1. 貝塚
日本大百科全書
遺跡の一型である貝塚の優れた特性を認めるからである。世界の貝塚研究は、デンマークで始まった。ウォルソーWorsaaeは1850年、エデールホーフ貝塚の踏査とハー ...
2. 貝塚(市)
日本大百科全書
当地の一向(いっこう)宗徒が紀州・根来(ねごろ)寺から卜半斎了珍(ぼくはんさいりょうちん)を迎え、願泉寺(貝塚御坊)を中心に寺内町を形成したのに始まり、一時本願 ...
3. 貝塚[市]
世界大百科事典
し,商工業都市の形態を整えていた。藤本 篤 貝塚御坊 大日本紡績[株] ユニチカ[株] 貝塚寺内 卜半斎(ぼくはんさい)了珍 板屋道場 願泉寺(貝塚市) 卜半斎 ...
4. 貝塚
世界大百科事典
れるように,貝塚人は海洋適応の結果,定住性の高い比較的安定した生活を送ったと考えられる。東シナ海地域も貝塚の豊富な地域で,日本の縄文土器を伴出する東三洞貝塚や弓 ...
5. かい‐づか[かひ‥]【貝塚】
日本国語大辞典
漫録「一、貝塚(カヒヅカ)。多量の貝殻積み重なりて広大なる物捨て場の体を成せるもの」【二】大阪府の南西部、大阪湾に面する地名。紀州街道に沿い、天文二四年(一五五 ...
6. かいづか[かひづか]【貝塚】
日本国語大辞典
(「かいつか」とも)姓氏の一つ。
[0][カ]<1>
...7. かいづか【貝塚】
数え方の辞典
●つ、▲貝塚 文語で「3貝塚で石器出土」のようにいいます。 ...
8. かいづか【貝
】
国史大辞典
貝殻の多い貝塚ができる。縄文文化各期の貝塚に堆積する普遍的な量の多い貝類を調査し、各期の海岸線の状況を調べることもできる。塩分の濃い海産の貝類の貝殻を主とする貝 ...
9. かいづか【貝
】
国史大辞典
人口七万九三一一人(昭和五十四年四月一日現在)。 [参考文献]『貝塚市史』、福尾猛市郎『貝塚市史概説』、同「近世寺内町の性質―特に和泉国貝塚寺内町について―」( ...
10. かいづかいせき【貝塚遺跡】新潟県:北蒲原郡/加治川村/貝塚村
日本歴史地名大系
[現]加治川村貝塚 願文山西方の独立丘陵上に位置する。旧紫雲寺潟の湖岸に面し、縄文時代中期前葉の淡水産シジミ貝塚が形成されている。遺跡の中心は丘陵上の平坦な畑地 ...
11. かいづか‐いぶき[かひづか‥]【貝塚伊吹】
日本国語大辞典
〔名〕ヒノキ科の植物、イブキの園芸品種。枝がねじれる性質をもつが樹形は円錐形となる。葉は鱗片葉からなる。暖地の庭園樹。 ...
12. 貝塚清直[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:0件 『戊辰戦争貝塚清直出陣録』, 貝塚俊清(著) ...
13. かいづか-けいめい【貝塚啓明】
日本人名大辞典
1934− 昭和後期-平成時代の経済学者。昭和9年2月16日生まれ。貝塚茂樹の長男。阪大助教授などをへて,昭和51年東大教授。のち中央大教授。専門は財政学,金融 ...
14. 貝塚3丁目遺跡
日本史年表
も移入される(福岡県 今川遺跡 ・北海道 貝塚3丁目遺跡 )。北部九州に 方形墳丘墓 が出現する。燕の明刀銭が沖縄本島にもたらされる( 那覇市城嶽貝塚 )。 ...
15. かいづかし【貝塚市】大阪府地図
日本歴史地名大系
熊野街道(小栗街道)が横断し、旧貝塚町から水間を経て山間部へは水間街道が縦断。市名は天文年間(一五三二―五五)に草創された泉南の文化・経済の中心地貝塚寺内に由来 ...
16. 貝塚茂樹
日本大百科全書
1984年には文化勲章を受章した。著書は『中国の古代国家』『孔子』『孫文と日本』『中国の歴史』『貝塚茂樹著作集』などがある。1987年2月9日没。編集部 ...
17. かいづか‐しげき【貝塚茂樹】
日本国語大辞典
中国史学者。東京の生まれ。京都大学卒。京都大学人文科学研究所教授、所長。中国古代の甲骨文字、金石文を研究。父の小川琢治は地質学者。著「中国古代史学の発展」「中国 ...
18. かいづかしげき【貝
茂樹】
国史大辞典
学界に大きな影響を与えた。貝塚の所属する人文科学研究所蔵の甲骨の資料集と、その考釈・研究の刊行(昭和三十四・三十五・四十三年)は、貝塚の学者としての甲骨文研究の ...
