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  11. 上代特殊仮名遣い

上代特殊仮名遣い

ジャパンナレッジで閲覧できる『上代特殊仮名遣い』の日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典のサンプルページ

日本大百科全書
上代特殊仮名遣い
じょうだいとくしゅかなづかい

7、8世紀の日本語文献には、後世にない仮名の使い分けがあり、それは発音の違いに基づくというもの。キケコソトノヒヘミメモヨロおよびその濁音ギゲゴゾドビベの万葉仮名は、それぞれ二つのグループ(橋本進吉の命名により甲類、乙類とよんでいる)に分類でき、グループ間で混用されることがない。たとえば、美、弥などは(三)、ル(見)、カ(上、髪)などのミを表すのに用い、未、微、尾などは(身)、ル(廻)、カ(神)などのミを表すのに用いている(前者をミの甲類、後者をミの乙類という)。
このような2類の区別は、漢字音の研究などにより、当時の日本語の音韻組織が後世とは異なっていた事実の反映と認められる。発音上どのような差異があったのかという点では諸説があり、母音体系の解釈についても定説がない。『古事記』には他の文献にはないモの2類の区別があり、ホとボにも区別した痕跡(こんせき)がうかがわれることから、オ段に関してはほぼ各行に2類の区別が認められることとなり、現在の音に近い[o]と、中舌母音の[〓]のような2種の母音が存在したと推定する説が有力である。イ段、エ段ではカガハバマという偏った行にしか2類の使い分けがないことから、オ段と同様に2種の母音の存在を想定する説(甲類は現在の音に近い単母音、乙類は二重母音または中舌母音とする説が多い)には、やや説得力に欠ける点があり、子音の口蓋(こうがい)化と非口蓋化による差異とする説も唱えられている。このような万葉仮名の使い分けは、畿内(きない)では8世紀後半以降しだいにあいまいになり、9世紀にはほとんど失われてしまった。『万葉集』の東歌(あずまうた)、防人歌(さきもりうた)の伝える東国方言では、かなり多く2類の混同がみえる。
この言語事象の指摘は、本居宣長(もとおりのりなが)に始まり、石塚龍麿(たつまろ)がさらに詳しく調査し、2類の間に画然とした区別のあることを『仮名遣奥山路(かなづかいおくのやまみち)』に著した。この書は写本として伝わり、橋本進吉が独自の研究で再発見して、この説に訂正を加えて紹介公表するとともに、単なる仮名遣いではなく、音韻の差異による書き分けであることを明らかにした。この発見は文法や語彙(ごい)にも及び、たとえば、動詞四段活用の已然(いぜん)形「行け」と命令形「行け」、「上(かみ)」と「神(かみ)」はそれぞれ発音が違っていたことが知られ、上代日本語の研究は飛躍的に進歩した。なお、橋本進吉はエの2類の区別も含めたが、これはア行とヤ行の区別であって、前述のものとは性質を異にする。
[沖森卓也]



