改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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難太平記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
今川貞世(了俊)の著作。1402年(応永9)2月,了俊78歳のとき成立した。題名は《太平記》を批判するという意味である。しかし,これは後人の命名で,了俊の意図がそこにあったわけではなく,父範国から聞いた今川氏の歴史や応永の乱時の了俊の立場を子孫に伝え
随筆(世界大百科事典)
随筆ずいひつ文芸ジャンルの一つであるが,その内容や表現様式は多様である。心の赴くにまかせて,なにくれとなく筆録されたものであり,文章はおおむね断片的かつ短文で,全体の組織構成,順序次第にはとらわれず,自分の見聞や身辺雑事,感懐や
琵琶法師(改訂新版・世界大百科事典)
琵琶を伴奏にして叙事詩を語った盲目の法師形の芸能者。7世紀末ころに中国より伝来した琵琶は,管絃の合奏に用いられる一方,盲僧と結んで経文や語り物の伴奏楽器とされた。《今昔物語集》には琵琶にすぐれた宇多天皇の皇子敦実親王の雑色蟬丸が,盲目となって逢坂山に住んだが,そのもとに源博雅が3年間通って秘曲を伝授される話を
慈円(国史大辞典・世界大百科事典)
1155-1225(久寿2-嘉禄1)平安時代末,鎌倉時代初頭の僧侶,歌人。《愚管抄》の著者。摂関藤原忠通の子。母は藤原仲光の娘加賀局。兄の基実,基房,兼実は摂関,兼房は太政大臣になった。生まれた翌1156年(保元1)に保元の乱が起こったが,乱の原因をつくった忠実は慈円の祖父
平曲(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
琵琶を弾きながら,《平家物語》の文章を語る語り物音楽。〈平家琵琶〉〈平家〉〈平語(へいご)〉ともいわれたが,最近は〈平曲〉の名称が一般的である。歴史起源には諸説あるが,なかでも有力視されているのは《徒然草》の記述で,それによると,後鳥羽院の時代に天台
北村季吟(国史大辞典・世界大百科事典)
江戸前期の歌学者,俳人。名は静厚(しずあつ)。通称は久助。別号は蘆庵(呂庵),七松子,拾穂軒(しゆうすいけん),湖月亭。山城国粟田口の生れ。祖父宗竜・父宗円が連歌をよくした影響で,早くから文事に親しみ,16歳で貞室,22歳で貞徳に入門。1648年処女
清少納言(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
平安中期の女流文学者。父は〈梨壺の五人〉の一人として有名な歌人清原元輔,祖父(曾祖父ともいう)深養父(ふかやぶ)も清少納言自身も中古歌仙三十六人に数えられる和歌重代の家柄。父の友人には源順,大中臣能宣ら漢詩文や和歌に達者な一流人物が多く,元輔の末娘は
大伴家持(世界大百科事典)
奈良時代の政治家,歌人。安麻呂の孫,旅人の子。橘諸兄政権下に内舎人として出身し,745年(天平17)1月,正六位上から従五位下に叙される。この昇叙の記事が《続日本紀》に家持の名の見える最初である。746年3月宮内少輔,同年6月越中守に任ぜられ,751
万葉仮名(国史大辞典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
《万葉集》に用いられた仮名の意。片仮名,平仮名に対して,真仮名(まがな)ともいう。広い意味では,漢字一つ一つを本来の表意文字としてではなく,日本語の表音のために借り用いる用法のすべてを含めていう。狭い意味では,そのうちの漢字1字が日本流の1音節を表す
柿本人麻呂(世界大百科事典)
