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  11. 拾遺往生伝

拾遺往生伝

ジャパンナレッジで閲覧できる『拾遺往生伝』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

拾遺往生伝
しゅういおうじょうでん
大江匡房の『続本朝往生伝』のあとをついで、慶滋保胤の『日本往生極楽記』をふくめ、それまでに遺漏のあった異相往生人の行業を集め、後人への結縁・勧進のために三善為康が撰述した往生伝。『日本拾遺往生伝』ともいう。三巻。巻中・下の序によると、はじめは一巻の予定で巻上が完成したが、その後さらに新しく資料を入手し、巻中・下が逐次編纂され全三巻となったことがわかる。よって各巻の成立時期が異なり、本書全体の成立年代は明確にできないが、各巻の往生人没年の最下限は、巻上で康和元年(一〇九九)、巻中で嘉承二年(一一〇七)、巻下で天永二年(一一一一)である。なお為康はこれに続いて『後拾遺住生伝』三巻も著わしている。本書に記載した往生人は巻上三十人、巻中三十四人、巻下三十一人の計九十五人で、出家者六十八人(僧六十四人・尼四人)、在俗者二十七人(男二十人・女七人)となっているが、僧俗ともに階級のやや低い者の多いのが特徴である。真福寺本は重要文化財。『続群書類従』伝部、『浄土宗全書』続一七、『大日本仏教全書』、『日本往生全伝』三・四、『日本思想大系』七に収められている。→後拾遺往生伝(ごしゅういおうじょうでん)
[参考文献]
『群書解題』四上、重松明久『日本浄土教成立過程の研究』、古典遺産の会編『往生伝の研究』、伊藤唯真編『阿弥陀信仰』(『民衆宗教史叢書』一一)、井上光貞『新訂日本浄土教成立史の研究』、田村圓澄「『往生伝』について」(『日本仏教史』五所収)、魚澄惣五郎「日本往生伝類について」(史学会編『本邦史学史論叢』上所収)、西口順子「往生伝の成立」(『史窓』一七・一八合併号)
(福田 行慈)


日本大百科全書(ニッポニカ)

拾遺往生伝
しゅういおうじょうでん

平安後期の往生伝。3巻。三善為康 (みよしためやす)著。1111年(天永2)以後まもなく成立。書名は、大江匡房 (おおえのまさふさ)『続本朝往生伝』の拾遺の意。『続本朝往生伝』に漏れた往生者(とくに念仏を修することで阿弥陀仏 (あみだぶつ)の浄土に往生した人)95名の略伝を記す。上巻においてはもっぱら僧が、中・下巻においては俗人や女人往生者が取り上げられ、庶民的傾向が著しい。悪人往生者が多いことにも注目されるが、人物造型は類型的で、文学的価値はさほど高くない。『法華験記 (ほっけげんき)』の影響も顕著である。『日本拾遺往生伝』とも称する。

[多田一臣]



世界大百科事典

拾遺往生伝
しゅういおうじょうでん

《続本朝往生伝》の後をうけ,往生者の行業を漢文体で記したもの。三善為康撰。上中下あわせて95人の伝を収める。上・中巻は僧,俗人男子,尼,俗人女子の順,下巻は採訪順に書きつがれ,1111年(天永2)没の大和国阿弥陀房で終わる。国史,別伝,寺院縁起,《法華験記》を素材とし,伝聞にもよっており,地域も広範囲にわたる。とくに先行往生伝が往生者の範疇に加えなかった高僧,持経者,神仙などを加えたのは,浄土行そのものより往生奇瑞の有無によって編者が往生者として扱ったからと思われる。筆録の態度も,質直と慈悲を旨とした念仏者為康の姿勢がつらぬかれている。
→往生伝
[西口 順子]

