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竪穴住居

ジャパンナレッジで閲覧できる『竪穴住居』の日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書
竪穴住居
たてあなじゅうきょ

地面を円形や方形に数十センチメートル掘りくぼめて、垂直に近い壁や平らな土間(どま)の床をつくり、その上に屋根を架した半地下式の住居である。おもに考古学的調査で発見され、日本では旧石器時代から中世まで使われた主要な住居様式の一つである。一般的には、一辺あるいは径が数メートルで、床面積が20~30平方メートルの、一家族が住むのに適当な広さをもつ。内部には数本の柱穴(ちゅうけつ)のほか、炉(ろ)、かまど、貯蔵穴(けつ)、溝、工房などの付属施設や、時代や地域によっては埋甕(うめがめ)、石棒、石壇(せきだん)などの宗教的遺構が付随することもある。
旧石器時代から縄文時代初頭にかけては、まだ移動生活が多く発見例は少ないが、縄文早期中ごろからは定住化が進み、とくに東日本を中心に竪穴住居は発展する。最盛期の縄文中期には、数世代にわたる100軒を超える竪穴住居群が環状集落を形成する遺跡も少なくない。なかには床面積が100平方メートルを超える大型住居、平石を敷き詰める敷石(しきいし)住居、宗教的遺構・遺物を多出するなどの一般住居以外の例もある。弥生(やよい)時代から古墳・奈良時代になると西日本でも普遍化し、平安時代にはプランが方形に、炉がかまどに統一されるなどして中世まで続く。
夏涼冬暖という日本的風土に適した利点や、建て替えの容易さもあるが、多湿や上屋構造材の耐久度とか火災になりやすい難点もある。最近では建築学的な研究も進んでいるが、時代や地域による多様なその変化・変遷は今後の研究にまつ点が多い。
[樋口昇一]



改訂新版・世界大百科事典
竪穴住居
たてあなじゅうきょ

地面を直接掘りくぼめて床とし,そこへ屋根をかけた半地下式の住居。穴居生活の跡として考えられていた横穴に対して,1800年代の終りころに名付けられた。この種の住居は,夏は涼しく,冬は保温に富み暖かである利点がある反面,土間が湿潤になりやすい欠点がある。そこで,低地に設ける住居として,半地下式にするのではなく,地表を床面としてその床の周囲に土堤をめぐらせて水の流入を防ぎ,そこへ屋根を伏せた平地住居とも呼ばれるものも,ところにより採用されている。竪穴住居は先史時代には世界中どこでも一般に採用されており,標準的な住居形式であった。旧石器時代のヨーロッパ大陸では,自然にできた石灰岩の洞窟を利用して住居とするのが普通であったが,その後期ころから竪穴住居を営むようになった。そして新石器時代に入ると各地でさまざまに発達した。

ヨーロッパ

後期旧石器時代オーリニャック文化にあたるチェコスロバキアのドルニ・ベストニツェ遺跡では,大小の竪穴住居が見つかり,大は15m×9mの楕円形で,共同家屋と考えられている。小は径6mの円形で,傾斜面にあるため,高い方の地面を削り,低い方は粘土と石で弧状に盛り上げており,中央に炉がある。周縁に5本の主柱を立てて小枝で支え,上にマンモスの骨や皮,木材,草などで造った屋根をのせていたと考えられる。同後期グラベット文化に属するロシアのドン川右岸にあるコスチョンキ遺跡群のなかには,27m×8mの長楕円形の竪穴住居があって,中央に9基の炉が長軸に沿って2~3mの間隔をおいて設けられていた。ほかにも34m×23mという大型のものや径5~6mの不整円形の竪穴住居もある。同じ後期のウクライナのメジリチ村で発掘された住居は,竪穴ではないが,床の直径6mで炉は中央にある。95個のマンモスの頭骨を積み重ねて床を囲い,屋根はマンモスの大腿骨や牙を用いて高さ約3mのドーム形に覆い,竪穴同様の家屋を造って寒さや外敵から身を守っていた。

ヨーロッパの新石器時代ダニューブ文化期に属する,ドイツのケルン近郊にあるケルン・リンデンタール遺跡は,村落構造がよく復原された代表例である。そこでの一般的な住居は,大型の長方形平面で屋根は切妻,編枝塗壁を立ち上げ,杭の上に低い床を張った一種の高床住居であった。また一部に土間を設けて家畜を飼育していた。しかし一方では竪穴住居も採用されていたが,その大きさや形態は一定していない。エジプトでは,楕円形や馬蹄形につき固めた床の周囲に杭を立て,葦のむしろで囲ったり,練土で囲った上にむしろをかけて屋根とした平地住居であり,床に炉がつくられている。

