改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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今鏡(世界大百科事典)
平安末期の歴史物語。10巻。《小鏡》《続世継》とも呼ばれる。1170年(嘉応2)成立。著者には中山忠親,源通親などが擬せられるが,未詳。《大鏡》の後を継ぐ書として,《大鏡》の記事が終わる後一条天皇の万寿2年(1025)から高倉天皇の嘉応2年までの13
成尋阿闍梨母集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
天台宗の僧成尋の母を作者とする自撰歌集。成尋は1072年(延久4)62歳で宿願の宋に渡ったが,故国に残された80余歳の老母は,別離の悲しみと成尋の身に思いを馳せる心情を切々として詠歌に託した。集は上・下巻に構成され,上巻は1067年(治暦3)10月か
宝物集(日本大百科全書・世界大百科事典)
鎌倉時代の法語。平康頼(やすより)編。12世紀末の成立。1巻,2巻,3巻,6巻,7巻,9巻などのさまざまな形態のものがおこなわれた。それぞれ,収録説話,収録和歌に繁簡の差があり,叙述に精粗の差がある。康頼の編んだ《宝物集》がどのような形態・内容のもの
とりかへばや物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安末期の物語。作者不明。原作本は滅び,現存本は《無名草子》に《今とりかへばや》として見えるもの。ともに平安末期に成る。現存本4巻。大納言に異腹の2児がある。兄は生来女性的,妹は男性的なので,父は2人を〈とりかへばや〉と考え,兄に女装,妹に男装させて
梁塵秘抄(国史大辞典・世界大百科事典)
平安後期の今様とその周辺歌謡の集成。後白河法皇撰。明確な成立年時は未詳。《梁塵秘抄口伝集》と同じころか。もと20巻で,歌詞の集成である《梁塵秘抄》10巻と口伝(くでん)を記した《梁塵秘抄口伝集》10巻があったと思われる。1世紀ほど後に成った《本朝書籍
千載和歌集(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代の勅撰和歌集。八代集の第7にあたる。20巻。撰者は釈阿(しやくあ)(藤原俊成)。1183年(寿永2)後白河院の院宣によって撰集下命,88年(文治4)に成る。俊成編の私撰集《三五代集》(今は伝わらない)を母胎として編纂された。入集歌は〈後拾遺集
唐物語(国史大辞典・世界大百科事典)
中国の説話27編を翻訳した説話物語集。平安末期の成立。著者は藤原成範(1135-87)と言われる。王朝人に親しまれた〈楊貴妃〉〈反魂香〉〈王昭君〉〈呂太后〉〈張文成〉などの故事を,漢文訓読調の直訳ではなく,情趣豊かな和文に翻訳,和歌を配して王朝物語風
旋頭歌(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
長歌,短歌などとともに和歌の歌体の一種で,5・7・7・5・7・7の6句からなる。旋頭歌の〈旋〉は〈めぐる〉の意である。つまり頭句にめぐる,かえるの意で,くり返しうたう歌の意の名義と解される。《歌経標式》では〈双本歌〉と呼んでいる。《万葉集》に62首あ
和泉式部日記(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期の日記。別名《和泉式部物語》。冷泉天皇の皇子帥宮(そちのみや)(敦道(あつみち)親王)との恋愛の顚末を,贈答歌を中心にしるしたもので,歌物語の一面をもつ。1003(長保5年)4月から翌年1月までの10ヵ月間の記事がその内容である。他作説
落窪物語(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
平安朝の継子いじめ物語。4巻。作者不詳。源順(みなもとのしたごう)とする説もある。順が漢文学の素養があり,和歌もよくする下級貴族の男性であることで,作者の条件をみたす一人だと見てよい。書名は女主人公が〈寝殿の放出(はなちいで)の,また一間なる落窪なる
日本往生極楽記(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
慶滋保胤(よししげのやすたね)選。寛和年間(985-987)の成立。唐の《浄土論》《瑞応伝》にならって日本の往生者の伝を集め,42項目45人を僧尼・俗人男女の順に漢文体で記す。国史別伝・故老口伝を素材とするが,著者の伝聞とみられる同時代の往生者の記載
往生要集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
比叡山横川(よかわ)の恵心院の僧都(そうず)源信が985年(寛和1)に撰述した書。3巻。〈往生極楽〉に関する経論の要文を集め,〈往生の業(ごう)には念仏を本となす〉という思想を明らかにした平安時代の浄土教信仰を代表する著書。〈それ往生極楽の教行は,濁
うつほ物語(宇津保物語)(日本古典文学全集・世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期(10世紀末)の作り物語。作者は古来の源順(みなもとのしたごう)説が有力。〈うつほ〉には〈洞〉〈空穂〉をあてることがある。初巻に見える樹の空洞に基づくもの。あらすじ清原俊蔭は王族出の秀才で若年にして遣唐使一行に加わり渡唐の途上
蜻蛉日記(世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安朝の日記文学。作者は右大将藤原道綱母。上・中・下3巻より成る。上巻は954年(天暦8)から968年(安和1)までの15年間,中巻は969年から971年(天禄2)までの3年間,下巻は972年から974年(天延2)までの3年間で,作者の20歳から40
後撰和歌集(世界大百科事典・国史大辞典)
略称《後撰集》。《古今和歌集》をつぐ平安時代第2の勅撰和歌集。20巻。951年(天暦5)村上天皇の宣旨により,藤原伊尹(これただ)を別当(責任者)に,清原元輔,大中臣能宣(よしのぶ),源順(したごう),紀時文,坂上望城(もちき)を撰者として宮中の梨壺
