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  11. 信貴山縁起

信貴山縁起

ジャパンナレッジで閲覧できる『信貴山縁起』の日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

信貴山縁起
しぎさんえんぎ

社寺縁起。奈良県信貴山朝護孫子寺 (ちょうごそんしじ)にまつわる次の三つの説話からなる。信濃 (しなの)から出て東大寺で受戒した命蓮 (みょうれん)が夢告で信貴山に登り、里にも下らず修行し、鉢を飛ばして供物を得ていたが、供物を怠っていた山崎の長者の米倉までもその飛鉢 (とびはち)で信貴山に運んでしまう話。命蓮が醍醐 (だいご)天皇の病気を法力をもって剣の護法童子 (ごほうどうじ)を遣わして平癒させたという話。尼である命蓮の姉が信濃国から彼を尋ねて東大寺に行き、大仏のお告げで信貴山に至って再会する話。同時代の『古本説話集』や『宇治拾遺物語』に同じ説話があり、『今昔物語集』巻11の36にも、明練 (みょうれん)が石櫃 (いしびつ)で堂を覆って修行したことがみえる。この物語が、これらの説話に照応する絵解き説教であったことも推察され、文献定着以前の口承段階を考えることが可能である。中世社寺縁起のはしりで、後世の縁起の要素は具備していないが、命蓮が感得した厨子 (ずし)仏の福徳をつかさどる毘沙門天 (びしゃもんてん)の功徳霊験を語る物語である。飛鉢説話も説話文学や口承文芸に多く登場してくるモチーフである。

[渡邊昭五]

絵巻

平安後期の代表的絵巻。筆者不詳。信貴山に毘沙門天を祀 (まつ)った命蓮に関する三つの小話を描いたもので、飛倉(山崎長者)の巻、延喜 (えんぎ)加持の巻、尼公の巻の3巻よりなる。国宝。奈良県・朝護孫子寺蔵。絵は各段とも一つの図が長く連続し、巻物形式特有の長大な画面を活用した展開に優れた手法をみせる。ことに遠近自在の視点から情景をとらえ、また山水の表現を随所に織り込んで巧みに場面を転換させる構成のすばらしさは特筆されてよい。人物の描写はやや誇張的ともいえる激しい動的な姿態がとられ、顔貌 (がんぼう)も『源氏物語絵巻』などの引目鈎鼻 (かぎはな)とは対照的な、個性的で表情豊かな表現に特徴がある。描法は墨の暢達 (ちょうたつ)な筆線で各対象が描かれ、彩色はときに濃彩が認められるが、概して描線の働きを損なわぬよう留意されている。こうした筆線を主体とする活趣ある画風は、戯画などにかいまみられる筆技の伝統が平安末の変革期を迎えて開花したものとみることができる。

[村重 寧]



『信貴山縁起絵巻』[百科マルチメディア]
『信貴山縁起絵巻』[百科マルチメディア]

飛倉(とびくら)の巻。命蓮(みょうれん)が飛ばした鉢が、山崎の長者の米蔵までも信貴山(しぎさん)に運んでしまうという物語の発端の場面。写国立国会図書館所蔵


『信貴山縁起絵巻』にみる棚[百科マルチメディア]
『信貴山縁起絵巻』にみる棚[百科マルチメディア]

山崎長者の台所の棚を描いたもの。中世に入ると棚を使用する層も広がり、絵巻などにもみられるようになる。『信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)』(部分) 写国立国会図書館所蔵


『信貴山縁起絵巻』にみる法衣[百科マルチメディア]
『信貴山縁起絵巻』にみる法衣[百科マルチメディア]

日本で平安時代中期以降に用いられた僧綱襟(そうごうえり)(広幅の襟を立てる形式)を着用する僧侶が描かれている。『信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)』(部分) 写国立国会図書館所蔵