中国

中国の新石器時代では,竪穴は黄河流域の彩陶文化として有名な仰韶(ぎようしよう)文化期に始まる。その初期の廟底溝遺跡では,竪穴の床は1辺約7mの方形で,深さ50cm余を掘り下げ,南辺中央に屋外からスロープで下る入口をつけている。竪穴の周壁外に60~70cm間隔に柱を垂直に立て,その間を土で塗り壁をつくる。床はすさを混ぜた泥で塗り固め,4本の柱を掘り立てて寄棟の屋根を支えていた。入口を入ったところに炉が設けられている。このような方形平面の竪穴住居は,同文化の半坡遺跡にもあり,12m×10mという大型で,床の4本柱は長いが外周の柱と壁は低く,屋根は地面まで葺き下ろしていたと考えられる。また同時に,径6m前後の比較的小型で円形平面の竪穴住居もあり,円錐形の屋根を地面まで葺き下ろしたものと,周壁で支えて地面まで葺き下ろさないものの両者の存在が考えられている。方形・円形平面の竪穴住居のなかには,柱と壁で間仕切りをしたものもある。このような住居で構成する集落の一部には灰坑と呼ばれる貯蔵用の穴倉(日本では,その縦断面が底の広がったきんちゃく形をしていることから袋状竪穴と呼んでいる)が付属している。続く竜山期にも小規模な竪穴住居は引き続き造られ,それらは床に石灰を敷き固めるのを特徴としている。これらは殷代にもその後期まで受け継がれている。
[工楽 善通]

日本

日本の旧石器時代の住居は,洞窟や岩陰など,自然の覆屋を利用したが,多くの人々は,丘陵や段丘上の平たん地に小屋を建てて生活していた。平地に小枝を環状に配して浅く地面に突き立て,上方でまとめて円錐形の骨格を造り,草や土で覆ったのがこの時代のすまいで,これらも平地住居とよばれる。このような住居は,約8000~9000年前ころ,土器を使う縄文時代早期に入ってもなおすまいの主流であったが,これを発展させ,床面を掘り下げて屋内空間を広げ,より安定した構造をもつ竪穴住居も建ち始め,しだいに多くなる。

縄文時代

しかし,縄文時代における竪穴住居址の分布は中部地方から東に偏在し,西日本では九州地方の早期と後・晩期に若干認められるだけできわめて少ない。ただし,西日本では縄文時代全期を通じて遺物の出土が認められ,住居は痕跡を残さないだけで,旧石器以来の平地住居が西日本の縄文時代住居として,急峻な尾根上や狭小な河岸・海岸段丘上に集落が営まれた。縄文時代早期の竪穴住居は,不整形平面から方形・長方形平面に整い,構造的にはより大きな空間を造るために1~2本の支柱や,合掌あるいは三脚を組んで棟木を支持するようになる。北海道では早期の段階で主柱4本が成立して,竪穴住居の基本形式ができあがっているが,一般的には早期末以降に主柱を採用し,竪穴を深くして屋内空間を広げ,屋内に炉を取り込んで,雨季・寒季に十分耐え得る住居が造られた。

縄文時代前期には,長方形平面から円形,楕円形に近い多角形平面に,壁柱方式から壁柱なしに変化し,構造的には大壁構造から,屋根の地上葺き下ろしへ変化する。中期末から後期にかけて竪穴住居の平面形は円形に変化し,再び壁柱が復活して円筒形の大壁を側壁とし,円錐形の屋根をもつ住居が出現する。後期末から晩期にかけて,平面形は円形から方形に再び変化し,規模の大小にかかわりなく主柱4本,大壁構造の建物が成立する。縄文時代には建物の機能分化も認められ,前期末から中期にかけて竪穴の長辺が10mを超す超大型住居,いわゆるロングハウスが出現し,集落の中心にあって集会等の公共的な用途に使用された。中期末から後期にかけての張出しをもつ柄鏡形敷石住居や,北陸地方晩期の巨大建築(半割円柱を平面円形に配置し,出入口に張出しを設ける)は祭祀用と考えられる。