《万葉集》の歌人。生没年,経歴とも不詳ながら,その主な作品は689-700年(持統3-文武4)の間に作られており,皇子,皇女の死に際しての挽歌や天皇の行幸に供奉しての作が多いところから,歌をもって宮廷に仕えた宮廷詩人であったと考えられる。
孝徳天皇(改訂新版・世界大百科事典)
第36代に数えられる天皇。在位645-654年。名は軽皇子。皇極女帝の同母弟で,父は舒明天皇の弟の茅渟王,母は欽明天皇の孫の吉備姫王。《日本書紀》や《大織冠伝》には,中臣鎌足が皇室中の人材を求めて天皇に接近し,天皇がこれを厚く待遇した話がみえるが,《上宮聖徳太子伝補闕記》によれば
伏見稲荷大社(日本歴史地名大系・改訂新版 世界大百科事典)
京都市伏見区に鎮座。伏見稲荷として知られ,単に稲荷大社ともいう。東に稲荷山を負い西に鴨川を控え,京都から伏見・淀方面に至る交通の要衝に位置する。全国3万余に上る稲荷神社の総本社で旧官幣大社。祭神は宇迦之御魂(うかのみたま)(下社),佐田彦大神(中社)
出雲大社(改訂新版・世界大百科事典)
島根県出雲市の旧大社町に鎮座。大国主神をまつる。《延喜式》では名神大社。旧官幣大社。杵築大社,杵築社,杵築宮ともいう。古代の出雲では熊野,杵築,佐太,能義の各社が〈大神〉とされていたが,中でも,出雲国造の本拠地である意宇平野の熊野大社と簸川平野の北西の杵築大社とが,厚い尊信をうけていた。
大統領制(日本大百科全書・世界大百科事典)
広い意味では,大統領を元首とする統治形態をいう。古くは,君主が名実ともに国家を代表するのが普通であったし,君主が政治的実権を失っても,形式的に国家を代表するのは君主である場合が多かった。しかし,君主制が廃止されて共和制になると,これまでの君主に代わっ
厳島神社(改訂新版・世界大百科事典)
広島湾南西部に浮かぶ厳島(広島県廿日市市,旧宮島町)に鎮座。市杵島姫命,田心姫命,湍津姫命をまつる。旧官幣中社。祭神〈伊都岐島神〉は,811年(弘仁2)名神に列し四時幣に預かり,神階は867年(貞観9)従四位上に昇叙。《延喜式》で名神大社に列し,のち安芸国の一宮となる。平安時代末
第一次世界大戦(国史大辞典・世界大百科事典)
戦争の発生戦前の国際秩序第1次大戦は19世紀以来の世界秩序の崩壊を意味する歴史上最初の世界戦争であるから,その背景はかなりさかのぼって考えてみる必要がある。19世紀ヨーロッパの国際秩序を維持する原理はイギリス,フランス,プロイセン,オーストリア
ナチス(世界大百科事典)
ドイツの政党。正称は国民社会主義ドイツ労働者党Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei(NSDAP)。国家社会主義ドイツ労働者党とも訳す。ナチスという呼称は,国民社会主義者Nationalsozialistの略称ナチNaziの複数形である。
太平洋戦争(国史大辞典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
1941年12月8日から45年9月2日にかけて日本と連合国とのあいだで戦われた戦争。戦況戦争の原因太平洋戦争は満州事変および日中戦争とともに十五年戦争と総称され,十五年戦争の第3段階にあたり,かつ第2次世界大戦の重要な構成要素をなす戦争である
端午(改訂新版・世界大百科事典)
中国にはじまり,朝鮮,日本でも行われる旧暦5月5日の節供。中国 蒲節,端節,浴蘭節などともいう。〈端〉は〈初〉の意味で,元来は月の最初の午の日をいった。十二支の寅を正月とする夏暦では,5月は午の月にあたり,〈午〉が〈五〉に通じることや陽数の重なりを重んじたことなどから,3世紀,魏・晋以後
重陽(世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
9月9日の節供。陽数(奇数)の極である9が月と日に重なることからいい,重九(ちようきゆう)ともいう。中国行事の渡来したもので,邪気を避け,寒さに向かっての無病息災,防寒の意味もあった。菊花宴ともいい,685年(天武14)を起源とするが,嵯峨天皇のときには,神泉苑に文人を召して詩を作り,宴が行われていることが見え
