵」(『史学雑誌』二三ノ四、二九ノ一一) ...
14. 後光明天皇(ごこうみょうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 38ページ ...
15. ごこうみょうてんのう【後光明天皇】
日本人名大辞典
1633−1654 江戸時代前期,第110代天皇。在位1643-54。寛永10年3月12日生まれ。後水尾天皇の第4皇子。母は藤原光子(壬生(みぶ)院)。異母姉明 ...
16. 後光明天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:4件 『後光明天皇と朝山意林庵』三浦周行『正保野史 2冊』矢野玄道, 森磯吉(編)『後光明天皇の御好学と朝山意林庵』三浦周行『後光明天皇の御最期 ...
17. 後光明天皇花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
18. 後光明天皇外記(著作ID:972792)
新日本古典籍データベース
ごこうみょうてんのうがいき 伝記 ...
19. 後光明天皇行幸絵巻(著作ID:4400655)
新日本古典籍データベース
ごこうみょうてんのうぎょうこうえまき 絵巻 ...
20. 後光明天皇御即位次第草(著作ID:4400471)
新日本古典籍データベース
ごこうみょうてんのうごそくいしだいそう 九条道房(くじょうみちふさ) 記録 ...
21. 後光明天皇御名字勘文(著作ID:4401173)
新日本古典籍データベース
ごこうみょうてんのうごみょうじかんもん 東坊城長維(ひがしぼうじょうながこれ) 寛永一九 ...
22. 後光明天皇宣旨写(著作ID:4401174)
新日本古典籍データベース
ごこうみょうてんのうせんじうつし ...
23. 後光明天皇崩御記(著作ID:4400973)
新日本古典籍データベース
ごこうみょうてんのうほうぎょき 源利長(みなもととしなが) 記録 ...
24. 後光明院御製詩集(著作ID:2799)
新日本古典籍データベース
ごこうみょういんぎょせいししゅう 後光明帝御製詩集 後光明天皇御製詩集 鳳啼集 後光明天皇(ごこうみょうてんのう) 漢詩 ...
25. 後光明天皇信
二儒
一 (見出し語:後光明天皇)古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 1452ページ ...
26. 後光明天皇再二興大神宮例幣一 (見出し語:後光明天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第3巻 407ページ ...
27. 後光明天皇即位 (見出し語:後光明天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 561ページ ...
28. 後光明天皇好學 (見出し語:後光明天皇)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 772ページ ...
29. 後光明天皇患二痘瘡一 (見出し語:後光明天皇)
古事類苑
服飾部 洋巻 第1巻 608ページ ...
30. 德大寺公信諫二後光明天皇大酒一 (見出し語:後光明天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 249ページ ...
31. 葬二後光明天皇一 (見出し語:後光明天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 188ページ ...
32. あさやま‐いりんあん【朝山意林庵】
日本国語大辞典
朝山日乗の孫。豊前の細川忠利に仕え、帰京後朝鮮使李文長に朱子学を学んだ。承応二年(一六五三)後光明天皇に「中庸」を講じた。天正一七~寛文四年(一五八九~一六六四 ...
33. あさやまいりんあん【朝山意林庵】
国史大辞典
寛文四年(一六六四)九月二十一日没。七十六歳。京都長講堂に葬る。承応二年(一六五三)二月二日後光明天皇の勅により、布衣にして参内、『中庸』を講じたという。詩文集 ...
34. あさやま-いりんあん【朝山意林庵】
日本人名大辞典
府中藩主の徳川忠長につかえた。この間朝鮮使節李文長に朱子学をまなぶ。承応(じょうおう)2年後光明天皇に「中庸」を講義した。寛文4年9月21日死去。76歳。京都出 ...
35. 朝山意林庵[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:1件 『後光明天皇と朝山意林庵』三浦周行『後光明天皇の御好学と朝山意林庵』三浦周行 ...
36. 足利尊氏画像
日本大百科全書
尊氏を隠遁させるはずもなく、彼の願望は終生を通じての夢でしかありえなかった。11月に、神器を光明天皇に引き渡した後醍醐天皇は、翌月、吉野に逃れて南朝を建てたが、 ...
