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蜻蛉日記

ジャパンナレッジで閲覧できる『蜻蛉日記』の日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集のサンプルページ

日本大百科全書
蜻蛉日記
かげろうにっき

平安中期の歌人藤原道綱母(みちつなのはは)の書いた回想録的な日記。道綱母の20歳ごろの954年(天暦8)、時の右大臣藤原師輔(もろすけ)の三男兼家(かねいえ)と結婚してから、974年(天延2)に兼家の通うのが絶えるまでの、20年間の記事をもつ。上中下の3巻からなり、上巻末尾に「あるかなきかの心地(ここち)するかげろふの日記といふべし」の語があり、書名はこれに由来する。社会的に確固とした存在ではなく、かげろうのようにはかない身の上の日記だという意味である。現存するこの作品の伝本は、いずれも江戸時代の写本であるが、そのうちで最古の江戸初期書写の宮内庁書陵部蔵本以下、すべて『蜻蛉日記』の書名をもつ。古くは藤原定家の日記にも『蜻蛉日記』と記されているけれども、また『遊士日記(かげろうのにっき)』(八雲御抄(やくもみしょう))、『蜻蛉記(かげろうのき)』(本朝書籍目録)とも記されている。
内容は、摂関家(せっかんけ)の御曹司(おんぞうし)の兼家から求婚された道綱母が、大きな期待に心をはずませて結婚し、翌年兼家の次男の道綱を生んだが、兼家の以前からの妻や、次々と新しく現れてくる妻たちのなかにあって、夫の足が遠ざかることによる悲哀や、望んでいたような身の上が実現しない嘆きなどを繰り返すうちに、ついに兼家が通わなくなって、夫婦関係が絶えるまでの結婚生活を記している。夫の兼家が多くの妻をもち、自分を訪れることが絶えたのを強く非難する記事が多く、当時の貴族社会における一夫多婦制の婚姻制度のもとで、弱者としての妻の立場から夫婦関係を描いたものである。また一面では、社会生活の場をもたない貴族女性が、身分の高い男性と結婚することで、その社会的地位の向上を求めようとしたが、期待どおりには実現しなかった残念さを書いた、という性格をももっている。
この日記は、平安時代の女流文学が重要なテーマとした女性の立場を書いて先駆的な位置にあり、『源氏物語』もそのテーマを発展させたものということができる。
[増田繁夫]


改訂新版・世界大百科事典
蜻蛉日記
かげろうにっき

平安朝の日記文学。作者は右大将藤原道綱母。上・中・下3巻より成る。上巻は954年(天暦8)から968年(安和1)までの15年間,中巻は969年から971年(天禄2)までの3年間,下巻は972年から974年(天延2)までの3年間で,作者の20歳から40歳に至る21年間の藤原兼家との結婚生活の経緯を叙述する。日次記として書かれたのではなく,おそらく971年に起筆,和歌の詠草や断片的な備忘記にもとづいて上・中巻を書き終えたのち下巻が書き継がれ,後に全体的に加筆されたものらしい。上巻の冒頭に序文があり,うちひしがれた境涯に沈淪(ちんりん)する一人の女=道綱母が世間に流布する古物語に接すると,ありきたりの〈そらごと〉さえも心を慰めるよすがとなりうるのだから,人並みとはいえぬわが人生を日記として書いたら特異な作品となるに違いないと述べ,さらに高貴の家の妻の生活がいかなるものであるかを知る例にしてほしいとも記して,この日記の著述の動機や主題を提示している。次いで,まず藤原兼家の熱心な求婚から結婚までの経過が述べられ,翌年男子道綱が生まれるが,そのころ兼家は別の愛人のもとへかよっていたことが記される。