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三内丸山遺跡

ジャパンナレッジで閲覧できる『三内丸山遺跡』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき
青森市三内字丸山に所在する縄文時代の遺跡。沖館川右岸の河岸段丘上にあり、標高は約二〇メートル。範囲は約三八ヘクタールと推定。江戸時代から知られ、山崎立朴の『永禄日記』や菅江真澄の『栖家の山』にも遺物発見の記載がある。これまでの発掘調査により縄文時代前期中葉から中期末葉にかけて長期間定住生活を営んだ巨大集落跡であることが判明。特に中期の集落跡は居住域・墓域・高床倉庫群・廃棄場所などが整然と配置され、空間利用を規制し継続した計画的な村づくりをしていたと考えられる。大量に出土した遺物は当時の活発な生産活動を、またヒョウタン・マメ類・エゴマ・アカザ・ゴボウなどの種子の発見は栽培により食料を得ていたことを示し、野生のヒエも食べていたと思われる。さらに翡翠・琥珀・アスファルト・黒曜石などが出土し、他地域との交流・交易も盛んであったことがわかる。
[参考文献]
青森県教育委員会編『三内丸山(2)遺跡』三(『青森県埋蔵文化財調査報告書』三三)、岡田康博「円筒土器文化の巨大集落」(『(季刊)考古学』五〇)
(岡田 康博)


改訂新版・世界大百科事典
三内丸山遺跡
さんないまるやまいせき

青森市の中央部を流れて青森湾に注ぐ沖館川の右岸台地上に営まれた,縄文時代前期中ごろから中期末までを中心とした大規模な集落跡。1992年から県運動公園の整備に伴う大規模な事前発掘が実施され,94年7月になって重要性が認識され,遺跡の保存が決定した。2000年に特別史跡に指定された。

東北北部から北海道南部に発達した縄文時代前・中期の文化の内容と変遷を良好に示す。大規模な土木工事を伴う集落の造成,大型の掘立柱建物,計画的に配置された集落構成,クリの栽培など植物利用が主体の安定した経済と長期にわたる定住,木製・骨角器を含めた道具の全体像,遠隔地との交流の実態など,近年急速に解明の進んでいた縄文文化の実像を大規模な発掘によって総合的かつ具体的に示した。
[編集部]

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