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更級日記

ジャパンナレッジで閲覧できる『更級日記』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
更級日記
さらしなにっき
仮名日記文学。菅原孝標女の著。一巻。康平二年(一〇五九)ごろ成立。父の任国上総に伴われた作者が、ひそかに胸に抱いた『源氏物語』への憧憬の気持ちを日記の冒頭に記し、まず寛仁四年(一〇二〇)、十三歳の九月、上総介の任果てて上京する孝標一行の東海道旅の記を綴る。三ヵ月の旅は竹芝伝説、足柄山で出逢った遊女、富士川にまつわる古老の話を折りまぜて構成されている。以後、晩年まで約四十年の京都生活は、念願かなって『源氏物語』全巻を手に入れ、夕顔・浮舟など作中女性の境遇にあこがれる時期をふり出しに、長暦三年(一〇三九)冬、祐子内親王家へ出仕した宮仕えの経験や長久元年(一〇四〇)ごろの橘俊通との結婚、長男仲俊の生長を見ながら、次第に現実的な幸福に安住して行く過程を追う。しかし夫は康平元年急死した。彼女は晩年の不幸をかみしめながら、自分の一生を追憶回想して日記的にまとめている。全篇に十一の夢を書きとめた彼女は、天喜三年(一〇五五)、四十八歳の時に見た弥陀来迎の夢を後世の唯一のたのみとしたと書く。彼女が没して一世紀後、藤原定家は彼女の日記の歌を『新古今和歌集』に採った。今日伝わる『更級日記』はすべて定家自筆本から転写されたもので、定家自筆本に古く生じた紙の綴じ違いがそのまま伝写されて意味の通じぬ所があった。この錯簡は大正十三年(一九二四)、玉井幸助の定家自筆本発見によって正された。『源氏物語』の注釈書『幻注類林』の引用によれば定家自筆本とは別系統のテキストが鎌倉時代にはあったようであるが、今日まだ発見されていない。書名『更級日記』は晩年傷心の彼女を甥が訪れた時、「月も出でで闇にくれたる姨捨(おばすて)に何とて今宵たづね来つらむ」とよんだ彼女の歌が、『古今和歌集』『大和物語』にある姨捨伝説の「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」を踏まえていることによる。作者自身の命名であろう。橋本不美男編『御物本更級日記』(『笠間影印叢刊』二)があるほか、『日本古典全書』、『日本古典文学大系』二〇、『日本古典文学全集』一八、『講談社学術文庫』などに収められている。→菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)
[参考文献]
東節夫他編『更級日記総索引』、玉井幸助『更級日記錯簡考』、西下経一『更級日記』解説(『日本古典文学大系』二〇)
(稲賀 敬二)


日本大百科全書
更級日記
さらしなにっき

平安中期の日記文学。1巻。菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)作。1060年(康平3)ごろ成立。作者13歳のおり、父の任地上総(かずさ)国(千葉県中央部)から帰京する旅の記録に筆をおこし、以後40余年に及ぶ半生を自伝的に回想した記録。幼いころ草深い東国ではぐくまれた物語世界への幻想が、成長してのち体験した厳しい現実のなかで挫折(ざせつ)し、老残の境涯のなか、ついに信仰の世界に魂の安住を求めようとするまでの精神遍歴が描き出されている。旅の記録は、分量的にも日記全体の5分の1ほどを占め、さらに竹芝(たけしば)寺の伝承をはじめとする土俗的な話柄が取り収められるなど、叙述のうえでも注目される。帰京後の作者の生活は、『源氏物語』をはじめとする物語世界への耽溺(たんでき)の姿勢が強調される一方で、それを牽制(けんせい)しようとする宗教的な意識との葛藤(かっとう)のなかに描き出されており、そうしたなかで与えられるさまざまな夢の啓示がその精神遍歴の道筋を示している。不如意な現実がたび重なるなかで作者は宮仕えに出るが、期待した幸運は訪れず、結局は平凡な受領(ずりょう)の妻としての生活を得るにとどまった。しかし、一見安穏にみえたその生活は夫の死とともに瓦解(がかい)し、作者は仏の救済にすべてを託す心境に至ったことを記している。そこに作者の回心の過程をみいだせるわけだが、物語世界への幻想も仏の救済への信仰も、ともに仮構された非現実の世界への憧憬(しょうけい)である点で変わりはなく、むしろ最晩年の孤独な境涯のなかに、人生のはかなさをかみしめる作者の諦観(ていかん)が示されている点に注目されるものがある。
なお、本書の伝存する諸本はすべて藤原定家(ていか)書写の御物本に源を発しており、別系統のものは1本も発見されていない。
