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蜻蛉日記

ジャパンナレッジで閲覧できる『蜻蛉日記』の世界大百科事典・日本古典文学全集のサンプルページ

改訂新版・世界大百科事典
蜻蛉日記
かげろうにっき

平安朝の日記文学。作者は右大将藤原道綱母。上・中・下3巻より成る。上巻は954年(天暦8)から968年(安和1)までの15年間,中巻は969年から971年(天禄2)までの3年間,下巻は972年から974年(天延2)までの3年間で,作者の20歳から40歳に至る21年間の藤原兼家との結婚生活の経緯を叙述する。日次記として書かれたのではなく,おそらく971年に起筆,和歌の詠草や断片的な備忘記にもとづいて上・中巻を書き終えたのち下巻が書き継がれ,後に全体的に加筆されたものらしい。上巻の冒頭に序文があり,うちひしがれた境涯に沈淪(ちんりん)する一人の女=道綱母が世間に流布する古物語に接すると,ありきたりの〈そらごと〉さえも心を慰めるよすがとなりうるのだから,人並みとはいえぬわが人生を日記として書いたら特異な作品となるに違いないと述べ,さらに高貴の家の妻の生活がいかなるものであるかを知る例にしてほしいとも記して,この日記の著述の動機や主題を提示している。次いで,まず藤原兼家の熱心な求婚から結婚までの経過が述べられ,翌年男子道綱が生まれるが,そのころ兼家は別の愛人のもとへかよっていたことが記される。道綱母は以後数年間この愛人のために悩まされ兼家との仲も険悪になる。一方,結婚直後陸奥守となって赴任した父藤原倫寧(ともやす)との別離や山寺にこもった母との死別なども大きくとりあげられ,その悲嘆を慰める兼家の親切な態度にふれたり,兼家と協力しての章明親王との交誼のこと,病後の兼家を見舞ったこと,初瀬詣のことなど,兼家の妻としての喜びや晴れがましさを味わうあれこれの話もさしはさまれている。しかし全体としては妻の生活の苦しさ・はかなさへの嘆きが基調となっており,上巻巻末には〈なほものはかなきを思へば,あるかなきかの心地する,かげろふの日記といふべし〉とある。この日記の名称はこれに由来する。中巻の3年間は兼家との夫婦仲の最も険悪だった時期であり,その間,左大臣源高明が配流された安和(あんな)の変への異常な関心や唐崎での祓,石山詣などが大きく記されるのだが,やがて作者は兼家の新しい愛人の出現に絶望し鳴滝の般若寺にこもる。このあたりから諦(あきら)めの境地に入ったらしく,鳴滝から連れ戻されたあと再び初瀬詣をしたことを記す中巻末には,沈静した人生観照・自然観照がみられるようになる。下巻に入ると兼家の動静をも含めて日常身辺の事件に対してじっくりと眼を注ぐ姿勢が著しくなり,わが子道綱への愛情や兼家が他の女に生ませた娘を養女として引き取る経緯やその養女の縁談が不調に終わる話なども語られる。

以上この日記は上・中・下巻それぞれに色調を異にし,そこに作者の人生の変転が描かれている。《蜻蛉日記》は女流日記文学の道をひらくものであったが,また同時にこの作品によって物語文学における内面的な人物造型の方法が準備された。
[秋山 虔]

[索引語]
藤原道綱母 藤原兼家 安和(あんな)の変
新編 日本古典文学全集
蜻蛉日記
かげろうにっき
【閲覧画面サンプル】
蜻蛉日記 全体

【上記の拡大画像】
蜻蛉日記 拡大

【現代語訳】
〔一〕
過去半生の時間がこんなにもむなしく過ぎて、まことに頼りなく、どっちつかずのありさまで暮している女があった。容貌といっても人並でもなし、思慮分別もあるわけでなし、こんな役立たずの状態でいるのも当然だと思いながら、ただなんとなく毎日を過すつれづれのままに、世間に流布している古物語の端々をのぞいてみると、ありきたりのいい加減な作り事でさえもてはやされるのだから、人並でない身の上でも日記として書いてみたら、なおのこと珍しく思われることだろう、この上もなく高い身分の人との結婚の真相はどんなものかと尋ねる人がいたら、その答えの一例にでもしてほしい、と思うのだが、過ぎ去った長い年月のことは、記憶が薄れてはっきりしないので、まあどうにかという程度のあやふやな記述も多くなってしまった。