[索引語]
三善為康
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検索コンテンツ
1. 拾遺往生伝
日本大百科全書
人物造型は類型的で、文学的価値はさほど高くない。『法華験記ほっけげんき』の影響も顕著である。『日本拾遺往生伝』とも称する。多田一臣
2. 拾遺往生伝
世界大百科事典
《続本朝往生伝》の後をうけ,往生者の行業を漢文体で記したもの。三善為康撰。上中下あわせて95人の伝を収める。上・中巻は僧,俗人男子,尼,俗人女子の順,下巻は採訪
3. しゅういおうじょうでん[シフヰワウジャウデン]【拾遺往生伝】
日本国語大辞典
平安後期の仏教書。三巻。三善為康著。天永二年(一一一一)頃成立。「続本朝往生伝」に継ぎ、往生人の結縁・勧進のために従来採録されなかった往生人の伝記を集めたもの。
4. しゅういおうじょうでん【拾遺往生伝】
国史大辞典
それまでに遺漏のあった異相往生人の行業を集め、後人への結縁・勧進のために三善為康が撰述した往生伝。『日本拾遺往生伝』ともいう。三巻。巻中・下の序によると、はじめ
5. 『拾遺往生伝』
日本史年表
1111年〈天永2 辛卯〉 この頃 三善為康撰 『拾遺往生伝』 成るか。
6. 拾遺往生伝(著作ID:3918)
新日本古典籍データベース
しゅういおうじょうでん 日本拾遺往生伝 三善 為康(みよし ためやす) 仏教 伝記 
7. 拾遺往生伝類標(著作ID:222571)
新日本古典籍データベース
しゅういおうじょうでんるいひょう 索引 
8. 後拾遺往生伝
世界大百科事典
三善為康撰。《拾遺往生伝》の完成後ひきつづいてその遺漏を集めたもので,為康の死亡する1139年(保延5)までの間,増補され書きつがれた。75人(重複を除くと73
9. ごしゅういおうじょうでん[ゴシフヰワウジャウデン]【後拾遺往生伝】
日本国語大辞典
三善為康著。保延三~五年(一一三七~三九)頃成立。著者が先に編集した「拾遺往生伝」に採録されなかった人を集めた往生伝。→拾遺往生伝。ゴシューイオージョーデン
10. ごしゅういおうじょうでん【後拾遺往生伝】
国史大辞典
前著の『拾遺往生伝』についで、来世値遇の縁を結ぶために編したものである。僧俗七十三名のうち、もっとも古いのは鑑真、新しいのは保延三年(一一三七)に没した寂念の伝
11. 『後拾遺往生伝』
日本史年表
1133年〈長承2 癸丑〉 この年より保延五年の間 三善為康 『後拾遺往生伝』 成るか。
12. 後拾遺往生伝(著作ID:189139)
新日本古典籍データベース
ごしゅういおうじょうでん 三善 為康(みよし ためやす) 仏教 伝記 
13. 後拾遺往生伝類標(著作ID:189140)
新日本古典籍データベース
ごしゅういおうじょうでんるいひょう 索引 
14. あびしゃ【阿比舎・阿尾奢】
日本国語大辞典
「遍入」と訳す)仏語。子どもの身体に鬼神を入れて、病気の軽重、寿命の長短などを予言させたりする外道の修法。*拾遺往生伝〔1111頃〕下「有〓勅行
15. あみだ‐こう【阿彌陀講】
日本国語大辞典
〔名〕阿彌陀をたたえ、その来迎(らいごう)を願う法会(ほうえ)。迎え講。*後拾遺往生伝〔1137~39頃〕中「亦可〓
16. あみだ‐こう【阿弥陀講】
仏教語大辞典
阿弥陀仏をたたえ、その来迎を願う法会。 →迎講 後拾遺往生伝 中・入道従一位左大臣俊房 「亦可請雲居寺瞻西上人者(略)令行阿弥陀講」
17. あんらくに【安楽尼】
日本人名大辞典
934−1011 平安時代中期の尼僧。承平(じょうへい)4年生まれ。「拾遺往生伝」によれば,伊予(いよ)(愛媛県)天台宗法楽寺に住し,25年間毎日阿弥陀(あみだ
18. いしづくりでら【石作寺】京都市:西京区/灰方村
日本歴史地名大系
元慶寺の僧阿闍梨聖金が石作寺に籠居して一五年間往生の業を修し、長和四年(一〇一五)没したと「拾遺往生伝」などにみえるが、この聖金は「小右記」長和二年正月一二日条
