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将門記

ジャパンナレッジで閲覧できる『将門記』の日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典・日本古典文学全集のサンプルページ

日本大百科全書
将門記
しょうもんき

平安時代の軍記物。修飾の多い和風漢文体。「まさかどき」ともいわれるが、古くは「将門合戦章(状)」などとよばれた。巻頭部を欠く「真福寺(しんぷくじ)本」、稿本の概をみせるといわれるが零本(れいほん)の「片倉(かたくら)本(楊守敬(ようしゅけい)旧蔵本)」のほか数種の抄本が伝えられている。物語の主人公平将門(まさかど)の系譜から説き起こし、935年(承平5)以来の一族および源護(まもる)らとの合戦、武蔵(むさし)国の国司と郡司の紛争への介入を経て、939年(天慶2)の常陸(ひたち)国軍との合戦に始まる反乱の内容を記し、その最期と死後の冥界(めいかい)からの消息を載せる。本書の成立期、著者、史料としての性格には多くの説があり、古くは事件見聞者の実録的な著作とする説が強かったが近年では事件のかなりのち、11世紀初期に、史料をもとに創作をも加えてまとめられた文学作品とみる説が強くなっている。
[福田豊彦]


改訂新版・世界大百科事典
将門記
しょうもんき

軍記。〈まさかどき〉ともよむ。原名を《将門合戦状(まさかどかつせんじよう)》ともいい,10世紀中葉の承平・天慶年間に東国で起こった平将門の反乱事件(平将門の乱)を,その張本であった将門の行動を中心に叙述した作品。作者不詳。1巻。現存する伝本がいずれも巻首を欠いているため,その全容を知ることができないが,本書の記事を抄録した《将門記略》などによると,将門の皇胤としての系譜を述べる堂々とした書出しであったらしく,〈女論〉(女性をめぐるトラブル)から将門がその伯父たちと対立し,その同族間の紛争が拡大して,東国を舞台とする反乱事件へとエスカレートするてんまつ,関八州を制圧してみずから〈新皇〉と称したのもつかのまで,その後軍兵たちを帰休させたすきを下野国の押領使藤原秀郷(ひでさと)らに奇襲され,奮戦むなしく本拠地の石井付近であっけなく滅亡するまでの経緯を,実録的な筆致で克明に描き出しており,首尾整った一編の独立した作品としての体裁を示している。この反乱事件については,公の立場からの追討記録と思われる《将門誅害日記(まさかどちゆうがいにつき)》があり,また同時代の藤原純友(すみとも)の西海での反乱(藤原純友の乱)を扱った《純友追討記》のような作品があるが,これらの追討記事と違って,本書の場合は,その叙述の視点が反逆者である将門にきわめて近いところにすえられているのが大きな特色で,そこにこの書の〈軍記文学〉としての独自な展開と意義を認めることができる。文体は和臭の強いいわゆる変格漢文で,すこぶる難解だが,故事の引用や比喩などの文飾に独特な味わいがあり,ことにその戦闘の叙述はリアリティと迫力に富んでおり,のちの軍記文学の萌芽を思わせるものがある。

本書の成立については,文末にある〈天慶三年六月中記文〉という注記を,その執筆時期を示すものとみれば,天慶3年(940)2月の反乱鎮圧からわずか4ヵ月後で,事件直後の成立ということになるが,これを一種の虚構とみなしその成立年時を引き下げようとする見解もあり,確定していない。作者についても,東国の地名や将門の消息に通じ,その筆致に仏教色があることから,これを東国在住の仏徒とする説がある反面,国解(こくげ)などの公文書を多くとり入れていることから,それらを見ることのできる者として,都在住の文人か僧侶の手になったとする見方もある。このように作者についての意見が分かれるのは,本書の前半が将門に同情的な姿勢をみせているのに,後半は反対にこれに批判的な口吻がみられ,その立場が一貫していないためで,そこからこれを1人の人物の著作ではなく,一種の編纂物と考えたり,そこに増補の過程を推測しようとする見解なども出されている。テキストとしては,名古屋の真福寺宝生院に蔵する承徳3年(1099)書写本と,これよりやや書写年代が古いとされる中国人楊守敬旧蔵本の2種(ともに重文)が知られているほか,数種の抄本がある。
[梶原 正昭]

