改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧
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八雲御抄(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉前期の歌論。順徳天皇著。承久の乱(1221)ころ原形が成った草稿本と,加筆訂正して藤原定家に書き送られた精撰本とがある。歌の種類や制約(正義部),歌合や撰集の先例(作法部),歌に詠むべきことば(枝葉部),歌やことばの解釈(言語部),歌論(用意部)

東関紀行(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉時代の紀行。1巻。著者には古来,鴨長明,源光行,源親行などがあてられたが,確証はなく,不詳。京都東山に住む50歳近い著者が,1242年(仁治3)の鎌倉への旅のありさまを,道中の歌枕にちなむ故事などを豊富におりまぜて,歌とともに記したもの。文章は,

撰集抄(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代の説話集。編者未詳。13世紀後半の成立か。9巻。序に〈新旧のかしこきあとを撰(えら)びもとめける言の葉を書き集め,撰集抄と名づけて,座の右に置いて,一筋に知識とたのまむとなり〉とあり,生き方の指針となる書として編まれた。編者による説話の批評・

高麗茶碗(世界大百科事典)
朝鮮半島で焼かれた茶の湯の茶碗の総称。高麗茶碗とはいうが,そのほとんどは李朝時代に焼かれたもので,高麗時代までさかのぼるものはわずかである。室町時代末に侘茶が流行するようになって賞玩され,桃山時代には茶の湯茶碗の主流となった。高麗茶碗は大別すると,一

竪穴住居(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
地面を直接掘りくぼめて床とし,そこへ屋根をかけた半地下式の住居。穴居生活の跡として考えられていた横穴に対して,1800年代の終りころに名付けられた。この種の住居は,夏は涼しく,冬は保温に富み暖かである利点がある反面,土間が湿潤になりやすい欠点がある。

貝塚(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
過去の人々が貝類を採取し食べた後に捨てた貝殻が堆積してできた遺跡。貝殻の炭酸カルシウムによる土壌中和作用の結果,通常残りにくい人骨・獣骨などがよく保存されるため,当時の人々の食糧・生活や環境の復元に有効な資料が得られる。日本の貝塚日本では2000ヵ所

縄文土器(日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
縄文時代に行われた土器の総称。その名はE.S.モースが1877年に発掘した大森貝塚発見の縄目文様をもつ土器をcordmarkedpotteryと説明したことに由来する。縄文式土器,縄紋土器と同義であるが,貝塚土器,アイノ式土器,石器時代土器などとよば

三内丸山遺跡(国史大辞典・世界大百科事典)
青森市の中央部を流れて青森湾に注ぐ沖館川の右岸台地上に営まれた,縄文時代前期中ごろから中期末までを中心とした大規模な集落跡。1992年から県運動公園の整備に伴う大規模な事前発掘が実施され,94年7月になって重要性が認識され,遺跡の保存が決定した。20

橿原神宮(改訂新版・世界大百科事典)
奈良県橿原市に鎮座。神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命をまつる。社地は畝傍山の東南にあたり,神武天皇が宮居を営んだ橿原宮の跡という。当地はすでに元禄年間(1688-1704)に神武天皇の神廟を営もうとする動きがあったが,1888年橿原宮跡の考証ののち,民間より神社建設の請願があり

新古今和歌集(日本古典文学全集・世界大百科事典・日本国語大辞典)
鎌倉初期,後鳥羽院が編纂させた勅撰和歌集。20巻。略して《新古今集》ともいう。巻頭に仮名序,巻尾に真名序を付し,春,夏,秋,冬,賀,哀傷,離別,羇旅,恋,雑,神祇,釈教に分類され,すべて短歌形式の歌で長歌,旋頭歌などの雑体は含まない。流布本で1979

禅林寺(永観堂)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号を聖衆来迎山,院号を無量寿院といい,一般には永観堂の名で親しまれる。空海の弟子真紹は仁明天皇の厚遇に報いるため河内の観心寺に五仏を安置したが,辺地の縁に乏しいことを嘆き,855年(斉衡2)上表して藤原

ラクトン(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
分子内に-COO-をもつ複素環式化合物の総称で,オキシ酸のカルボキシル基-COOHと水酸基-OHとの反応により生じた分子内エステルにあたる。4員環のものをβ-ラクトンと呼び,順次環員数が増えるにつれてγ-,δ-,ε-,……ラクトンと呼ぶ。β-ラクトン

吏読(文字)(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
吏吐、吏道、吏書ともいう。新羅(しらぎ)時代に成立した漢字による朝鮮語の表記法で、漢字を朝鮮語のシンタックスにより配列し、助詞、助動詞などの文法要素を漢字の音・訓を借りて表したもの。日本の「宣命体(せんみょうたい)」に似ている。新羅時代の吏読文は瑞鳳

上代特殊仮名遣い(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
奈良時代およびそれ以前の万葉仮名の使用に見いだされる,特殊な仮名遣い。平安時代の平仮名,片仮名では区別して書き分けることのない仮名〈き・ひ・み〉〈け・へ・め〉〈こ・そ・と・の・よ・ろ〉(《古事記》では〈も〉も)と〈え〉の13(《古事記》では14)と,

太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一部芸能者の称号。大夫とも書く。元来は中国における五位にならって,日本でも五位の官人が芸能・儀式をとりしきるならわしが古代にあった。五節舞(ごせちのまい)や踏歌(とうか)の舞妓を率いる役を〈楽前(がくぜん)の大夫〉と称し,太でなく大の字を用いた。さら