[多田一臣]



改訂新版・世界大百科事典
更級日記
さらしなにっき

平安朝の日記文学。1巻。作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。作者は上総介であった父孝標とともに東国に過ごし,1020年(寛仁4),任期満ちた父とともに帰京の途につくが,その年から起筆し,59年(康平2)ころまでのことを記しているので,その年以後まもなく成立したと考えられる。〈あづま路の道のはてよりもなほ奥つかたに生ひ出でたる人,いかばかりかはあやしかりけむを……〉と,東国に生い立った自分を第三人称で書き起こし,そのころの作者が姉や継母によって語られるさまざまの物語,ことに《源氏物語》によって空想をかきたてられ,早く上京して多くの物語を見たいという熱い願いを抱きつづけたことをまず述べているが,やがて念願かなって13歳の年に上京の日が到来する。以下,京への途次の風物を印象深く叙し,〈まののてう〉の古跡,竹芝寺伝説,足柄の遊女,富士川の除目(じもく)にまつわる奇譚など土俗的な伝承や見聞に筆をさきつつ,入京まで3ヵ月を要した旅の記がつづられる。続いて上京後の記となるが,翌年14歳の作者は待望の《源氏物語》全巻を入手して〈后の位も何にかはせむ〉の境地でこれを耽読し,美しく成長して《源氏物語》の世界の女性の夕顔や浮舟のようになりたいと願った。しかしながら,そうした空想も継母との離別,乳母や姉との死別ほかさまざまの不幸によって突き崩されていった。やがて父孝標は長い間の散位ののち1032年(長元5)に常陸介となって任国に下ったが,4年後に帰京するや官を辞して引退した。母は出家し,父母は同じ邸内ながら別居生活に入る。39年(長暦3),32歳の作者は人に勧められて祐子内親王家に出仕することになるが,宮仕え生活になじまず里に引きこもりがちであった。翌年橘俊通と結婚したが,このころもはや《源氏物語》はあまりにも縁遠い夢の世界にすぎなくなっていた。41年(長久2),夫俊通は下野守に任ぜられ,作者は姉の遺児が祐子内親王家に出仕しはじめた縁でときおり宮家に顔を出すようになり,頭弁源資通への思いに胸をときめかしもしたが,それも一場の夢に終わった。38歳以後は,子どもの安泰な将来と家庭の幸福を願いつつ,しきりに物詣の旅に出る。その旅の記は洛外の自然風土との新鮮な交感を語って印象的であるが,やがて日記は,老病の身となり物詣もままならぬ晩年の記となり,信濃守となって赴任した夫が翌年上京ののち発病して死を迎えたことを述べる。作者は48歳の55年(天喜3)10月13日にゆくりなくも阿弥陀仏の来迎図を夢に見て,それに頼みをかけたというが,しかしながら老いと孤独の身はいかんともしがたく,沈淪の嘆きを訴えつつ筆をおいている。和歌88首を挿入し,悔いと哀惜のこもる述懐を加えつつ,物語世界への憧憬に生きた少女期から老残の晩年まで40年間の身の上の推移を描きあげたこの日記は,夢と現実との相克を生きた王朝末期の一女性の境涯のみならず,人生それ自体の意味を語り示す特異な作品であるといえよう。
[秋山 虔]

[索引語]
菅原孝標女 源氏物語
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1. 更級日記
日本大百科全書
平安中期の日記文学。1巻。菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)作。1060年(康平3)ごろ成立。作者13歳のおり、父の任地上総(かずさ)国(千葉県中央部)か ...
2. 更級日記
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平安朝の日記文学。1巻。作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。作者は上総介であった父孝標とともに東国に過ごし,1020年(寛仁4),任期満ちた父ととも ...
3. さらしなにっき【更級日記】
デジタル大辞泉
平安中期の日記。1巻。菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)作。康平3年(1060)ころの成立。作者13歳の寛仁4年(1020)、父の任国上総(かずさ)から帰 ...
4. さらしなにっき【更級日記】
日本国語大辞典
日記。一巻。菅原孝標女(たかすえのむすめ)著。一三歳の寛仁四年(一〇二〇)九月、父の任国上総(千葉県)から帰京した旅に筆を起こし、夫、橘俊通(たちばなとしみち) ...
