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縄文時代

ジャパンナレッジで閲覧できる『縄文時代』の国史大辞典のサンプルページ

縄文時代
じょうもんじだい
弥生時代以前の日本列島で土器が出現し使用された時代全体を縄文時代とする広義の見解と、その編年区分のうち最古の細隆線文土器・爪形文土器などが作られ使用された草創期は縄文土器文化以前の土器文化と考え、これを晩期旧石器時代・更新世最終末とする見解とがある。また、草創期の土器文化と後続の土器文化との接点が今日まだ明らかでないことを考えると、器面全体に縄文の施された尖底深鉢、すなわち南関東地方の井草式土器出現以降の土器文化の時代に対して、縄文時代の名称を使用すべきであるかもしれない。縄文時代の編年的区分の研究は一九三〇年代に入って本格化し、東北地方の仙台平野を中心としては山内清男(すがお)が、南関東地方を中心としては大山史前学研究所の大山柏・甲野勇が精力的に発掘調査研究を実施した。その結果、一九三〇年代中葉に、前・中・後期の三大区分と、約十形式の細分編年がなされ、一九三〇年代末には山内により早・前・中・後・晩期と大きく五期に区分することが提唱された。その後一九六〇年代に入り、早期初頭と考えられていた土器よりもさらにさかのぼる年代の土器の存在が長崎県福井洞窟の調査などで明らかになり、これらの土器文化に対し草創期なる編年区分を設定することが山内によって提唱された。早期と草創期の区分、その編年区分の境界は最初の提唱者山内と、最近の研究者とは若干の見解の相違が見られる。ここでは豆粒文・隆線文(細隆線文)・爪形文などの円底深鉢土器の時代を草創期として、それ以降の土器文化を早期とする案に従って、草創期も一応縄文時代の範疇に入れて解説する。

〔草創期〕

後氷期に入って間もない時代のため、気候は今日と比較してかなり寒冷であったかと思われる。また北半球における氷河の後退が開始した当初のことで、海面はウルム氷期の最低下した時代から、徐々に上昇期へと向かう転換期直後のことで、まだ顕著な縄文海進は始まらず、日本列島太平洋岸の海岸汀線は今日より遙か沖合にあったと想定される。東京湾・瀬戸内海などは未だ海水の浸入を見なかった時代であり、関東地方の南岸は東京湾口外の遙か沖合であったと想定される。この時代は台地上の小屋がけ竪穴住居も存在したが、気候寒冷であったためか、南面する断崖下の岩陰、ならびに洞窟入口部などを住居として利用した遺跡も数多く発見されている。台地上の住居跡は一ないし二前後の小規模のものが多く、あまり永く定住したとは思われない。この時代の主たる生業は狩猟活動であったと思われるが、九州地方では黒曜石製の細石刃が出土し、四国・本州方面では有舌尖頭器が発見されることから、狩猟用具は投げ槍が主として使用され、爪形文土器の後半になって石鏃も出現するが、まだ弓矢は発達していなかった時代と考えられる。また北海道ではこの時代の土器は未だ知られていない。カーボン14によるこの時代の土器の測定年代は今から約一万二千年前から一万年前の間である。

