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改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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後深草天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
寛元元年(一二四三)六月十日今出川殿で生まれ、二十八日久仁と命名、親王に立てられた。同四年正月四歳で践祚、父の後嵯峨上皇が院政を行なった。康元元年(一二五六)十一月母の妹公子(東二条院)が入内、翌正嘉元年(一二五七)正月中宮となった
後嵯峨天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一二二〇 - 七二一二四二―四六在位。名は邦仁。承久二年(一二二〇)二月二十六日誕生。土御門天皇の第三皇子。母は参議源通宗の女で典侍の通子(贈皇太后)。翌三年の承久の乱の結果、父の土御門上皇が土佐(のち阿波)に流されて以後は母の叔父の
順徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一九七-一二四二 一二一〇―二一在位。諱は守成(もりなり)。後鳥羽天皇の第二(または第三)皇子として建久八年(一一九七)九月十日卯刻に生誕した。生母は、従三位式部少輔藤原範季を父とする重子(のち修明門院)、乳母は又従兄弟
土御門天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一九五-一二三一 一一九八―一二一〇在位。諱は為仁。後鳥羽天皇の第一皇子。母は内大臣源通親女の在子(のち承明門院)、実は法印能円の女ともいう。建久六年(一一九五)十一月一日(または十二月二日)生まれる。同九年正月十一日、四歳で践祚
後鳥羽天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一八〇-一二三九 一一八三―九八在位。高倉天皇の第四皇子。母は修理大夫坊門信隆の娘殖子(七条院)。治承四年(一一八〇)七月十四日、五条町の亭に生まれた。この年五月には平氏打倒の兵を挙げた以仁王が敗死し、六月には遷都があって祖父後白河法皇
安徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
一一七八-八五 一一八〇―八五在位。治承二年(一一七八)十一月十二日高倉天皇の第一皇子として誕生。母は平清盛の女の中宮平徳子(のちの建礼門院)。諱は言仁。十二月八日親王宣下をうけ、十二月十五日皇太子となる。時に生後一ヵ月余
高倉天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一六一-八一 一一六八―八〇在位。後白河天皇の第四皇子。諱は憲仁。母は贈左大臣平時信の女建春門院滋子。応保元年(一一六一)九月三日生誕。永万元年(一一六五)十二月親王宣下、翌仁安元年(一一六六)十月立太子。同三年二月十九日六条天皇
後白河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一二七-九二 一一五五―五八在位。大治二年(一一二七)九月十一日、三条殿で誕生。鳥羽上皇第四皇子。母は権大納言藤原公実の娘、待賢門院璋子。同年十一月雅仁と命名、親王宣下。近衛天皇の死去に伴い、久寿二年(一一五五)七月二十四日
崇徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一一九-六四 一一二三―四一在位。諱は顕仁。元永二年(一一一九)五月二十八日、鳥羽天皇の第一皇子として誕生。母は藤原公実の女、皇后璋子(待賢門院)。保安四年(一一二三)正月二十八日、曾祖父白河法皇の意向により、父天皇の禅りを受け五歳で践祚し
鳥羽天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一一〇三-五六 一一〇七―二三在位。堀河天皇の第一皇子。母は大納言藤原実季の女、贈皇太后苡子である。康和五年(一一〇三)正月十六日、左少弁藤原顕隆の五条邸に誕生、その年六月親王宣下あり、宗仁と命名され、八月には早くも皇太子に立った
堀河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇七九-一一〇七 一〇八六―一一〇七在位。白河天皇の第二皇子。母は関白藤原師実の養女、皇后賢子(実父は右大臣源顕房)。承暦三年(一〇七九)七月九日誕生。同年十一月親王宣下あり、善仁と命名。応徳三年(一〇八六)十一月二十六日立太子
白河天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇五三-一一二九 一〇七二―八六在位。諱は貞仁。天喜元年(一〇五三)六月十九日、皇太子尊仁親王(後三条天皇)の第一王子として誕生。母は権中納言藤原公成の女、贈皇太后茂子である。茂子の養父で、関白藤原頼通の異母弟である春宮大夫能信の庇護のもとに成長し
後三条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇三四-七三 一〇六八―七二在位。諱は尊仁(たかひと)。長元七年(一〇三四)七月十八日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第二王子として誕生。母は三条天皇の皇女禎子内親王(陽明門院)。同九年父親王の践祚後間もなく親王宣下をうけ
仁徳陵(改訂新版 世界大百科事典・現代用語の基礎知識)
大阪府堺市堺区大仙町に所在する大型前方後円墳。全長486m,後円部径249m,後円部高35m,前方部幅305m,前方部高34mを測る。外周に三重の濠がめぐり,葺石(ふきいし)をそなえ,墳丘および中堤に埴輪を樹立する。梅原末治の算出によれば
三条天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一〇一一―一六在位。貞元元年(九七六)正月三日、冷泉天皇の第二皇子として誕生。母は藤原兼家の女超子。諱は居貞。天元元年(九七八)十一月二十日、親王宣下。寛和二年(九八六)七月十六日、十一歳で兼家の南院第において元服。同日、立太子
