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在原業平

ジャパンナレッジで閲覧できる『在原業平』の世界大百科事典・日本架空伝承人名事典のサンプルページ

改訂新版 世界大百科事典
在原業平
ありわらのなりひら
825-880(天長2-元慶4)

平安初期の歌人。六歌仙,三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。826年,阿保親王の上表によってその子仲平・行平・業平らに在原の姓が下された。業平は五男の在原であったので在五(ざいご)と呼ばれ,権中将となったため在五中将とも呼ばれた。841年(承和8),17歳で右近衛将監となり,蔵人,左兵衛佐,右馬頭を経て,877年(元慶1),53歳で従四位上右近衛権中将となった。翌年相模権守を兼ね,のち美濃権守を兼ねたが,879年に蔵人頭を兼任,その翌年56歳で没した。紀名虎の子有常の女を妻とし,名虎の女が生んだ文徳天皇の皇子惟喬親王と親しかった。業平が生きた時代は藤原氏繁栄の基礎が築かれた時代で,良房の活動によって紀氏などの有力氏族が退けられていった。《三代実録》は業平の伝を〈体貌閑麗,放縦不拘にして,略,才学無く,善く倭歌を作る〉と記しているが,美男で放縦な業平が,官人として必要な漢詩文の学識を持たず,和歌にうつつを抜かしていたことを伝えている。業平の歌は,《古今集》の30首,《後撰集》の11首,数種の《業平集》などに収められているものを合わせて約50首が残されているが,豊かな心情の表現と発想の奇抜さに特色がある。紀貫之は〈業平はその心あまりてことばたらず。しぼめる花のいろなくて,にほひのこれるがごとし〉(《古今集》序)と評したが,ことばの響き合いの中に余情をあらわすことにすぐれた業平は,いわゆる六歌仙時代の中心として,和歌復興の先駆となった。

《古今集》は,業平の歌についてはとくに長い詞書をつけているが,それはつぎのようなことを伝えている。(1)惟喬親王に従って桜狩りに行ったこと。皇位継承の望みを絶たれた惟喬親王が失意の中に出家して小野にこもると,深い雪の中を訪ねて〈忘れては夢かとぞ思ふおもひきや雪ふみわけて君を見んとは〉(巻十八)とよんで悲しみにくれたこと。(2)五条后の宮の西の対に住む女性に恋し,その思い出を〈月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして〉(巻十五)とよんだこと。(3)東国に下って,三河国の八橋で〈唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ〉,武蔵国の隅田川の辺で〈名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思ふ人は有りやなしやと〉(巻九)という歌をよんだこと。(4)伊勢に下り,ひそかに斎宮に通じたこと。そのほかに,布引滝に遊んだこと,紀有常の女のもとに通ったこと,母が長岡に住んでいたこと。阿波介として任国に下る紀利貞を送るため,また藤原基経の四十の賀のために歌をよんだこと。業平の家にいた女に藤原敏行が通ってきたことなどである。《古今集》の編者が長文の詞書を何によって記したかについては諸説があるが,近年の研究では,東下りや高貴な女性との密通事件も事実ではないとされ,業平の事跡の物語化は,《古今集》にも顕著に見られると考えられるようになった。他方,《古今集》と同じころ,900年前後に成立したとみられる《伊勢物語》には業平の歌を核にした数々の物語が収められているが,《古今集》と《伊勢物語》によって,業平は漂泊の旅にも出た無用者的な〈すき者〉,失意の皇子と慰め合う名門出の貴公子として描き出されることになった。そして,そこに浮かび上がる業平は,平安時代中期以降の貴族文化の一面を体現する人物であり,和歌の復興,物語文学の成立を支える精神を具体化した人物であったと考えられる。