〔早期〕

細隆線文土器・爪形文などの円底深鉢土器に後続する古い土器文化にいくつかあるが、北から述べると、北海道西南部の渡島半島から東北地方北東部に分布する白浜式土器文化がある。白浜式土器は櫛歯状の施文具の代用品として、大型のサルボウの貝殻腹縁を口縁・口頸部に帯状に連続刺突したり、棒状の施文具の先端部を利用して同じように帯状に数段の連続刺突文を施文したりし、胴下半部には貝殻背によって平行沈線状の貝殻沈線文を施した尖底円錐形深鉢が最も特徴的な土器で、東北アジア方面に広い分布圏を持つ初期櫛文土器文化の波及によって発生したと考えられる。また、白浜式土器文化にはトランシェ(直刃斧)・石槍・石錐・石鏃などの精巧な剥片石器類と、暗緑色の硬質な変成岩製の片刃擦切磨製石斧などが伴出するが、これらも初期の櫛文土器文化に伴存の石器に酷似するものである。この系統の文化は早期中葉には東北地方北半から関東地方南部にまで波及している。一方、南関東地方では、約一万年前に全面に縄文の施された尖底深鉢土器が忽然と出現する。石器としては長さ一〇センチ前後の細長い川原石の一端に片面から打裂を加え刃を付した簡素な礫器のみを伴う文化で、井草・夏島・稲荷台式と時代が下降するに従い、打裂を加えた刃部を局部磨製したものも出現する。この土器文化には石鏃が伴存していない。東京湾口近くにある神奈川県横須賀市夏島貝塚の最下層の有機質に富む土層から井草式土器が出土したが、まだこの時代には東京湾口まで海水の浸入を見なかったものか、貝塚が形成されていない。この上層に夏島式土器を出土する貝層が堆積している。これはハイガイと小粒なマガキなど泥海底汽水性の干潟を好んで棲む貝類の多い貝層であり、東京湾口の夏島付近にようやく汀線の近づいたことを示すものである。この夏島式土器の時代が今から約九千六百年前である。この土器文化は東南アジア圏に広く分布するホアビニアン・バクソニアン文化の土器・石器と近似するが、この関連性などは今日まだ十分把握されていない。生乾きの成形された土器面に細く短い撚り紐を置き、人差指・中指・薬指など三本の指先で、これを廻転押捺してゆくと縄文文様が施される。また撚り紐を細い軸にコイル状に巻きつけたものを土器面で廻転押捺すると、撚糸文様の圧痕文が施される。井草・夏島・稲荷台各式の土器に見られる縄文・撚糸文はこのようにして施された文様である。これらの土器に続き、今から約八千年前、早期中葉ごろにほぼ日本列島全域に拡がった廻転押型文土器は、鉛筆ぐらいの太さの長さ四センチ未満の円筒形の施文原体の棒に、鋸歯状の沈線を重ねて彫刻したり、格子目状に沈線を彫刻したりして、各種の連続同一文様を土器面に廻転押捺したもので、施文手法は前記の縄文の施文法に変りない。このうち山形押型文・格子目押型文などが最も早く出現、関東地方の稲荷台式土器の分布圏にこれらの文様のものが見られ、縄文・撚糸文の施された土器と伴存している。廻転押型文土器は関東地方で発生し、次第に日本列島全域に拡がったものと考えられる。山形・楕円・格子目の廻転押型文土器が瀬戸内海一帯に拡がった時期の岡山県児島半島沖と香川県の間はまだ海進が頂点に達する以前で、現在遙か南方に屋島を遠望できる海洋上の島、香川県豊島(てしま)の南端礼田崎に、小粒なヤマトシジミを主体として、これにチリメンカワニナ・カクタニシなどの純淡水産の貝殻のみからなる貝塚が存在することは、八千年の間の地貌の驚異的な大変動によるものとはいえ、驚嘆すべきことである。このような縄文時代早期は三方に見晴しのきく半島状台地の先端付近に数戸からなる散村集落を営んだ場合が多い。

〔前期(紀元前四〇〇〇―三〇〇〇年)〕

前期には、中国の長江南部浙江省方面の東シナ海沿岸に繁栄した河姆渡(ハモト)文化が西九州方面へと波及したものか、〓状耳飾の出現を見、また漆・荏胡麻(えごま)・梶(かじ)・瓢箪・緑豆などの渡来植物の種子が発見され、きわめて初歩の播種と収穫のみの植物栽培が開始されたと考えられる。東南アジア原産の野生種に近い里芋(長野県小県郡青木村沓掛温泉などに現存)の渡来もこのころであったと推察される。早期のころまでは竪穴住居の規模も小さく、火災の心配もあるためか屋内に炉が設けられていない。ところが前期へ入ると住居の屋内に炉が設けられ、ここで食料の煮焚が行われるようになる。早期までは屋外の炉で煮焚を行うため、煮沸調理用の土器は炉の周辺の柔らかい土に底部を突き刺して煮焚を行いやすいように、底部の尖った尖底深鉢が使われたが、前期以降になると屋内の堅い平坦な床面に設けられた炉で煮焚調理するために、底面の平坦部を広く作り、平坦面に安定のよい円筒形平底深鉢が煮沸用土器として登場する。人々は一ヵ所で小集落を営み、定住する期間も前代より永くなってきたものと思われる。なお前期中葉ごろから、煮沸用具としても利用したが食料を盛りつけることにも利用したと考えられる浅鉢が出現し、前期末には煮沸用土器とは分離した食料の盛つけ・保存用にのみ使われたと思われる丹漆塗の美しい土器があらわれた。