道綱母は以後数年間この愛人のために悩まされ兼家との仲も険悪になる。一方,結婚直後陸奥守となって赴任した父藤原倫寧(ともやす)との別離や山寺にこもった母との死別なども大きくとりあげられ,その悲嘆を慰める兼家の親切な態度にふれたり,兼家と協力しての章明親王との交誼のこと,病後の兼家を見舞ったこと,初瀬詣のことなど,兼家の妻としての喜びや晴れがましさを味わうあれこれの話もさしはさまれている。しかし全体としては妻の生活の苦しさ・はかなさへの嘆きが基調となっており,上巻巻末には〈なほものはかなきを思へば,あるかなきかの心地する,かげろふの日記といふべし〉とある。この日記の名称はこれに由来する。中巻の3年間は兼家との夫婦仲の最も険悪だった時期であり,その間,左大臣源高明が配流された安和(あんな)の変への異常な関心や唐崎での祓,石山詣などが大きく記されるのだが,やがて作者は兼家の新しい愛人の出現に絶望し鳴滝の般若寺にこもる。このあたりから諦(あきら)めの境地に入ったらしく,鳴滝から連れ戻されたあと再び初瀬詣をしたことを記す中巻末には,沈静した人生観照・自然観照がみられるようになる。下巻に入ると兼家の動静をも含めて日常身辺の事件に対してじっくりと眼を注ぐ姿勢が著しくなり,わが子道綱への愛情や兼家が他の女に生ませた娘を養女として引き取る経緯やその養女の縁談が不調に終わる話なども語られる。

以上この日記は上・中・下巻それぞれに色調を異にし,そこに作者の人生の変転が描かれている。《蜻蛉日記》は女流日記文学の道をひらくものであったが,また同時にこの作品によって物語文学における内面的な人物造型の方法が準備された。
[秋山 虔]

[索引語]
藤原道綱母 藤原兼家 安和(あんな)の変
新編 日本古典文学全集
蜻蛉日記
かげろうにっき
【閲覧画面サンプル】
蜻蛉日記 全体

【上記の拡大画像】
蜻蛉日記 拡大

【現代語訳】
〔一〕
過去半生の時間がこんなにもむなしく過ぎて、まことに頼りなく、どっちつかずのありさまで暮している女があった。容貌といっても人並でもなし、思慮分別もあるわけでなし、こんな役立たずの状態でいるのも当然だと思いながら、ただなんとなく毎日を過すつれづれのままに、世間に流布している古物語の端々をのぞいてみると、ありきたりのいい加減な作り事でさえもてはやされるのだから、人並でない身の上でも日記として書いてみたら、なおのこと珍しく思われることだろう、この上もなく高い身分の人との結婚の真相はどんなものかと尋ねる人がいたら、その答えの一例にでもしてほしい、と思うのだが、過ぎ去った長い年月のことは、記憶が薄れてはっきりしないので、まあどうにかという程度のあやふやな記述も多くなってしまった。

【目次】
蜻蛉日記(扉)
凡例
蜻蛉日記(扉)
蜻蛉日記 上
〔一〕序文――はかない身の上を書いた日記
〔二〕右兵衛佐・藤原兼家の単刀直入な求婚
〔三〕その年の秋、兼家との結婚成立
〔四〕結婚成立に引き続く兼家との贈答
〔五〕父倫寧の陸奥守赴任 兼家の横川参詣
〔六〕道綱誕生 町の小路の女の出現
〔七〕桃の節供 続いて姉との離別
〔八〕時姫の所にも途絶えがちな兼家
〔九〕町の小路の女、男子を出産
〔一〇〕兼家の通い、やや常態にもどる
〔一一〕町の小路の女、兼家の寵を失う
〔一二〕長歌の贈答、胸中を兼家に訴える
〔一三〕兼家兵部大輔、章明親王との交誼
〔一四〕章明親王邸の美しい薄を請い受ける
〔一五〕不安定な妻の立場に、はかなさを痛感
〔一六〕母の死
〔一七〕母の一周忌に琴を弾き、叔母と母を偲ぶ