平安時代中期以降,《伊勢物語》は全編が業平の行状の物語であると考えられるようになったが,業平に関する説話の多くは,《古今集》の歌をもとにして作られた。先にあげた(1)に関する説話は,《今昔物語集》や《発心集》に見え,藤原氏の権勢に批判的な立場をとる《大鏡》では,歴史のたいせつなひとこまとして語られている。(2)は清和天皇のもとに入内する前の二条后(高子)との密通の話として,他の恋愛譚を合わせて発展し,《古事談》《宝物集》《無名抄》などでは,業平が二条后を盗み出したが后の兄弟たちに奪い返されるという話になり,忍んで通うために剃髪したとか,事が発覚したため懲罰として髪を切られ,髪が伸びるまで東国に下ったというような話も生まれた。また(2)と(3)が結びつけられて,都にいられなくなった業平が東国に下る話が有名になり,単に東下りといえば,業平の東国への旅をさすほどになった。さらに,業平が奥州八十島で小野小町のどくろに会う話も種種の説話集に見え,一条兼良の《伊勢物語愚見抄》は,業平を馬頭観音,小町を如意輪観音の化身とする説をあげている。《伊勢物語》は,歌の心を涵養するために繰り返し読むべき古典とされ,《源氏物語》よりも重んぜられていたため,《雲林院》《井筒》《小塩》《杜若(かきつばた)》をはじめ,《伊勢物語》に取材する謡曲が数多く作られ,業平は能の舞台にも登場することになった。それらはいずれも王朝の美の極致を夢幻的な雰囲気の中にあらわそうとしたもので,気品の高い曲として重んぜられている。こうした業平に対して,狂言の《業平餅》は,色好みの業平を街道の餅屋に登場させ,醜い餅屋の娘とのかけひきの中に,室町時代の好色で貧乏な貴族をあざ笑う筋になっている。王朝のみやびを体現する業平は,歌舞伎では,恋愛譚の脚色も行われたが,もっぱら舞踊の主人公として登場し,数々の踊りが作られた。それらを総称して業平躍(おどり)という。また《伊勢物語》が広く読まれたため,業平の説話は,絵画や工芸の題材にとりあげられることが多く,浮世絵では見立絵の画題としてさかんに用いられた。業平は小町と好一対をなす美男であるが,小町のような落魄の物語はなく,誕生地や墓所についての伝説も少ない。王朝憧憬と結びついた業平は,小町や和泉式部,西行などのように,庶民の間に広く伝えられる伝説の主人公とはならなかったことが知られる。
→伊勢物語
[大隅 和雄]

[索引語]
在五中将 惟喬親王 伊勢物語 二条后 東下り 小野小町 業平餅 業平躍


新版 日本架空伝承人名事典
在原業平
ありわらのなりひら
825‐880(天長2‐元慶4)
平安初期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。八二六年、阿保親王の上表によってその子仲平・行平・業平らに在原の姓が下された。業平は五男の在原であったので在五ざいごと呼ばれ、権中将となったため在五中将とも呼ばれた。八四一年(承和八)、一七歳で右近衛将監となり、蔵人、左兵衛佐、右馬頭を経て、八七七年(元慶一)、五三歳で従四位上右近衛権中将となった。翌年相模権守を兼ね、のち美濃権守を兼ねたが、八七九年に蔵人頭を兼任、その翌年五六歳で没した。紀名虎の子有常の女を妻とし、名虎の女が生んだ文徳天皇の皇子惟喬親王と親しかった。業平が生きた時代は藤原氏繁栄の基礎が築かれた時代で、良房の活動によって紀氏などの有力氏族が退けられていった。『三代実録』は業平の伝を「体貌閑麗、放縦不拘にして、略、才学無く、善く倭歌を作る」と記しているが、美男で放縦な業平が、官人として必要な漢詩文の学識を持たず、和歌にうつつを抜かしていたことを伝えている。業平の歌は、『古今集』の三〇首、『後撰集』の一一首、数種の『業平集』などに収められているものを合わせて約五〇首が残されているが、豊かな心情の表現と発想の奇抜さに特色がある。紀貫之は「業平はその心あまりてことばたらず。しぼめる花のいろなくて、にほひのこれるがごとし」(『古今集』序)と評したが、ことばの響き合いの中に余情をあらわすことにすぐれた業平は、いわゆる六歌仙時代の中心として、和歌復興の先駆となった。