〔中期(紀元前三〇〇〇―二〇〇〇年)〕

中期に入ると、中部地方以東の東日本では台下に泉のある河成段丘上の広い平坦な台地上を選定して、直径一〇〇メートル前後の円形広場の周辺に、一時期十戸ないし十五戸前後の環状集落が営まれた。新潟県中魚沼郡津南町沖ノ原の集落遺跡を発掘すると計百戸を越す住居跡が発見され、中期初頭から中期末までの各形式の土器が出土するので、一見中期の全期間を通じて一ヵ所に長期定住していたかの感がするが、これはかなり断続的なものであったと想像される。しかし一竪穴住居跡に四回柱を立て直したために相接しに四本の柱穴が、住居跡内に五組み接して残存するものなどがある。掘立て柱の埋没部分の腐蝕耐用年数は非常に短いので、一回十年と考えれば四回の立てかえで四十年、二十年とすれば八十年になる。このように考えると、同一場所に半世紀ぐらい定住した可能性も考えられる。また、タロ・ヤムなどを栽培するニューギニアの高地原住民が二十年周期ぐらいで集落をある決まった場所で二回ないし三回ぐらい輪廻移動するという習性が見られることなどから、長野県八ヶ岳南麓の尾根に密集する中期の集落の場合、ある一時期にすべてが存在したとすると、八ヶ岳南麓の狭小な山地から得られる食料だけでは到底生活の維持は困難であるから、一時点の実存数はこの三分の一以下ではないかとも考えられる。類似土俗例をニューギニア高地人に見出し推理したわけであるが、未だ確証はなく、この推察の当否は今後の研究に残された重要研究課題である。前期から中期への生活環境の変遷推移にはまた著しい発展変化が認められる。前期後半以降に出現する配石遺構は中期後半には環状に配列するものがあらわれ、後期中葉以降には配石遺構下に墓壙が設けられ、墓地遺跡とも重複する。一部の研究者は配石遺構はその当初より墓地遺跡との見解をとっている。また埋葬施設に長方形の石槨、石棺状の石組があらわれるのも中期以降である。

〔後期(紀元前二〇〇〇―一〇〇〇年)〕

後期に入ると、集落は沖積低地との比高が中期の時より一段と低くなった低台地、または小さな谷の谷頭の周辺など比高の低い場所が選定されるようになってくる。また遺跡数が中期に比して減少していることは、一地区に永く定住したことを意味するものであろうか。また中期までの土器は、すり鉢状の穴に土器を入れて、酸化炎で焼き上げたために明るい赤褐色に近い色のものが多いが、後期に入ると地肌が黝黒色の光沢するものや暗褐色のものが多く、還元炎で焼かれたと思われるものが多くなっている。この焼成法の変化も、長い縄文土器文化の変遷の中での一つの大きな変化としてとらえてもよいのではなかろうか。また東北地方の太平洋岸における、中期から晩期にわたる鹿角製の釣針・やす・もりなどの漁具の変遷には目覚しいものがある。

