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  11. 讃岐典侍日記

讃岐典侍日記

ジャパンナレッジで閲覧できる『讃岐典侍日記』の日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

新編 日本古典文学全集
讃岐典侍日記
さぬきのすけのにっき
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讃岐典侍日記 全体

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讃岐典侍日記 拡大

【現代語訳】
〔一〕
五月の空も、わたしの心に似て、雲に閉ざされ、雨が降り続いて、田植えに濡れた農夫の着物の裾も、わたしの衣の袖のように、干すことができずに困っているであろうが、それももっともなことと思われ、ただでさえうっとうしい折しも、何かと気を遣うことのない自宅での暮しなので、いつもよりも昔や今のことが次々に心に浮んできて、しみじみとした思いに閉ざされるので、外の方に目をやってみると、雲のたたずまいや空の様子が、わたしの思いをよく知っているかのように、むら立つ雲に覆われがちなのを見るにつけても、「雲居の雲」と亡き人を慕って詠んだとかいう人のことも、もっともなことと思われて、わたしの心までまっ暗になるような気持がする。軒にさしたあやめを伝う雨のしずくも、わたしの涙と同じに、止めどなく滴り落ちている。死出の山を越えて来たのか、ほととぎすも、亡きわが君を慕って泣くわたしの声に合せて、鳴き続けるままに、はかなく明ける夏の夜ごとがくりかえし過ぎていく中で、年を経た昔のことが思い出されて、涙が流れてとどまらない。

【目次】
讃岐典侍日記(扉)
凡例
讃岐典侍日記(扉)
讃岐典侍日記 上
〔一〕五月雨のころ、日記執筆の動機を記す
〔二〕天皇、気分すぐれず、うち臥しがちとなる
〔三〕天皇重態、看護する人の少ないことを嘆く
〔四〕天皇、気絶の後、譲位の意向をもらす
〔五〕天皇の様子を、誰も寝ずに見守る
〔六〕天皇、胸はゆらぎ、息も絶え絶えになる
〔七〕天皇、食事をはかばかしくも取らず
〔八〕天皇、膝を立てて長子を隠す
〔九〕中宮、参上し、天皇と語らう
〔一〇〕天皇、群臣に氷を食べさせて、様子を見る
〔一一〕天皇、容態急変し、増誉僧正、加持す
〔一二〕天皇、身体むくみ、耳も聞えず
〔一三〕物の怪現れて、名のりさわぐ
〔一四〕中宮、ふたたび参上し、天皇と語らう
〔一五〕天皇、威儀を正して、戒を受ける
〔一六〕天皇、声高く和して、法華経を読む
〔一七〕天皇、危篤に陥る
〔一八〕天皇、祈祷のかいもなく、崩御する
〔一九〕人々、声をあげて泣きさわぐ
〔二〇〕天皇崩御のこと定まり、乳女たち退出する
〔二一〕藤三位、天皇の遺体にすがって離れず
〔二二〕大弐の三位、局で泣き悲しむ
〔二三〕神璽・宝剣、皇太子のかたに移る
〔二四〕美濃の内侍、新天皇の様子を語る
讃岐典侍日記 下
〔一〕鳥羽天皇への出仕を仰せられて悩む
〔二〕服喪停止の宣旨くだり、出仕を決意する
〔三〕忙しさをおして、堀河天皇の月忌みに参る
〔四〕鳥羽天皇の即位に、帳あげを務める
〔五〕元日、鳥羽天皇に出仕し、昔を思う
〔六〕摂政殿、昔の恋しさに、長子に語りかける
〔七〕正月にもかかわらず、月忌みに参る
〔八〕二月、身内の者の忌日に、昔を思う
〔九〕三月、月忌み・三十講に参り、中宮に会う
〔一〇〕四月、衣がえ・灌仏につけて、昔を思う
〔一一〕五月、昔の菖蒲の節句、最勝講を思う
〔一二〕六月、昔の泉見物、扇引きを思う
〔一三〕七月、一周忌に昔の仲間と別れをおしむ
〔一四〕諒闇があけ、心ならずも衣服を改める
〔一五〕八月、内裏行幸に奉仕し、昔を思う
〔一六〕鳥羽天皇のそばに臥して、堀河天皇を思う
〔一七〕前栽をながめて、堀河天皇を思う
〔一八〕九月、笛の譜の跡を見て、堀河天皇を思う
〔一九〕十月、大嘗会の御禊、行われる
〔二〇〕五節、臨時祭、近づく
〔二一〕五節につけて、ありし日の雪の朝を思う
〔二二〕押し出につけて、堀河天皇を思う
〔二三〕退出するにつけて、堀河天皇を思う
〔二四〕大和殿、昔の五節を思い、歌をよせる
〔二五〕清暑堂の御神楽、めでたく行われる
〔二六〕昔を思い、周防の内侍と歌をかわす
〔二七〕年の暮、堀河院を過ぎ、感慨にひたる
〔二八〕堀河天皇との別れの遠のくのを悲しむ
〔二九〕堀河天皇の墓に、尾花の招くのを見る
〔三〇〕日記を読んだ人と、歌をかわす
〔三一〕堀河天皇をしのんで、常陸殿と語らう
校訂付記
解説
一 藤原長子
二 形成
三 内容
参考文献