『古今集』は、業平の歌についてはとくに長い詞書をつけているが、それはつぎのようなことを伝えている。〓惟喬親王に従って桜狩りに行ったこと。皇位継承の望みを絶たれた惟喬親王が失意の中に出家して小野にこもると、深い雪の中を訪ねて「忘れては夢かとぞ思ふおもひきや雪ふみわけて君を見んとは」(巻十八)とよんで悲しみにくれたこと。〓五条后の宮の西の対に住む女性に恋し、その思い出を「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして」(巻十五)とよんだこと。〓東国に下って、三河国の八橋で「唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」、武蔵国の隅田川の辺で「名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思ふ人は有りやなしやと」(巻九)という歌をよんだこと。〓伊勢に下り、ひそかに斎宮に通じたこと。そのほかに、布引滝に遊んだこと、紀有常の女のもとに通ったこと、母が長岡に住んでいたこと。阿波介として任国に下る紀利貞を送るため、また、藤原基経の四十の賀のために歌をよんだこと。業平の家にいた女に藤原敏行が通ってきたことなどである。『古今集』の編者が長文の詞書を何によって記したかについては諸説があるが、近年の研究では、東下りや高貴な女性との密通事件も事実ではないとされ、業平の事跡の物語化は、『古今集』にも顕著に見られると考えられるようになった。他方、『古今集』と同じころ、九〇〇年前後に成立したとみられる『伊勢物語』には業平の歌を核にした数々の物語が収められているが、『古今集』と『伊勢物語』によって、業平は漂泊の旅にも出た無用者的な「すき者」、失意の皇子と慰め合う名門出の貴公子として描き出されることになった。そして、そこに浮かび上がる業平は、平安時代中期以降の貴族文化の一面を体現する人物であり、和歌の復興、物語文学の成立を支える精神を具体化した人物であったと考えられる。
平安時代中期以降、『伊勢物語』は全編が業平の行状の物語であると考えられるようになったが、業平に関する説話の多くは、『古今集』の歌をもとにして作られた。先にあげた〓に関する説話は、『今昔物語集』や『発心集』に見え、藤原氏の権勢に批判的な立場をとる『大鏡』では、歴史のたいせつなひとこまとして語られている。〓は清和天皇のもとに入内する前の二条后(高子)との密通の話として、他の恋愛譚を合わせて発展し、『古事談』『宝物集』『無名抄』などでは、業平が二条后を盗み出したが后の兄弟たちに奪い返されるという話になり、忍んで通うために剃髪したとか、事が発覚したため懲罰として髪を切られ、髪が伸びるまで東国に下ったというような話も生まれた。また〓〓が結びつけられて、都にいられなくなった業平が東国に下る話が有名になり、単に東下りといえば、業平の東国への旅をさすほどになった。さらに、業平が奥州八十島で小野小町のどくろに会う話も種々の説話集に見え、一条兼良の『伊勢物語愚見抄』は、業平を馬頭観音、小町を如意輪観音の化身とする説をあげている。『伊勢物語』は、歌の心を涵養するために繰り返し読むべき古典とされ、『源氏物語』よりも重んぜられていたため、『雲林院』『井筒』『小塩』『杜若かきつばた』をはじめ、『伊勢物語』に取材する謡曲が数多く作られ、業平は能の舞台にも登場することになった。それらはいずれも王朝の美の極致を夢幻的な雰囲気の中にあらわそうとしたもので、気品の高い曲として重んぜられている。こうした業平に対して、狂言の『業平餅』は、色好みの業平を街道の餅屋に登場させ、醜い餅屋の娘とのかけひきの中に、室町時代の好色で貧乏な貴族をあざ笑う筋になっている。王朝のみやびを体現する業平は、歌舞伎では、恋愛譚の脚色も行われたが、もっぱら舞踊の主人公として登場し、数々の踊りが作られた。それらを総称して業平おどりという。また『伊勢物語』が広く読まれたため、業平の説話は、絵画や工芸の題材にとりあげられることが多く、浮世絵では見立絵の画題としてさかんに用いられた。業平は小町と好一対をなす美男であるが、小町のような落魄の物語はなく、誕生地や墓所についての伝説も少ない。王朝憧憬と結びついた業平は、小町や和泉式部、西行などのように、庶民の間に広く伝えられる伝説の主人公とはならなかったことが知られる。
[大隅 和雄]