花山天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
九八四―八六在位。諱は師貞(もろさだ)。出家ののち入覚と号した。冷泉天皇の第一皇子、母は太政大臣(一条摂政)藤原伊尹の女の女御懐子。安和元年(九六八)十月二十六日誕生、同二年八月十三日立太子、永観二年(九八四)八月二十七日叔父円融天皇
村上天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第62代天皇(在位946~967)。醍醐(だいご)天皇第14皇子。名は成明(なりあき)、母は太政(だいじょう)大臣藤原基経(もとつね)の女(むすめ)穏子(おんし)。朱雀(すざく)天皇の同母弟。944年(天慶7)19歳で皇太子となり、946年禅を受け即位
醍醐天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八九七―九三〇在位。仁和元年(八八五)正月十八日、宇多天皇の第一皇子として誕生。母は内大臣藤原高藤娘贈皇太后胤子。諱は維城、のち敦仁。寛平元年(八八九)親王宣下、同五年立太子、同九年七月三日、十三歳で元服、同日宇多天皇の譲位で践祚
宇多天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八八七―九七在位 貞観九年(八六七)五月五日、光孝天皇の第七皇子として誕生。母は桓武天皇皇子仲野親王の女班子女王、諱は定省(さだみ)。元慶年間(八七七―八五)侍従となり王侍従と称された。同八年四月十三日
陽成天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八七六―八四在位。貞観十年(八六八)十二月十六日、清和天皇の第一皇子として染殿院に誕生。母は藤原長良の女の女御高子。諱は貞明(さだあきら)。同十一年二月一日、清和天皇の皇太子となり、同十八年十一月二十九日
清和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八五八―七六在位。文徳天皇の第四皇子。母は藤原良房の女明子。諱は惟仁。嘉祥三年(八五〇)三月二十五日、良房の一条第で生まれ、同年十一月二十五日第一皇子で紀名虎の女の生んだ惟喬親王を越えて皇太子となり、天安二年(八五八)八月二十七日に
文徳天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第55代天皇(在位850~858)。仁明(にんみょう)天皇の第一皇子。母は藤原冬嗣(ふゆつぐ)の娘順子(じゅんし)。諱(いみな)は道康(みちやす)。承和(じょうわ)の変(842)で皇太子恒貞(つねさだ)親王が廃されたので、かわって皇太子となり
仁明天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八三三―五〇在位。弘仁元年(八一〇)、嵯峨天皇の第一皇子として誕生。母は橘清友の女嘉智子。諱は正良(まさら)。弘仁十四年四月、叔父にあたる淳和天皇の皇太子に立った。時に十四歳。天長十年(八三三)二月二十八日
淳和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八二三―三三在位。延暦五年(七八六)桓武天皇の第三皇子として生まれた。母は藤原百川の女、旅子。諱は大伴。弘仁元年(八一〇)九月の薬子の変のため、同月十三日に皇太子高岳親王が廃されたので同日中務卿から皇太弟となり、同十四年四月十六日嵯峨天皇
嵯峨天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
八〇九―二三在位。平安時代初期の天皇。諱は賀美能(神野)。桓武天皇と皇后藤原乙牟漏との間に、延暦五年(七八六)九月七日生まれ、三品中務卿を経て、大同元年(八〇六)五月十九日同母兄平城天皇の皇太弟となり、同四年四月一日受禅した
平城天皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
第51代とされる天皇(在位806~809)。名は安殿(あて)。桓武(かんむ)天皇の長子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。785年(延暦4)皇太弟早良(さわら)親王が藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に座して廃されたあと、皇太子となり、806年(大同1)即位
桓武天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七八一―八〇六在位。天平九年(七三七)天智天皇の孫の白壁王(光仁天皇)の長子として誕生。母は高野新笠。諱は山部。乳母の山部子虫の姓氏によったと考えられる。天平宝字八年(七六四)十月、従五位下を授けられ、天平神護二年(七六六)十一月
光仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七七〇―七八一在位。和銅二年(七〇九)十月十三日、天智天皇の皇子施基(しき)親王の第六子として誕生。母は贈太政大臣紀諸人の女橡(とち)姫。諱は白壁。天平九年(七三七)九月無位より従四位下、同十八年四月従四位上、天平宝字元年(七五七)
淳仁天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
七五八―六四在位。諱は大炊(おおい)。天武天皇の孫、舎人親王の第七子。母は当麻山背。天平五年(七三三)生まれる。藤原仲麻呂の男真従の未亡人粟田諸姉を娶って仲麻呂の田村第に住んだが、天平勝宝八歳(七五六)聖武上皇が崩ずると
聖武天皇(日本大百科全書(ニッポニカ)・改訂新版 世界大百科事典)
第45代とされる天皇(在位724~749)。名は首(おびと)、法号勝満(しょうまん)。文武(もんむ)天皇の第1皇子、母は藤原不比等(ふじわらのふひと)の女(むすめ)宮子(みやこ)。文武が崩じたとき幼少で即位できず、祖母元明(げんめい)
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