5. さらしなにっき【更級日記】
全文全訳古語辞典
[書名]平安中期の日記。菅原孝標の娘の作。一〇六〇年(康平三)頃成立か。作者十三歳の時、父が任国上総から帰京するところから始めて、夫の橘俊通と死別するまでの四十 ...
6. さらしなにっき【更級日記】
国史大辞典
→菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ) [参考文献]東節夫他編『更級日記総索引』、玉井幸助『更級日記錯簡考』、西下経一『更級日記』解説(『日本古典文学大系』 ...
7. 更級日記
日本古典文学全集
『源氏物語』に憧れていた少女――菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は、13歳の時に、父の任国・上総国(千葉県)より京に上る。その出来事より筆を起こし、夫・ ...
8. 『更級日記』
日本史年表
1060年〈康平3 庚子〉 この頃 『更級日記』 成立。  ...
9. あい‐な・し
日本国語大辞典
「心ひとつにしづめて、ありさまに従ふなんよき。まだきに騒ぎて、あいなきものうらみし給ふな」*更級日記〔1059頃〕「まま母なりし人、下りし国の名を宮にもいはるる ...
10. あいな‐だのみ【─頼】
日本国語大辞典
忍びて『思ひなほらん折を見つけん』と、年月を重ねんあいなたのみは、いと苦しくなんあるべければ」*更級日記〔1059頃〕「時々出で立てど、過ぎにし方のやうなるあい ...
11. あい‐み・す[あひ‥]【相見】
日本国語大辞典
二「春雨のやまず零(ふ)る零る吾が恋ふる人の目すらを令相見(あひみせ)なくに〈作者未詳〉」*更級日記〔1059頃〕「こと、からうじて離れて、たひらかにあひ見せ給 ...
12. 葵(源氏物語) 75ページ
日本古典文学全集
それに相当する、ないしは類する事実が、ことに古代には往々にしてあったらしい。『古事記』『伊勢物語』『更級日記』にもその面影を伝える話がある。この紫の上の場合も、 ...
13. あおにび‐いろ[あをにび‥]【青鈍色】
日本国語大辞典
〔名〕「あおにび(青鈍)(1)」に同じ。*更級日記〔1059頃〕「それもおり物のあをにびいろの指貫(さしぬき)、狩衣きて、廊のほどにて馬にのりぬ」 ...
14. あか ず
日本国語大辞典
東宮に「へだてたりつる御屏風もおしあけつれば、かいまみの人、隠れ蓑取られたる心地して、あかずわびしければ」*更級日記〔1059頃〕「人々あかず思ひてみな泣くを、 ...
15. あき‐ごろ【秋頃】
日本国語大辞典
秋場。*源氏物語〔1001〜14頃〕鈴虫「秋ころ、西の渡殿のまへ、中の塀のひんかしのきはを」*更級日記〔1059頃〕「秋ころ、そこをたちて、ほかへうつろひて」* ...
16. あき の 夕(ゆう)べ
日本国語大辞典
戸(やど)なる萩の花咲かむ安伎能由布敝(アキノユフヘ)はわれを偲(しの)はせ〈大原今城〉」*更級日記〔1059頃〕「いかにいひ何にたとへて語らまし秋のゆふべの住 ...
17. あ・く【明・開・空】
日本国語大辞典
の明神「七曲(ななわた)にわだかまりたる玉の、中通りて左右に口あきたるがちひさきを奉りて」*更級日記〔1059頃〕「穴のあきたる中より出づる水の」*日葡辞書〔1 ...
18. あけ‐あわ・す[‥あはす]【開合】
日本国語大辞典
そろえて開ける。*源氏物語〔1001〜14頃〕夕霧「中の塗籠(ぬりごめ)の戸あけあはせて、わたり給へる」*更級日記〔1059頃〕「かたらふ人どち、局のへだてなる ...
19. あ・ける【明・開・空】
日本国語大辞典
〜914〕春上・四五「暮るとあくと目かれぬものを梅花いつの人まにうつろひぬらん〈紀貫之〉」*更級日記〔1059頃〕「殿の御方にさぶらふ人々と物語しあかしつつ、あ ...