そもそも業平の本意存念名字の事、本意存念とは、今この伊勢物語を作る事、男女交会の道をいふにあらず。業平十四歳より真雅僧正の弟子として十六より廿八にいたるまで真言の奥義を極めたり。しかるに真言の惣血脈に好賢といふは、この人の法名なり。俗において法名をつくなり。されば「思ふことをいはで」といふは、真言の深義を人に知らせでやみぬといふなり。僧正、かの業平を愛念深かりけるほどに真言の真義を残さず授けられけり。そも〓〓伊勢物語といふは、両部を伊勢の二字におさめたり。されば胎金を男女の道に作りなすなり。伊は胎女なり。勢は胎男なり。
玉伝深秘巻
一、次に業平、人丸の歌の末をよむといふ事は、一躰二名なるにより人丸の歌の末を業平よむなり。人丸化して業平となる。その歌にいはく、
もゝとせに一とせたらぬつくも髪
と人まるいひて、
われをこふらし宇治の橋姫 業平
玉伝深秘巻
見た事もなく業平のやうと誉め
編者/評者:初世川柳(評)
出典:『藐姑柳』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):23
刊行/開き:1785年(天明5)(刊)
古今第一の美男として、六歌仙のうち小野小町の美女に対置され、今業平という語さえある。
色事にかけてはまめな男なり
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):16‐22
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
業平の異名を「昔男」また「豆男」というのは、『伊勢物語』に「昔男ありけり……、それをかのまめ男ものがたらいて」などとあるによって生じた。
風吹けば女房一向油断せず
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):38‐30
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
業平は紀有常の娘と婚姻後も、河内の国高安の里に女ができ、竜田山を越えて通ったが、妻は賢妻型で嫉妬もせず、あるいは留守に間男でも引きこんではいぬかと、ひそかにようすをうかがうと、妻は「風吹けば沖津白浪たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ」と、夫の身を気づかう歌を詠んだのを聞き、河内通いがやんだという逸話をふまえ、右の句は亭主の女郎買いを主題とした。
塀の破れから来なよと后いゝ
編者/評者:似実軒ら(編)
出典:『末摘花』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):3‐10
刊行/開き:1776~1801年(安永5~享和1)(刊)
貸元のずるい后は二条なり
編者/評者:似実軒ら(編)
出典:『末摘花』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):2‐9
刊行/開き:1776~1801年(安永5~享和1)(刊)
業平は二条后(藤原長良の娘)を盗み出した。第一句、「築地のくづれより通ひけり」(『伊勢物語』五段)。第二句、「貸元のずるい」は締りのないこと、情事にだらしがない淫奔女の意の江戸語。
やわ〓〓とおもみのかゝる芥川
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):初‐34
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
業平は、二条后を連れて芥川を越えたが、追手に捕らえられる。そのときは女性の体重をやわやわと感じたであろうとのうがち。
折句師の元祖は公卿のぼろつ買
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):89‐1
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
東下りをした業平は三州八橋で杜若かきつばたを見、カキツバタの五文字を句上に置いて、「唐衣きつゝ馴れにし妻しあればはる〓〓来ぬる旅をしぞ思う」と詠んだという。この形式は江戸期の「折句」の元祖に当たる。「ぼろっ買い」は女と見るや誰彼の区別なく渡り歩く男をいう。