弥生時代以降

縄文時代後期末から,晩期初頭にかけて成立した主柱4本の形式は,弥生時代以後の東国の主流となるが,壁柱は弥生時代に入ると消滅し,屋根は再び地上葺き下ろしにもどる。縄文時代には東国に偏在していた竪穴住居は,弥生時代に入って全国的な広がりで隆盛に向かうが,それは米作の普及にともなう食糧の安定供給と人口増加,村落共同体の成立,鉄製農工具の普及による土木・建築技術の向上,耕作地・居住地の拡大など,社会全体の発展によるところが大きい。しかし,西日本に普及した竪穴住居は東国の4本主柱型とは異なって,平面形は主柱本数に応じた円形に近い多角形平面を示し,土地有効利用のために同位置でひんぱんに建替えを行うなど,縄文時代中期的な様相を示し,東日本・西日本文化の違いを根強く保つ。しかし弥生時代後期に入ると全国的に方形平面が多くなり,古墳時代には方形平面主柱4本にほぼ統一された。竪穴住居の全国的な普及は古墳時代末までで,6世紀ころからまず畿内先進地域の集落は,竪穴住居から掘立柱住居に変わる(掘立柱建物)。この変化は西日本では急速に広まるが,東日本では,中部・東海地方は8世紀,関東地方は10世紀ころ,東北・北海道の寒冷地帯や中部山岳地帯は13世紀ころまで竪穴住居の集落がみられる。

施設と構造

竪穴住居の施設としてまずあげられるのは炉である。縄文時代の北海道などでは,屋内炉よりも屋外炉を主として用いる。屋内炉の形式は地床炉が最も多く,石囲炉,埋甕炉,石囲埋甕炉などの形式があり,東北地方には石囲炉と埋甕を組み合わせた複式炉が発達している。弥生時代には地床炉のみになり,古墳時代中期の5世紀に入って竈(かまど)が造り付けられ,古墳時代後期以降全国的に普及する。出入口は,縄文時代は一般的には住居の長軸線上の一方に炉を片寄せ,反対側に入口を設ける。入口側の竪穴側壁には埋甕,入口支柱1~2本をもつ例がある。弥生時代中期には,入口支柱に梯子の下端を添えた痕跡を残す例がある。北海道では縄文時代早~前期と続縄文期,関東地方では縄文時代中・後期にみられる張出し部も,出入口施設である。貯蔵穴は縄文~弥生時代を通じて出入口脇に設けることが多いが,その位置は必ずしも定まっていない。古墳時代に竈が出現すると,竈と反対側壁面の中央またはコーナーから,しだいに竈の左または右側に設けるようになる。

竪穴側壁に沿って主柱~側壁間にベッド状遺構と称する二段式床を設ける例がある。北海道では縄文時代前期後葉から中期にかけて,関東地方では古墳時代後期に,西日本では弥生時代中期から古墳時代前期に多い。縄文時代から弥生時代にかけてのベッド状遺構は,四方または三方を囲い,九州南部の弥生中期には四方に拡張してベッド状遺構を設けた花びら形の特異な平面形をもつ例がある。内部床面より5~10cm高くしてあり,その用途として寝台用,収納施設,祭壇などが考えられる。古墳時代には竪穴の一方または二方だけに寝台として独立する。竪穴床面の排水処理施設として周溝や排水溝がある。貯蔵穴や床面中央のピットは貯蔵穴としての機能や雨季排水用にも利用され,周溝や中央ピットから竪穴外に排水溝を設ける例が高温多雨な西日本に多い。大型竪穴住居には壁面を樹皮やむしろで覆って杭で留め,あるいは矢板で化粧する例がある。屋根葺き材は北海道や東北地方では全期を通じ土葺きが主であり,関東以西で草葺き屋根が普及するのは弥生後期以降で,竪穴住居が全国的に方形平面に統一されるのも草葺き屋根の普及による。
→住居
[宮本 長二郎]