19. かいづか-しげき【貝塚茂樹】
日本人名大辞典
1904−1987 昭和時代の中国史学者。明治37年5月1日生まれ。小川琢治の次男。湯川秀樹の兄。内藤湖南,桑原隲蔵(じつぞう)に師事して東洋史を専攻。昭和7年 ...
20. 貝塚茂樹[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:3件 『貝塚茂樹氏の中国史研究について』上原淳道『貝塚茂樹氏の中国史理解について』上原淳道『博雅の士貝塚茂樹』桑 ...
21. かいづかしんでん【貝塚新田】新潟県:中蒲原郡/亀田町
日本歴史地名大系
開発の完了とともに肝煎に任ぜられたという(亀田町史)。開発以来新発田藩領。正保国絵図は貝塚村とのみ記す。元禄郷帳は貝塚新田とし九四石六斗余。元禄八年(一六九五) ...
22. 貝塚時代後期[考古学]
イミダス 2017
紀元前後~10世紀前後の南西諸島は、北東日本の続縄紋・擦紋時代に近い性質の社会であった。九州弥生社会との交流を端緒として多量の貝製装身具荒加工品を輸出した。九 ...
23. 貝塚時代早期~中期[考古学]
イミダス 2017
日本列島中央部の縄紋時代から古代にかけての長い時代を南西諸島では貝塚時代と呼び、このことは南西諸島において海での活動が重要であったことを示している。特にサンゴ ...
24. かいづかじない【貝塚寺内】大阪府:貝塚市地図
日本歴史地名大系
これに対し翌五年信長は雑賀衆・根来衆討掃の軍を進め、貝塚寺内も「草堂人屋悉ク破却」された(前掲貝塚寺内基立書)。しかし天正八年に本願寺顕如と信長は和解し、焦土と ...
25. かいづか-そうへい【貝塚爽平】
日本人名大辞典
1926−1998 昭和後期-平成時代の地理学者。大正15年10月18日生まれ。昭和43年都立大教授となる。関東ローム層や第四紀地殻変動を研究した。活断層研究会 ...
26. かいづかむら【貝塚村】茨城県:取手市
日本歴史地名大系
行って終了する。また茄子を必ず汁の中に入れなければならない(貝塚)とか、一三口半で飲む(山ノ坊)とかの決りがある。集落中央には上高井貝塚があり、出土する貝の種類 ...
27. かいづかむら【貝塚村】埼玉県:川口市地図
日本歴史地名大系
西部には千手観音を安置する観音堂がある(風土記稿)。明治一二年(一八七九)東貝塚村と改称。縄文時代後―晩期の新郷貝塚がある。明治二六年・昭和二年(一九二七)・同 ...
28. かいづかむら【貝塚村】埼玉県:上尾市地図
日本歴史地名大系
[現]上尾市西貝塚 上野村の南西、荒川東岸にあり、荒川の沖積低地に突出する大宮台地西端を占める。東境を平方と大宮を結ぶ脇道が南北に通る。北部平方のうちに村名の由 ...
29. かいづかむら【貝塚村】埼玉県:蓮田市地図
日本歴史地名大系
刹社、新義真言宗神宮寺がある(風土記稿)。元荒川右岸の台地上に綾瀬貝塚がある。対岸白岡町の正福院貝塚とともに元荒川筋最奥の貝塚として知られ、県の史跡に指定される ...
30. かいづかむら【貝塚村】千葉県:千葉市/若葉区地図
日本歴史地名大系
[現]若葉区貝塚町・都賀一―二丁目・同四丁目・西都賀四丁目・桜木町 高品村の南東にある。「千学集抜粋」に「貝塚に物見はたけといへるありて、宮窪と論ありける(中略 ...
31. かいづかむら【貝塚村】千葉県:市川市地図
日本歴史地名大系
[現]市川市下貝塚一―三丁目・南大野一丁目 曾谷村の東に位置し、集落は台地下部に形成されている。南西は宮久保村。延文三年(一三五八)五月三日の日樹置文(弘法寺文 ...
32. かいづかむら【貝塚村】千葉県:流山市地図
日本歴史地名大系
桐ヶ谷新田内持添分を合せた高一〇三石の谷津貝塚新田がみえる。明治三年(一八七〇)の義倉穀台帳(吉野家文書)によれば家数一三・人数八九。同一一年上貝塚村と改称した ...
33. かいづかむら【貝塚村】千葉県:香取郡/小見川町地図
日本歴史地名大系
[現]小見川町貝塚 阿玉台村の東に位置する。「家忠日記」天正二〇年(一五九二)九月九日条に「かいつか神角介所より使者、音信ニ水鳥十ワ、柿一枝」とみえる。神角介は ...
34. かいづかむら【貝塚村】千葉県:八日市場市地図
日本歴史地名大系
[現]八日市場市貝塚 飯倉村の西に位置する。中世は匝瑳南条庄に属し、一五世紀以降在地領主として千葉氏族の三谷氏が知られる。年月日未詳の宝光寺記録(神作文書)に、 ...