女房はありやなしやと裏にきゝ
編者/評者:呉陵軒可有ら(編)
出典:『誹風柳多留』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):93‐21
刊行/開き:1765~1840年(明和2~天保11)(刊)
隅田川のほとりまで来た業平の歌「名にし負はばいざ事問はん都鳥我おもふ人ありやなしやと」の文句取りで、隅田川に近い吉原の女郎が、裏(二会目)に、女房が「ありやなしや」と聞いたとキョクった。
業平はよからじもない婆々アと寝
編者/評者:編者未詳
出典:『柳多留拾遺』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):5‐11
刊行/開き:1796~97(寛政8~9)(刊)
業平に白髪の老婆が惚れ、彼は「哀れがりて一夜寝にけり」(『伊勢物語』五九段)、のち「百年もゝとせ一年ひとゝせ足らぬ九十九つくも髪われを恋ふらし面影にたつ」と詠んだ。「よからじもない」は良くもあるまいの意。
歌とするとにおはれると在五言イ
編者/評者:似実軒ら(編)
出典:『末摘花』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):4‐10
刊行/開き:1776~1801年(安永5~享和1)(刊)
羅切でもしやうと業平せつながり
編者/評者:初世川柳(評)
出典:『川柳評万句合勝句刷』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):満‐2
刊行/開き:1786(天明6年)(開き)
もて過ぎた色男の告白。第二句、肝心のものが無いほうがいっそ楽。
荒打に塗込められて業平は
編者/評者:初世川柳(評)
出典:『川柳評万句合勝句刷』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):9‐5
刊行/開き:1758(宝暦8年)(開き)
本所業平橋の辺りでとれるしじみを「業平蜆」という。壁の荒塗りの泥に、蜆がまじっている情景。ここにいたってさすがの美男も往生。
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1. ありはらのなりひら【在原業平】
全文全訳古語辞典
[人名]平安前期の歌人。八二五年(天長二)~八八〇年(元慶四)。六歌仙の一人。平城天皇の第三皇子阿保親王の五子。母は桓武天皇の皇女、伊都内親王。兄の行平とともに ...
2. ありはらのなりひら【在原業平】
国史大辞典
り) [参考文献]『古今和歌集目録』、『三十六人歌仙伝』、目崎徳衛『在原業平・小野小町』(『日本詩人選』六)、同「在原業平の歌人的形成」(『平安文化史論』所収) ...
3. ありはらの-なりひら【在原業平】
日本人名大辞典
825−880 平安時代前期の官吏,歌人。天長2年生まれ。阿保(あぼ)親王の王子。母は伊都(いと)内親王。六歌仙,三十六歌仙のひとり。天長3年兄行平らとともに在 ...
4. 在原業平
日本大百科全書
平安前期の歌人。平城(へいぜい)天皇皇子阿保(あぼ)親王の五男。母は桓武(かんむ)天皇皇女伊登(伊都)(いと)内親王。在原氏の五男の意で在五(ざいご)中将、在中 ...
5. 在原業平
世界大百科事典
825-880(天長2-元慶4) 平安初期の歌人。六歌仙,三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。826年,阿保親王の上表 ...
6. ありわら‐の‐なりひら【在原業平】
デジタル大辞泉
[825〜880]平安前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。阿保親王の第5子。情熱的で詠嘆の強い和歌を残し、伊勢物語の主人公とされる。美男子の代表といわれる。在 ...
7. ありわら‐の‐なりひら【在原業平】
日本国語大辞典
形式にとらわれない、情熱的な歌が多く、「古今集」から「新古今集」までの勅撰集に収められる。家集に「在原業平朝臣集」がある。「伊勢物語」の主人公とされる。在五中将 ...
