1. 松平定信
日本大百科全書
江戸後期の大名。寛政(かんせい)の改革を断行した老中。宝暦(ほうれき)8年12月27日江戸で生まれる。田安宗武(たやすむねたけ)の七男で、8代将軍吉宗(よしむね ...
2. 松平定信
世界大百科事典
1758-1829(宝暦8-文政12) 江戸後期の幕府老中。寛政改革を推進した中心人物。8代将軍徳川吉宗の孫,父は三卿の田安宗武。幼名を賢丸,号は楽翁,花月翁, ...
3. まつだいら‐さだのぶ【松平定信】
デジタル大辞泉
[1759〜1829]江戸後期の大名。田安宗武の七男。陸奥(むつ)白河藩主松平定邦の養子。号、楽翁。天明7年(1787)老中首座となり、寛政の改革を断行。著「花 ...
4. まつだいら‐さだのぶ【松平定信】
日本国語大辞典
江戸中期の白河藩主。田安宗武の子。吉宗の孫。白河藩主定邦の養子となる。号は、白河楽翁。田沼意次の弊政のあと老中となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気 ...
5. まつだいらさだのぶ【松平定信】
国史大辞典
一七五八―一八二九 江戸時代後期の将軍補佐兼老中。幼名は賢丸、字は貞卿、号は旭峯・楽翁・風月翁・花月翁など。徳川(田安)宗武の第三子(八代将軍徳川吉宗の孫)。 ...
6. 松平定信
日本史年表
幕府、 松平定信 を老中に任じる(続実紀)。 1788年〈天明8 戊申〉 3・4 幕府、老中 松平定信 を将軍補佐とする(続実紀)。 1793年〈寛政5 癸丑〉 ...
7. まつだいら-さだのぶ【松平定信】
日本人名大辞典
1759*−1829 江戸時代中期-後期の大名。宝暦8年12月27日生まれ。徳川吉宗の孫。田安宗武(むねたけ)の7男。松平定邦(さだくに)の婿養子となり,天明3 ...
8. 松平定信[文献目録]
日本人物文献目録
斑』江間政発『松平定信と浮世絵』-『松平定信と蝦夷地開港』井野辺茂雄『松平定信と神武の道』板沢武雄『松平定信とその時代』児玉幸多『松平定信入閣事情』菊池謙二郎『 ...
9. Matsudaira Sadanobu 【松平定信】
Encyclopedia of Japan
1759−1829 Daimyo of the Shirakawa domain (now part of Fukushima Prefecture) and ...
10. 松平定信儉約 (見出し語:松平定信)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 79ページ ...
11. 松平定信撰二老中心得十九條一 (見出し語:松平定信)
古事類苑
官位部 洋巻 第3巻 181ページ ...
12. nbsp;松平定信爲二德川幕府輔佐一 (見出し語:松平定信)
古事類苑
官位部 洋巻 第3巻 168ページ ...
13. 松平定信矯二正惡癖一 (見出し語:松平定信)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 271ページ ...
14. 松平定信自誡 (見出し語:松平定信)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 182ページ ...
15. 祭二松平樂翁一 (見出し語:松平定信)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1353ページ ...
16. 松平定信蔵書印[図版]
国史大辞典
白河文庫 桑名文庫 楽亭文庫 白河 桑名 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
17. 亜欧堂田善
日本大百科全書
須賀川(すかがわ)に生まれる。染物業のかたわら僧月僊(げっせん)に絵を学ぶが、領主の白河城主松平定信(さだのぶ)に画才をみいだされ、自分より若い谷文晁(ぶんちょ ...
18. 亜欧堂田善
世界大百科事典
なむ堂号である。陸奥国(現,福島県)須賀川の生れ。染物業のかたわら僧月僊に絵を学び,白河城主松平定信に見いだされ谷文晁に師事した。のち定信から銅版画(エッチング ...
19. あおうどう‐でんぜん【亜欧堂田善】
デジタル大辞泉
岩代(いわしろ)の人。本名、永田善吉。画僧月僊(げっせん)・谷文晁(たにぶんちょう)に師事、松平定信の御用絵師となる。江戸で洋風画法や銅版画を学び、江戸名所風景 ...
20. あおうどうでんぜん【亜欧堂田善】
国史大辞典
先祖は伊勢の御師という。天明五年(一七八五)伊勢で画僧月僊に画技の手ほどきを受け、寛政六年(一七九四)領主松平定信に画才を見出され、命によって谷文晁の門に入り、 ...