[索引語]
平将門 将門誅害日記(まさかどちゆうがいにつき) 純友追討記 軍記文学

国史大辞典
将門記
しょうもんき
平安時代、承平・天慶の乱における平将門の行動について記した漢文体の書。作者・成立年時未詳。一巻。「まさかどき」ともいい、「将門合戦状」「将門合戦章」などともよばれたらしい。本文の末に「天慶三年(九四〇)六月中記文」とあることから、将門死没の年である天慶三年の成立とみる説もあるが、記事の内容からみて、それよりやや時代が下るとみるのが妥当である。作者については諸説あるが、関東における将門の生活や行動について熟知していること、仏教的知識に富み、漢籍の素養もあること、将門の奏状や官符・国解などの文書・記録を参照していること、などから、関東で将門に近い立場にあった者の手になった記録をもとに、のち京都において文人的教養をもつ貴族もしくは僧侶によって作品としてまとめられた可能性がつよい。巻首を欠き、『将門記略』によって一部を復元しうるが、なお完全でない。内容は、将門が関東の一族と紛争をおこした由来から、国家へ反逆し、やがて死に至るまでの経緯を詳細に記しており、乱の様相とその背景とを知る上での貴重な史料であるとともに、また将門の合戦を主題とした一個の文学作品として、のちの軍記物の嚆矢として、文学史的にも重要である。中国の故事を引用し、比喩や対句を多用するなど、修辞が著しい一方、日本的な語句をまじえて自由な表現がとられており、内容的には筆者の創作とみられる部分もあって、すべてを事実とみるわけにはいかない。古写本に、承徳三年(康和元、一〇九九)書写の奥書をもつ真福寺宝生院本、ほぼ同時代の楊守敬旧蔵・片倉本があり、前者は古典保存会、後者は貴重古典籍刊行会によって複製されている。『群書類従』合戦部、『茨城県史料』古代篇、『(新撰)日本古典文庫』、『日本思想大系』八、『東洋文庫』二八〇・二九一所収。→承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん),→平将門(たいらのまさかど)
[参考文献]
大森金五郎『武家時代之研究』一、坂本太郎『日本の修史と史学』(『日本歴史新書』)、古典遺産の会編『将門記―研究と資料―』、林陸朗編『論集平将門研究』、佐伯有清他『研究史将門の乱』
(笹山 晴生)


新編 日本古典文学全集
将門記
しょうもんき
【閲覧画面サンプル】
将門記 全体

【上記の拡大画像】
将門記 拡大

【現代語訳】
〔一〕 
さて、聞くところによると、かの将門は「天国押撥御宇」の称号を持つ桓武天皇五代の末裔であり、三世高望王の孫である。そして、父は陸奥国の鎮守府将軍平朝臣良持である。従って、良持の兄、下総国の介平良兼朝臣は将門の伯父に当たるが、延長九年以来、いささか女性をめぐる諍いが将門との間にあり、舅と聟、伯父と甥の関係はすでに険悪なものになっていた。

〔二〕 
裏等野本扶ら陣を張り将門を待ち構えていた。遥か遠くからその陣容を望見すると、敵はいわゆる高く掲げた纛を神に祀るという体で、旗を靡かし鉦を打ち鳴らしていた(纛崛とは兵具、獣の毛皮で作る。鉦は軍用の鼓、俗にいうふりつづみ)。