20.&nbnbsp;あ・げる【上・揚・挙】
日本国語大辞典
かせる。のぼす。*源氏物語〔1001〜14頃〕玉鬘「とかくかまへて京にあげ奉りてんといふ」*更級日記〔1059頃〕「京にとくあげ給て、物語のおほく候ふなる、ある ...
21. あさくら【朝倉】
日本国語大辞典
*神楽歌〔9C後〕明星・朝倉「〈本〉阿佐久良や木の丸殿に我が居れば〈末〉我が居れば名宣りをしつつ行くは誰」*更級日記〔1059頃〕「朝倉や今は雲居に聞くものをな ...
22. あさみ‐わら・う[‥わらふ]【浅笑】
日本国語大辞典
〔他ハ四〕(「あざみわらう」とも)(1)驚きあきれて笑う。あきれて笑い出す。*更級日記〔1059頃〕「行きちがふ馬も車も、徒歩人(かちびと)も、『あれはなぞ、あ ...
23. あさ・む【浅】
日本国語大辞典
あさましく思う。*和泉式部日記〔11C前〕「いとぞあさましきや。世のなかの人のあさみきこゆることよ」*更級日記〔1059頃〕「物の心知りげもなき怪しの童べまで、 ...
24. あさ・る【漁】
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕須磨「伊勢島や潮干の潟にあさりてもいふかひなきはわが身なりけり」*更級日記〔1059頃〕「荒磯はあされど何の甲斐なくて潮(うしほ) ...
25. あ〓し【悪】
日本国語大辞典
いとうららかなるに「風いたう吹き、海の面(おもて)ただあしにあしうなるに、ものもおぼえず」*更級日記〔1059頃〕「外(と)の海は、いといみじくあしく浪高くて」 ...
26. あしがら【足柄】
日本国語大辞典
ても)此面(このも)にさす罠(わな)のかなる間しづみ児(こ)ろ吾(あれ)紐解く〈東歌・相模〉」*更級日記〔1059頃〕「まだ暁よりあしがらを越ゆ」*天草本平家物 ...
27. あしがらしもぐん【足柄下郡】
国史大辞典
『万葉集』二〇に天平勝宝七歳(七五五)に遣わされた防人足下郡上丁丹比部国人の歌がある。なお『伊呂波字類抄』と『更級日記』のほか『箱根山縁起』には「西富郡足柄」と ...
28. あしがらとうげ【足柄峠】静岡県:駿東郡/小山町/竹之下村
日本歴史地名大系
また保元の乱を起こした源為義も「足柄山」を伐り塞いで坂東の防衛線とする構想を語ったという(愚管抄)。「更級日記」の作者菅原孝標の娘は寛仁四年(一〇二〇)父の任地 ...
29. あしがら‐やま【足柄山】
日本国語大辞典
)立て足柄山(あしがらやま)に船木伐(き)り樹に伐り行きつあたら船材(ふなぎ)を〈満誓〉」*更級日記〔1059頃〕「あしがら山といふは、四五日かねておそろしげに ...
30. あしがらやま【足柄山】神奈川県:南足柄市地図
日本歴史地名大系
よりてあしからの山と付たり」と、山名由来を記している。寛仁四年(一〇二〇)父に従い京へ向かった菅原孝標の娘は「更級日記」に「足柄山といふは、四五日かねておそろし ...
31. あしがらやま【足柄山】静岡県:駿東郡/小山町
日本歴史地名大系
歌学書は相模国の歌枕として取上げている。寛仁四年(一〇二〇)上総から父に従って京に帰った菅原孝標の娘は「更級日記」に「足柄山といふは、四五日かねておそろしけに暗 ...
32. あずけ‐とら・す[あづけ‥]【預取】
日本国語大辞典
、与えるの意。「す」は、もと使役の助動詞)土地などを預け与える。土地などの支配権を任せる。*更級日記〔1059頃〕「竹芝のをのこに、生けらむ世の限り、武蔵の国を ...
33. あずま‐じ[あづまぢ]【東路】
日本国語大辞典
歌〉」*源氏物語〔1001〜14頃〕宿木「ありくは、あづまぢ思へば、いづこか恐ろしからん」*更級日記〔1059頃〕「あづまぢの道のはてよりも、猶おくつかたに生ひ ...
34. あずま の 国(くに)
日本国語大辞典
とり)が鳴く 吾妻乃国(あづまノくに)の 御軍士(みいくさ)を 召し給ひて〈柿本人麻呂〉」*更級日記〔1059頃〕「をさなかりし時、あつまのくににゐて下りてだに ...