37. 足利尊氏
世界大百科事典
を受けて大義名分を得,態勢をたて直して再挙東上し,湊川で楠木正成軍を破って入京,光厳上皇の弟光明天皇を立て,建武式目を発布して室町幕府の開設を宣言した。後醍醐天 ...
38. あしかが‐たかうじ【足利尊氏】
日本国語大辞典
賜わって尊氏と称した。元弘の変で六波羅を攻め落として建武の新政に貢献するが、のち背いて持明院統の光明天皇を立てて建武五年(一三三八)八月征夷大将軍となり、室町幕 ...
39. あしかがたかうじ【足利尊氏】画像
国史大辞典
完全に撃破した。七月光厳上皇の弟豊仁(ゆたひと)親王は即位して光明天皇となり、後醍醐天皇は花山院に軟禁され、十一月神器を光明天皇に引き渡し、十二月、吉野に脱出し ...
40. あしかが-たかうじ【足利尊氏】
日本人名大辞典
天皇方に敗れて一時九州にのがれるが,建武3=延元元年楠木正成(まさしげ)をやぶって京にはいり,光明天皇(北朝)を擁立。建武式目を制定,室町幕府をひらいた。2年後 ...
41. あしかがたかうじ【足利尊氏】
日本架空伝承人名事典
を受けて大義名分を得、態勢をたて直して再挙東上し、湊川で楠木正成軍を破って入京、光厳上皇の弟光明天皇を立て、建武式目を発布して室町幕府の開設を宣言した。後醍醐天 ...
42. あしかがただよし【足利直義】画像
国史大辞典
直義に委譲したといわれる点(いずれも『梅松論』)が注目される。翌年九州から東上した尊氏・直義は持明院統の光明天皇を践祚させ、十一月幕府を発足させる。叡山に逃れて ...
43. あんらくぎよういんあと【安楽行院跡】京都市:伏見区/深草村地図
日本歴史地名大系
四日持明院殿が炎上、安楽光院は残ったが破損が激しく、本尊も盗まれるなどして退転。しかし光厳・光明天皇生母広義門院の令旨をもって延文年中(一三五六―六一)律院とし ...
44. いずみのくに【和泉国】大阪府地図
日本歴史地名大系
失脚し、和泉知行国主は関白近衛経忠に替えられたようである。延元元年(一三三六)一一月、尊氏が光明天皇を擁して幕府を開き、翌一二月、後醍醐天皇が吉野に脱出して南朝 ...
45. いちじょうあきよし【一条昭良】
国史大辞典
改めて摂政に任ぜられた。ついで同九年左大臣を辞し、十二年九月昭良と改名、同月摂政を退任したが、後光明天皇の正保四年(一六四七)三月再び摂政に就任、七月関白となり ...
46. 一休和尚年譜 2 60ページ
東洋文庫
受衣しましけるよし申伝へたり」として、その由来を記している。 持明院統歴代の仙洞御所のあった伏見に、光厳・光明天皇が蔵光庵を建立し、その崩御後に禅寺とされ、休翁 ...
47. えどじだい【江戸時代】 : 朝幕関係
国史大辞典
を通して江戸に伺い、細々と行うという条件で容認された。その後、慶安四年(一六五一)二月に、後光明天皇が後水尾上皇に「朝覲の行幸」を行なった。これは内々にことが進 ...
48. 江戸繁昌記 3 164ページ
東洋文庫
尊氏初名は高氏、後醍醐天皇の偏諱を 賜わって尊氏と改名。元弘の乱に六波羅を陥れて功があったが、後叛いて光明天皇を擁立、征夷大将 軍となり、足利幕府の基を開いた ...
49. 榎本弥左衛門覚書 近世初期商人の記録 282ページ
東洋文庫
一~ニキ・西側を通る新道沿いに移転さ せたもの。 八 内裏様廿弐歳にて崩御 『徳川実紀』によれば、後光明天皇、承応三年九月二十日崩御の知 らせがあった。一、 ...
50. えんげん【延元】
日本国語大辞典
二九日改元。後村上天皇の即位により、延元五年(一三四〇)四月二八日、次の興国に代わる。北朝は光明天皇が延元元年の八月に即位。延元三年に暦応と改元。将軍は足利尊氏 ...