将門記(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典・日本古典文学全集)
軍記。〈まさかどき〉ともよむ。原名を《将門合戦状(まさかどかつせんじよう)》ともいい,10世紀中葉の承平・天慶年間に東国で起こった平将門の反乱事件(平将門の乱)を,その張本であった将門の行動を中心に叙述した作品。作者不詳。1巻。現存する伝本がいずれも
土佐日記(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期,935年(承平5)ころ成立の作品。作者は紀貫之。934年12月21日,新任の国司島田公鑒に国司の館を明け渡して大津に移った前土佐守紀貫之は,27日大津を出帆し,鹿児崎(かこのさき),浦戸,大湊,奈半(なは),室津,津呂,野根,日和佐(ひわさ
倭名類聚抄(和名類聚抄)(世界大百科事典・国史大辞典)
〈わみょうるいじゅしょう〉とも読み,《和名抄》と略称する。また〈和〉は〈倭〉とも記す。醍醐天皇の皇女勤子内親王の命により,源順(みなもとのしたごう)が撰上した意義分類体の漢和辞書。承平年間(931-938)の編集か。10巻本と20巻本とがあるが,どち
菅家文草(世界大百科事典・国史大辞典)
菅原道真の漢詩文集。12巻。900年(昌泰3)成立。前半6巻は詩468首を年次順に,後半6巻は散文161編をジャンル別に集める。道真は政府高官であった得意時代,〈月夜に桜花を翫(もてあそ)ぶ〉(385),〈殿前の薔薇を感(ほ)む〉(418)など艶冶巧
続日本後紀(世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
日本古代の史書。六国史の第4。20巻。仁明天皇1代,833年(天長10)から850年(嘉祥3)にいたる18年間の歴史を記す。文徳天皇の命により,藤原良房,春澄善縄らが編纂にあたり,清和天皇の869年(貞観11)に完成奏上。以前の国史の体裁を追いながら
日本後紀(世界大百科事典・国史大辞典)
日本古代の官撰の史書。六国史の第3。40巻。792年(延暦11)から833年(天長10)まで,桓武,平城,嵯峨,淳和の4天皇,43年間のことを記す。仁明天皇の840年(承和7),藤原緒嗣(おつぐ)らの手で完成。応仁・文明の戦乱で散逸し,10巻のみ現存
性霊集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典)
〈せいれいしゅう〉ともいい,詳しくは《遍照発揮(へんじようほつき)/(へんじようはつき)性霊集》という。空海(弘法大師)の詩文などを集めて10巻としたもの。編者は空海の弟子真済(しんぜい)で,のち8,9,10の3巻が散逸したため,1079年(承暦3)
経国集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期,827年(天長4)5月成立した勅撰第3漢詩集。20巻。書名は,〈文章は経国の大業,不朽の盛事〉という魏の文帝の〈典論・論文〉による。淳和天皇の勅を奉じ,良岑安世(よしみねのやすよ)が滋野(しげの)貞主,南淵弘貞,菅原清公ら数名とともに協議し
文華秀麗集(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期の勅撰第2漢詩集。3巻。818年(弘仁9)成立。書名は文(あや)のある美しく秀でた作を集めた詩集の意。嵯峨天皇の勅命を受けた藤原冬嗣が仲雄王(なかおおう)や菅原清公(きよとも)らに命じて編集させたことが,仲雄王の序文にみえる。作者26名(序文
新撰姓氏録(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
古代日本の氏族の系譜書。30巻と目録1巻。815年(弘仁6)7月に成立。本書の編纂は,799年(延暦18)12月の本系帳の提出命令に端を発し,諸氏族が提出した本系帳にもとづいて万多(まんだ)親王らがまとめあげた。収録氏族の数は,京畿内の1182氏。皇
凌雲集(世界大百科事典・国史大辞典・全文全訳古語辞典)
平安初期の勅撰第1漢詩集。1巻。《凌雲新集》とも。782年(延暦1)以来の漢詩を集め,814年(弘仁5)成立。書名は〈雲を凌(しの)ぐ〉ほど優れた詩集の意。小野岑守(みねもり)が嵯峨天皇の勅命を奉じ菅原清公(きよきみ)らと慎重に協議して編集したことが
古語拾遺(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安初期に書かれた歴史書。著者は斎部広成。1巻。807年(大同2)2月13日完成。忌部(斎部)氏は大和朝廷時代には中臣氏と並んで祭祀を担当していたが,大化改新後は中臣氏から藤原氏が出て政界で有力になると,中臣氏も奈良時代には祭祀関係の要職を独占するようになった。
百万塔(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
奈良時代に作られた轆轤びき木製三重小塔で,塔身部に〈陀羅尼経〉を納めている。相輪部と塔身部に分かれ,それぞれ一木を用いて削り出す。大きさは個体によって異なるが,標準的なもので総高21.4cm,基底部径10.5cm,塔身部のみの高さは13.4cmある。塔身部の軸部上端を筒状にえぐり
懐風藻(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典・日本国語大辞典・全文全訳古語辞典)
現存するわが国最古の漢詩集。編者は未詳だが、淡海三船(林春斎説)、葛井広成(武田祐吉説)、石上宅嗣(川原寿一説)、藤原刷雄(山岸徳平説)、最後の詩「歎〓老」の作者たる亡名氏(久保天随説、ただし武田はこれを広成とする)、作をとどめぬ某(林古渓説)
大忌祭(改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
律令時代の宮廷の四時祭(しじさい)の一つで,大和国広瀬神社(奈良県北葛城郡河合町)でおこなわれた神事。広瀬大忌祭ともいう。神祇令の規定では,竜田大社の風神祭と並んで4月,7月の4日に小祀として営まれた。
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