8. 在原業平(ありわらのなりひら)
古事類苑
文學部 洋巻 第1巻 841ページ ...
9. ありわらのなりひら【在原業平】
日本架空伝承人名事典
平安初期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。八二六年、阿保親王の上表によってその子仲平・行平・業平らに ...
10. 在原業平[文献目録]
日本人物文献目録
評と業平の作品との関係』久松潜一『在原業平・小野小町』井上豊『日本文学講座 2』今泉忠義『日本歌人講座 2』-『在原業平』池田勉『在原業平』芝葛盛『在原業平の歌 ...
11. Ariwara no Narihira 【在原業平】
Encyclopedia of Japan
825−880 Waka poet of the early Heian period (794−1185). Great-grandson of Empero ...
12. ありわらの-なりひら【在原業平】
日本人名大辞典
⇒ありはらの-なりひら ...
13. 在原業平建不退寺 (見出し語:在原業平)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1245ページ ...
14. 在原業平歌 (見出し語:在原業平)
古事類苑
文學部 洋巻 第1巻 832ページ ...
15. 在原業平殺人事件
デジタル大辞泉プラス
山村美紗の長編推理小説。1997年刊行。山村の未完作品を、生前の約束により西村京太郎が完結させたもの。 2011年10月 ...
16. ありわらのなりひらていあと【在原業平邸跡】京都市:中京区/初音学区/亀甲屋町地図
日本歴史地名大系
、今旧地をとどめて紫小軒と称す」とあり、その伝承が受継がれ、旧跡として所在したことがわかる。在原業平は平安初期の歌人で、六歌仙の一人である。作品は「古今集」以下 ...
17. 小倉百人一首(17) 歌人/在原業平(在原業平朝臣)[百科マルチメディア]
日本大百科全書
からくれなゐにみづくくるとは定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/ちは在原業平(ありわらのなりひら)(在原業平朝臣(あそん))菱川師宣(ひしかわもろのぶ) ...
18. あおきむら【青木村】埼玉県:飯能市地図
日本歴史地名大系
幕末の改革組合取調書でも雨宮領。「風土記稿」によれば、青木氏が居住したという泉ヶ城跡があり、そこには在原業平の伝説をもつ泉ヶ井があって、この水を村北部の水田の用 ...
19. あさま‐の‐だけ【浅間岳】
日本国語大辞典
*新古今和歌集〔1205〕羇旅・九〇三「しなのなるあさまのたけに立つ煙をちこち人のみやはとがめぬ〈在原業平〉」*書言字考節用集〔1717〕二「浅間嶽 アサマノダ ...
20. 芦屋(市)
日本大百科全書
』の菟原処女(うないおとめ)の伝説地であり、また平安時代阿保(あぼ)親王の所領地で、親王の子在原業平(ありわらのなりひら)の『伊勢(いせ)物語』にも葦屋の地名が ...
21. あしや【芦屋】
日本国語大辞典
。六甲山の南斜面にあり、大正末期までは別荘地で知られた。菟原処女(うないおとめ)の伝説の地や在原業平の邸跡がある。昭和一五年(一九四〇)市制。*伊勢物語〔10C ...
22. あしやし【芦屋市】兵庫県
日本歴史地名大系
ちであろう。なお平安期に入って「伊勢物語」第八七段に「蘆屋の里」のことが記されてから、芦屋は在原業平ゆかりの地とされるようになり、業平の父阿保親王は打出で死去し ...
23. あしやむら【芦屋村】兵庫県:芦屋市
日本歴史地名大系
、とよみけるぞ、この里をよみける、こゝをなむ蘆屋の灘とはいひける」と芦屋の里が紹介されてから在原業平ゆかりの地とされるようになり、芦屋は歌枕として多くの歌に詠込 ...
