改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧
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ゲバラ(改訂新版・世界大百科事典)
ラテン・アメリカが生んだ傑出した革命家の一人で,その理論と実践はラテン・アメリカのみならず世界中に大きな影響を及ぼした。アルゼンチンのロサリオ市で中流家庭に生まれ,1945年,ブエノス・アイレス大学の医学部に入学,53年に学位を得た。子どものときから喘息の発作に苦しめられ,それは死ぬまで続いた。
本能寺の変(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天正十年(一五八二)六月二日、明智光秀が京都四条西洞院の本能寺に織田信長を急襲して自刃させた反逆事件。備中高松城を囲んでいた豊臣秀吉からの戦況報告で織田・毛利両軍の全面的対決を決意した信長は五月十七日、徳川家康の供応にあたっていた光秀にも出陣を命じた。すぐに光秀は本拠近江坂本城に帰り
明智光秀(国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
安土桃山時代の武将。明智氏は美濃の名門土岐氏の庶流とされているが、光秀の出自や素性は詳らかでない。通称十兵衛。越前で朝倉義景に仕えたらしいが、永禄十一年(一五六八)七月足利義昭が朝倉氏のもとから織田信長を頼って美濃に赴いたとき、光秀は細川藤孝とその工作をしたらしく
三奇橋(改訂新版・世界大百科事典)
日本の古橋の中でとくに構造的に変わったものとしてあげられてきた岩国(山口県)の錦帯橋,甲斐(山梨県)の猿橋,黒部(富山県)の愛本橋をいう。愛本橋の代りに木曾の桟あるいは祖谷(徳島県)のかずら橋を入れる説もあるが,桟はけわしい崖に沿って板をかけ渡した橋で,構造的には上述の諸橋ほどの特色はない。
応神天皇(改訂新版・世界大百科事典)
第15代に数えられる天皇。仲哀天皇の皇子,母は息長足姫(神功皇后)。諱は誉田別という。ただ《古事記》には,大鞆和気ともあり,胎中天皇とも称された。《日本書紀》によると,仲哀天皇は西征のさなかに没し,皇后が三韓に遠征したさいにはすでに胎内にあり,遠征から帰ったのち,筑紫で生まれたという。
在原業平(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
平安初期の歌人。六歌仙,三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。826年,阿保親王の上表によってその子仲平・行平・業平らに在原の姓が下された。業平は五男の在原であったので在五と呼ばれ,権中将となったため在五中将とも呼ばれた。
違憲立法審査制度(改訂新版・世界大百科事典)
立法行為をはじめとする国家の諸機関の行為について,それが憲法に適合するか否かを審査し,違憲の場合にはその行為を無効と宣言する権限を裁判所に与える制度。司法審査制とか法令審査制ともいう。国家の最高法規である憲法が国家機関によって侵害されるのを防ぐために設けられる憲法保障の制度の一つであり
ワイマール憲法(世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
第1次大戦後のドイツ革命によってドイツ帝政は崩壊し,それに代わっていわゆるワイマール共和国が成立した。1919年1月19日の総選挙によって選ばれた国民議会が,2月6日チューリンゲンの小都市ワイマールに新しい憲法の制定を主要任務として召集され,7月31日にドイツ共和国憲法Reichsverfassungを可決した。
聖霊降臨祭(改訂新版・世界大百科事典)
キリスト教の教会暦で復活祭に次ぐ祭日の一つ。聖霊降臨のできごとは,キリストの復活のできごとから50日目,旧約の五旬祭の日に起こったので,キリスト者にとってこのできごとを記念する日が聖霊降臨祭となった。《使徒行伝》の第2章にも書かれているように,この日使徒の説教によって,多くの人が洗礼を受け