【目次】
蜻蛉日記(扉)
凡例
蜻蛉日記(扉)
蜻蛉日記 上
〔一〕序文――はかない身の上を書いた日記
〔二〕右兵衛佐・藤原兼家の単刀直入な求婚
〔三〕その年の秋、兼家との結婚成立
〔四〕結婚成立に引き続く兼家との贈答
〔五〕父倫寧の陸奥守赴任 兼家の横川参詣
〔六〕道綱誕生 町の小路の女の出現
〔七〕桃の節供 続いて姉との離別
〔八〕時姫の所にも途絶えがちな兼家
〔九〕町の小路の女、男子を出産
〔一〇〕兼家の通い、やや常態にもどる
〔一一〕町の小路の女、兼家の寵を失う
〔一二〕長歌の贈答、胸中を兼家に訴える
〔一三〕兼家兵部大輔、章明親王との交誼
〔一四〕章明親王邸の美しい薄を請い受ける
〔一五〕不安定な妻の立場に、はかなさを痛感
〔一六〕母の死
〔一七〕母の一周忌に琴を弾き、叔母と母を偲ぶ
〔一八〕姉の旅立ち、形見に衣装を脱ぎ替える
〔一九〕病気の兼家をひそかに見舞に行く
〔二〇〕賀茂祭に時姫と贈答 端午の節会
〔二一〕荒れていく家 荒れていく夫婦の仲
〔二二〕稲荷と賀茂へ詣で、和歌を奉納
〔二三〕かりのこを十重ねて、ふ子に贈る
〔二四〕村上天皇の崩御 御代交替で兼家の昇進
〔二五〕西の対に退出した登子と交情を深める
〔二六〕初瀬詣で、往路、門出から寺まで
〔二七〕初瀬詣で、帰路、宇治へ兼家の出迎え
〔二八〕結び――あるかなきかのかげろうの日記
蜻蛉日記 中
〔一〕年頭の寿歌三十日三十夜はわがもとに
〔二〕作者の侍女と、兼家の侍とのたわむれ
〔三〕西の宮の左大臣の流謫に心から同情
〔四〕病気をして心細さに遺書をしたためる
〔五〕愛宮(前左大臣高明室)に長歌を贈る
〔六〕小一条の左大臣五十の賀の屏風歌を詠む
〔七〕内裏の賭弓道綱の活躍と栄誉
〔八〕来ぬ夜が三十余日、昼が四十余日
〔九〕唐崎祓い
〔一〇〕母子叙情、鷹を放っても慕いくる道綱
〔一一〕石山詣で
〔一二〕身辺の雑事の底を流れる暗澹たる心情
〔一三〕兼家と近江との関係進み、門前を素通り
〔一四〕憂愁の極に達し、父の家で長精進
〔一五〕兼家の前渡りせぬ世界にと鳴滝へ立つ
〔一六〕鳴滝般若寺に到着、兼家追って来る
〔一七〕閑寂な山寺、叔母や妹のおとずれ
〔一八〕兼家の使者、強く下山を勧めに来る
〔一九〕兼家との交信 侍女たちの交信
〔二〇〕見舞に来た親族の者との語らい
〔二一〕道隆の来訪、またしきりに下山を勧める
〔二二〕兼家によって強引に京へ連れもどされる
〔二三〕帰宅、磊落な兼家は冗談を言いちらす
〔二四〕またも兼家の途絶えがちな生活
〔二五〕再度の初瀬詣で
〔二六〕しめやかな人生観照、中巻の結尾
蜻蛉日記 下
〔一〕天禄三年、しめやかな気分の年頭
〔二〕大納言に昇進した兼家の悠然たる風姿
〔三〕「世の中いとあはれなり」と思うこのごろ
〔四〕夢解き、道綱の将来の繁栄を占う
〔五〕兼忠女腹の兼家の娘、志賀山麓に育つ
〔六〕兼忠女の娘を養女とし兼家と父娘対面
〔七〕過ぎゆく春、近火に兼家の見舞
〔八〕八幡の祭見物 隣家の火事と後始末
〔九〕道綱、大和だつ人に和歌をおくる
〔一〇〕なにごころなき、つれづれの心境
〔一一〕道綱と大和だつ人との若々しい贈答
〔一二〕太政大臣の薨去、不幸な身は長生き
〔一三〕はなやぐ兼家に対し、容色の衰えを感じる
〔一四〕道綱の動静、八幡の祭、また近火
〔一五〕父倫寧の計らいで、広幡中川へ転居
〔一六〕夢の通い路絶えて、年も暮れゆく
〔一七〕道綱右馬助に就任、奥山の寺に参詣
〔一八〕右馬頭藤原遠度より養女へ求婚の文
〔一九〕遠度の来訪始まる、絵のようなその立姿
〔二〇〕兼家は遠度の求婚を許す予定
〔二一〕遠度はますます苛立って、訴嘆する
〔二二〕遠度の熱意を、兼家がひやかす
〔二三〕神社に和歌を奉納、端午の節供
〔二四〕遠度求婚事件の絶頂から破局へ
〔二五〕皰瘡の流行、道綱さいわい癒える
〔二六〕太政大臣からの思いがけない和歌
〔二七〕賀茂の臨時の祭、久しぶりの兼家の姿
〔二八〕道綱と八橋の女との和歌の贈答
〔二九〕長かった人生を思い、日記の筆を擱く
巻末歌集

