1. 今川義元
日本大百科全書
戦国大名。今川氏親(うじちか)の三男。母は中御門宣胤(なかみかどのぶたね)の女(むすめ)(寿桂尼(じゅけいに))。幼名は芳菊丸。最初駿河(するが)国富士郡今泉( ...
2. 今川義元
世界大百科事典
1519-60(永正16-永禄3) 戦国時代の武将。氏親の三男。治部大輔。初め出家して承芳と称し駿河善徳寺にいたが,1536年(天文5)兄氏輝の早世後,次兄恵探 ...
3. いまがわ‐よしもと【今川義元】
デジタル大辞泉
[1519〜1560]戦国時代の武将。駿河・遠江(とおとうみ)・三河を支配。京都へ進出の途中、桶狭間(おけはざま)で織田信長勢に急襲され敗死。 ...
4. いまがわ‐よしもと【今川義元】
日本国語大辞典
戦国大名。氏親の子。軍役を整備し、政治・経済に意を用いて、駿河、遠江、三河に勢力を広げる。京都進出(一説には西三河平定)をはかって軍事行動を起こしたが、織田信長 ...
5. いまがわよしもと【今川義元】
国史大辞典
善徳寺の会盟(ぜんとくじのかいめい) [参考文献]『静岡県史料』、『浜松市史』一、小島広次『今川義元』、菊池武雄「戦国大名の権力構造」(『歴史学研究』一六六) ...
6. いまがわ-よしもと【今川義元】
日本人名大辞典
1519−1560 戦国時代の武将。永正(えいしょう)16年生まれ。今川氏親の子。母は寿桂尼。兄氏輝の死で駿河(するが)・遠江(とおとうみ)(静岡県)を領国とす ...
7. 今川義元[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:2件 【逐次刊行物】:1件 『武将言行録』山鹿高祐(編)『今川義元』小島広次『桶狭間戦場及今川義元に関する塚墓』川住鋥次郎 ...
8. 今川義元印[図版]
国史大辞典
承芳 義元 義元 如律令 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
9. 今川義元花押[百科マルチメディア]
日本大百科全書
Shogakukan
... 10. 今川義元花押[図版]
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
11. 愛知(県)
日本大百科全書
織田常松(じょうしょう))となり、信長は清洲城主となった。信長は桶狭間(おけはざま)の戦いで今川義元(よしもと)を破り、天下統一を目前に、京都・本能寺で殺される ...
12. あおきごう【青木郷】静岡県:静岡市/旧有渡郡・庵原郡地区/青木村
日本歴史地名大系
駿府浅間社(静岡浅間神社)の五月流鏑馬郷役一貫六〇〇文を負担している。天文二〇年七月一五日の今川義元判物写(臨済寺文書)には臨済寺領のうち薪料として青木山(田畠 ...
13. あおみむら【青見村】静岡県:富士宮市
日本歴史地名大系
、光規が当地ほかの所領を息子の寅寿丸(光澄)に譲っている。天文二四年(一五五五)六月一九日の今川義元判物(先照寺文書)では、郷内にある曹洞宗先照寺を今川氏の祈願 ...
14. 青山氏
日本大百科全書
当時の領地は三河国(愛知県)岡崎の北方にある額田(ぬかた)郡百百(どうどう)村であった。広忠の死後、一時今川義元(いまがわよしもと)の配下となったが、桶狭間(お ...
15. あおやむら【青谷村】静岡県:天竜市
日本歴史地名大系
七日に左衛門次郎の子息青谷弥太郎が、父の給分であった「阿多古青谷村」内の地を今川義元から安堵されている(「今川義元判物」同文書)。今川氏真も永禄五年青谷弥太郎に ...
16. あかおしぶたれこおりべじんじゃ【赤尾渋垂郡辺神社】静岡県:袋井市/赤尾村
日本歴史地名大系
いう。天文八年(一五三九)一一月一二日、長楽寺は今川義元より寺領三〇貫文を安堵され、僧分三〇貫文を臨時祈祷料銭として還付されている(「今川義元判物」長楽寺文書) ...
17. あかつ-さぶろうざえもん【赤津三郎左衛門】
日本人名大辞典
?−? 戦国時代の陶工。天文(てんぶん)-弘治(こうじ)(1532-58)のころ,今川義元の命で,尾張(おわり)(愛知県)瀬戸の品野(信濃)(しなの)窯で全面に ...
18. あかとりのもん【垢取紋】
国史大辞典
、笠標(かさじるし)に垢取をつけて勝利を得た吉例にもとづいて家紋とし、旗の紋に用いたという。今川義元の馬標(うまじるし)と伝える四半の幟(しはんののぼり)も、紺 ...
19. あくみかんべしんめいしゃ【安久美神戸神明社】愛知県:豊橋市/吉田城下/神明小路
日本歴史地名大系
親とともに社殿造営に尽力している。また天文一九年(一五五〇)の棟札によれば、宝殿造営に際して今川義元が神馬を寄進している。永禄八年(一五六五)に家康より吉田城を ...