〔一八〕姉の旅立ち、形見に衣装を脱ぎ替える
〔一九〕病気の兼家をひそかに見舞に行く
〔二〇〕賀茂祭に時姫と贈答 端午の節会
〔二一〕荒れていく家 荒れていく夫婦の仲
〔二二〕稲荷と賀茂へ詣で、和歌を奉納
〔二三〕かりのこを十重ねて、ふ子に贈る
〔二四〕村上天皇の崩御 御代交替で兼家の昇進
〔二五〕西の対に退出した登子と交情を深める
〔二六〕初瀬詣で、往路、門出から寺まで
〔二七〕初瀬詣で、帰路、宇治へ兼家の出迎え
〔二八〕結び――あるかなきかのかげろうの日記
蜻蛉日記 中
〔一〕年頭の寿歌三十日三十夜はわがもとに
〔二〕作者の侍女と、兼家の侍とのたわむれ
〔三〕西の宮の左大臣の流謫に心から同情
〔四〕病気をして心細さに遺書をしたためる
〔五〕愛宮(前左大臣高明室)に長歌を贈る
〔六〕小一条の左大臣五十の賀の屏風歌を詠む
〔七〕内裏の賭弓道綱の活躍と栄誉
〔八〕来ぬ夜が三十余日、昼が四十余日
〔九〕唐崎祓い
〔一〇〕母子叙情、鷹を放っても慕いくる道綱
〔一一〕石山詣で
〔一二〕身辺の雑事の底を流れる暗澹たる心情
〔一三〕兼家と近江との関係進み、門前を素通り
〔一四〕憂愁の極に達し、父の家で長精進
〔一五〕兼家の前渡りせぬ世界にと鳴滝へ立つ
〔一六〕鳴滝般若寺に到着、兼家追って来る
〔一七〕閑寂な山寺、叔母や妹のおとずれ
〔一八〕兼家の使者、強く下山を勧めに来る
〔一九〕兼家との交信 侍女たちの交信
〔二〇〕見舞に来た親族の者との語らい
〔二一〕道隆の来訪、またしきりに下山を勧める
〔二二〕兼家によって強引に京へ連れもどされる
〔二三〕帰宅、磊落な兼家は冗談を言いちらす
〔二四〕またも兼家の途絶えがちな生活
〔二五〕再度の初瀬詣で
〔二六〕しめやかな人生観照、中巻の結尾
蜻蛉日記 下
〔一〕天禄三年、しめやかな気分の年頭
〔二〕大納言に昇進した兼家の悠然たる風姿
〔三〕「世の中いとあはれなり」と思うこのごろ
〔四〕夢解き、道綱の将来の繁栄を占う
〔五〕兼忠女腹の兼家の娘、志賀山麓に育つ
〔六〕兼忠女の娘を養女とし兼家と父娘対面
〔七〕過ぎゆく春、近火に兼家の見舞
〔八〕八幡の祭見物 隣家の火事と後始末
〔九〕道綱、大和だつ人に和歌をおくる
〔一〇〕なにごころなき、つれづれの心境
〔一一〕道綱と大和だつ人との若々しい贈答
〔一二〕太政大臣の薨去、不幸な身は長生き
〔一三〕はなやぐ兼家に対し、容色の衰えを感じる
〔一四〕道綱の動静、八幡の祭、また近火
〔一五〕父倫寧の計らいで、広幡中川へ転居
〔一六〕夢の通い路絶えて、年も暮れゆく
〔一七〕道綱右馬助に就任、奥山の寺に参詣
〔一八〕右馬頭藤原遠度より養女へ求婚の文
〔一九〕遠度の来訪始まる、絵のようなその立姿
〔二〇〕兼家は遠度の求婚を許す予定
〔二一〕遠度はますます苛立って、訴嘆する
〔二二〕遠度の熱意を、兼家がひやかす
〔二三〕神社に和歌を奉納、端午の節供
〔二四〕遠度求婚事件の絶頂から破局へ
〔二五〕皰瘡の流行、道綱さいわい癒える
〔二六〕太政大臣からの思いがけない和歌
〔二七〕賀茂の臨時の祭、久しぶりの兼家の姿
〔二八〕道綱と八橋の女との和歌の贈答
〔二九〕長かった人生を思い、日記の筆を擱く
巻末歌集

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3. かげろうにっき【蜻蛉日記】
デジタル大辞泉
右大将藤原道綱の母の日記。3巻。天延2年(974)以後の成立。夫の兼家(かねいえ)との不安定な結婚生活に苦悩しながら、子の道綱への愛や芸術の世界に目覚めていく心 ...