35. あそび【遊】
日本国語大辞典
〈宇加礼女 一説云阿曾比〉」*源氏物語〔1001〜14頃〕澪標「あそびどものつどひ参れる」*更級日記〔1059頃〕「そこにあそびども出で来て、夜ひとよ、歌うたふ ...
36. あそび‐な・れる【遊慣・遊馴】
日本国語大辞典
しむ。*源氏物語〔1001〜14頃〕乙女「年頃あそびなれし所のみ思ひ出でらるる事まされば」*更級日記〔1059頃〕「年頃あそびなれつるところをあらはにこぼち散ら ...
37. あた・る【当・中】
日本国語大辞典
まで、身にひしひしと当りますから」(4)光がある範囲に照りそそぐ。*更級日記〔1059頃〕「荒れたる板屋の隙(ひま)より月の洩り来て、ちごの顔にあたりたるが、い ...
38. あだちぐん【足立郡】東京都:武蔵国
日本歴史地名大系
りがちな収税と対決したのである。治安元年(一〇二一)に父上総前司菅原孝標と帰京の旅についた「更級日記」の著者は、太日川(江戸川)を渡河し、次いで竹芝寺のそばを通 ...
39. あづま-ぢ【東路】
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40. あとはか‐な・し
日本国語大辞典
世にあるかひと思ふさまにこそ物し給はざりしかど、あとはかなからぬほどにて、立ち添ひ給へりしに」*更級日記〔1059頃〕「いとかうあとはかないやうに、はかばかしか ...
41. あと を 垂(た)る
日本国語大辞典
taruru (アトヲ タルル)」(2)その本来の居所と別の所に出現する。または、住むようになる。*更級日記〔1059頃〕「これもさきの世にこの国にあとをたるべ ...
42. あね‐おとと【姉妹】
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〔名〕(「おとと」は、姉に対し、同性の年少者をいう)姉と妹。しまい。*更級日記〔1059頃〕「あねおととの中に、つとまとはれて」*今鏡〔1170〕一・雲井「国母 ...
43. あ‐べい
日本国語大辞典
→あべし。*源氏物語〔1001〜14頃〕朝顔「御心などうつりなば、はしたなくもあべいかな」*更級日記〔1059頃〕「今ゆくすゑは、あべいやうもなし」*栄花物語〔 ...
44. あ‐べか‐・めり
日本国語大辞典
める」*源氏物語〔1001〜14頃〕朝顔「かひなくてはかなき世にさすらへ給ふもあべかめり」*更級日記〔1059頃〕「いとはしたなく悲しかるべきことにこそあべかめ ...
45. あ‐・べし
日本国語大辞典
ことやうにこそあべけれ」*源氏物語〔1001〜14頃〕帚木「をかしくもあはれにもあべかりける事の」*更級日記〔1059頃〕「この人のあべからむさま、夢に見せ給へ ...
46. あま‐ぎみ【尼君】
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕夕顔「あま君のとぶらひにものせんついでに、垣間見(かいまみ)せさせよ」*更級日記〔1059頃〕「雪の日をへて降るころ、吉野山に住む ...
47. あまてる‐かみ【天照神】
日本国語大辞典
平安時代に称した。*道綱母集〔1008頃か〕「今ぞ知る河伯と聞けば君がためあまてる神の名にこそ有けれ」*更級日記〔1059頃〕「あまてる御神を念じませ」*狭衣物 ...
48. あまの 河波(かわなみ)
日本国語大辞典
天の川に立つ波。*輔親集〔1038頃〕「雲まより星合の空をみ渡せばしづ心なき天の川なみ」*更級日記〔1059頃〕「ちぎりけむ昔のけふのゆかしさに天の河なみうち出 ...
49. あまの 河辺(かわべ)
日本国語大辞典
天の川のほとり。*更級日記〔1059頃〕「たち出づるあまの河辺のゆかしさに常はゆゆしきことも忘れぬ」*続後撰和歌集〔1251〕秋上・二五四「久方のあまの河へに舟 ...
50. あまり【余】
日本国語大辞典
れぬる人」*源氏物語〔1001〜14頃〕桐壺「まうのぼり給ふにも、あまりうちしきる折々は」*更級日記〔1059頃〕「里遠みあまり奥なる山路には花見にとても人来ざ ...
「更級日記」の情報だけではなく、「更級日記」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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