復活祭(改訂新版 世界大百科事典・日本大百科全書)
典礼暦年と移動祝祭日の中心をなすキリスト教の教会暦における最大の祭日。英語ではイースターといい,これは春の女神(元来は夜明けの女神)を意味するチュートン語に由来するといわれる。復活祭から聖霊降臨祭までの期間を復活節と呼ぶが,とくに復活徹夜祭をもって盛大に祝う。
クリスマス(改訂新版・世界大百科事典)
イエス・キリストの降誕記念日。クリスマスは英語でキリストChristのミサmassの意味。〈Xmas〉と書く場合のXは,ギリシア語のキリスト(クリストス)ΧΡΙΣΤΟΣの第1字を用いた書き方である。フランスではノエルNoël,イタリアではナターレNatale,ドイツではワイナハテンWeihnachtenという。また,12月25日を
万聖節(改訂新版・世界大百科事典)
キリスト教のすべての聖人を記念する祝日。カトリック教会では〈諸聖人の祝日〉と呼ぶ。また一般にハローマスHallowmas(hallowはアングロ・サクソン語で〈聖人〉の意)とも呼ばれる。西方教会では11月1日,東方教会では聖霊降臨祭後の最初の日曜日に祝う。この祝日は4世紀に東方教会で始まり,しだいに西欧に伝わったが
節供(句)(改訂新版・世界大百科事典)
年中行事を構成する日。年に何回かある重要な折りめのことで,基本的には神祭をする日である。迎えた神に神饌を供して侍座し,あとで神人共食することによってその霊力を身につけようとするもので,氏神祭や正月,盆も重要な節供といえよう。小豆粥を食べる正月15日を粥節供,あとで神人共食することによって
大和物語(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典・全文全訳古語辞典・日本古典文学全集)
平安時代中期の歌物語。作者不明。成立は951年(天暦5)ごろ現存本168段あたりまでほぼ成立、以後『拾遺集』成立(1005ころ~07ころ)ごろまでに169段から173段まで、および他にも部分的な加筆があるらしい。内容は173段にわたる歌語りの集成で
紀貫之(改訂新版・世界大百科事典)
平安前期の歌人,文学者,官人。貫之5代の祖,贈右大臣船守は,桓武天皇の革新政策をたすけて平安遷都に力を尽くした偉材であったし,祖父本道の従弟有常は在原業平とともに文徳天皇第1皇子惟喬親王を擁して,北家藤原氏と皇位継承権を争ったほどの輝かしい歴史をもっていた紀氏であったが
歌物語(改訂新版・世界大百科事典)
平安中期の物語の一様式をあらわす文学用語。語彙としては二義あり,一つは早く《栄華物語》(〈浅緑〉)にもみえ,歌にまつわる小話の意で,当時〈うたがたり〉と呼ばれた口承説話とほぼ同一内容のものと思われる。二つは近代に入ってからの新しい用法で,《竹取物語》《宇津保物語》などを〈作り物語〉と古くから呼んできたのに対して
覚猷(国史大辞典・世界大百科事典)
一〇五三-一一四〇平安時代後期天台宗の高位の僧で画事にも詳しい。天喜元年(一〇五三)生まれる。父は源隆国で宇治大納言と称し、『宇治大納言物語』の作者。覚猷は宇治大僧正覚円(関白藤原頼通の子)の弟子で、鳥羽の証金剛院(鳥羽殿御堂)に住したため鳥羽僧正と
山東京伝(国史大辞典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
一七六一-一八一六 江戸時代後期の戯作者・浮世絵師。本名岩瀬醒、通称京屋伝蔵、別号醒斎・醒世老人・菊亭・菊軒など、画号北尾政演、狂号身軽折輔。宝暦十一年(一七六一)八月十五日江戸深川の質屋伊勢屋伝左衛門の長子として生まれる
恋川春町(国史大辞典・世界大百科事典)
一七四四-八九。江戸時代中・後期の戯作者。駿河小島藩一万石松平家の臣。本名は倉橋格、通称寿平、狂歌名は酒上不埓、寿山人とも号す。筆名は藩邸のある小石川春日町にかけ、また浮世絵師勝川春章の名に似せたものである。延享元年(一七四四)生まれる。二十歳の時に伯父倉橋忠蔵の養嗣子となって
国譲り神話(改訂新版・世界大百科事典)