七草(世界大百科事典・日本国語大辞典・日本大百科全書・国史大辞典)
七種とも書き,春の七草と秋の七草がある。春の七草〈せり,なずな,ごぎょう,はこべら,ほとけのざ,すずな,すずしろ,これや七草〉とうたわれたように,これらを春の七草と称し,この,ごぎょうはハハコグサ,はこべらはハコベ,ほとけのざはタビラコ,すずなはカブ,すずしろは大根とされる
雑節(改訂新版・世界大百科事典)
現在,国立学校設置法4条1項により,暦書編製を行うことになっている東京天文台では,毎年2月1日付の官報に翌年の暦象要項を発表している。その雑節の項には四季の土用,節分,春秋の彼岸,八十八夜,入梅,半夏生,二百十日の日付が記載されている。
彼岸(改訂新版・世界大百科事典)
春分・秋分を中日として,その前後おのおの3日にわたる1週間を〈お彼岸〉と称し,この期間に寺院では彼岸会という法会を行い,信者は寺に参詣し,説法を聴聞,また墓参などをする。このような習俗はインド,中国にもみられず,日本にしかない。彼岸の語はふつうサンスクリットpāramitā(波羅蜜多)の訳〈到彼岸〉の略とされ
社日(改訂新版・世界大百科事典)
中国において社(土地神)を祭る祝日をいう。一般に春秋2回行われるが,その日は時代によって異なる。唐代には,立春(立秋)後,第5番目の戊(つちのえ)の日である。村人たちはみな仕事を休んで叢林中の祠に集まり,酒肉をそなえた後,その供え物で飲み食いし,一日を楽しんだ。神楽(かぐら)も盛んに奏された。
半夏生(改訂新版・世界大百科事典)
雑節の一つ。夏至から11日目で,太陽暦では7月2日ごろ。このころ〈半夏〉(カラスビシャク)という名の毒草が生えるのでこの名が生まれたという。全国的に農繁期の一応の終了期とされている。ハンゲハンゲなどの語呂合せで〈半夏半毛〉〈半夏半作〉などといい,この日までに田植を終わらないと秋の実りが遅れて
二百十日(世界大百科事典・日本国語大辞典)
暦の雑節の一つ。立春の日から数えて210日目の日。9月1日ごろになる。220日目の二百二十日とともに,台風が来襲する厄日とされ,この日を中心にして風の害を防ぐための風祭(かざまつり)を行う風習があった
群書類従(世界大百科事典)
塙保己一編の叢書。正編1270種530巻666冊,続編2103種1150巻1185冊からなる日本最大の叢書。正編は,1779年(安永8)に保己一がその編纂・出版のため,天満宮に心経百万巻読誦の誓願をしてから,1819年(文政2)に全冊の刊行を終えるまで,実に41年の歳月を費やした
松平定信(国史大辞典・世界大百科事典)
松平定信まつだいらさだのぶ1758-1829(宝暦8-文政12)江戸後期の幕府老中。寛政改革を推進した中心人物。8代将軍徳川吉宗の孫,父は三卿の田安宗武。幼名を賢丸,号は楽翁,花月翁,風月翁など。儒者大塚孝綽に師事して幼時より学問に励み
一条戻橋(日本歴史地名大系・世界大百科事典)
一条戻橋いちじょうもどりばし説話文学の名所。京都一条通堀川に架かる橋。現在,京都市上京区堀川下之町。この地は古代・中世を通じて京域の境であった。橋は平安京造都のときから存在したと思われるが,後にここが橋占(はしうら)(橋)をする
太平記(国史大辞典・世界大百科事典・日本古典文学全集・日本国語大辞典)
50年にわたる南北朝動乱の歴史を描いた軍記物語。40巻。成立と作者南北朝動乱期の不安な世情をよく写している《洞院公定(とういんきんさだ)日記》の応安7年(1374)5月3日条に,(1)〈小島法師〉が4月28日か29日に死んだこと,(2)彼は最近広く
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