4. かげろうにっき[かげろふニッキ]【蜻蛉日記】
日本国語大辞典
日記。三巻。右大将藤原道綱の母著。天延二年(九七四)頃の成立。天暦八年(九五四)に兼家と結婚してのち、不安定な結婚生活に苦悩や嫉妬や絶望を重ねながら、やがて一子 ...
5. 蜻蛉日記
日本古典文学全集
作者は歌人としても有名な藤原道綱母(みちつなのはは)。20歳のころに、のちの関白・藤原兼家(道長の父)に嫁ぐも、不安定な家庭や周囲の嫉妬に、不幸な日々を送る。結 ...
6. 『蜻蛉日記』
日本史年表
974年〈天延2 甲戌⑩〉 この年以後 『蜻蛉日記』 成る。  ...
7. かげろふにっき【蜻蛉日記】
全文全訳古語辞典
[書名]平安中期の日記。藤原道綱母の著。九七四年(天延二)以後に成立、女流日記文学の最も初期の作品として注目される。作者が十九歳の時の藤原兼家からの求婚に始まり ...
8. あい‐こた・う[あひこたふ]【相答】
日本国語大辞典
応対する。*多武峰少将物語〔10C中〕「声高くあはれといはば山彦のあひこたへずはあらじとぞ思ふ」*蜻蛉日記〔974頃〕上・康保四年「あゐこたへなどして、すこし人 ...
9. あい‐な・し
日本国語大辞典
非難していう)あるまじきことである。けしからぬことである。不都合である。不届きである。よくない。*蜻蛉日記〔974頃〕下・天祿四年「おとりまされりはみゆれど、さ ...
10. あ・う[あふ]【合・会・逢・遭】
日本国語大辞典
二「からころも裾のうち交(か)へ安波(アハ)ねども異(け)しき心をあが思はなくに〈東歌〉」*蜻蛉日記〔974頃〕上・康保元年「よる、目もあはぬままに、なげきあか ...
11. あえ‐しら・う[あへしらふ]
日本国語大辞典
】〔他ハ四〕(1)(他人の相手をして)適当にもてなす。あしらう。程よく処理する。接待する。*蜻蛉日記〔974頃〕上・天暦八年「目も見あはせず、思ひいりてあれば、 ...
12. あお‐いね[あを‥]【青稲】
日本国語大辞典
〔名〕まだ実らない青い稲。《季・夏》*蜻蛉日記〔974頃〕下・天延元年「あをいね刈らせて馬に飼ひ」*俳諧・我春集〔1811〕「青稲や薙倒されて花の咲」 ...
13. あおみ‐わた・る[あをみ‥]【青渡】
日本国語大辞典
〔自ラ四〕一面に青くなる。全体が青々となる。*蜻蛉日記〔974頃〕下・天祿三年「朽葉ところどころあをみわたりにけり」*源氏物語〔1001〜14頃〕紅葉賀「御前の ...
14. あか・い【明】
日本国語大辞典
狭(さ)くやなりぬる 日月は 安可之(アカシ)といへど 吾がためは 照りや給はぬ〈山上憶良〉」*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿元年「月いとあかければ、格子などもお ...
15. あか‐いろ【赤色】
日本国語大辞典
総称。*古事記〔712〕中「又宇陀の墨坂神に赤色の楯矛を祭り、又大坂神に墨色の楯矛を祭り」*蜻蛉日記〔974頃〕下・天延二年「あかいろの扇」*前田本枕草子〔10 ...
16. あかき 人(ひと)
日本国語大辞典
束帯姿の五位の官人。五位の官人は束帯に緋色(ひいろ)の袍(ほう)を着たのでいう。*蜻蛉日記〔974頃〕下・天延二年「かれがいできつる車のもとには、あかき人、くろ ...