国史大辞典
讃岐典侍日記
さぬきのすけにっき
平安時代後期の仮名日記文学。藤原顕綱の娘長子の著。二巻、『本朝書籍目録』に三巻とあり、下巻・中巻欠落説もある。天仁元年(一一〇八)ごろ成立。康和二年(一一〇〇)堀河天皇に出仕し典侍となった作者が、嘉承二年(一一〇七)の堀河天皇の発病から崩御に至るまでを上巻に記し、下巻は幼い鳥羽天皇へ再出仕した天仁元年の記事に及ぶ。天皇の死を凝視する女房日記として特色があり、その背後に天皇と愛情によって結ばれていた作者の複雑な感情がこめられている。日記中の歌が『新勅撰和歌集』に採られ、『今鏡』『徒然草』もこの日記に言及しているが、古写本は伝存しない。現存する約三十の伝本は上下巻本系統と上巻のみの系統に大別され、前者は寛永十六年(一六三九)秘書郎奥書本系と非秘書郎本系に分かれる。神宮文庫本を底本とした片桐洋一編『校本讃岐典侍日記』(『松蔭国文資料叢刊』一)、群書類従本を底本とした今小路覚瑞・三谷幸子編『校本讃岐典侍日記』、『(関西学院本)さぬき日記』(『和泉影印叢刊』一四)のほか校訂本(『日本古典全書』『日本古典文学全集』一八、『講談社学術文庫』一九三所収など)が容易に利用できる。
[参考文献]
玉井幸助『讃岐典侍日記全註解』、草部了円『讃岐典侍日記―研究と解釈―』、石埜敬子「讃岐典侍日記試論」(鈴木一雄編『たったひとりの世の中』所収)、宮崎荘平「讃岐典侍日記の形質」(『平安女流日記文学の研究』所収)、今井源衛「讃岐典侍日記」(『国文学解釈と鑑賞』二六ノ二)、稲賀敬二「讃岐典侍日記の死と生―典侍腹の御子たち―」(『国文学解釈と教材の研究』一〇ノ一四)
(稲賀 敬二)


