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  11. 花園天皇
国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
花園天皇
はなぞのてんのう
一二九七 - 一三四八
一三〇八―一八在位。伏見天皇の第四皇子(一説に第二皇子)。母は左大臣洞院(とういん)実雄の女、顕親門院季子。名は富仁。永仁五年(一二九七)七月二十五日誕生。正安三年(一三〇一)八月十五日、着袴の儀があり、同日親王宣下。同月二十四日、兄後伏見上皇の猶子として、大覚寺統の後二条天皇の皇太子に立てられた。これは父伏見上皇の配慮によるもので、将来後伏見上皇に皇子が生まれた時には、その皇子を富仁親王の猶子として皇統を継承させ、持明院統が二流に分裂することのないように定められていた。延慶元年(一三〇八)八月二十六日、後二条天皇崩御のあとを受けて践祚。時に十二歳。ついで、天皇より九歳年長である大覚寺統の尊治親王(後醍醐天皇)を皇太子とした。同年十一月十六日、太政官庁で即位の儀があり、応長元年(一三一一)正月三日、二条富小路の里亭で元服した。十一年間の在位中、前半は父伏見上皇の、後半は兄後伏見上皇の院政が行われ、文保二年(一三一八)二月二十六日、後醍醐天皇に譲位した。まれに見る好学の君主であった天皇は、上皇となったのち、後伏見上皇から、その皇子で持明院統の次期皇位継承者である量仁親王(光厳天皇)の教育を託され、これに情熱を傾けた。元徳二年(一三三〇)二月に上皇みずから草して親王に与えた『誡太子書』に、上皇の学問に対する基本理念が示されている。建武二年(一三三五)十一月二十二日、法勝寺の円観慧鎮を戒師として落飾。法名を遍行と称した。やがて、それまで御所としていた持明院殿から洛西花園の萩原殿に移り、宗峯妙超・関山慧玄を師として、晩年は禅宗信仰に没頭した。貞和四年(一三四八)十一月十一日、五十二歳で崩ず。花園院と追号され、また萩原院とも呼ばれた。陵は十楽院上陵(京都市東山区)。日記『花園天皇宸記』があり、『玉葉和歌集』以下の勅撰集への入集も多い。
[参考文献]
『大日本史料』六ノ一二 貞和四年十一月十一日条、岩橋小弥太『花園天皇』(『人物叢書』九九)、橋本義彦「『誡太子書』の皇統観」(安田元久先生退任記念論集刊行委員会編『中世日本の諸相』下所収)
(宮崎 康充)

十楽院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)

 京都市東山区粟田口三条坊町、青蓮院と知恩院の間、華頂山の麓の丘上にある。十楽院は青蓮院三院家の一つ。『園太暦』所収『慈厳僧正記』に「於十楽院上山、構山作所奉葬之云々」とある。
(飯倉 晴武)


日本大百科全書(ニッポニカ)
花園天皇
はなぞのてんのう
[1297―1348]

鎌倉末期の天皇(在位1308~18)。伏見(ふしみ)天皇第三皇子。母は藤原季子(顕親門院)。名は富仁(とみひと)。大覚寺(だいかくじ)統・持明院(じみょういん)統の厳しい対立のなかで、兄の後伏見(ごふしみ)天皇の猶子(ゆうし)となり、1301年(正安3)8月皇太子にたち、08年(延慶1)8月践祚(せんそ)、同11月に即位する。在位11年目の18年(文保2)2月に位を大覚寺統の後醍醐(ごだいご)天皇に譲り、太上(だいじょう)天皇となる。35年(建武2)11月、薙髪(ちはつ)して萩原殿に居す。法名遍行。正平(しょうへい)3年11月11日没。両統迭立(てつりつ)の案、いわゆる文保(ぶんぽう)の和談は治世中の文保元年(1317)4月のことである。
 天皇は幼少より学問を好み、歴代天皇の記録や和漢の史書、老荘をはじめ諸子百家にわたって読破したことがその日記にみえる。詩歌を好み『風雅(ふうが)集』を自ら撰(えら)んでいる。また宋(そう)学をよくし、つねに公卿(くぎょう)や近臣を集めて学を講論させ批評指導にあたった。これによって、強識博聞のみを誇る弊風を改め、道の行われんことを期していた。『学道之記』『誡太子書』など王道を説いた著作がある。仏教に通暁し、念仏宗や禅宗に卓見を示したが、とくに禅にひかれ宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)に法を問い、興禅大燈(だいとう)国師の号を与えた。1337年(延元2)には萩原殿を寄進し、妙超の法嗣(はっす)の関山慧玄(かんざんえげん)を開山として妙心寺を開建した。陵墓は京都十楽院上陵。なお天皇の日記は、歴史上重要な記事を多く含む貴重な史料である。
[田中博美]