大国主神が葦原中国を天照大神に献上した次第を語る神話。諸々の異伝があるが,《古事記》によると,葦原中津国平定のために高天原からは,はじめに天菩比神(天穂日命)が遣わされるが,オオクニヌシと親しみ3年たっても復命しない。次に天若日子(天稚彦)が遣わされるが,オオクニヌシの娘下照比売と結婚して
太安麻呂(改訂新版・世界大百科事典)
奈良初期の官人。《古事記》の編纂者。姓は朝臣。安万侶とも記す。壬申の乱に天武天皇側で活躍した武将多品治の子という伝えもある。《続日本紀》によれば,704年(慶雲1)従五位下,711年(和銅4)正五位上,715年(霊亀1)従四位下に叙せられ,翌年氏長となった。没したときには民部卿であった。
天照大神(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神,大日孁貴,天照大日孁尊などとも呼ばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では,その誕生譚,素戔嗚尊との誓約生み,天の岩屋戸,国譲り神話などの諸神話に登場する。〈皇祖神〉アマテラス《古事記》によれば
本居宣長(世界大百科事典)
本居宣長もとおりのりなが1730-1801(享保15-享和1)江戸中期の国学者。伊勢国松坂に生まれる。旧姓は小津氏,のち先祖の姓に復し本居を称する。幼名を富之助というが,何度か改名している。生家は松坂木綿を手広くあきない,江戸にも出店を
難太平記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
応永九年(一四〇二)二月、今川了俊(貞世)の著作。自筆本は知られない。『国書総目録』は十九部の諸本をあげており、承応改元のころの書写にかかる京都大学谷村文庫本が年記のある諸本中最古のもの。述作の根本精神は今川家の顕彰・保持にあり、そのために自分を含めた
随筆(世界大百科事典)
随筆ずいひつ文芸ジャンルの一つであるが,その内容や表現様式は多様である。心の赴くにまかせて,なにくれとなく筆録されたものであり,文章はおおむね断片的かつ短文で,全体の組織構成,順序次第にはとらわれず,自分の見聞や身辺雑事,感懐や
琵琶法師(改訂新版・世界大百科事典)
琵琶を伴奏にして叙事詩を語った盲目の法師形の芸能者。7世紀末ころに中国より伝来した琵琶は,管絃の合奏に用いられる一方,盲僧と結んで経文や語り物の伴奏楽器とされた。《今昔物語集》には琵琶にすぐれた宇多天皇の皇子敦実親王の雑色蟬丸が,盲目となって逢坂山に住んだが,そのもとに源博雅が3年間通って秘曲を伝授される話を
慈円(国史大辞典・世界大百科事典)
一一五五-一二二五。鎌倉時代前期の天台宗の僧。初名道快、諡慈鎮、無動寺法印・吉水僧正とよばれた。久寿二年(一一五五)四月十五日生まれる。父は関白藤原忠通、母は藤原仲光の女加賀。同母兄に兼実・道円・兼房ら、異母兄に基実・基房・覚忠らがあった。二歳で母に、十歳で父に別れ、権中納言藤原経定の未亡人に養われた。
平曲(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『平家物語』の詞章を琵琶の伴奏で弾き語りする語物の一種。「平家琵琶」「平語」ともいう。室町時代まで盲人演奏家によって伝承され、江戸時代以降は晴眼者で演奏する者も現れた。 [シルヴァン・ギニアール]歴史と流派。13世紀初めに雅楽・声明・盲僧琵琶の三者を源流として成立。
北村季吟(国史大辞典・世界大百科事典)
一六二四-一七〇五江戸時代前期の俳人、歌人、古典研究家。名は静厚、通称久助、慮庵・七松子・拾穂・湖月亭などの号がある。寛永元年(一六二四)十二月十一日生まれた。近江野洲郡北村(滋賀県野洲郡野洲町北)出身。祖父宗竜は医学を曲直瀬道三に、連歌を里村紹巴に
清少納言(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
清少納言せいしょうなごん966?‐1025?(康保3?‐万寿2?)平安中期の女流文学者。父は歌人の清原元輔で、元輔五九歳の子という。実名は不明。「清少納言」は女房名で、「清」は清原姓、「少納言」は近縁の誰かの官職名と思われる。