[索引語]
平地住居 ドルニ・ベストニツェ 炉(住居) コスチョンキ遺跡群 メジリチ ケルン・リンデンタール 廟底溝遺跡 半坡遺跡 灰坑 袋状竪穴 ロングハウス 柄鏡形敷石住居 貯蔵穴 ベッド状遺構
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日本歴史地名大系
江花川と釈迦堂川に挟まれた丘陵中の南斜面に立地する。昭和五三年(一九七八)に発掘調査が行われ、竪穴住居跡一六棟・掘立柱建物跡三〇棟、土師器焼成の平窯と思われる遺 ...
48. あしかがし【足利市】栃木県
日本歴史地名大系
南部にも富士の腰遺跡・中日向遺跡などがある。高松遺跡は早期から晩期までの各期に断続し、早期土器を伴う竪穴住居跡・土壙をはじめ各時期の遺構・遺物が出土した集落跡で ...
49. あしかりばいせき【芦苅場遺跡】埼玉県:飯能市/芦苅場村地図
日本歴史地名大系
。昭和四五年(一九七〇)の発掘調査で、勝坂式土器を伴う竪穴住居跡七と加曾利E式土器を伴う竪穴住居跡一、土壙三が発見された。勝坂期の竪穴住居跡は、径四―五メートル ...
50. あしべちょう【芦辺町】長崎県:壱岐郡
日本歴史地名大系
三重の環濠に囲まれた約二四ヘクタールに及ぶなかに掘立柱建物遺構、板塀を伴う祭殿とされる遺構、竪穴住居跡群、床大引を用いた高床建造物、甕棺墓群などが検出され、漁労 ...
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縄文時代(国史大辞典)
弥生時代以前の日本列島で土器が出現し使用された時代全体を縄文時代とする広義の見解と、その編年区分のうち最古の細隆線文土器・爪形文土器などが作られ使用された草創期は縄文土器文化以前の土器文化と考え、これを晩期旧石器時代・更新世最終末とする見解とがある。
縄文海進(世界大百科事典・岩波 生物学辞典)
関東平野では縄文時代の貝塚が台地周縁ぞいに,かなり内陸まで分布していることが注目されていて,そのような古海岸線を残した海進は縄文海進とよばれるようになった。ヨーロッパでも〈新石器時代汀線Neolithic beach〉とよばれる同じような海進がみられる。
鳥浜貝塚(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
福井県三方上中郡若狭町鳥浜にある縄文時代前期から草創期にかけての貝層を伴う低湿地遺跡。1962年(昭和37)から10年間にわたり、若狭考古学研究会のメンバーを中心に発掘が行われ、多大の成果を収めた。また、自然科学の各分野の研究者が参加協力し、共同研究の実をあげた。
三内丸山遺跡(国史大辞典・世界大百科事典)
青森市三内字丸山に所在する縄文時代の遺跡。沖館川右岸の河岸段丘上にあり、標高は約二〇メートル。範囲は約三八ヘクタールと推定。江戸時代から知られ、山崎立朴の『永禄日記』や菅江真澄の『栖家の山』にも遺物発見の記載がある
縄文土器(日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
縄文文化の土器の総称。縄や蓆でつけたような文様があるので、はじめ縄蓆文土器とも称されたが、昭和初期にこの名称に統一された。明治一〇年(一八七七)、大森貝塚を発掘したE=S=モースが、その土器をCord marked pottery と呼んだのが起源
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長篠の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天正三年(一五七五)五月二十一日織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼の軍を三河国設楽原(したらがはら、愛知県新城(しんしろ)市)で破った合戦。天正元年四月武田信玄が没し武田軍の上洛遠征が中断されると、徳川家康は再び北三河の奪回を図り、七月二十一日長篠城
姉川の戦(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
元亀元年(一五七〇)六月二十八日(新暦八月十日)、現在の滋賀県東浅井郡浅井町野村・三田付近の姉川河原において、織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉景健連合軍を撃破した戦い。織田信長は永禄の末年(永禄二年(一五五九)・同七年・同八―十年ごろという
平成(国史大辞典)
現在の天皇の年号(一九八九―)。昭和六十四年一月七日天皇(昭和天皇)の崩御、皇太子明仁親王の皇位継承に伴い、元号法の規定により元号(年号)を平成と改める政令が公布され、翌一月八日より施行された。これは、日本国憲法のもとでの最初の改元であった。出典は
河原者(新版 歌舞伎事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
江戸時代に、歌舞伎役者や大道芸人・旅芸人などを社会的に卑しめて呼んだ称。河原乞食ともいった。元来、河原者とは、中世に河原に居住した人たちに対して名づけた称である。河川沿岸地帯は、原則として非課税の土地だったので、天災・戦乱・苛斂誅求などによって荘園を
平安京(国史大辞典・日本歴史地名大系・日本大百科全書)
延暦十三年(七九四)に奠(さだ)められた日本の首都。形式的に、それは明治二年(一八六九)の東京遷都まで首府であり続けたが、律令制的な宮都として繁栄したのは、承久二年(一二二〇)ころまでであって、その時代から京都という名称が平安京の語に替わってもっぱら
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