世界大百科事典

信貴山縁起絵巻
しぎさんえんぎえまき

10世紀の初めころ,大和と河内の境をなす信貴山にこもって,毘沙門天をまつりその功徳によりさまざまな奇跡を行った修行僧命〓(みようれん)を主人公とする三つの物語を3巻に描いた絵巻。平安時代末の12世紀後半に制作され,信貴山の朝護孫子寺に伝わる。

 第1巻は絵1段で詞書はない。命〓の飛ばした不思議な鉄鉢が,あるとき山麓の長者の倉を持ち上げ信貴山上まで運んでしまうが,追いかけてきた長者の懇願を入れて命〓がふたたび法力を使うと,倉の中の米俵が列をなして空を飛び,長者の邸に戻ったという話で,〈飛倉の巻〉あるいは〈山崎長者の巻〉と呼ばれる。第2巻は絵詞各2段で時の醍醐帝の病気平癒の祈禱の命をうけた命〓が,自らは山上にあって,剣の護法童子を飛ばせて帝の病を癒したという霊験譚で,〈延喜加持の巻〉と呼ばれる。第3巻も絵詞各2段で,幼くして別れた弟の命〓をはるばる信濃国から訪ねてきた老尼公が,旅の最後にすがった東大寺大仏の夢のお告げで信貴山中の命〓と邂逅し余生をともにするという,人間愛の物語〈尼公の巻〉である。

 同内容の説話は,12世紀前半に成立したと思われる《古本説話集》(仮称)や,13世紀初期の《宇治拾遺物語》におさめられており,冒頭の詞書を欠く第1巻の画面もこれらによって解釈される。しかし,かりに詞書があったにせよ,絵画そのものの表現力をもってストーリーをダイナミックに展開していくと同時に,簡潔な詞書の内容を超え,自由な絵画の世界を繰り広げていくところに,この絵巻の画家の非凡な創造力が認められよう。すなわち,両手で巻き進めながら鑑賞される,絵巻の横に長く連続する画面に,筋を追って変化していく諸場面を遠く近くに次々と描く。そこに緩急自在なテンポを与え,機知に富んだ構図法で空間と時間とをみごとに結びつけ,たくみに鑑賞者を絵巻の世界へと誘導していくのである。そこでは,対象の形態や運動感を的確にとらえながら,自在にのびのびと引かれた描線の働きが,大きな役割を担っているといえよう。描線は細く柔らかく,太く力強くさまざまに引き分けられ,彩色はその線描を生かすようにぬられ,画面に美しいアクセントを与えている。各画面は単に説話の筋を追うにとどまらず,主人公をはじめ人物の動きや表情の機微をこまやかに写し,さらには市井の庶民たちの生活ぶりをも愛情をこめていきいきと描き出して,それらが一層物語そのものの人間性の深さとなり,自然な共感をさそう。この絵巻の持つこうした性格は,寺院の草創を神秘的に描いたり,開祖を理想化するといった一般の寺院縁起とは異なり,命〓をめぐる三種三様の説話自体の興味のためにつくられたことを思わせ,おそらくすぐれた宮廷画家が伝統的な本格の技法の上に,卓抜な構想力を凝らして完成させたものと考えられる。制作の時期は,画中のいくつかの景物を手がかりとして,後白河院政期の1160年から70年ころと考えられているが確証はない。
[田口 栄一]