19. いちじょうしかん‐いん[イチジョウシクヮンヰン]【一乗止観院】
日本国語大辞典
延暦寺の旧称、または別称。*拾遺往生伝〔1111頃〕上「廿年十一月、於〓一乗止観院
20. いん‐じん【印信】
日本国語大辞典
〔名〕密教で、阿闍梨(あじゃり)が秘法伝授の証として弟子に与える文書。*拾遺往生伝〔1111頃〕下「凡生前度者一百卅一人、受法者十有六人、蒙
21. 宇治拾遺物語 309ページ
日本古典文学全集
横川において大威徳法によって平将門の調伏を修し、将門の首がまもなく入京することを予言している。『拾遺往生伝』『元亨釈書』などによれば、浄蔵は、陀羅尼、修験、悉曇
22. 宇治拾遺物語 477ページ
日本古典文学全集
与えようともしなかった処遇に対する反発からの皮肉も込められていよう。物の怪による悩乱が去って。『拾遺往生伝』では、この物の怪の正体を天狗道に落ちた紀僧正真済の霊
23. えいかんどう【永観堂】京都市:左京区/南禅寺門前地図
日本歴史地名大系
ために禅林寺では永観を当寺の中興の祖となし、のち永観堂の呼称が一般化した。なお永観については「拾遺往生伝」巻下・「本朝高僧伝」巻一一・「元亨釈書」巻五などに伝記
24. 栄花物語 112ページ
日本古典文学全集
「十月ばかり」は誤り。「今夜、中将雅通卒ス時行更ニ発ス、ト云々」(小右記)。『大日本国法華経験記』『拾遺往生伝』『今昔物語集』などに往生の説話が載る。雅通は倫子
25. え‐しん【依身】
日本国語大辞典
〔名〕仏語。身体。生あるものは身体をより所とし、また目、耳なども身体をより所とするところからいう。*拾遺往生伝〔1111頃〕上「常願曰、以〓此依身
26. えぶみじ【江文寺】京都市:左京区/井出村
日本歴史地名大系
京都市左京区大原の金毘羅山(旧称江文山)の山腹にあったと伝える寺。創建の由来は明らかでないが、「後拾遺往生伝」に大治五年(一一三〇)没の参議藤原為隆によって「鞍
27. おうじょういん【往生院】大阪府:東大阪市/旧枚岡市地区/六万寺村地図
日本歴史地名大系
が、天慶年間(九三八―九四七)炎上。平安後期に念仏道場として安助により復興されたという。「拾遺往生伝」の安助伝によれば、河内国高安郡の川瀬吉松なる老人が安助に帰
28. 往生伝
日本大百科全書
先例とするものが少なくない。院政期以後、大江匡房おおえのまさふさ『続本朝往生伝』、三善為康みよしためやす『拾遺往生伝』などが相次いで編纂へんさんされたが、『続本
29. 往生伝
世界大百科事典
を撰した。続いて平安時代末期までに大江匡房(まさふさ)《続本朝往生伝》,三善為康《拾遺往生伝》《後拾遺往生伝》,〓禅《三外
30. おうじょう‐でん[ワウジャウ‥]【往生伝】
日本国語大辞典
平安中期ごろの慶滋保胤の「日本往生極楽記」が最初。以後、大江匡房の「続本朝往生伝」、三善為康の「拾遺往生伝」「後拾遺往生伝」など鎌倉中期ごろまで集中的につくられ
31. おうじょうでん【往生伝】画像
国史大辞典
また嘉永四年(一八五一)僧純が著わした『日本往生伝和解』のような注釈書や平安時代の往生伝について『拾遺往生伝細目』『拾遺往生伝類標』などの索引類が作られた。別表
32. おうじょう‐でん【往生伝】
仏教語大辞典
平安中期ごろの慶滋保胤の『日本往生極楽記』が最初。以後、大江匡房の『続本朝往生伝』、三善為康の『拾遺往生伝』『後拾遺往生伝』など鎌倉中期ごろまで集中的につくられ
33. おうじょう‐にん【往生人】
仏教語大辞典
「仰願一切往生人等、善自思量己能」 2 極楽に往生した人。往生者とも。 後拾遺往生伝 中・序 「目視耳聴往生人、先拾遺往生伝九十五人、後拾遺往生伝上巻二十人、都
34. 往生要集 1 日本浄土教の夜明け 354ページ
東洋文庫
『往生要集』の第六章「臨終のときの作法」の条の、とくに最後のくだりを説かせたといわれる(『拾遺往生伝』下巻、『三外往生記』)し、源頼義の三男、入道前刑部丞源義光