〔晩期(紀元前一〇〇〇―三〇〇年)〕

晩期は縄文時代の終末の時代であるとともに、次の弥生時代への胎動期である。晩期後半、前五世紀から四世紀に西北九州地方で繁栄した夜臼(ゆうす)式土器文化の佐賀県唐津市菜畑遺跡では水田を作り、朝鮮半島から伝来したと思われる磨製石剣・磨製石戈・庖丁型磨製石器などを伴っている。また、稲と稲作技術は弥生文化の東漸に先がけて、それぞれの地域の晩期末の時代に定着したものと考えられるが、それぞれの地域の晩期末の土器片に籾の圧痕の付着が発見されるのはその証左の一つではなかろうか。青森県三戸郡名川町剣吉荒町遺跡でも、縄文文化終末期の大洞A′式土器に籾の圧痕の付着した土器片が発見されている。また東北地方三陸海岸では、晩期に入ると福島県いわき市付近から岩手県宮古市付近にわたって外洋の大型魚に対する漁業が盛んになり、夥しい量のマグロの背骨を出土する貝塚が多い。いわき市寺脇貝塚・岩手県大船渡市大洞貝塚などはその代表的なもので、貝塚の貝殻に混じて多量の背骨が堆積している。マグロに比較すると小型であるが、ブリ・カツオ・サバなどの背骨の出土量も多い。これらの捕獲にはこの地方で縄文文化晩期に発達した大型魚捕採用に考案された燕尾型廻転離頭銛によるところが大である。
従来、農耕・栽培は弥生時代からと考えられていた。確かに水田・稲作の普遍化は弥生時代に入ってからであり、また禾本科穀類の栽培の痕跡も縄文時代終末期近くまでしか明らかにされていないが、緑豆・荏胡麻などの食用植物の栽培は縄文時代前期から始まり、これより若干遅れて北日本にそばの流入の痕跡も見られる。縄文時代人も主たる生業は狩猟・漁撈といった自然にあるものを捕採することのみで食生活を行なっていたのではないことが次第に明らかになってきた。
[参考文献]
江坂輝弥編『縄文土器と貝塚』(『古代史発掘』二)、江坂輝弥・野口義磨編『土偶芸術と信仰』(同三)、加藤晋平他編『縄文文化の研究』
(江坂 輝弥)
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49. あかいしいせき【赤石遺跡】山形県:村山市/土生田村
日本歴史地名大系
[現]村山市土生田 赤石 最上川東岸の河岸段丘上に営まれた、縄文時代早期中葉から前期初頭の集落遺跡。昭和五二年(一九七七)に調査された。カベ山北麓を帯状に取巻く ...
50. あかいわやまいせき【赤岩山遺跡】石川県:七尾市/万行村
日本歴史地名大系
七尾南湾岸の臼池川に近い低平な台地端部に立地し、矢田高木森古墳の東方約五〇〇メートル地点に位置する。縄文時代前期後半(福浦上層式)と古墳時代前期から同後期(月影 ...
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縄文時代(国史大辞典)
弥生時代以前の日本列島で土器が出現し使用された時代全体を縄文時代とする広義の見解と、その編年区分のうち最古の細隆線文土器・爪形文土器などが作られ使用された草創期は縄文土器文化以前の土器文化と考え、これを晩期旧石器時代・更新世最終末とする見解とがある。
縄文海進(世界大百科事典・日本大百科全書・岩波 生物学辞典)
関東平野では縄文時代の貝塚が台地周縁ぞいに,かなり内陸まで分布していることが注目されていて,そのような古海岸線を残した海進は縄文海進とよばれるようになった。ヨーロッパでも〈新石器時代汀線Neolithic beach〉とよばれる同じような海進がみられる。
鳥浜貝塚(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
福井県三方上中郡若狭町鳥浜にある縄文時代前期から草創期にかけての貝層を伴う低湿地遺跡。1962年(昭和37)から10年間にわたり、若狭考古学研究会のメンバーを中心に発掘が行われ、多大の成果を収めた。また、自然科学の各分野の研究者が参加協力し、共同研究の実をあげた。
三内丸山遺跡(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
青森市三内字丸山に所在する縄文時代の遺跡。沖館川右岸の河岸段丘上にあり、標高は約二〇メートル。範囲は約三八ヘクタールと推定。江戸時代から知られ、山崎立朴の『永禄日記』や菅江真澄の『栖家の山』にも遺物発見の記載がある
縄文土器(日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
縄文文化の土器の総称。縄や蓆でつけたような文様があるので、はじめ縄蓆文土器とも称されたが、昭和初期にこの名称に統一された。明治一〇年(一八七七)、大森貝塚を発掘したE=S=モースが、その土器をCord marked pottery と呼んだのが起源
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円高・円安(日本大百科全書)
円高は円の対外価値が高くなることで、逆に円安は円の対外価値が低くなることをいう。一国の通貨の対外価値は外国為替(かわせ)相場に反映される。たとえば1ドル=120円の相場が110円となれば、円の対外価値は1ドルにつき10円高まったことになり、逆に相場が
縄文時代(国史大辞典)
弥生時代以前の日本列島で土器が出現し使用された時代全体を縄文時代とする広義の見解と、その編年区分のうち最古の細隆線文土器・爪形文土器などが作られ使用された草創期は縄文土器文化以前の土器文化と考え、これを晩期旧石器時代・更新世最終末とする見解とがある。
弥生時代(国史大辞典)
弥生時代は、一般的には、狩猟採集社会である縄文時代に次ぐ時代、つまり水稲農耕が始まり、金属器をもつようになってから、古墳を標識とする古墳時代に入るまでの間とされている。弥生時代は、前期・中期・後期、または第I~V期に区分されている。かつてこの前期・中期・後期という区分に
古墳時代(国史大辞典)
弥生時代につづいた一時代について、その文化の代表的徴証である古墳の名を冠した時代区分の名称。古墳は三世紀終末あるいは四世紀の初頭に発達し、飛鳥時代はもとより奈良時代あるいは平安時代の一部にも存続したが、一応飛鳥時代などすでに確立されている時代区分と区別し
飛鳥時代(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
「飛鳥時代」は元来、日本美術史上の時代区分であるが、これを政治史上の時代区分として用いることも多い。一般には推古朝(593~628)前後から大化改新(645)までとするのが普通であるが、これをさらに天智朝(662~671)ごろまで下げて考える説も美術史家の間には行われており
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