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改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽の太夫
竹本義太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
義太夫節の開祖で、竹本座の創設者。大坂・天王寺村の農家に生まれ、幼名を五郎兵衛という。早くから井上播磨掾の浄瑠璃にあこがれ、播磨の門弟清水理兵衛が『上東門院』を興行した際、そのワキを勤めた。1677年(延宝5)京都四条河原の宇治座『西行物語』に出演して嘉太夫
久米舞(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
宮廷儀式に用いる国風歌舞の一つ。その起源は、早く王権に服属した古代の久米一族の風俗歌舞にあるといわれる。のちにこの久米集団は大伴連のもとで来目部(久米部)を形成し、主として戦闘に携わったが、その勇猛さは『日本書紀』と『古事記』神武天皇の条にみえる一連の来目歌
林邑楽(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
インド系の舞楽。天平八年(七三六)、波羅門僧菩提僊那、林邑僧仏哲によって伝えられたという。ただし仏哲については実在を否定する説がある。初見は『続日本紀』天平宝字七年(七六三)正月条で、唐楽・吐(度)羅楽・隼人舞の歌舞などとともになされたとみえるが
燕楽(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
中国で酒宴の席で奏せられた音楽。儀式の際に奏せられる雅楽に対して、俗楽と称せられ、雅楽が古法を守るのに対して、新しい流行や西域からはいった胡楽(こがく)も取り入れて行なった。*周礼‐春官・鐘師「凡祭祀饗食、奏
古浄瑠璃(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
竹本義太夫と近松門左衛門の提携による新しい浄瑠璃に対して、それ以前の浄瑠璃をいう。従来、貞享二年(一六八五)竹本座二の替り興行の『出世景清』(近松作)を新浄瑠璃のはじめとする説(『外題年鑑』など)が多く行われた。浄瑠璃史の上ではそのころから完成期に入り
択捉島(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
千島列島中、最大の島で国後島の北東、得撫島の南西に位置する。面積は三一三九平方キロ。寛永二十年(一六四三)オランダ船によって発見され、スターテン=ラントと名付けられた。わが国には本島東部の蝦夷を通じて古くから知られていたが、直接交渉を持ったのは享保十六年(一七三一)
対馬(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
長崎県北部、対馬海峡の東水道と西水道との間にある島。西海道一一か国の一つ。対馬海峡東水道を隔てて壱岐に、対馬海峡西水道を隔てて朝鮮半島に対する。早くから大陸との交通・軍事上の要地として開け、天智天皇三年(六六四)には防人(さきもり)と烽(とぶひ)が置かれた。
淡路島(日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
瀬戸内海の東部に浮ぶ瀬戸内海最大の島。北は明石海峡、東は紀淡海峡によって本州と分たれ、西は鳴門海峡によって四国と分たれている。面積は約五九一平方キロ、本州・北海道・九州・四国および択捉島・国後島を除けば、沖縄島・佐渡島・奄美大島・対馬
水鏡(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
歴史物語。三巻三冊。鎌倉時代初期の成立か。作者は中山忠親かといわれるが、ほかに源雅頼をあてる説もある。ただし、雅頼説は注目を集めたものの反論も出ている。内容は、神武天皇より仁明天皇までの歴史を語るが、妄誕の記事がはなはだ多く、信頼できない話題が随所にあり
無名草子(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典)
〔一〕この世に生をうけて以来の八十三年間の年月が、ただ無為に過ぎてしまうことを思うと、大変悲しく、たまたま人間として生れてきた思い出に、死後の形見にするほどのこともなくて生涯が終ってしまいそうな悲しさに、髪を剃り、衣を墨染にして、どうにか姿ばかりは
方丈記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
鎌倉時代の随筆。著者鴨長明。一巻。広本と略本三種とがあり、広本の奥に、建暦二年(一二一二)三月末桑門の蓮胤(長明の法号)が外山(京都市伏見区日野の法界寺の南)の庵で執筆したとある。広本には、大福光寺本(重要文化財)などの古本系と嵯峨本などの流布本系の諸本があり
無名抄(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉初期の歌論書。一巻。鴨長明作。1211年(建暦1)以後まもなくの成立か。和歌詠作上の注意や技法、あるいは歌、歌論、歌人にまつわる説話など、長短約80の章を収める。藤原俊成、源俊頼、源頼政ら歌人たちの話の多くは、他書ではみられない興味深いものが多い。
金槐和歌集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉幕府第3代将軍源実朝の家集。「鎌倉右大臣家集」ともいう。「金槐」の「金」は「鎌倉」の「鎌」の偏、「槐」は「槐門」(大臣の位)の略で、鎌倉右大臣とよばれた実朝の家集を意味するといわれる。伝本は、藤原定家筆で、末尾に「建暦三年(1213)十二月十八日」
古事談(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉初期の説話集。王道后宮、臣節、僧行、勇士、神社仏寺、亭宅諸道の6巻からなる。源顕兼編で、編者の没年(1215)直前の成立か。称徳女帝の淫事、花山帝の出家の真相、在原業平と伊勢斎宮との密通事件とその事後処理など、貴族社会や政治にまつわる秘話や裏面話の数々があからさまに
発心集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世の仏教説話集。鴨長明の編著。流布本は八巻八冊、異本は五巻五冊である。長明が説話の蒐集に取りかかったのは、出家して、大原の別所にいたころからであろうが、成立の年次は明らかでない。おそらく『方丈記』の書かれた建暦二年(一二一二)よりは後であろう。流布本は百二話