17. あか‐くちば【赤朽葉】
日本国語大辞典
*延喜廿一年京極御息所褒子歌合〔921〕「員刺(かずさし)の童、あかくちはの汗衫(かざみ)」*蜻蛉日記〔974頃〕上・康保二年「車よせさせてのるほどに、行く人は ...
18. あか・つ【散・頒】
日本国語大辞典
「この車より『なほこの男たづねて率て来』といひければ、供の人手をあかちてもとめさわぎけり」*蜻蛉日記〔974頃〕上・天祿元年「わりごもてきぬれば、さまざまあかち ...
19. あから〓
日本国語大辞典
アカラシキ〉」*宇津保物語〔970〜999頃〕吹上下「おもひいづるなん、あからしくかなしく侍」*蜻蛉日記〔974頃〕下・天祿三年「などか来ぬ、とはぬ、憎し、あか ...
20. あか・る【散・別】
日本国語大辞典
ぬ」*延喜十三年亭子院歌合〔913〕「上達部、階(はし)の左右にみなあかれてさぶらひ給ふ」*蜻蛉日記〔974頃〕下・天祿三年「『火しめりぬめり』とてあかれぬれば ...
21. あがた‐ありき【県歩】
日本国語大辞典
〔名〕主に平安時代、地方官が、任国から任国へと地方を転々と勤務して回ること。*蜻蛉日記〔974頃〕上・康保三年「たのもし人は、この十よ年のほど、あがたありきにの ...
22. あがたじんじゃ【県神社】京都府:宇治市/宇治郷
日本歴史地名大系
吾田津姫というところからとも、また古代の宇治県の守護神として創建されたからともいわれるが、「蜻蛉日記」の再度の初瀬詣の記事で、宇治川左岸の地に「あがたの院」が記 ...
23. あがたのいど【県井戸】京都府:宇治市/宇治郷
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県の井戸といふ所に住みけり」は、「後撰集」歌の作者と主人公が重なっている。この場所に邸館のあったことは「蜻蛉日記」の再度の初瀬詣の記事で「あがたの院にぞゆきかへ ...
24. あが・る【上・揚・挙・騰】
日本国語大辞典
に上る意)のぼせてぼうっとなる。ふだんの落ち着きを失う。(イ)「気があがる」の表現の場合。*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「気(け)やあがりぬらん、心ちいと悪 ...
25. あき【飽・厭】
日本国語大辞典
914〕恋五・七六三「我が袖にまだき時雨のふりぬるは君が心に秋やきぬらむ〈よみ人しらず〉」*蜻蛉日記〔974頃〕上・天徳元年「身のあきを思ひみだるる花の上に内の ...
26. あき‐つ‐かた【秋方】
日本国語大辞典
〔名〕秋の頃。*蜻蛉日記〔974頃〕上・天暦八年「まめなることにて月日はすぐしつ。あきつかたになりにけり」*宇津保物語〔970〜999頃〕俊蔭「かかるほどに、こ ...
27. あき・れる【呆・惘】
日本国語大辞典
外なことにあってどうしてよいかわからなくなる。途方にくれる。あっけにとられる。茫然とする。*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿元年「かうしもとりあつめて、肝をくだくこ ...
28. あぎと・う[あぎとふ]
日本国語大辞典
*日本書紀〔720〕仲哀二年六月(熱田本訓)「其処の魚六月に至て常に傾浮(アキトフ)こと、酔ゑるが如し」*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「そこらの人のあぎとう ...
29. あ・く【明・開・空】
日本国語大辞典
ありて」(3)差し止められていたことが、してよいことになる。解禁になる。→方(かた)あく。*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「方あきなばこそは、まゐりくべかなれ ...
30. あくがら・す【憧・憬】
日本国語大辞典
〔他サ四〕(「あくがれる」の他動詞形)(1)居所を離れてさまようようにさせる。流浪させる。さすらわせる。*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「かくのみあくがらしは ...
31. あけ‐く・れる【明暮】
日本国語大辞典
あけく・る〔自ラ下二〕(1)夜が明け、日が暮れる。月日が過ぎる。*蜻蛉日記〔974頃〕下・天祿三年「ことさわがしくてあけくるるも、人目いかにと思ふ心あるまで音な ...