20. あさはたごう【浅服郷】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
神社蔵)の銘文に「浅服浅間□衆奉納也」とある。同一八年八月七日の同社流鏑馬銭について裁許した今川義元朱印状(村岡文書)に「浅服六郷内五ケ郷者、例年無相違勤来之条 ...
21. あさば【浅羽】静岡県:磐田郡/浅羽町
日本歴史地名大系
先の新田開発では小笠原氏も深く関与しているので、これも同様の地名であろう。なお天文九年(一五四〇)八月一日の今川義元朱印状写(三浦文書)にみえる浅羽庄内の上村や ...
22. あさひな【朝比奈】静岡県:志太郡/岡部町
日本歴史地名大系
。天文一二年(一五四三)九月一九日、朝比奈又八郎は今川義元から当知行分の朝比奈谷等を安堵され、棟別・人足等の諸役を引続き免除された(「今川義元判物」朝比奈文書) ...
23. あさひなごう【朝夷郷】静岡県:小笠郡/浜岡町
日本歴史地名大系
平田寺(現相良町)領であったと確認されて、同寺長老に安堵されている。天文二〇年(一五五一)二月二三日の今川義元判物(中山文書)には「先年鼻連神田増分以朝比奈専念 ...
24. あしあらいのしょう・あしあらいごう【足洗庄・足洗郷】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
郷とが併存することから、その分立は比較的早くであったろう。天文五年(一五三六)一二月二七日の今川義元判物(孕石文書)によると、孕石光尚の花蔵の乱に際しての戦功の ...
25. あしくぼむら【足久保村】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
さす。天文二一年八月六日には今川義元が当地の南に隣接する慈悲尾の増善寺住持惟頓に「内槙之内池端以南之田地内五俵地、并西谷塔頭領田山屋敷表之切起」を安堵している( ...
26. あしたかやま【愛鷹山】静岡県:沼津市
日本歴史地名大系
下者足鷹惣山」が、渡辺春徳に給恩として与えられている。また天文一九年(一五五〇)二月一二日の今川義元朱印状(多聞坊文書)では、「愛鷹林」が須津庄(現富士市)内の ...
27. あずきさかこせんじょう【小豆坂古戦場】愛知県:岡崎市/羽根村
日本歴史地名大系
[現]岡崎市羽根町 小豆坂 羽根地籍東方の丘陵地。松の木立に覆われた起伏の多い一帯が今川義元と織田信秀の軍が激しく戦った小豆坂古戦場である。「信長記」「朝野旧聞 ...
28. 小豆坂
日本大百科全書
向けたので、松平広忠(ひろただ)(徳川家康の父)はこの危機を乗り切るため、駿河(するが)(静岡県)の今川義元(よしもと)に援を求めた。織田、今川の両雄決戦の場と ...
29. 小豆坂
日本史年表
1542年〈天文11 壬寅③〉 8・10 今川義元,織田信秀と三河 小豆坂 で戦う(信長公記)。 1548年〈天文17 戊申〉 3・19 太原崇孚ら今川義元・松 ...
30. あずきざかのたたかい【小豆坂の戦】
国史大辞典
すなわち西から矢作川をこえて上和田・羽根から馬頭・簑川にぬける間の起伏する地一帯で、尾張進入をはかった今川義元勢が、織田信秀の迎撃をうけて勝敗決しなかった戦い。 ...
31. あつはらむら【厚原村】静岡県:富士市/旧吉原市・鷹岡町地区
日本歴史地名大系
(一五五四)二月中旬、北条氏が富士郡下方庄へ打入り、吉原・柏原に陣を取った時、三河に出陣中の今川義元に代わって武田晴信が出兵し、大宮(現富士宮市)から「アツハラ ...
32. あつみぐん【渥美郡】愛知県
日本歴史地名大系
送られる人質松平竹千代(家康)を奪って尾張の織田信秀に送ったことから、天文一六年(一五四七)今川義元に攻略されて戸田氏は滅び、田原城は今川氏の出城として渥美郡が ...
33. 安土桃山時代
日本大百科全書
構え、豊かな濃尾(のうび)平野を地盤として勢力の伸長に努め、1560年(永禄3)東海一の大名今川義元(よしもと)を桶狭間(おけはざま)の一戦で討ってから急速に頭 ...
34. あなやまこうじ【穴山小路】山梨県:甲府市/甲府
日本歴史地名大系
要する(甲斐武田氏文書目録)。「高白斎記」天文二一年(一五五二)一一月二七日条には、晴信嫡男義信に嫁ぐ今川義元の息女が府中穴山宿に到着したことが記録されるが、こ ...