保元物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
軍記物語の一つ。『保元記』ともいう。『平治物語』『平家物語』『承久記』とあわせ、四部合戦状とも呼ばれた。作者としては、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』『参考保元物語』)、中原師梁(『参考保元物語』)、源瑜(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)、ただし『安斎随筆』
平治物語(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
軍記物語の一つ。『平治記』ともいう。『保元物語』『平家物語』『承久記』とあわせ四部合戦状(四部之合戦書)とも称される。作者としては、『保元物語』と同じく、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』、『参考平治物語』凡例)、源瑜僧正(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)
西郷隆盛(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八二七 - 七七 明治維新の指導的政治家。文政十年(一八二七)十二月七日鹿児島城下加治屋町で、父吉兵衛隆盛・母マサの長男として生まれた。諱は隆永。維新後は隆盛と改めた。幼名小吉、のち吉之介・善兵衛・吉兵衛・吉之助と称し、号は止水、のち南洲とした。家格は城下士の下級の
大山綱良(大山格之助)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八二五 - 七七 幕末・維新期の薩摩国鹿児島藩士。初代鹿児島県令。通称は格之助、角右衛門ともいう。文政八年(一八二五)十一月六日、鹿児島藩士樺山善之進の次子として鹿児島に生まれ、のち大山四郎助の養子となった。家禄百三十六石。
大久保利通(大久保一蔵)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八三〇 - 七八 明治維新の指導的政治家。諱は利済のち利通と改む。幼名は正袈裟、のちに正助・一蔵と称し、甲東と号す。天保元年(一八三〇)八月十日鹿児島藩士大久保次右衛門利世の長男として、鹿児島城下加治屋町に生まれる。
子嚢菌類(改訂新版 世界大百科事典)
酵母のように単細胞を主体とするものから,コウジカビ,アオカビ,アカパンカビなどのように糸状細胞のいわゆるカビといわれるものや,さらにマメザヤタケ,チャワンタケ,アミガサタケなどのように比較的大型でキノコ状のものまでをふくむ菌類をまとめた大群である。現在のところ1950属
関ヶ原の戦い(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
1600年(慶長5)9月、徳川家康の率いる東軍と、石田三成を中心とする西軍によって、美濃国関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)で行われた「天下分け目」の戦い。 [岡本良一]三成挙兵 1598年(慶長3)豊臣秀吉が死ぬと、豊臣政権はたちまち内部分裂の兆しをみせ始めた。秀吉は生前から、家康の
林羅山(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
江戸時代初期の儒学者。江戸幕府の儒官を代表する林家の始祖。名は信勝または忠、字は子信、通称ははじめ又三郎、のち道春という僧号で呼ばれた。羅山とは儒学者としての号で,中国広東省の羅浮山で宋代の学者が『春秋』を研学したとの故事に基づき
島原の乱(島原・天草一揆)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
江戸時代初期、松倉勝家領の肥前国島原と同国唐津寺沢堅高領の肥後国天草の領民が連帯し、少年益田(天草)四郎時貞を盟主に蜂起し、島原の原城にたてこもって幕府・諸藩兵と戦い、全員誅殺された大農民一揆。天草一揆ともいう。この一揆に対する
三河物語(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
徳川氏創業史の最初の著作。筆者は大久保彦左衛門忠教。三巻。元和八年(一六二二)には草稿本が完成していたとみられるが、現存自筆本(穂久邇文庫蔵、重要文化財)の最終的成立は寛永三年(一六二六)。上巻は源氏の由来から始めて徳川家康の父祖、いわゆる松平八代(親氏―広忠)の
天狗党の乱(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
幕末期水戸藩尊攘激派(天狗党)による筑波山挙兵とそれを契機に起った争乱。天狗の呼称は水戸藩藩主徳川斉昭が天保度の藩政改革を実施した際、改革を喜ばない門閥派が改革派藩士を批難したところから発したもので、改革派には軽格武士が多かったから
禁門の変(蛤御門の変)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
元治元年(一八六四)七月、京都での尊攘派の勢力挽回を策した長州軍と京都を守る会津・薩摩藩を中心とする公武合体派軍との軍事衝突。元治甲子の変または蛤御門の変ともいう。文久三年(一八六三)八月十八日の政変は、それまで京摂間で猛威を
シャクシャインの戦い(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
1669年(寛文9)、東蝦夷地(ひがしえぞち)シブチャリ(北海道新ひだか町)に拠点をもつアイヌの首長シャクシャインが起こした蜂起(ほうき)。この蜂起は東西蝦夷地の各地に波及し、鷹待(たかまち)(鷹匠)や商船の船頭など日本人390人余(『津軽一統志(つ
一条摂政御集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一条摂政藤原伊尹の私家集。編者不詳。総歌数は百九十四首。成立年代は、その詞書から、伊尹死後二十年を経た正暦三年(九九二)八月二十二日以後と推定されるが、冒頭から第四十一首目までは、主人公を「大蔵史生倉橋豊蔭」という卑官に仮託して
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