改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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ルノワール(日本大百科全書・世界大百科事典)
フランス印象派の画家。リモージュに仕立屋の息子として生まれる。一家はまもなくパリに出,13歳のときから陶器の絵付師としての修業をし,のちに家具や扇子にロココ風の装飾をして生計を立てる。21歳のとき,エコール・デ・ボザール(国立美術学校)の生徒となり
エジソン(世界大百科事典)
アメリカの発明家,電気技術者。二重電信機,スズ箔蓄音機,カーボンマイクロホン,白熱電球,映画,アルカリ蓄電池,謄写印刷機などを発明,または改良したことで非常に著名である。貧しい材木商兼穀物商の家に生まれ,小学校には数ヵ月しかいかずに母親から教育を受け
ショパン(日本大百科全書・世界大百科事典)
ポーランドの作曲家,ピアニスト。フランス人を父に,ポーランド人を母に,ワルシャワ近郊に生まれた。4歳からピアノを習い,8歳で公開演奏をするほどの進歩をみせたが,型にはまらない自由な指導を受け,ほとんど独学でピアノ演奏の技術を身につけた。J.S.バッハ
山本周五郎(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
小説作者。山梨県生れ。本名清水三十六(さとむ)。横浜市西前小学校卒業後,東京木挽町の山本周五郎商店(きねや質店)の徒弟となり正則英語学校に学んだ。関東大震災で罹災,文学の新天地を関西に求め地方新聞記者,雑誌記者を体験して帰京後《日本魂》編集者となった
長篠の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
1575年(天正3)5月21日に織田信長,徳川家康の連合軍が武田勝頼の軍を三河の設楽原(したらがはら)(現,愛知県新城市)で破った合戦。武田信玄の没後,家康が長篠城を取り返したので,勝頼は前年に遠江高天神(たかてんじん)城を陥れた勢いに乗り,75年
姉川の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
1570年(元亀1)6月28日,近江国野村・三田村(現滋賀県長浜市,旧浅井町)付近の姉川河原で織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉景健(朝倉義景の属将)連合軍を撃破した戦い。同年4月信長は越前の朝倉氏を攻撃したが,近江小谷(おだに)城の妹婿浅井
武田勝頼(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
甲斐の戦国大名。信玄の四男。母は諏訪頼重の娘。1573年(天正1)父の死で家を継ぎ,翌年には遠江高天神城を攻め落とし威勢を張ったが,75年織田・徳川の連合軍との三河長篠の戦に大敗し勢力を弱めた。以後勢力挽回に努めたが効果があがらず,82年織田信長
松平広忠(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
戦国時代の三河国の武将。清康の子で徳川家康の父。通称次郎三郎,法名道幹。守山崩れで清康が殺された後,一族の桜井松平信定に岡崎城を追放され,今川義元の後援で37年に復帰。41年刈谷城主水野忠政の女於大(おだい)(伝通院)をめとり,翌年家康が誕生したが
築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の室。今川氏の一族関口義広(一説に親永)の女で今川義元の姪。1556年(弘治2)家康に嫁し信康,亀姫を生む。62年(永禄5)岡崎に迎えられ,駿河御前とも,居住地築山にちなみ築山殿とも称された。70年(元亀1)家康が浜松城移転後は別居。79年
春一番(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
冬から春に移る時期(通常は立春過ぎ)に,初めて吹く暖かい南寄りの強風。通常,冬型の気圧配置がくずれ,温帯低気圧が日本海を発達しながら北東に進むときに吹き,春の訪れを告げるが,その後,寒冷前線が通過して急に寒さがぶり返すことが多い。しばしば海および山で
雛人形(世界大百科事典)
雛祭に飾る人形。節供人形ともいう。平安時代には,小さな紙人形でままごと遊びをする〈ひいな〉遊びがあった。またこれとは別に,季節の変り目に神に供御(くご)(飲食物)を供えて身体の安泰を願う信仰があり,それを節供といった。3月上巳(じようし)(最初の巳
神曲(集英社世界文学大事典・世界大百科事典)
中世末期からルネサンスにかけてのイタリアの大詩人ダンテの代表作。全1万4233行からなる叙事詩。1302年に故郷フィレンツェを追放されてから,流浪の生活のなかで07年ころから書き始めて最晩年に完成した。原題は《喜劇Commedia》(〈悲劇〉に対して
聖書(集英社世界文学大事典・世界大百科事典)
ユダヤ教,キリスト教の聖典。英語のバイブルBibleなど,西欧語での聖書の呼称はギリシア語のビブリアbibliaに始まる。この語は紙の原料となるパピルスの茎の内皮を指すビブロスbiblosの指小辞ビブリオンbiblion(ビブリアは複数形)に由来し,小冊子や書物の一部という普通名詞
アイルランド文学(集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
19世紀の末に,イェーツやグレゴリー夫人らがアイルランド文芸復興運動をおこし,演劇の分野を中心に,積極的な活動を展開した。その目標は,イギリス文学の伝統を脱して,古代ケルト精神に復帰し,アイルランドの神話,伝説,歴史,文化,民衆の生活感情,風土風物
現象学(文庫クセジュ・集英社世界文学大事典・世界大百科事典)