24. 排蘆小船(近世随想集) 276ページ
日本古典文学全集
りやと。これにながめみむとあるを以て、ながむるとみると別なる事をしれ」。『古今和歌集』恋三、在原業平「起きもせず寝もせで夜をあかしては春の物とてながめ暮しつ」。 ...
25. 排蘆小船(近世随想集) 299ページ
日本古典文学全集
をはらふ道具なれば、あしき事いでくるはづ也」。間柄。妻や妾。『伊勢物語』。平安前期の歌物語。在原業平を主人公に仮託し、恋愛の諸相を描出したもので、約一二五段から ...
26. 排蘆小船(近世随想集) 367ページ
日本古典文学全集
法式も次第に詳しくなるなり。 没、三一歳。当時はいわゆる六歌仙の時代に重なる。六歌仙とは僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主。『古今和歌 ...
27. 東(吾妻)獅子
世界大百科事典
本調子手事(てごと)物で,三弦替手は石川勾当,京都で行われている箏は浦崎検校の手付け。《伊勢物語》在原業平の東下りを歌い出しとし,吉原での後朝(きぬぎぬ)の別れ ...
28. あそん【朝臣】
デジタル大辞泉
三位以上は姓の下につけ、四位は名の下につけ、五位は姓名の下につけたという。「藤原―」「信隆(のぶたか)―」「在原業平(ありわらのなりひら)―」 3 (代名詞的に ...
29. あぼしんのう【安保親王】
国史大辞典
絃歌に妙を得ていたという。密告の功によって一品を追贈された。桓武天皇の皇女伊都内親王との間に第五子在原業平があり、また大江音人・在原行平らもその子である。兵庫県 ...
30. あぼ‐しんのう【阿保親王】
デジタル大辞泉
[792〜842]平城天皇の皇子。在原業平(ありわらのなりひら)の父。薬子(くすこ)の変に連座して大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷。のち許されて帰京、その子 ...
31. あまのがわ【天野川】大阪府:枚方市地図
日本歴史地名大系
座する。川沿いに磐船街道が通った。天川・天河原は歌枕。「古今集」に、惟喬親王の狩猟の供をした在原業平が「あまのかはといふ所のかはのほとり」で詠んだ次の歌が収めら ...
32. あま・る【余】
日本国語大辞典
船(ふな)阿麻理(アマリ) い帰り来むぞ 我が畳ゆめ」*古今和歌集〔905〜914〕仮名序「在原業平は、その心あまりて詞たらず」*源氏物語〔1001〜14頃〕夕 ...
33. あま・る【余る】
全文全訳古語辞典
れ ❶(限度や範囲などを)超えてあふれる。余分になる。余る。 「在原業平は、その心余りて、言葉足らず」〈古今・仮名序〉在原業平は、情感がありすぎていて、(それを ...
34. あめ【雨・下米】
日本国語大辞典
と降る雨に亡き人の魂を偲ぶもの。「かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨はふりぞまされる〈在原業平〉」〔古今‐恋四・七〇五〕以来、「身を知る雨」は我が宿命を知 ...
35. ありはらの-しげはる【在原滋春】
日本人名大辞典
?−? 平安時代前期の歌人。在原業平(なりひら)(825-880)の3男。在次君とよばれ,和歌をよくし「古今和歌集」に6首が収録されている。 ...
36. ありはらのむねはり【在原棟梁】
国史大辞典
?―八九八 平安時代前期の歌人。「むねやな」ともいう。在原業平の子。仁和元年(八八五)従五位下、以後雅楽頭、左兵衛佐、兼安芸介、左衛門佐などを経て、従五位上筑 ...
37. ありはらの-むねはり【在原棟梁】
日本人名大辞典
?−898 平安時代前期の官吏,歌人。在原業平(なりひら)の長男。中古三十六歌仙のひとり。蔵人(くろうど),雅楽頭(うたのかみ),左兵衛佐,左衛門佐などをへて, ...