日本大百科全書
讃岐典侍日記
さぬきのすけにっき

平安後期の日記。上下2巻。作者讃岐典侍は藤原顕綱(あきつな)の女(むすめ)、長子。『蜻蛉(かげろう)日記』の著者道綱母(みちつなのはは)の4代の孫。姉兼子が堀河(ほりかわ)帝の乳母(うば)で、その縁によってか同帝に出仕、典侍(てんじ)となる。1107年(嘉承2)堀河帝崩御ののち、さらに皇子の鳥羽(とば)帝に仕える。晩年堀河帝の御霊(ごりょう)がのりうつったと称して予言を口走ったと伝えられ(長秋記)、彼女の巫女(みこ)的性格を指摘する説もあるほどであるが、『讃岐典侍日記』上巻には、その堀河帝発病の6月20日から7月19日崩御までが記され、一個の人間として死に直面した天皇の姿と、傍らにあって不安と悲嘆を肌で感じている作者の思いとを、すさまじいまでに描き出す。下巻は、同年10月から翌08年(天仁1)の記事が中心で、鳥羽帝に再出仕した作者が、おりに触れて同じ宮中の昔のことを思い出すさまがあわせて語られ、彼女の内部で堀河帝への慕情がますます浄化されていく。おそらく天皇と典侍という主従の立場の裏に隠れた男女の愛情関係の社会的な不毛性が、上・下巻それぞれの特異な感覚化と美化を生み出しているのであろう。上巻は崩御後、1107年後半、下巻は09年ごろ成立か。『本朝書籍目録(ほんちょうしょじゃくもくろく)』に3巻とあり、上・下巻の間、あるいは下巻のあとに脱落を想定する説もある。
[木村正中]



改訂新版・世界大百科事典
讃岐典侍日記
さぬきのすけにっき

平安朝の日記文学。上下2巻。作者は藤原顕綱の娘長子。讃岐典侍の名は堀河・鳥羽両天皇に仕えた女房名。父が讃岐入道と呼ばれた歌人であったことによる。1110年(天永1)ごろ成る。上巻は1107年(嘉承2)6月堀河天皇の発病に筆を起こし,日増しに容態が悪化していく天皇の苦悩や周囲の憂慮の様子を,病床に侍して懸命に看護する女房の目で克明に記述し,7月ついに天皇の亡くなる際の動転と悲傷を告白している。作者は天皇の没後典侍を辞任して里に下がったが,白河院の仰せをこうむって心ならずも新帝鳥羽天皇のもとに出仕した。下巻は同年10月から翌年(天仁1)12月31日まで再出仕後の記で,あどけない幼帝へのいたわりや先帝の菩提寺香隆寺への参詣などを記し,おりにふれ,事につけての先帝哀慕の情を縷述。和歌23首を含み,うち自作は10首。天皇の病と死という特殊な内容の異色な女房日記として注目される。
[秋山 虔]

