1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 毛利勝永
日本人名大辞典

ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
毛利勝永
もうり-かつなが
?−1615
織豊-江戸時代前期の武将。
毛利勝信の子。関ケ原の戦いで西軍に属し,敗れて父とともに土佐高知藩主山内一豊(かずとよ)にあずけられる。慶長19年子の勝家と脱走して大坂城にはいり,20年5月8日夏の陣で落城のとき自殺。初名は吉政。
ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
タブレットやスマホからも利用できます。
毛利勝永の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 11
検索コンテンツ
1. もうり-かつなが【毛利勝永】
日本人名大辞典
?−1615 織豊-江戸時代前期の武将。毛利勝信の子。関ケ原の戦いで西軍に属し,敗れて父とともに土佐高知藩主山内一豊(かずとよ)にあずけられる。慶長19年子の勝 ...
2. 毛利勝永[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:1件 『大阪城の七将星』福本日南『毛利豊前守勝永と其一族』平尾道雄 ...
3. もうり-かつながの-つま【毛利勝永妻】
日本人名大辞典
?−? 織豊-江戸時代前期の女性。竜造寺氏の娘。関ケ原の戦いのあと,夫とともに土佐山内家にあずけられる。慶長19年大坂冬の陣に際し,妻への後難をおそれて大坂入城 ...
4. 大坂の陣
日本大百科全書
大坂方が頼むのは真田幸村(さなだゆきむら)、長宗我部盛親(ちょうそがべもりちか)、明石全登(あかしぜんと)、毛利勝永(もうりかつなが)、後藤基次(ごとうもとつぐ ...
5. おおさかのじん【大坂の陣】
国史大辞典
らの合議により開戦に決定した豊臣氏では、十月初め、真田信繁(幸村)・長宗我部盛親・後藤基次・毛利勝永・明石全登(掃部)ら有能な牢人を入城させ、大坂および近国から ...
6. 大坂RONIN 5(ローニンファイブ)
デジタル大辞泉プラス
ロー。2014年登場。大坂冬の陣(1614年)、大坂夏の陣(1615年)で活躍した真田幸村、毛利勝永、長宗我部盛親、後藤又兵衛、明石掃部(かもん)が現代に転生し ...
7. 看羊録 朝鮮儒者の日本抑留記 41ページ
東洋文庫
大村新八郎〔喜前〕  五島大和守〔純玄〕  黒田甲斐守〔長政〕  毛利壱岐守〔森吉成〕  同 豊前守〔毛利勝永〕  島津又七郎〔豊久〕  秋月三郎〔種長〕  伊 ...
8. さなだゆきむら【真田幸村】
日本架空伝承人名事典
厳しいものであったと想像される。一四年の大坂冬の陣では豊臣秀頼に与力して大坂城に入った。長曾我部元親・毛利勝永とともに三人衆と呼ばれたが、発言権は弱かったという ...
9. なつのじん【夏の陣】 : 大坂の陣
国史大辞典
、それぞれ井伊直孝・藤堂高虎の軍と戦ったが敗退、重成は戦死、盛親は敗走した。翌七日天王寺口の毛利勝永は茶臼山方面に布陣した真田信繁・渡辺糺ら五千余の兵と連携し、 ...
10. ふゆのじん【冬の陣】 : 大坂の陣
国史大辞典
らの合議により開戦に決定した豊臣氏では、十月初め、真田信繁(幸村)・長宗我部盛親・後藤基次・毛利勝永・明石全登(掃部)ら有能な牢人を入城させ、大坂および近国から ...
11. もうり-よしまさ【毛利吉政】
日本人名大辞典
毛利勝永(もうり-かつなが) ...
「毛利勝永」の情報だけではなく、「毛利勝永」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る

毛利勝永と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(日本大百科全書(ニッポニカ))
安土桃山時代の武将。本名信繁。昌幸の次男。1586年(天正14)豊臣秀吉の臣となり、94年(文禄3)豊臣信繁の名で従五位下左衛門佐に叙任した。妻は秀吉の奉行大谷吉継の女。のち父昌幸、兄信之とともに徳川家康に臣従したが、関ヶ原の戦いには
徳川家康(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸幕府初代将軍(在職1603~1605)。三河(愛知県東部)の小大名の家に生まれ、幼年時代は隣国駿河(静岡県)の大名今川氏の人質となって苦労したが、桶狭間の戦いののち今川氏から独立し、織田信長と同盟して駿河・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河3か国に所領を拡大した
坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
織田信長(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
上杉景勝(日本大百科全書(ニッポニカ))
安土桃山時代・江戸初期の大名。上杉謙信の養子。初名は卯松、喜平次、顕景。実父は越後坂戸城(新潟県南魚沼市)の城主長尾政景で、母は謙信の姉。父の死後謙信に養われ、1575年(天正3)春日山城の中城で上杉弾正少弼景勝となる。78年謙信の死後、もう1人の養子上杉三郎景虎
日本史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「毛利勝永」は真田丸に関連のある記事です。
その他の真田丸に関連する記事
明石掃部(明石全登/あかしてるずみ)(日本人名大辞典・世界大百科事典・国史大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。宇喜多秀家につかえ,関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ筑前(福岡県)秋月にすんだ。大坂の陣では豊臣秀頼の招きに応じ,真田幸村らと活躍したが,慶長20年(1615)大坂落城の際に死んだとも,逃亡して元和4年に病死したともいう。
長宗我部盛親(国史大辞典)
一五七五-一六一五。安土桃山時代の武将。土佐国の大名。幼名千熊丸、右衛門太郎(増田右衛門尉長盛を烏帽子親として右衛門、盛親を名乗る)、土佐守。天正三年(一五七五)岡豊(おこう)城(高知県南国市)に生まる。長宗我部元親の四男、母は斎藤氏。
毛利勝永(日本人名大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。毛利勝信の子。関ケ原の戦いで西軍に属し,敗れて父とともに土佐高知藩主山内一豊(かずとよ)にあずけられる。慶長19年子の勝家と脱走して大坂城にはいり
後藤基次(後藤又兵衛)(改訂新版・世界大百科事典)
織豊政権期の武将。通称又兵衛。氏房,政次ともいう。播磨三木城主別所氏に仕えた新左衛門の子。豊前黒田氏に養われ,孝高・長政父子に仕えた。長政に従って豊臣秀吉の九州征伐,文禄・慶長の役に従軍,関ヶ原の戦にも戦功をあげる。
豊臣秀頼(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五九三-一六一五。豊臣秀吉の第二子。文禄二年(一五九三)八月三日大坂城内に生まれた。母は側室浅井氏(茶々、淀殿)。秀吉は実子に恵まれず、浅井氏との間に鶴松を得たが三歳にして死別した。このため秀頼誕生の喜びは大きく、みずから肥前名護屋の陣中より正室北政所に書状を送り
真田丸に関連する記事をもっと見る
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る