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10. あ・う[あふ]【合・会・逢・遭】
日本国語大辞典
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11. あえ‐しら・う[あへしらふ]
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14. あか・い【明】
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狭(さ)くやなりぬる 日月は 安可之(アカシ)といへど 吾がためは 照りや給はぬ〈山上憶良〉」*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿元年「月いとあかければ、格子などもお ...
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日本国語大辞典
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帝都が平城・平安と移ってからは、皇居の近い守護神としての性格も希薄になりしだいに衰退していった。なお「蜻蛉日記」には「飛鳥に御灯明たてまつりければ、たゞ釘貫に車 ...
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」(2)引き受けてめんどうをみること。また、その人。任されて留守を守る人。管理者。留守番。*蜻蛉日記〔974頃〕中・天祿二年「ここのあづかりしける者の、まうけを ...
50. あせ =に[=と]成(な)る
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(1)汗水を流す。汗でぬれる。また、労苦をいとわずに働く。汗みずくになる。汗をかく。*蜻蛉日記〔974頃〕上・康保元年「来しときは膝にふし給へりし人をいかでかや ...
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仮名日記文学。菅原孝標女の著。一巻。康平二年(一〇五九)ごろ成立。父の任国上総に伴われた作者が、ひそかに胸に抱いた『源氏物語』への憧憬の気持ちを日記の冒頭に記し、まず寛仁四年(一〇二〇)、十三歳の九月、上総介の任果てて上京する孝標一行の東海道旅の記を綴る。三ヵ月の旅は
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野白内証鑑(日本古典文学全集)
野白内証鑑一之巻目録自分の行状の弁解をした野郎の話秘密の色遊びはばれたが、始めより末に至って情勢が好転した野郎の大臣。その相手は羽ぶりのよい撞木町の女郎。悪性をささやいてすすめる耳塚の駕籠屋。客に肌を見せない白人の話 外面は菩薩のようだが内情は
豊後国風土記(日本古典文学全集)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。

豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
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近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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