21. あおたむら【青田村】福島県:安達郡/本宮町
日本歴史地名大系
沼幸彦は「石井考」を書き、岩井の清水が、歌に詠まれた「あさかのいはゐ」であることを論証、同年松平定信が陸奥塩竈明神へ社参の折、和歌二首を寄せている。霊泉として領 ...
22. あおやまただやす【青山忠裕】
国史大辞典
翌年寺社奉行を兼ね、同八年には西ノ丸若年寄に進んだ。文化元年(一八〇四)、先に尊号事件によって失脚した松平定信のあと老中となった。文政十年(一八二七)将軍徳川家 ...
23. 秋山記行・夜職草 228ページ
東洋文庫
中心とした戦記文学の一。『甫庵太閤記』五巻は太閤記物の祖といわれ、本書も江戸時代成立の一書。き松平越中守松平定信(一七五八i一八二九)。奥州白河藩主、隠居後白河 ...
24. あねがさきむら【姉崎村】千葉県:市原市地図
日本歴史地名大系
りくりするよう命じられている(菊間家文書)。文化八年(一八一一)房総海岸の防備状況を巡見した松平定信は姉崎に宿泊し木更津方面に向かっている(狗日記)。同じ頃富津 ...
25. あまのたくも【蜑の焼藻】
国史大辞典
』にならって本書を著わした。上下二冊。寛政十年(一七九八)に成った。記事は、田沼時代の世相、松平定信老中就任の事情、寛政の改革の経緯から、定信や矢部定謙・中川忠 ...
26. あらいしょうじゅうろう【荒井庄十郎】
国史大辞典
源内没後は桂川家に移り、その業を助け、朽木昌綱の地理学研究にも助力した。ついで会津藩に仕え、松平定信に仕えた石井庄助がドドネウスの『草木譜』を訳出した際、その助 ...
27. あわぐん【安房郡】千葉県
日本歴史地名大系
など周辺一九村に助郷を触出したため出入となっている(根岸家文書)。房総沿岸の警備は、文化七年松平定信がその任に当たって以降、郡域の浜方には関連の施設が置かれ、諸 ...
28. 安房国
世界大百科事典
新兵衛による捕鯨が名高い(関東漁業開発)。幕末に及んで海防問題が起こり,1792年(寛政4)松平定信の房総豆相海岸巡視にはじまり,1810年(文化7)白河・会津 ...
29. あわのくに【安房国】千葉県地図
日本歴史地名大系
〔海防と動員態勢〕近世の対外的危機に対する海岸防備方針を実現するかたちで、江戸幕府は文化七年二月陸奥白河藩主松平定信を安房・上総両国の、陸奥会津藩主松平容衆を相 ...
30. 飯坂温泉
日本大百科全書
福島市にある温泉。鎌倉時代にすでに利用されていたとみられ、松尾芭蕉(ばしょう)や白河(しらかわ)藩主松平定信(さだのぶ)らも入湯したという。摺上(すりかみ)川の ...
31. いいざかおんせん【飯坂温泉】福島県:福島市/旧飯坂町地区/上飯坂村
日本歴史地名大系
ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す」などと記している(おくのほそ道)。寛政一二年(一八〇〇)白河藩主松平定信が当地を訪れ「温泉あしからず」などと記している(退閑 ...
32. いがだにむら【伊賀谷村】兵庫県:豊岡市
日本歴史地名大系
村高は九五石余が九六石余に計り増しとなり、争論中に丹後久美浜代官所元締役の非道を正すとして老中松平定信に駕籠訴した庄屋平右衛門は隠岐へ流された(同文書)。 ...
33. いけだ-はるまさ【池田治政】
日本人名大辞典
寛延3年1月10日生まれ。池田宗政の長男。宝暦14年備前岡山藩主池田家5代となる。寛政の改革時に老中松平定信が発した倹約令にしたがわず,「越中(定信)に越されぬ ...
34. いしい‐しょうすけ【石井庄助】
日本国語大辞典
江戸中期の蘭学者。名は当光。明和八年(一七七一)小通詞末席となり、のち江戸に出て松平定信に仕える。稲村三伯、宇田川玄随らにオランダ語を教授。稲村三伯の「ハルマ和 ...
35. いしいしょうすけ【石井庄助】
国史大辞典
天明六年(一七八六)大槻玄沢の長崎遊学の帰途に同行して江戸に出た。その後、石井庄助と改名し、陸奥国白河藩主松平定信に仕えた。また玄沢の懇請により、玄沢の門人稲村 ...