そこで、将門は退かんと思えども退けず、進まんと思えども進めず、進退に窮することになった。けれども、自らを励まして奮

【目次】
将門記(扉)
凡例
〔一〕将門記の巻頭部
〔二〕将門、扶等に反撃
〔三〕貞盛の悲嘆
〔四〕良正の執念と川曲村合戦
〔五〕将門、伯父良兼を見のがす
〔六〕将門上洛、恩赦により帰国
〔七〕平良兼の襲撃
〔八〕将門、弓袋山の反撃
〔九〕将門の駆使子春丸の裏切
〔一〇〕将門貞盛、信濃国千阿川の合戦
〔一一〕貞盛官符を懐き将門追討
〔一二〕武蔵国庁の内紛将門介入
〔一三〕常陸国の乱人、藤原玄明
〔一四〕将門と国庁の激突
〔一五〕将門、坂東制圧へ
〔一六〕巫女、将門に皇位を授けんと告ぐ
〔一七〕将門の書状
〔一八〕舎弟将平の諫言と将門の叛乱
〔一九〕朝廷、将門調伏祈祷
〔二〇〕貞盛の妻と将門の歌
〔二一〕押領使藤原秀郷、登場
〔二二〕貞盛、将門の舎宅を焼く
〔二三〕将門、北山に亡ぶ
〔二四〕将門の死を傷む
〔二五〕将門の余類追討
〔二六〕平貞盛等の論功行賞
〔二七〕将門、冥界の消息
校訂付記
解説
一 はじめに
二 東国の騒乱
三 読む
四 書誌
参考文献