[索引語]
藤原長子
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1. 讃岐典侍日記
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を口走ったと伝えられ(長秋記)、彼女の巫女(みこ)的性格を指摘する説もあるほどであるが、『讃岐典侍日記』上巻には、その堀河帝発病の6月20日から7月19日崩御ま ...
2. 讃岐典侍日記
世界大百科事典
平安朝の日記文学。上下2巻。作者は藤原顕綱の娘長子。讃岐典侍の名は堀河・鳥羽両天皇に仕えた女房名。父が讃岐入道と呼ばれた歌人であったことによる。1110年(天永 ...
3. さぬきのすけにっき【讃岐典侍日記】
国史大辞典
[参考文献]玉井幸助『讃岐典侍日記全註解』、草部了円『讃岐典侍日記―研究と解釈―』、石埜敬子「讃岐典侍日記試論」(鈴木一雄編『たったひとりの世の中』所収)、宮崎 ...
4. 『讃岐典侍日記』
日本史年表
1108年〈天仁元(8・3) 戊子〉 この頃 藤原長子 『讃岐典侍日記』 成る。  ...
5. 讃岐典侍日記
日本古典文学全集
作者は、堀河天皇に典侍(ないしのすけ)として仕えた、藤原顕綱(あきつな)の女(むすめ)、長子。女房名を「讃岐典侍(さぬきのすけ)」と言う。上下二巻の日記で、上巻 ...
6. さぬきのすけのにっき【讚岐典侍日記】
日本国語大辞典
日記。二巻。讚岐典侍(藤原長子)著。小序と巻末部を除くと、嘉承二年(一一〇七)六月から翌年一二月晦日(みそか)までの記事で、上巻には堀河天皇の発病から崩御まで、 ...
7. さぬきのすけのにっき【讚岐典侍日記】
デジタル大辞泉
平安後期の日記。2巻。讚岐入道藤原顕綱(ふじわらのあきつな)の娘長子作。嘉承2年(1107)6月から翌年12月晦日(みそか)までの記事。堀河天皇の発病から崩御、 ...
8. あか‐あか【明明】
日本国語大辞典
〔副〕(多く「と」を伴って用いられる)物が非常に明るく見えるさま。たいそう明るく。*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「御枕がみに大殿油ちかく参らせてあかあかとあり」 ...
9. あか‐ひも【赤紐】
日本国語大辞典
(あおずり)の小忌衣(おみごろも)の左の肩につけたひも。ひもの色、付け様は(2)に同じ。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「小忌(をみ)のすがたにて、あかひもかけ、 ...
10. あさがれい の 御座(おまし)
日本国語大辞典
「あさがれい(朝餉)の間(ま)」に同じ。*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「我は朝かれひのおましのことは知らざりつれば」*禁秘鈔〔1221〕上「主上近代不 ...
11. あさがれい の 壺(つぼ)
日本国語大辞典
(「壺」は周囲を建物に囲まれた狭い庭の意)清涼殿朝餉の間の西の小庭。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「菖蒲(さうぶ)の輿(こし)に、朝がれひのつぼにかきたてて」* ...
12. あし【葦・蘆・葭】
日本国語大辞典
本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ヨシ アシ 蘆」(2)「あしすだれ(葦簾)」に同じ。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「御前の御簾いとおびただしげなるあしとかい ...
13. あそび‐なら・う[‥ならふ]【遊慣】
日本国語大辞典
〔自ハ四〕(1)「あそびなれる(遊慣)(1)」に同じ。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「年ごろ百敷(ももしき)の中にあそびならひたる心地に」(2)「あそびなれる( ...
14. あつかい‐や・む[あつかひ‥]【扱止】
日本国語大辞典
〔他マ下二〕世話をして病気を回復させる。*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「をととしの御心ちのやうに、あつかひやめ参らせたらん、何心ちしなんとぞおぼゆる」 ...
15. あつか・う[あつかふ]【扱・〓・刷】
日本国語大辞典
木「わが御匣殿(みくしげどの)にの給ひて装束などもせさせ、まことに親めきてあつかひ給ふ」*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「年ごろの御病をだに、はづるる事なくあつか ...
16. あま の 刈(か)る藻(も)
日本国語大辞典
*伊勢物語〔10C前〕五七「恋ひわびぬあまのかるもにやどるてふ我から身をもくだきつる哉」*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「心のうちばかりにこそあまのかる藻に思ひみ ...
17. あやにく‐が・る【生憎─】
日本国語大辞典
「あやにくがりつる程こそ、寒さも知られざりつれ、やうやう夜の更くるままに、寒くもあれど」*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「あやにくがりて とみにも御手もふれさせ給 ...
18. あゆみ‐す・ぐ【歩過】
日本国語大辞典
あはせ「『内より人や』と、心ときめきし給へど、さもあらぬは口惜しくて、あゆみすぎたれば」*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「くらへやをあゆみ過て、今も少しのぼる」 ...
19. ありがた‐さ【有難─】
日本国語大辞典
何事もあかぬことはあらじとおぼゆる身の程に、さはた、後の世をさへたどり知り給ふらんがありがたさ」*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「年ごろ宮づかへせさせ給ふ御心の有 ...
20. あれ‐ら【彼等】
日本国語大辞典