国史大辞典

信貴山縁起絵巻
しぎさんえんぎえまき
平安時代後期の代表的絵巻。紙本著色。三巻。奈良県生駒郡平群町の朝護孫子寺蔵。国宝。九世紀末から十世紀初めに大和と河内の境にある信貴の山寺に籠り、毘沙門天を勧請して種々の奇瑞を行なった修行僧命蓮に関する三つの説話を生き生きと描き出す。現在、第二巻と第三巻には巻頭と中ほどに詞書が記されるが、第一巻はこれを欠く。しかし、ほぼ同内容の説話が『古本説話集』(十二世紀前半に成立)と『宇治拾遺物語』とに収録されているので、絵画表現と併せて物語の筋は容易に辿り得る。第一巻は「山崎長者の巻」あるいは「飛倉の巻」と呼ばれ、縦三一・七センチ、全長八七六・三センチ。信貴山を離れぬ聖命蓮の遣わす鉢が毎日食を求めて飛来するのを疎んじた山麓の長者が、これを米倉の中に閉じ籠めると、怒った鉢は倉を乗せて飛び、信貴山上に運んだ。驚いて追い来たった長者の懇願をいれた命蓮は倉だけを山上にとどめ、米俵はすべて鉢の先導で長者の邸に飛び帰らせた。第二巻「延喜加持の巻」は縦三一・八センチ、全長一二八〇・六センチ。時の帝醍醐天皇が重病に悩み、命蓮の法力を聞いて勅使を派遣して加持のため参内を求める。しかし命蓮は山を動かず、剣の護法という毘沙門天の使者を現出させて帝の病を平癒させ、再度登山した勅使による恩賞の沙汰をも固辞した。第三巻「尼公(あまぎみ)の巻」は縦三一・七センチ、全長一四二四・五センチ。命蓮の故郷信濃に残された姉の尼公が、年老いて帰らぬ弟を尋ねながら旅を続け奈良に至る。しかし、すでに消息を知る人もなく、困惑して東大寺大仏に参籠祈願すると、その夜の夢に信貴山の方角を啓示され、早速に山上の庵で弟と邂逅し、ともに至福の生涯を終えた。この時姉が弟に贈った衲衣(たい)の残欠と飛倉の木片とはその後長く参詣者たちに護符として尊重されたという。以上三つの物語はそれぞれ長い巻物の上に連続的に描き出され、鑑賞者はこれをつぎつぎと繰り拡げていくことで自然に説話の展開に惹き込まれていく。人物の激しい動きや表情は自在な筆運びで把えられ、さらに繊細な配慮で調和よく施された色彩の効果が画面に抑揚を与え、季節感や空間の深さまで表現されている。構図の展開法もまたきわめて巧みで、視点を遠く近くに移動させ、変化する時間と空間とを限られた画面の中に収めていく。異変に驚く長者一家の表情や姿態を、飛び去り飛び帰る倉や俵の速い動きと結び合わせ、緊密に構成した第一巻は、当初他の巻と同様前後二段に構想されたものを、画家自身が最終的に現在のような連続形式に改めたものと推定される。第二巻では、宮門の内外や清涼殿の厳かな光景や虚空を飛来する護法童子の鮮やかな動き、勅使の辿る信貴山中ののどかな秋景色などが調和よく組み合わされ、命蓮のすぐれた法力と人格とを伝えてくる。さらに第三巻は、信濃から大和へと尋ねゆく村々の生活を親しみ深く描き出したあと、荘厳な金色の大仏の前に一夜を明かす老尼の姿を小さく異時同図的に描き入れることで夢告の奇瑞を表現し、めぐり合えた姉弟のこまやかな愛情で最後を飾っている。いずれも絵巻という形式を最大限に生かした構成の妙は、日本の実景に即した自然表現とともに、絵画史上きわめて重要な位置を占める。技法的にみると、あらかじめ別に用意し完成された下図を透き写ししながら、本紙の上では最初から決定的な墨線で図様を描き出し、その動静や抑揚を生かすように彩色を加えて画面を仕上げていく。この技法は東洋画の制作過程として最も基本的な伝統に立つものであるが、特に自在な墨線の描写力と品格のある彩色との調和はこの絵巻に独自の美を与えている。制作の時期は治承四年(一一八〇)焼失の大仏殿が天平創建の姿で正確に写される一方、清涼殿その他内裏の描写が保元二年(一一五七)新造の形に合致する点の多いことから、この間と推定するのが通説であるが、最近の様式的知見によれば、さらに数十年をさかのぼらせることも可能である。作者や制作環境についても、信貴山や東大寺の寺院関係か、京都の宮廷や貴族の需要によるものか、二つの場合があり得る。しかし平安時代中期以来宮廷絵師の間に培われた線描法や山水・人物表現の伝統、またこの時期の貴族たちの民間説話への新鮮な関心などを考え併せると、やはり熟達した絵師が教養ある企画者・注文主のもとに腕をふるった傑作と考えられる。『(新修)日本絵巻物全集』三、『日本絵巻大成』四に収める。