竹本義太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
義太夫節の創始者。はじめ五郎兵衛,ついで清水(きよみず)五郎兵衛,清水理(利)太夫から竹本義太夫となり,やがて受領して竹本筑後掾と称した。大坂天王寺村の農民であったが,清水理兵衛(井上播磨掾門下で,近くで料亭を営み〈今播磨〉と呼ばれた)の門に入る。さ

久米舞(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
雅楽の一種目。久米歌2首を参入音声(まいりおんじよう),揚拍子(あげびようし),伊麻波予(いまはよ),退出(まかで)音声の4部に構成し,これに器楽の伴奏と舞とを付けたもの。古代皇権の征服・統一を象徴する勇壮な舞で,大伴,佐伯両氏により伝承され,東大寺

林邑楽(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
日本の雅楽の舞楽の一部門として現存する東南アジア起源の楽舞。林邑は現在のベトナム地方にあたる。日本への伝来経路には諸説あるが,最も流布しているのは,奈良時代に林邑僧の仏哲(ぶつてつ)と南天竺僧の波羅門(ばらもん)僧正が伝えたという説である。その伝来説

燕楽(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
中国の宮廷宴饗楽。名称は《周礼》春官に由来する。諸説あり,狭義には唐代楽曲〈讌楽〉を指し,唐の杜佑の《通典》は唐初の九部伎,十部伎と立坐二部伎の総称として使い,宋の沈括(しんかつ)は西域・インド系の胡楽を含むものだとする。清の凌廷堪(りようていかん)

古浄瑠璃(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
人形浄瑠璃のうち,義太夫節以前に成立した古流派に属する浄瑠璃の総称。御曹司牛若丸と矢矧(やはぎ)宿の長者の娘浄瑠璃御前との恋物語の語り物は,室町中期ころより語られていたが,この語り物はその娘の名をとって浄瑠璃と呼ばれた(《浄瑠璃物語》)。江戸時代の初

淡路島(日本歴史地名大系・世界大百科事典)
兵庫県に属する瀬戸内海最大の島。南北54km,東西24km,面積593km2。人口14万3547(2010)。東は大阪湾,西は播磨灘,南は紀伊水道に面し,明石海峡,友ヶ島水道(紀淡海峡),鳴門海峡をへだてて明石市,和歌山市,鳴門市とむかいあう。行政上

水鏡(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
平安時代の歴史物語。3巻。著者は中山忠親(《本朝書籍目録》)。《大鏡》に語られる以前の時代,すなわち神武天皇以降仁明天皇までの時代を扱う。《大鏡》や,《大鏡》の後の時代を書き継いだ《今鏡》と異なる点は,天皇の事跡を述べる本紀だけから成り,皇族・臣下を

無名草子(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
鎌倉時代の物語評論。著者は新古今歌人の藤原俊成女と推定される。内容は,《源氏物語》を中心に《狭衣(さごろも)物語》《夜半の寝覚(ねざめ)》《浜松中納言物語》その他散逸物語に及ぶ20編の物語についての論評,《万葉集》《古今集》以下《千載集》に至る勅撰集

方丈記(国史大辞典・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の随筆。鴨長明(法名胤)著。1212年(建暦2)成立。1巻。長明が,晩年日野(京都市伏見区)に構えた方丈(約3m四方)の庵での閑居生活のさまと心境を記す。〈ゆく河の流れは絶えずして,しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ泡(うたかた)は,かつ

無名抄(世界大百科事典)
鴨長明が1211年(建暦1)以後に書いた晩年の歌論書。別名《無名秘抄》《長明無名抄》など。彼の師事した俊恵(しゆんえ)とその歌林苑での詠歌活動,《新古今和歌集》撰進期の和歌所寄人として新風に衝撃を受けた体験などを通じて,随想ふうに和歌観を展開している

金槐和歌集(世界大百科事典)
源実朝(みなもとのさねとも)の家集。1巻。1213年(建暦3)成立。《鎌倉右大臣家集》ともいい,《金槐》の書名は,〈鎌〉字の偏と大臣の異称槐門とによる。藤原定家の伝える写本のほか流布本に1687年(貞享4)板本・群書類従本の2系統があり歌数約700首

古事談(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉初期の説話集。源顕兼(あきかね)編。1212年(建暦2)以後15年(建保3)2月までに成立。6巻。説話を〈王道・后宮〉〈臣節〉〈僧行〉〈勇士〉〈神社〉〈仏寺〉〈亭宅〉〈諸道〉に分類集録し,その形態は中国の類書に似る。462話収録。《中外抄》《富家

発心集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉前期の説話集。鴨長明の編。〈発心〉とは,〈菩提心(ぼだいしん)(さとりを求める心)〉をおこすこと。序に,自分の心のはかなく愚かなことを反省し〈心の師とは成るとも心を師とすることなかれ〉という仏の教えのままに心を制御するならば,迷いの世界の生死を離

保元物語(国史大辞典・世界大百科事典・日本古典文学全集)
保元の乱(1156)を素材とする和漢混交文の軍記物語。鎌倉時代前期までに成立か。作者不明。3巻または2巻。《保元記》ともいう。乱は崇徳上皇派と後白河天皇派との皇位継承をめぐる戦いであったが,作中で最も強烈な個性をもって描かれるのは源為朝である。彼は敗

平治物語(国史大辞典・世界大百科事典)
平治の乱(1159)を素材とする和漢混淆文の軍記物語。鎌倉時代前期までに成立か。作者不明。通常3巻。《平治記》ともいう。末代における武士の力の必要を説く序文がある。後白河院の近臣藤原信頼が源義朝とともに挙兵,政敵藤原信西を滅ぼすが平清盛に鎮圧された過