35. 往生要集 1 日本浄土教の夜明け 377ページ
東洋文庫
しかしこのほかには保胤の『日本往生極楽記』の後をついで、大江匡房の『続本朝往生伝』、三善為康の『拾遺往生伝』、『後拾遺往生伝』、沙弥蓮禅の『三外往生記』、藤原宗
36. おおがたぐん【大県郡】大阪府:河内国
日本歴史地名大系
院所労劇帳(同文書)、常世連については「続日本紀」宝亀八年四月一四日条、大狛連については「拾遺往生伝」上(ここには「大狛」とのみみえるが、もと大狛連と推定)、大
37. おかもとごう【岡本郷】滋賀県:近江国/浅井郡
日本歴史地名大系
〓」とある。また「拾遺往生伝」には「鹿菅太、失其名、江州浅井郡岡本郷住人也」とみえる。郷域は「延喜式」神名帳に記す「岡本
38. かいじょう【開成】
国史大辞典
七二四―八一 奈良時代の僧。神亀元年(七二四)生まれる。摂津弥勒寺(勝尾寺、箕面市粟生)開基として『拾遺往生伝』に次のようにみえる。彼は桓武天皇の子で(桓武天皇
39. かく‐ご【覚語】
日本国語大辞典
〔名〕仏語。よく知らないことをよく知っているかのごとく語ること。*拾遺往生伝〔1111頃〕下「自〓
40. か‐じょう[クヮジャウ]【花城・華城】
日本国語大辞典
〔名〕町のにぎやかなところ。繁華街。*拾遺往生伝〔1111頃〕中「幼離〓郷土
41. かつおじ【勝尾寺】
国史大辞典
勒寺と称し、第六代座主行巡が清和太上天皇不予を祈祷で治し、勝尾寺と改称されたというのは(『拾遺往生伝』『応頂山勝尾寺古流記』)、寺史を飾る説話であるが、寺の成立
42. かまどじんじや【竈門神社】福岡県:太宰府市/内山村
日本歴史地名大系
たとえば高明は大山寺に住し(続本朝往生伝)、持経僧正範(拾遺往生伝)、安尊(後拾遺往生伝・本朝高僧伝)らは内山寺の僧としてみえる。「拾遺往生伝」には内山別所の山
43. がんごうじ【元興寺】画像
国史大辞典
改装された。今日の極楽坊の形態はここに起因するといってよい。保延四年(一一三八)ごろの『後拾遺往生伝』には、当時極楽坊で百ヵ日念仏講が営まれていたことを伝え、建
44. きびつじんじゃ【吉備津神社】岡山県:岡山市/旧賀陽郡地区/宮内村
日本歴史地名大系
からの社家に、藤井氏・堀家(堀毛)氏・河本氏などがある。藤井氏が中央の文献にみえる初例は「拾遺往生伝」のなかである。寛治四年(一〇九〇)、備中吉備津宮の神官に藤
45. くらまがいじえんぎ【鞍馬蓋寺縁起】
国史大辞典
軍藤原利仁・藤原在衡の霊験を記す。一巻。内容の一部は『扶桑略記』延暦十五年(七九六)条、『拾遺往生伝』巻下の峯延項、『古事談』などにみえる。原縁起は火災で焼失。
46. くらまでら【鞍馬寺】京都市:左京区/鞍馬寺門前地図
日本歴史地名大系
東寺(教王護国寺)十禅師の逢延が、伊勢人の孫峰直の帰依をうけて鞍馬寺根本別当となってより(拾遺往生伝)、真言宗の公寺となったといわれ、天永年間(一一一〇―一三)
47. ぐ‐がん[‥グヮン]【愚願】
日本国語大辞典
〔名〕愚かな願い。愚か者の自分がもつ願い。浄土教などで、往生したいという自分の願いを謙遜していう語。*拾遺往生伝〔1111頃〕「唯望此新生之聖衆達、遙照
48. ぐんしょるいじゅう【群書類従】
国史大辞典
一九三 本朝神仙伝・入唐五家伝 一九四 法華験記 一九五 仁和寺諸師年譜 一九六 拾遺往生伝 一九七 後拾遺往生伝 一九八 三外往生記 一九九 本朝新修往生伝
49. 源信
世界大百科事典
骨観》1巻(1011),《阿弥陀経略記》1巻(1014)など70余部150巻ある。なお《後拾遺往生伝》平維茂条に記されているように,早くから来迎図の創始者とみら
50. げんしん【源信】
日本架空伝承人名事典
『白骨観』一巻(一〇一一)、『阿弥陀経略記』一巻(一〇一四)など七〇余部一五〇巻ある。なお『後拾遺往生伝』平維茂条に記されているように、早くから来迎図の創始者と
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