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軍記物語。一巻。作者不詳。天慶三年(九四〇)将門の乱(天慶の乱=平将門の叛乱)の終息後、まもなく成立か。乱の経緯を和風化した漢文でしるす。関東で平将門の軍事行動 ...
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のち京都において文人的教養をもつ貴族もしくは僧侶によって作品としてまとめられた可能性がつよい。巻首を欠き、『将門記略』によって一部を復元しうるが、なお完全でない ...
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承平天慶の乱(平将門の乱)を中心に描いた、独立した形の日本最初の軍記物。合戦を主題とした一個の文学作品とも言える。平将門が関東の同族と争った理由から筆をおこし、 ...
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15. あい‐きょう【愛興】
日本国語大辞典
〔名〕喜び感動すること。*将門記〔940頃か〕「彼の介、愛興すること余りありて、東絹一疋を恵み賜ふて語りて云く」 ...
16. あい‐どう【哀慟】
日本国語大辞典
心から、かなしみ嘆くこと。*続日本紀‐養老五年〔721〕二月甲午「藤原大臣奄焉薨逝、朕心哀慟」*将門記〔940頃か〕「庁の衆は哀慟して館の後に留まり伴類は俳 ...
17. あい‐ま・つ[あひ‥]【相待】
日本国語大辞典
〔他タ四〕(「あい」は接頭語)「待つ」の改まった言い方。*将門記〔940頃か〕「扶等陣を張り、将門を相待」*愚管抄〔1220〕四・後白河「今は参るらん。しばしあ ...
18. あい‐れん【哀憐】
日本国語大辞典
または人間の他の動物に対するあわれみの気持をいう場合が多いが、「愛憐」とほぼ同義にも用いられる。*将門記〔940頃か〕「堺外の士女は声を挙げて哀憐す」*今昔物語 ...
19. あく‐おう[‥ワウ]【悪王】
日本国語大辞典
〔名〕悪い政治を行なう王。無道の君。*将門記〔940頃か〕「地類呵嘖して、悪王の便(やす)からざる念を憎(そね)む」*愚管抄〔1220〕一・武烈「限りなき悪王な ...
20. あく‐みょう[‥ミャウ]【悪名】
日本国語大辞典
〔名〕(1)悪いうわさ・評判。悪評。あくめい。*将門記〔940頃か〕「前生の貧しき報いを憂へず。但し悪名の後に流(つたは)るを吟(によ)ぶ」*平家物語〔13C前 ...
21. あけ【赤・朱・緋】
日本国語大辞典
(ささ)げて、〈興福寺本訓釈 緋 安介〉」*将門記承徳三年点〔1099〕「憐れむべし、別賀の紅の涙を緋(アケ)の襟に捫(のご)ふ」*親宗集〔11 ...
22. あしがやむら【芦ヶ谷村】茨城県:結城郡/八千代町
日本歴史地名大系
[現]八千代町芦ヶ谷 飯沼新田北岸台地上に位置。東は大間木村。「将門記」にみえる葦津江を当地に比定する説もある。小字舟戸は地形からみて飯沼東岸の港津であったと考 ...
23. あしがらとうげ【足柄峠】静岡県:駿東郡/小山町/竹之下村
日本歴史地名大系
通行には相模国司の発行する過所(手形)を必要とした(同年九月一九日「太政官符」類聚三代格)。「将門記」によると、平将門は足柄・碓氷の両関を防御して坂東に独立国を ...
24. あしがらのせき【足柄関】
国史大辞典
坂に関を設置したことがみえ、翌三年相模国の申請で過所によって通行を認めるように定めている。『将門記』には、天慶二年(九三九)平将門が坂東を守るには足柄・碓氷の二 ...
25. あしがらのせき【足柄関】神奈川県:南足柄市/矢倉沢村地図
日本歴史地名大系
翌三年八月五日の太政官符(同書)で相模国の申請により過所をもって通行を認めるよう定められた。「将門記」によれば天慶二年(九三九)に蜂起した平将門は坂東への朝廷軍 ...
26. あしづごう【葦津郷】茨城県:下総国/〓嶋郡
日本歴史地名大系
「下総旧事考」は「詳ナラズ。試ニ言ハヾ。結城郡ニ葦津村アリ」として芦ヶ谷村(現結城郡八千代町)付近に推定。「将門記」には「将門ハ身ノ病ヲ労ルガタメ、妻子ヲ隠シテ ...
27. あだちぐん【足立郡】埼玉県:武蔵国
日本歴史地名大系
ともにする足立郡司武蔵武芝もこの一族につながり、武芝は判官代として国衙の在庁官人を勤めるほどの名望家であった(将門記)。武士団ではいわゆる武蔵七党の空白域で、藤 ...
28. あだちぐん【足立郡】東京都:武蔵国
日本歴史地名大系
にかけての時期に朝廷と深い関係を有し、足立郡内に確固とした基盤を築いていたことが知られる。「将門記」に武蔵権守興世王および介源経基と争った人物として足立郡司判官 ...
29. あだちし【足立氏】
国史大辞典
、平治の乱には源義朝に従っており、平安時代以来源氏の家人であった。この家は武蔵国造の後裔で『将門記』に現われる足立郡司武蔵武芝の子孫であるとの説があるが、鎌倉時 ...
30. あぶ【虻・〓
日本国語大辞典
与亡同字亦作〓 阿夫〉囓人飛虫也」*将門記承徳三年点〔1099〕「草露の身には、蚊(アフ)、虻(はへ)を仇とす」*俳諧・犬子集〔1633 ...
31. あま・い【甘】
日本国語大辞典
さま。(1)(ことばに関していう)人が聞いて気持がよくて、ついうかうかと欺されそうである。*将門記〔940頃か〕「貞盛、人口の甘(あまき)に依り、本意に非ずと雖 ...
32. あやぶみ【危】
日本国語大辞典
て極楽をのぞむ人も、参る事あやぶみあらば、薬師如来、二菩薩添へて極楽に送れと告げ給ふなり」*将門記承徳三年点〔1099〕「府中の道俗も酷く害せらるる危(アヤフミ ...
33. あやぶ・む【危】
日本国語大辞典
*源氏物語〔1001〜14頃〕浮舟「宇治橋のながき契りは朽ちせじをあやふむ方に心さわぐな」*将門記承徳三年点〔1099〕「夜は則ち弓を枕して、以て敵心の励む所を ...
34. あら‐た【新】
日本国語大辞典
*万葉集〔8C後〕一〇・一八八四「冬過ぎて春の来たれば年月は新(あらた)なれども人は古りゆく〈作者未詳〉」*将門記承徳三年点〔1099〕「新(アラタニ)造 ...