38. ありはらの-もりひら【在原守平】
日本人名大辞典
?−? 平安時代前期の官吏。阿保(あぼ)親王の王子。在原業平(なりひら)の兄。天長3年(826)兄弟とともに在原の氏をあたえられる。天安2年大膳大夫(だいぜんの ...
39. ありはらの-ゆきひら【在原行平】
日本人名大辞典
818−893 平安時代前期の公卿(くぎょう),歌人。弘仁(こうにん)9年生まれ。阿保(あぼ)親王の王子。在原業平(なりひら)の兄。天長3年弟業平らとともに在原 ...
40. ありはらむら【有原村】滋賀県:高島郡/マキノ町
日本歴史地名大系
[現]マキノ町在原 乗鞍岳南の山中にあり、東は野口村。在原業平に関する伝説がある。享徳(一四五二―五五)頃と思われる旦那在所注文(熊野那智大社文書)に「ありはら ...
41. ありわら【在原】
デジタル大辞泉
平城天皇の皇子阿保(あぼ)親王の子に賜った姓。 「在原」姓の人物 在原滋春(ありわらのしげはる) 在原業平(ありわらのなりひら) 在原行平(ありわらのゆきひら) ...
42. ありわらじんじゃ【在原神社】奈良県:天理市/櫟本地区/市ノ本村
日本歴史地名大系
[現]天理市櫟本町市場垣内 天理市石上町との境付近の小字在原に鎮座。祭神在原業平・阿保親王。境内は在原寺跡で、当社は同寺の鎮守社であった。「大和名所図会」は「な ...
43. ありわら‐でら[ありはら:]【在原寺】
日本国語大辞典
〔一〕奈良市にある不退寺の別称。〔二〕奈良県天理市北部、在原業平の邸宅にあった寺。在原山光明寺。元慶四年(八八〇)建立。明治初年、廃絶。石上寺(いそのかみでら) ...
44. 在原行平
世界大百科事典
818-893(弘仁9-寛平5) 平安初期の歌人。平城天皇の皇子阿保親王の第2子。在原業平の同母兄。826年在原朝臣の姓を賜る。884年正三位。民部卿を兼ねる。 ...
45. ありわらのゆきひら【在原行平】
日本架空伝承人名事典
平安初期の歌人。平城天皇の皇子阿保親王の第二子。在原業平の同母兄。八二六年在原朝臣の姓を賜る。八八四年正三位。民部卿を兼ねる。『古今集』『後撰集』に各四首入集。 ...
46. いしずえむら【石居村】滋賀県:大津市/南部地域
日本歴史地名大系
[現]大津市田上石居町 大戸川を挟んで里村の北にある。江戸期は里村の枝郷として推移。昔、在原業平が夢告を受けて当地に立寄り、大将軍社の地に石を据え地蔵を祀り、写 ...
47. 和泉式部日記 28ページ
日本古典文学全集
(私のことを)恋い慕うの意。「かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる」(古今・恋四 在原業平)。男に愛されぬ悲しいわが身を思い知る涙の雨。何枚 ...
48. いずみでらあと【和泉寺跡】大阪府:和泉市/府中村地図
日本歴史地名大系
和泉寺であるとされている。ところで、「泉州志」には、当寺は「旧跡行基開基也、蔵在原業平遺骨云々」とあり、行基創建、在原業平の遺骨を蔵することが一般に流布していた ...
49. 伊勢物語
日本大百科全書
その章段は、流布本(定家本(ていかぼん))で125段だが、伝本によって多少増減がある。この「昔男」は在原業平に擬せられてもいて、その「初冠(ういこうぶり)」(元 ...
50. 伊勢物語
世界大百科事典
作者も上の伊勢の説のほか,在原業平自記説もあり,紀貫之説も近年有力となりつつあるが,これまた特定は困難であろう。内容は諸本により若干の増減があるが,通行の天福本 ...
「在原業平」の情報だけではなく、「在原業平」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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在原業平(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
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