36. いしい-しょうすけ【石井庄助】
日本人名大辞典
天明6年辞職して大槻玄沢(おおつき-げんたく)に同行して江戸にでる。石井恒右衛門,ついで庄助と改名し,松平定信につかえる。稲村三伯(さんぱく),宇田川玄随らにオ ...
37. 石川島
世界大百科事典
左衛門重次の所領となってこの島名で呼ばれ,また八左衛門島ともいった。1790年(寛政2)老中松平定信は,火付盗賊改の長谷川平蔵に命じ,島を埋め立てて人足寄場を建 ...
38. 石山寺縁起
日本大百科全書
15世紀前半)との伝承をもつが、いずれも確かでない。第6、7巻は江戸時代1805年(文化2)松平定信(さだのぶ)の命によって谷文晁(ぶんちょう)が新写したもの。 ...
39. 石山寺縁起
世界大百科事典
巻は飛鳥井雅章(1611-79)の詞書だけで,絵はなかったが,江戸時代,1805年(文化2)松平定信の命で谷文晁が絵を補ったもの。このように鎌倉・室町・江戸の代 ...
40. いずしちとうしまかいしょ【伊豆七島島会所】
国史大辞典
き銀一匁を冥加金として上納させるのにとどまり、田沼意次の失脚もあって結局は失敗に終っている。松平定信も島問屋の独占に対してはきびしい態度で臨んでいるが、かれの退 ...
41. 伊豆国
世界大百科事典
問題がもち上がると,江戸湾防備上重大な立地をなす伊豆は再び注目され,1793年(寛政5)老中松平定信が伊豆東海岸を巡視したのをはじめ,1808年(文化5)鉄砲方 ...
42. いずのくに【伊豆国】静岡県
日本歴史地名大系
を経て静岡県に所属、明治一一年東京府に移管された。〔幕末の情勢〕「海国兵談」に刺激された老中松平定信の海岸見分は伊豆国を騒がせるに十分であった。文化年間(一八〇 ...
43. いずみじんやあと【泉陣屋跡】福島県:いわき市/旧磐城市地区/泉村
日本歴史地名大系
となった忠籌は、三度の大坂加番役を勤め藩財政の改革を断行。寛政一〇年(一七九八)老中となり、松平定信の寛政の改革に参画した。農業施策の一つに越後奉公人があり、文 ...
44. 泉藩
日本大百科全書
後の経世学者佐藤信淵(のぶひろ)がその著『経済要録』のなかで賞賛している。忠籌のこの財政再建策が老中松平定信(さだのぶ)に買われ、87年若年寄、翌年側用人(そば ...
45. いずみはん【泉藩】
国史大辞典
入部し、一万五千石を領した。忠如の子忠籌は、天明七年(一七八七)若年寄、翌八年側用人となり、松平定信の寛政の改革をたすけ、寛政二年(一七九〇)には老中格に昇進。 ...
46. いたこやむら【板小屋村】福島県:岩瀬郡/天栄村
日本歴史地名大系
羽鳥村の端郷で、鶴生村(現西郷村)から甲子山を越えて北上し当村に至る樵路があった(白河風土記)。松平定信の「退閑雑記」に「湯小屋村・板小屋村なんどという深き山里 ...
47. いなばみちくに【稲葉通邦】
国史大辞典
あげた。門人の松岡牡鹿輔に復原研究させた箙の図録『本朝軍器考玉箒』の題辞は高く評価され、その図は松平定信の『集古十種』に再録されている。『雫抄』『腹巻製作弁』な ...
48. 稲村三伯
日本大百科全書
ois Halma(1653―1722)の蘭仏辞典により、オランダ通詞(つうじ)出身で白河藩主松平定信(さだのぶ)に仕える石井恒右衛門(旧名馬田清吉)の翻訳、協 ...
49. いのがたむら【猪方村】東京都:狛江市地図
日本歴史地名大系
周囲三〇間ほどの塚が三ヵ所(久保塚古墳・清水塚古墳などか)存在していた(風土記稿)。文化一四年当村に松平定信の筆になる「万葉集」東歌の一首「多麻河泊爾左良須 ...
50. いんばぬま【印旛沼】千葉県:印旛郡地図
日本歴史地名大系
していた村の一つであった。寛政三年(一七九一)には印旛郡布鎌新田(現栄町)中組重右衛門が老中松平定信の役人衆に宛てて沼の新開発を願出て、香取郡滑川村(現下総町) ...