改訂新版・世界大百科事典
上代特殊仮名遣い
じょうだいとくしゅかなづかい

奈良時代およびそれ以前の万葉仮名の使用に見いだされる,特殊な仮名遣い。平安時代の平仮名,片仮名では区別して書き分けることのない仮名〈き・ひ・み〉〈け・へ・め〉〈こ・そ・と・の・よ・ろ〉(《古事記》では〈も〉も)と〈え〉の13(《古事記》では14)と,それらのうち濁音のあるもの〈ぎ・び〉〈げ・べ〉〈ご・ぞ・ど〉の7に当たる万葉仮名に,甲・乙2類があって,語によってこの2類は厳格に区別して用いられた事実を指す。たとえば,〈き〉に当たる万葉仮名は,〈支・伎・岐・吉・企・枳・寸・来〉などの一群が〈き〉の甲類と呼ばれ,〈秋(あき)〉〈君(きみ)〉〈衣(きぬ)〉〈著(きる)〉などの〈き〉を表し,〈幾・忌・紀・奇・帰・木・城〉などの一群が〈き〉の乙類と呼ばれ,〈木(き)〉〈月(つき)〉〈霧(きり)〉などの〈き〉を表す。そして同じ語を表すのに,甲・乙どちらか一方の字群の字を仮名として用いて混同しなかった。また甲類の〈き〉が連濁を生じて〈ぎ〉になる場合は〈ぎ〉の甲類で表し,乙類の〈ぎ〉は用いない。このことから甲・乙2類は体系的な音の違いに対応して使い分けられたものと考えられる。さらに動詞の四段活用連用形のイ段の仮名はかならず甲類のものを用い,上二段活用の未然形,連用形,命令形はかならず乙類のものを用いる。四段活用の命令形の〈け〉〈へ〉〈め〉は甲類,已然(いぜん)形は乙類である。同様に下二段活用未然形,連用形,命令形のエ段の仮名はいずれもかならず乙類,上一段活用のイ段の仮名はかならず甲類である。このように秩序だった区別が,時と所と書き手を異にする文献に一定して行われた事実は,後世の仮名遣いとは性格の違うものであって,発音自体が当時異なっていたために区別することができたと考えられる。したがって,同じ段の甲類は同一性格,同じ段の乙類もまた同一性格をもっていたと解釈される。結局,母音の〈イ〉〈エ〉〈オ〉に2種類あって,違いはそれらが子音を伴って音節をつくるときにのみ現れ,母音一つの音節〈ア・イ・ウ・エ・オ〉の場合には区別がなかったと考えるべきであろう。以上の事実をさらに同一語(もしくは同一語根,さらにはより小さな意味単位)において観察すると,〈心〉の場合〈こ〉の乙類同士が結合して,甲類の〈こ〉を交えないという法則性なども解明される。後世の仮名遣いとは異なるから,特殊仮名遣いと呼ばれるが,その呼称は,この事実を発見,提唱した橋本進吉の命名である。この事実の発見の端緒は,本居宣長(もとおりのりなが)の《古事記伝》にあり,その門人石塚竜麿(たつまろ)の《仮字遣奥山路(かなづかいおくのやまみち)》に継承されていたが,真価を認められず,橋本の再発見に至って,ようやく学界への寄与が認められた。また,オ列の乙類の音を主軸にして考えられる音節結合の法則性の発見は有坂秀世,池上禎造らによるもので,日本語の系統論に新しい知見を加えた。そこからさらに甲乙2類の母音を含めた古代日本語の母音全体の体系性におよぶ研究が展開しているが,一つ一つの母音の性質の解釈や相互の関係については,なお確定的な説は立てられていない。
→万葉仮名
[山田 俊雄]

[索引語]
万葉仮名 甲類・乙類 乙類


日本国語大辞典

じょうだい‐とくしゅかなづかい[ジャウダイトクシュかなづかひ] 【上代特殊仮名遣】

解説・用例

〔名〕

上代の万葉仮名文献に存する、後世のいろは四十七字では書き分けられない、仮名の使い分けをいう。いろはがなのうち、エ、キヒミ、ケヘメ、コソトノヨロの一三種(古事記ではモも)およびその濁音、ギビゲベゴゾドにあたる万葉仮名は、それぞれ二類の使い分けがある。例えば、同じヒでも「日」は比、「火」は非、同じコでも「子」は古、「此」は許などと書かれて混同されない。前者の類を甲類、後者を乙類と称して区別する。この甲類・乙類のちがいは、平安時代には失われた上代の音韻の区別を反映しているものと考えられる。ただし、エの二類はア行とヤ行のちがいで、他の仮名の区別とは性質を異にする。使い分けの事実は、早く江戸時代に本居宣長が気づき、石塚龍麿が実例を収集整理したが、明治末期に橋本進吉によってその本質が明らかにされた。

発音

ジョーダイ=トクシュカナズカイ

〓[ジョ]=[ズ]


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29. はしもと‐しんきち【橋本進吉】
デジタル大辞泉
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「上代特殊仮名遣い」の情報だけではなく、「上代特殊仮名遣い」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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