32. あけ‐は・てる【明果】
日本国語大辞典
あけは・つ〔自タ下二〕すっかり夜が明けてしまう。*蜻蛉日記〔974頃〕下・天延二年「ことと明けはてて、『蓑、笠や』と人はさわぐ」*古今六帖〔976〜9 ...
33. あけ‐ぼの【曙】
日本国語大辞典
位前(前田本訓)「夜半(よなか)に発(た)ちて行く。会明(アケホノ)に菟道に詣(いた)て」*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「あけぼのをみれば、霧か雲かとみゆる ...
34. あさ‐さ【浅─】
日本国語大辞典
〔名〕(形容詞「あさい(浅)」の語幹に、接尾語「さ」の付いたもの)浅いこと。また、その度合。浅み。*蜻蛉日記〔974頃〕付載家集「みつせ川あささの程も知らはじと ...
35. あさ‐はなだ【浅縹】
日本国語大辞典
階深縹、進冠四階浅縹」*延喜式〔927〕一四・縫殿寮「浅縹綾一疋、藍一囲、薪卅斤、帛一疋」*蜻蛉日記〔974頃〕中・安和二年「『やまびこのこたへありとはききなが ...
36. あさまし‐さ【浅─】
日本国語大辞典
、接尾語「さ」の付いたもの)(1)意外で驚きあきれるようなさまであること。また、その度合。*蜻蛉日記〔974頃〕上・天暦九年「人のもとにやらんとしける文あり。あ ...
37. あさり‐あり・く【漁歩】
日本国語大辞典
〔自カ四〕鳥や獣がえさを求めてあちらこちら動きまわる。*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿元年「川づらに、放ち馬どものあさりありくもはるかに見えたり」 ...
38. あざれ‐かか・る【戯掛】
日本国語大辞典
る時、手な残い給ひそなど、いたくあざれかかれば」「桂宮本蜻蛉日記‐下・天延二年」に「頭(かう)の君、いとあさりかれば」とあるが、「あさりかれ」を「あされかか ...
39. あ〓し【悪】
日本国語大辞典
*大和物語〔947〜957頃〕一四八「いかにしてあらむ、あしうてやあらむ、よくてやあらむ」*蜻蛉日記〔974頃〕上・康保四年「冬はついたち、つごもりとて、あしき ...
40. あし‐げ【悪─】
日本国語大辞典
語幹に接尾語「げ」の付いたもの)(1)見た目に、いかにも体裁が悪いさま。ぶざまであること。*蜻蛉日記〔974頃〕上・安和元年「来こうじたるげすども、あしげなる柚 ...
41. あし‐て【足手】
日本国語大辞典
〔名〕足と手。てあし。また、からだをいう。*蜻蛉日記〔974頃〕上・康保元年「いかなるにかあらん、あしてなど、ただすくみにすくみて、たえいるやうにす」*宇津保物 ...
42. あし‐よし【悪善】
日本国語大辞典
附載「時雨ふる時ぞ折りける菊の花うつろふからに色のまさればとて奉れり。あしよしもえ知らず」*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「廿日ばかりおこなひたる夢に、わが頭 ...
43. 排蘆小船(近世随想集) 282ページ
日本古典文学全集
しかるを心におもふ事を、みる物聞物につけて云出せる也とのみ云ては、いまだつくさず」。宣長の頭書「蜻蛉日記云、さしはなれたる谷のかたより、いとうらわかき声に、はる ...
44. 排蘆小船(近世随想集) 323ページ
日本古典文学全集
竹取、住吉、大和等の物語、さのみ文章にめづらしげはなし。狭衣、栄花も、文章は源氏に似ておとれり。蜻蛉日記、古雅なる文章也。その外、土左日記、紫式部日記なども面白 ...
45. あじろ‐ぐるま【網代車】
日本国語大辞典
〔名〕牛車(ぎっしゃ)の一種。竹または檜(ひのき)の網代(5)を、車箱の屋形の表面に張ったもの。*蜻蛉日記〔974頃〕下・天祿三年「しのびて、ただきよげなるあじ ...