18世紀に,ギリシア語のphainomenonとlogosの2語を結びつけて造語されたドイツ語Phänomenologieの訳語。この語ははじめ物理学の領域で,運動論の一部門--われわれの外感に現れるかぎりでの物質の運動を扱う部門--を指すために使われ,その後も19世紀末のマッハ
連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
(1)能《石橋(しやつきよう)》の小書(こがき)(変型演出の名)。観世流は〈大獅子(おおじし)〉と称する。常の演出では後ジテの獅子の役は1人で,赤頭(あかがしら)を着けるが,この小書の演出では,白頭の獅子(シテ)と赤頭の獅子(ツレ)が相舞(あいまい)
(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎狂言。時代物。1幕。初世市川団十郎初演の演目の一部に〈しばらく,しばらく〉と声をかけて登場し,悪人を追い散らす場面があった。初演は1692年(元禄5)正月江戸森田座の《大福帳朝比奈百物語》というが,現存の狂言本で,その内容をつかめるのは97年の
狩野探幽(国史大辞典・世界大百科事典)
江戸初期の画家で江戸狩野の確立者。狩野孝信の長男で,永徳の孫にあたる。幼名采女(うねめ),名は守信。1635年(寛永12)に剃髪して探幽と号した。時の政権の動きに機敏に対応して勢力を伸ばしてきた狩野派は,徳川幕府の成立とともに江戸への進出を図り,幕府
春日局(国史大辞典・世界大百科事典)
徳川家光の乳母。お福ともいう。父は明智光秀の重臣斎藤利三,母は稲葉通明の女。従兄稲葉重通の養女となり,その養子正成に嫁し,正勝ら4男を生む。のち正成と離別して大奥に仕え,1604年(慶長9)家光の誕生にともなってその乳母となる。後年,家光・忠長兄弟の
和泉式部(国史大辞典・世界大百科事典)
平安中期の女流歌人。生没年不詳。越前守大江雅致の女。母は越中守平保衡の女。和泉式部は女房名で,江式部,式部などとも呼ばれた。すぐれた抒情歌人として知られ,《和泉式部集》正・続1500余首の歌を残し,《和泉式部日記》の作者として名高い。《後拾遺集》を
ガンディー(日本大百科全書・世界大百科事典)
インドの政治指導者,思想家。〈バープー(父)〉〈マハートマー(偉大な魂)〉と称され,インド人大衆に親しまれた。カーティアーワールKāthiāwār半島の小藩王国ポールバンダルの大臣の長男として生まれた。4年間のロンドン留学で弁護士資格を得て1891年
シューベルト(日本大百科全書・世界大百科事典)
オーストリアの作曲家。初等学校を経営するモラビア出身の父フランツと,母エリーザベトの第4子としてウィーン市外のリヒテンタールに生まれた。早くから楽才を示し,11歳で王室礼拝堂の少年聖歌隊員に採用され,国立神学校で音楽教育を受けた。彼はすでにこの時期に
モーツァルト(世界大百科事典)
18世紀古典派を代表するオーストリアの作曲家。生涯当時は独立したカトリック大司教領だったザルツブルクに生まれた。父親は大司教ジークムント・フォン・シュラッテンバハに仕える音楽家レオポルト・モーツァルトであった。レオポルトは南ドイツの町アウクスブルクに
スタンダール(デジタル版 集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
フランスの小説家。本名アンリ・ベールHenriBeyle。地方都市グルノーブルの富裕なブルジョア家庭の生れ。7歳で母を失い,父や家庭教師に代表されるブルジョア的偽善を憎みつつ反抗的な少年時代を送る。数学に優れたため,16歳でパリに出て,名門校受験の
セザンヌ(世界大百科事典)
フランスの画家。後期印象派を代表する一人。印象主義の決定的な影響を受けるが,そのあまりに感覚的で,しまりのない画面にあきたらず,〈印象主義を,美術館の美術のように堅固で持続性のあるものにする〉ことを目ざし,自然を前にした際の,刻々と変化する〈感覚
小谷の方(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
織田信長の妹。名は市。〈お市の方〉とも呼ぶ。はじめ近江小谷城主浅井長政に嫁し3女をもうけるが,浅井氏滅亡後娘たちとともに織田氏のもとに帰り,のち柴田勝家に再嫁する。1583年4月24日,羽柴(豊臣)秀吉に攻められ,越前北ノ庄にて勝家とともに自害した。
松平信康(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
徳川家康の長男。母は築山殿,関口氏。幼名竹千代,通称岡崎三郎。駿府で生まれ,60年(永禄3)家康自立により母子ともに今川氏真に抑留されたが,人質交換で62年岡崎に迎えられた。67年織田信長の女徳姫と結婚。70年(元亀1)家康の浜松城移転後元服して岡崎
榊原康政(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
近世初期の武将。通称小平太。式部大輔に任じた。はじめ酒井忠尚の家臣で,1560年(永禄3)岡崎に帰城した徳川家康に属し近臣となった。三河一向一揆に初陣,家康の一字を与えられ,永禄末年に旗本一手の軍団を指揮する部将に取り立てられた。以後,徳川氏の5ヵ国
駅伝競走(日本大百科全書・世界大百科事典)
道路上のコースをいくつかの区間に分け,各走者がたすきを手渡しながら合計タイムを争う長距離のチーム対抗リレー競走。1917年,遷都50年記念として京都三条大橋から東京・上野不忍池間508kmを23区間に分け,4月27日から3日間で走った東西対抗の
浮世風呂(国史大辞典・日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
滑稽本。4編9冊。式亭三馬作。北川美丸(よしまる)・歌川国直画。前編1809年(文化6),二編10年,三編12年,四編13年刊。外題,内題は〈諢話(おどけばなし)浮世風呂〉。前編と四編が男湯,二編と三編が女湯の世界である。《浮世床》とともに三馬の滑稽
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