*宇津保物語〔970〜999頃〕国譲上「あれらも、世の中にはあるにや、なきにや、あらんとも」*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「猶おとりけるにや、あれらのやうに声た ...
21. い‐あ・う[ゐあふ]【居合】
日本国語大辞典
〔自ハ四〕その場に居る。居合わせる。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「わざと出だしたるとはなくて、はづれてゐあひたるやうにせよとて」*天草本伊曾保物語〔1593〕 ...
22. いい‐がお[いひがほ]【言顔】
日本国語大辞典
*夜の寝覚〔1045〜68頃〕四「昔より今にとりあつめて、なれるわが身といひがほにあれど」*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「いかにも御いらへのなかりしには、さらで ...
23. いか‐が【如何・奈何】
日本国語大辞典
六・詞書「ひたたれ乞ひにつかはしたるに、裏なんなき、それは着じとや、いかがといひたれば」*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「我ばかりの人の、けふあす死なんとするを、 ...
24. いかに も
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕真木柱「みみなれにて侍れば、今はじめていかにも物を思ひ侍らず」*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「かくは聞えしかど、いかにも御いらへの ...
25. いく‐ほど【幾程】
日本国語大辞典
いくらぐらい。どれほど。*浜松中納言物語〔11C中〕二「われも人も、いくほどの年も積らぬに」*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「いそがしさ、いまいく程なく残り少なく ...
26. いさまし・い【勇】
日本国語大辞典
さむ(勇)」の形容詞化。勇むさまであるのをいう)(1)気乗りがしている。気が進んでいる。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「いさましく嬉しきいそぎにてあらんだに、そ ...
27. いしばい の 御拝(ごはい)
日本国語大辞典
石灰の壇で、天皇が毎朝伊勢大神宮を遙拝(ようはい)すること。両段再拝の丁重な拝。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「日ごとにいしばひの御はいのをりは、いかがさせ給ひ ...
28. いず‐み[いづ‥]【泉】
日本国語大辞典
歩〉「僕は彼に知識の泉(イヅミ)を貸したばかりでなく」(3)「いずみどの(泉殿)」の略。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「堀河のいづみ、人々見んとありしを」(4) ...
29. いそがし‐さ【忙─】
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〔名〕(形容詞「いそがしい」の語幹に接尾語「さ」の付いたもの)忙しい程度。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「いそがしさ、今いくほどなく、残りすくなくなりにたれば」 ...
30. いだき‐おこ・す【抱起】
日本国語大辞典
〔他サ四〕横になっているものを腕でかかえ上げる。だきおこす。*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「『苦しうたへがたくおぼゆる、いだきおこせ』と仰せらるれば」*徒然草〔 ...
31. いだし‐ぎぬ【出衣】
日本国語大辞典
下からのぞかせること。出衵(いだしあこめ)。出打着(いだしうちき)。出褄(いだしづま)。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「北の門より、長櫃に、ちはや著たる者ども、 ...
32. いだ・す【出】
日本国語大辞典
」*源氏物語〔1001〜14頃〕梅枝「弁少将、ひゃうしとりて梅が枝いだしたるほど、いとをかし」*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「しばしばかりありて、すこし出された ...
33. いっしん‐に【一心─】
日本国語大辞典
〔副〕そのことだけに心を傾けるさまを表わす語。一筋に。一途に。*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「かばかりの人の一心に心に入て、『年ごろ仏につかうまつりて六十余年に ...
34. いっ‐てん【一天】
日本国語大辞典
やかに」*李中‐江行夜泊詩「半夜風雷過、一天星斗寒」(2)「いってんが(一天下)」の略。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「一天の人、御心ざしあるもなきも、皆したり ...
35. いってん の 人(ひと)
日本国語大辞典
世の中のすべての人。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「一天の人御心ざしあるもなきもみなしたりつるに」 ...
36. いっ‐ぽん【一品】
日本国語大辞典
題中取〓韵 〈嵯峨天皇〉」*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「法花経を日に一品づつ講ぜさせ給ふ」*今昔物語集〔1120頃か〕一四・一五「八巻 ...
37. いで‐たち【出立】
日本国語大辞典
貫之〉」*源氏物語〔1001〜14頃〕玉鬘「あはれに心細くて、ただ京のいでたちをすれど」*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「清暑堂の御神楽には典侍(すけ)二人さきざ ...
38. いとなみ‐あ・う[‥あふ]【営合】
日本国語大辞典