35. アラビアン・ナイト 2 1ページ
東洋文庫
蝋本木吉左燦編注 〈山淑太夫・小栗判官他〉㎜羅生門の鬼 鵜辮畝雌解糖㎜㎜将門記12全二巻 梶原 正昭訳注㎜神国日本〈解明への一試論〉ラ ...
36. あわのくに【安房国】千葉県地図
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その最大のものは承平・天慶の乱を起こした下総国の住人平将門であろう。安房国とこの乱との関係は不明であるが、「将門記」によると新皇を称した将門は支配下に置いた坂東 ...
37. あん‐きょ【安居】
日本国語大辞典
〔名〕(1)心安らかに暮らすこと。落ち着いた生活をすること。*将門記〔940頃か〕「然る後に兵の事を忘れ却(しりぞ)けて後に絃(ゆみつる)を緩へて安居しぬ」*太 ...
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40. いしたむら【石田村】茨城県:真壁郡/明野町
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41. いずのくに【伊豆国】静岡県
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していた。翌年一二月将門が坂東諸国を制圧して新皇を称すると、将武は兄から伊豆守に任命された(将門記)。将武は将門が天慶三年二月半ばに敗死すると甲斐国に逃れ、そこ ...
42. いたいじ【異体字】
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44. いちにん‐とうぜん[‥タウゼン]【一人当千】
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んとうせん」とも)一人で千人もに相当するほどの勇気や力をもつこと。また、その人。一騎当千。*将門記〔940頃か〕「将門が一人当千の兵有て、暗に夜討の気色を知り」 ...
45. いどみ‐たたか・う[‥たたかふ]【挑戦】
日本国語大辞典
〔自ハ四〕争い戦う。戦争する。挑戦する。*将門記承徳三年点〔1099〕「恣に兵庫の器伏戎具并せて楯等を下(おろ)して挑(イトミ)戦ふ」*太平記〔14C後〕三二・ ...
46. いなしきぐん【稲敷郡】茨城県
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47. いなばみちくに【稲葉通邦】
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命ぜられた。精励よく勤めて同七年には『神祇宝典』の校定の完成をみた。この間、大須の真福寺本の『将門記』『和名類聚抄』の零本の影写を刊行するとともに、尾張周辺の古 ...
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日本国語大辞典
〔名〕「いんあ(姻〓)」に同じ。*将門記承徳三年点〔1099〕「良兼は彼の姻 ...
49. い‐ふう[ヰ‥]【遺風】
日本国語大辞典
)うなったのは、矢張り父の遺風(ヰフウ)と母の感化力でせう」(3)他からうける恵み。余慶。*将門記〔940頃か〕「幸に理運の遺風に遇て」(4)足の速い馬。*田氏 ...
50. いや・す【癒・治・医】
日本国語大辞典
*西大寺本金光明最勝王経平安初期点〔830頃〕九「沙糖と蜜と蘇と乳とも、此は能く衆の病を療(イヤ)す」*将門記承徳三年点〔1099〕「先に軍(いくさ)に射られし ...
「将門記」の情報だけではなく、「将門記」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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軍記物語の一つ。『保元記』ともいう。『平治物語』『平家物語』『承久記』とあわせ、四部合戦状とも呼ばれた。作者としては、葉室(藤原)時長(『醍醐雑抄』『参考保元物語』)、中原師梁(『参考保元物語』)、源瑜(『旅宿問答』(『続群書類従』雑部所収)、ただし『安斎随筆』
承久記(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
承久の乱に関する軍記物語。一名、『承久兵乱記』。異本が多く、同名異書もある。すべて作者・成立年代未詳。古くは、『公定公記』応安七年(一三七四)四月二十一日条に「承久物語三帖」、『蔗軒日録』文明十七年(一四八五)二月七日条に
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豊後の国。郡は八所、〔郷は四十、里は百十〕駅は九所、〔みな小路〕烽は五所、〔みな下国〕寺は二所〔一つは僧の寺、一つは尼の寺〕である。

豊後の国は、本、豊前の国と合わせて一つの国であった。昔、纏向の日代の宮で天下をお治めになった大足彦の天皇
魯迅 その文学と革命(東洋文庫)
中国近代文学の父であり,偉大な思想家でもある魯迅は,知識人としての苦悩のなかで,中国の「寂寞」を見つめ,自らをも傷つける「革命」を志向する。著者会心の魯迅伝。1965年07月刊
論語徴(東洋文庫)
秦・漢以前の古文辞に対する確固たる自信から孔子の言論を読みとく,論語の注釈のなかでもっとも論争的な注釈書。卓抜した孔子論を展開するとともに,徂徠自身の思想も開陳する。第1巻は,学而,為政,八佾,里仁,公冶長,雍也,述而,泰伯。1994年03月刊
近世和歌集(日本古典文学全集)
年内立春 去年と今年の二本の緒で縒り合わせて掛けて同じ年が一本にまとまらないように、こんがらがってなかなか理解できない春はやって来た。やや趣向倒れの感がある。長嘯子としては機知を働かせたのだろうが。鶯 軒端の梅が咲いていて、一晩中鶯の到来を
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