35. かいづかむら【貝塚村】千葉県:山武郡/九十九里町地図
日本歴史地名大系
[現]九十九里町下貝塚 西野村の南東に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高七九石。慶長一四年(一六〇九)の知行宛行状で山辺郡の「かいつか ...
36.&nbsnbsp;かいづかむら【貝塚村】東京都:千代田区/旧麹町区地区
日本歴史地名大系
北条氏所領役帳には太田大膳亮が「一木貝塚」で六二貫六〇〇文の知行が記載されている。赤坂一ッ木が一木の遺存地名であるとすれば、その隣接地域ということになる。また麹 ...
37. かいづかむら【貝塚村】新潟県:北蒲原郡/加治川村
日本歴史地名大系
[現]加治川村貝塚 旧紫雲寺潟の潟端に位置し、北は小中山村、東は浦村、南は寺尾新村。正保国絵図に二五〇石余とあり、村上藩領。寛文一三年(一六七三)の組々村数并高 ...
38. かいづかむら【貝塚村】新潟県:佐渡郡/金井町
日本歴史地名大系
[現]金井町貝塚 北は西方村・横谷村、東は横谷村・中島村、西は新保村、南は国府川を隔てて皆川村(現新穂村)。大部分は国仲丘陵の中位段丘にあるが、国仲平野にもかか ...
39. かいづかむら【貝塚村】三重県:四日市市/南部地区
日本歴史地名大系
[現]四日市市貝塚町 内堀村の南、内部川と鈴鹿川の間の平坦地にあり、当村の東方で両河川は合流する。江戸時代は津藩領。寛延(一七四八―五一)頃の「宗国史」では戸数 ...
40. かいづかむら【貝塚村】大阪府:貝塚市地図
日本歴史地名大系
[現]貝塚市海塚・海塚三丁目・堀一丁目 貝塚寺内の南東隣にある村で、貝塚寺内とは本来一村であったと推定されている。南郡に属する。海塚村とも書く。元禄郷帳に「海塚 ...
41. かいづかむら【貝塚村】福岡県:糸島郡/志摩町
日本歴史地名大系
[現]志摩町東貝塚・西貝塚 北東は小金丸村、西は岐志村。可也山の西麓に沿って貝塚川(沖田川)が南流する。郡内で一桑(桑原)・二荻(荻浦)・三貝塚と称された好村( ...
42. かいづかやまいせき【貝塚山遺跡】埼玉県:富士見市/鶴馬村地図
日本歴史地名大系
また同四三年には台地先端部貝塚稲荷古墳から鉄刀と人骨が発見されている。これら東京帝国大学の調査と鉄刀・人骨の発見を記念して、貝塚がコロボックル人の残したものと記 ...
43. 貝塚市史[文献解題]大阪府
日本歴史地名大系
三冊 臨時貝塚市史編纂部編 貝塚市役所 昭和三〇―三三年刊 構成 巻一通史、巻二各説(都市と人口・産業建設・行財政・社会・教育と文化・民俗)、巻三史料 ...
44. カイヅカイブキ
世界大百科事典
ヒノキ科の常緑針葉樹ビャクシン(イブキ)の園芸品種で,温暖な地方に広く植えられている。高さ5~15mとなり,幹は太く直立するがねじれる。枝が密に分かれしかも斜め ...
45. 貝塚市の要覧
日本大百科全書
面積:43.99平方キロメートル総人口:9万0519人(男:4万3665人、女:4万6854人)世帯数:3万2993戸※面積は国土交通省国土地理院『平成22年全 ...
46. かいづかござしょにっき【貝
御座所日記】
国史大辞典
⇒宇野主水日記(うのもんどにっき) ...
47. あおしまかいづか【青島貝塚】宮城県:登米郡/南方町/南方村
日本歴史地名大系
[現]南方町 青島屋敷 迫川西岸流域、伊豆沼・長沼(現迫町など)周辺貝塚群を代表する一つの主淡貝塚で、オオタニシ、ヌマガイ、イシガイなどを主体とする。奥羽山脈か ...
48. あおやまかいづか【青山貝塚】愛知県:渥美郡/渥美町/伊川津村
日本歴史地名大系
字伊井新田の三河湾側に発達した標高三メートルの砂嘴上に立地する。古墳時代前期から後期にかけての製塩遺跡で、貝塚も形成している。昭和二四年(一九四九)・同四二年の ...
49. あかじゃんがーかいづか【アカジャンガー貝塚】沖縄県:沖縄島中部/具志川市/具志川村
日本歴史地名大系
[現]具志川市具志川 金武湾に面する海岸砂丘上にある貝塚時代後期の遺跡。標高約四メートル。遺跡名の由来は近くにある泉がアカジャンガーとよばれることによる。一九五 ...
50. あかつかじようしかいづか【赤塚城址貝塚】東京都:板橋区/下赤塚村地図
日本歴史地名大系
赤塚城跡の北側斜面上にある縄文時代後期前葉の小貝塚。昭和三五年(一九六〇)部分的な調査が行われ、後期堀之内式の土器を伴うハマグリとシジミを主とする貝塚であること ...