35. あの・あののしょう【阿野・阿野庄】静岡県:沼津市/旧駿東郡地区
日本歴史地名大系
寺領を安堵したのをはじめ(「今川義元判物」大泉寺文書)、今川義元は同一八年二月二八日に善得寺(現富士市)末の真如寺に対し「阿野庄井出郷内」で寺領を寄進(「今川義 ...
36. あべし【安部氏】
国史大辞典
信濃諏訪郡の出身と伝えるが、早く駿河安部谷に移って、元真から安部氏を称し、安倍郡を知行して今川義元・氏真に属していたが、永禄十一年(一五六八)武田信玄の駿河攻 ...
37. あめのみやじんじゃ【天宮神社】静岡県:周智郡/森町/天宮村
日本歴史地名大系
れば古くは一宮(現小国神社)神領五ヵ郷の摂社であったとする。天文一二年(一五四三)九月六日、今川義元は「一宮庄之内金胎両部之一社天宮」の社務を中村新左衛門尉に安 ...
38. あめのみやむら【天宮村】静岡県:周智郡/森町
日本歴史地名大系
翁宗順から受戒した。天文一二年(一五四三)九月六日、今川義元は「一宮庄之内金胎両部之一社天宮」の神主中村新左衛門尉に社務を安堵(「今川義元判物」天宮神社文書)、 ...
39. 荒尾氏
世界大百科事典
や寺本代官職を知行した。室町後期には木田城城主となった空善がおり,その子善次は織田信長の下で今川義元と戦い功をたてたが,孫善久は三方原の戦で討死した。旭 澄江 ...
40. あわくらむら【粟倉村】静岡県:富士宮市
日本歴史地名大系
村山村をコの字型に囲む。富士山南西麓の丘陵および山地に立地する。天文二三年(一五五四)七月九日の今川義元判物写(葛山文書)に「粟蔵」とみえ、村山浅間神社別当寺興 ...
41. あんかいくまのじんじゃ【安海熊野神社】愛知県:豊橋市/吉田城下/魚町
日本歴史地名大系
を造営したことが明応四年(一四九五)三月の棟札にみえる。また、天文年中(一五三二―五五)には今川義元から永銭一〇貫二四文の社領寄進があった。この頃境内に魚市場が ...
42. あんざいごう・あんざい【安西郷・安西】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
五年目一花堂方」と記されている。天文一三年九月二八日、今川義元は海老江弥三郎に駿河国知行分の一つとして「小安西之内屋敷分」を安堵している(「今川義元判物」海老江 ...
43. あんざいじあと【安西寺跡】静岡県:静岡市/駿府城下/馬場町
日本歴史地名大系
しかし同五年一一月七日、今川義元が住持職安堵の判物(安西寺文書)を当寺に与え、同二〇年一二月七日には同じく義元が覚阿譲与の旨に任せて寺領田畠屋敷などを師阿弥陀仏 ...
44.&nbsnbsp;あんしょうじょうあと【安祥城跡】愛知県:安城市/安城村
日本歴史地名大系
この時の戦死者を祀った塚の跡という。以後一〇年間は、松平・織田両軍の攻防の的となった。天文一八年信秀と今川義元の間に安祥城をめぐる攻防戦が展開され、今川軍が安祥 ...
45. あんどうのしょう・あんどう【安東庄・安東】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
天文一一年(一五四二)九月一三日の今川義元判物(静岡浅間神社文書)によると、関口刑部息女が浅間新宮(静岡浅間神社)神主に安東築地屋敷を寄進した。弘治二年(一五五 ...
46. あんらくじ【安楽寺】愛知県:渥美郡/田原町/野田村
日本歴史地名大系
真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。境内一千一九七坪、もとは西円寺支配の説教道場で、天文二三年(一五五四)の今川義元の寺領証文(太平寺蔵)に、渥美郡野田郷之内、保井西円 ...
47. 井伊氏
世界大百科事典
っていた。井伊氏の活動が歴史上,具体的になるのは戦国争乱期である。家譜によれば,直宗,直盛は今川義元に仕え織田氏との合戦で戦死した。直盛の養子直親は義元の子氏真 ...
48. いいお-のぶむね【飯尾信宗】
日本人名大辞典
宗の子。父とともに織田信長に属し,桶狭間(おけはざま)の戦いのとき,鷲津砦(わしづとりで)で今川義元軍に敗れて父をうしなう。本能寺の変後は織田信雄,豊臣秀吉につ ...
49. いいだむら【飯田村】静岡県:周智郡/森町
日本歴史地名大系
文案(教王護国寺文書)にみえる京都蓮華王院領飯田庄の遺称地。弘治三年(一五五七)二月一三日の今川義元判物(蓮華寺文書)によれば、山内通輔が蓮華寺に寄進した「飯田 ...
50. いい-なおみつ【井伊直満】
日本人名大辞典
戦国時代の武将。遠江(とおとうみ)(静岡県)井伊谷(いいのや)城主井伊直平の次男。父とともに今川義元につかえる。兄直宗の惣領(そうりょう)直盛に子がないため,子 ...