〔他ハ四〕ある物事、特に仏事を二人以上の人がいっしょにする。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「『つれづれのなぐさめに、法華経に花なり給ふに』とて、いとなみあはれた ...
39. い‐なおり[ゐなほり]【居直】
日本国語大辞典
〔名〕(1)居直ること。いずまいを正すこと。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「参らせ給ひて、人々ゐなほりなどすれば」*大鏡〔12C前〕四・道隆「この中納言まゐりた ...
40. いま‐いちど【今一度】
日本国語大辞典
〔副〕もういっぺん。もう一度。いまひとたび。*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「今一度見参らせんとて、したしき上達部、殿上人も我もと参れど」*古事談〔1212〜15 ...
41. いま の 程(ほど)
日本国語大辞典
氏物語〔1001〜14頃〕乙女「いまのほどに内に参り侍りて、夕つかたむかへに参り侍らん」*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「今のほど宮のぼらせ参らせん。物さわがしか ...
42. いわけな‐げ【稚─】
日本国語大辞典
あどけない様子。*源氏物語〔1001〜14頃〕若紫「さばかり、いはけなげなりしけはひを」*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「いといわけなげに、御衣がちにて臥させ給へ ...
43. うか・める【浮】
日本国語大辞典
15〕七・寛政二年「再び里虹を呼びてひそかに右の訳を語れば、涙をうかめ」(3)暗記する。*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「明け暮れ一二の巻をうかめさせ給ふ」*日葡 ...
44. うけ‐たまわり[‥たまはり]【承】
日本国語大辞典
それを執行すること。また、その人。執達状の執達人の名の下に「奉」の字を書くのはこれである。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「院宣にて、摂政殿の承りにて侍ふ」*保元 ...
45. うすら・ぐ【薄】
日本国語大辞典
服の漸漸に磨れて薄らぐを見よ」(4)物の色合いなどの濃度、鮮明度が少なくなる。うすろぐ。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「人たちのきぬの色ども思ひ思ひにうすらぎた ...
46. うち‐あお・ぐ[‥あふぐ]【打扇】
日本国語大辞典
、『かかる御住ひは、よろづにつけてつつましう、便なかりけり〈略〉』などうち泣きつついふ」*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「引かづきたるひとへ引きのけてうちあふぎ参 ...
47. うち‐おんぞ【打御衣】
日本国語大辞典
〔名〕砧(きぬた)で打って光沢を出した絹の下着。うちおおんぞ。打衣(うちぎぬ)。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「御したがさね、うち御ぞ、肩にいたさせ給ひたるを見 ...
48. うち‐かけ【打掛】
日本国語大辞典
〈略〉釈名云両襠〈今案両或作裲宇知加介〉其一当胸、其一当背也」(2)「けいこう(挂甲)」に同じ。*讃岐典侍日記〔1108頃〕下「玉のかうぶりし、あるは錦のうちか ...
49. うち‐しめ・る【打湿】
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕藤裏葉「宰相も、あはれなる夕のけしきに、いとどうちしめりて」*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「この頃は誰も折悪しければ、うちしめり慣 ...
50. うち‐つけ【打付】
日本国語大辞典
れたる、遣水(やりみづ)、前栽(せんざい)の、うちつけに心ちよげなるを、見いだし給ても」*讃岐典侍日記〔1108頃〕上「御けしき、うちつけにや、変はりてぞ見えさ ...
「讃岐典侍日記」の情報だけではなく、「讃岐典侍日記」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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讃岐典侍日記(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
〔一〕五月の空も、わたしの心に似て、雲に閉ざされ、雨が降り続いて、田植えに濡れた農夫の着物の裾も、わたしの衣の袖のように、干すことができずに困っているであろうが、それももっともなことと思われ、ただでさえうっとうしい折しも、何かと気を遣うことのない自宅
更級日記(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
仮名日記文学。菅原孝標女の著。一巻。康平二年(一〇五九)ごろ成立。父の任国上総に伴われた作者が、ひそかに胸に抱いた『源氏物語』への憧憬の気持ちを日記の冒頭に記し、まず寛仁四年(一〇二〇)、十三歳の九月、上総介の任果てて上京する孝標一行の東海道旅の記を綴る。三ヵ月の旅は
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野白内証鑑(日本古典文学全集)
野白内証鑑一之巻目録自分の行状の弁解をした野郎の話秘密の色遊びはばれたが、始めより末に至って情勢が好転した野郎の大臣。その相手は羽ぶりのよい撞木町の女郎。悪性をささやいてすすめる耳塚の駕籠屋。客に肌を見せない白人の話 外面は菩薩のようだが内情は
豊後国風土記(日本古典文学全集)
豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。

豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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