世界大百科事典
花園天皇
はなぞのてんのう
1297-1348(永仁5-正平3・貞和4)

第95代に数えられる天皇。在位1308-18年。伏見天皇の第3子,母は洞院実雄の女顕親門院藤原季子。名は富仁。大覚寺統,持明院統のきびしい対立の中で,1301年(正安3)大覚寺統後二条天皇のあとをうけるべき持明院統側の人として,急遽,親王とされ,兄後伏見上皇の猶子になり,皇太子に立つ。08年(延慶1)後二条の死とともに即位。その皇太子は9歳年長の尊治(後醍醐天皇)であった。諸社の嗷訴,異国襲来の恐怖など鎌倉末期の不安定な社会情勢の中で,伏見の院政の下にあって,きまじめな花園は災いの責任をみずからの不徳に帰しつつ古典の読書に励んでいるが,京極為兼の失脚,伏見と後伏見の対立,伏見の死など,持明院統の退潮とともに18年(文保2)退位,後醍醐に譲位した。

 病身の花園はしばしば隠居出家しようとしながら果たさず,後宇多の院政を批判,単なる博識や器用な文章を重んずる時流に反発しつつ文字の背後にある〈道義〉を求めて学問に没頭し,天台・真言の教義をはじめ浄土宗にも関心を寄せている。その中で日野資朝を知った花園は,これを通してのちに京都梅津の長福寺開山となった月林道皎を知り,禅宗に傾倒するとともに,資朝を重用する後醍醐の意欲的な政治に強い関心と期待を抱き,22年(元亨2)以後,資朝,菅原公時らと《尚書》の研究会をはじめ,《論語》《毛詩》などにも及んでいる。しかし後醍醐の〈綸旨万能〉の姿勢や宋学の学風に対して花園は批判的で,その《学道之書》に見られるように,博識,風月を排し,正統的な儒教の〈道義〉を追求しつづけ,正中の変(1324)で後醍醐に失望して以後,その態度を一段と強めた。26年(嘉暦1)みずからの猶子とした後伏見の子量仁が皇太子に立つと,その教育に専心,30年(元徳2)《誡太子書》を書き,〈大乱〉の兆す時代の中での君主のとるべき姿勢を説いている。しかしそこで花園の恐れた〈土崩瓦解〉は意外に早く到来,翌年の後醍醐の討幕失敗のあとをうけて即位した量仁(光厳天皇)の大嘗会の無事を喜び,みずから院政にのり出したのも束の間,33年(元弘3)後醍醐の反乱によりその政権は瓦解し,関東に逃れようとした花園は後伏見,光厳とともに捕らえられ,京に送還された。幼少のころから書きつづけてきた日記(《花園天皇日記》)も32年をもって終わっている。

 35年(建武2)出家,法名を遍行という。翌年,建武新政の崩壊により,光厳の院政下,その弟光明天皇が即位したのちも花園は隠棲をつづけたが,光厳による《風雅和歌集》の撰集にはみずからも加わり,仮名・真名の序を書いている。花園はまた絵画を好み,みずからも絵筆をとって日記に絵を描いており,曼殊院本《東北院歌合》はその筆になるという説もある。禅宗への没入はその後も変わらず,宗峰妙超(しゆうほうみようちよう)を師とし,37年(延元2・建武4)大徳寺をその法流に伝えさせた。やがて洛西花園の萩原御所に住み,ここを関山慧玄(かんざんえげん)に管領させた。これが妙心寺である。48年(正平3・貞和4)みずからの子直仁が光厳の猶子として崇光天皇の皇太子となったが,その半月ほど後に,花園は持病の脚気で世を去った。陵墓は京都十楽院上陵。
[網野 善彦]

[索引語]
後醍醐天皇 日野資朝
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18. 花園天皇日記
世界大百科事典
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