46. あじろ‐びょうぶ[‥ビャウブ]【網代屏風】
日本国語大辞典
〔名〕網代(5)を骨組みの片面に張った屏風。*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「もののとばり、簾(すだれ)、あじろびゃうぶ、黒柿(くろがい)の骨に朽葉(くちば) ...
47. あす‐あさて【明日明後日】
日本国語大辞典
たき物忌(ものいみ)に侍るを」(2)明日か明後日。一両日に迫ったこと。近日中。きょうあす。*蜻蛉日記〔974頃〕上・康保三年「いと心もとなければ、あすあさてのほ ...
48. あすかにいますじんじゃ【飛鳥坐神社】奈良県:高市郡/明日香村/飛鳥村
日本歴史地名大系
帝都が平城・平安と移ってからは、皇居の近い守護神としての性格も希薄になりしだいに衰退していった。なお「蜻蛉日記」には「飛鳥に御灯明たてまつりければ、たゞ釘貫に車 ...
49. あずかり[あづかり]【預】
日本国語大辞典
」(2)引き受けてめんどうをみること。また、その人。任されて留守を守る人。管理者。留守番。*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「ここのあづかりしける者の、まうけを ...
50. あせ =に[=と]成(な)る
日本国語大辞典
(1)汗水を流す。汗でぬれる。また、労苦をいとわずに働く。汗みずくになる。汗をかく。*蜻蛉日記〔974頃〕上・康保元年「来しときは膝にふし給へりし人をいかでかや ...
「蜻蛉日記」の情報だけではなく、「蜻蛉日記」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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蜻蛉日記(日本大百科全書・世界大百科事典・日本古典文学全集)
平安中期の歌人藤原道綱母の書いた回想録的な日記。道綱母の20歳ごろの954年(天暦8)、時の右大臣藤原師輔の三男兼家と結婚してから、974年(天延2)に兼家の通うのが絶えるまでの、20年間の記事をもつ。上中下の3巻からなり、上巻末尾に「あるかなきかの心地するかげろふの日記といふ
和泉式部日記(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
【現代語訳】〔一〕夢よりもはかない人の世、亡き宮様とのことを、嘆きわずらいながら、夜を明かし日を暮しているうちに、四月十日すぎにもなったので、木々の葉陰の闇がしだいに濃くなってゆく。築地の上の草が青々としているのも、他人はことさら目もくれないけれど
成尋阿闍梨母集(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代中期の家集。二巻。作者の出自・生没などは不明の点が多いが、源俊賢女として永延二年(九八八)ごろ生まれ、藤原実方の男と結婚して男二人を生み、間もなく夫に死別しわが子の成長を唯一の頼みに五十余年の寡婦生活を続けた。八十歳を超えた延久二年(一〇七〇)
讃岐典侍日記(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
〔一〕五月の空も、わたしの心に似て、雲に閉ざされ、雨が降り続いて、田植えに濡れた農夫の着物の裾も、わたしの衣の袖のように、干すことができずに困っているであろうが、それももっともなことと思われ、ただでさえうっとうしい折しも、何かと気を遣うことのない自宅
更級日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
仮名日記文学。菅原孝標女の著。一巻。康平二年(一〇五九)ごろ成立。父の任国上総に伴われた作者が、ひそかに胸に抱いた『源氏物語』への憧憬の気持ちを日記の冒頭に記し、まず寛仁四年(一〇二〇)、十三歳の九月、上総介の任果てて上京する孝標一行の東海道旅の記を綴る。三ヵ月の旅は
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野白内証鑑(日本古典文学全集)
野白内証鑑一之巻目録自分の行状の弁解をした野郎の話秘密の色遊びはばれたが、始めより末に至って情勢が好転した野郎の大臣。その相手は羽ぶりのよい撞木町の女郎。悪性をささやいてすすめる耳塚の駕籠屋。客に肌を見せない白人の話 外面は菩薩のようだが内情は
豊後国風土記(日本古典文学全集)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。

豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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