[参考文献]
藤田経世・秋山光和『信貴山縁起絵巻』、笠井昌昭『信貴山縁起絵巻の研究』、秋山光和「信貴山縁起絵巻における伝統と創造」(『平安時代世俗画の研究』所収)、福山敏男「信貴山縁起絵巻に見ゆる建築」(『日本建築史の研究』所収)、福井利吉郎「信貴山縁起の模本類と二、三の問題―復元を中心として―」(『文化』二ノ八・九)、亀田孜「信貴山縁起虚実雑考」(『仏教芸術』二七)
(秋山 光和)
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検索ヒット数 138
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1. 信貴山縁起画像
日本大百科全書
社寺縁起。奈良県信貴山朝護孫子寺ちょうごそんしじにまつわる次の三つの説話からなる。信濃しなのから出て東大寺で受戒した命蓮みょうれんが夢告で信貴山に登り、里にも下
2. しぎさんえんぎ【信貴山縁起】
日本国語大辞典
絵巻物。三巻。紙本着色。平安時代末期の作。伝鳥羽僧正覚猷(かくゆう)画というが確証はない。信貴山に毘沙門天をまつった僧命蓮(みょうれん)に関する説話を描いたもの
3. 【信貴山縁(緣)起】しぎさんえんぎ
新選漢和辞典Web版
《国》奈良(なら)県信貴山の朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)に保存されている有名な絵巻物。藤原(ふじわら)末期、鳥羽僧正(とばそうじょう)の作として伝えられてい
4. 信貴山縁起(著作ID:213876)
新日本古典籍データベース
しぎさんえんぎ 志貴山縁起 信貴山縁起絵巻 覚猷(かくゆう) 画 伝 絵巻 平安後期
5. 市女笠をつけた女子[図版]画像
国史大辞典
信貴山縁起 扇面法華経冊子下絵 一遍上人絵伝 春日権現霊験記 慕帰絵 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
6. 鹿杖[図版]画像
国史大辞典
信貴山縁起 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
7. 褐冠[図版]画像
国史大辞典
信貴山縁起 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
8. 信貴山縁起絵巻
世界大百科事典
10世紀の初めころ,大和と河内の境をなす信貴山にこもって,毘沙門天をまつりその功徳によりさまざまな奇跡を行った修行僧命〓
9. しぎさんえんぎえまき【信貴山縁起絵巻】
国史大辞典
[参考文献]藤田経世・秋山光和『信貴山縁起絵巻』、笠井昌昭『信貴山縁起絵巻の研究』、秋山光和「信貴山縁起絵巻における伝統と創造」(『平安時代世俗画の研究』所収)
10. 絵巻物に見る直衣姿[図版]画像
国史大辞典
直衣布袴 冬の烏帽子直衣 華文綾の直衣 夏の冠直衣 引直衣 浮線綾の直衣の前後 源氏物語絵巻 信貴山縁起絵巻 春日権現霊験記 扇面法華経冊子 枕草子絵巻 紫式部
11. 束帯[図版]画像
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蔵人の闕腋姿 近衛次将の闕腋姿 近代の束帯着用次第(山科流) 年中行事絵巻 平治物語絵巻 信貴山縁起絵巻 春日権現霊験記 (c)Yoshikawa kobunk
12. 年中行事障子[図版]画像
国史大辞典
信貴山縁起絵巻 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
13. 蒲葵扇[図版]画像
国史大辞典
信貴山縁起絵 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
14. 『信貴山縁起絵巻』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
飛倉とびくらの巻。命蓮みょうれんが飛ばした鉢が、山崎の長者の米蔵までも信貴山しぎさんに運んでしまうという物語の発端の場面。写国立国会図書館所蔵
15. 『信貴山縁起絵巻』にみる法衣[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
日本で平安時代中期以降に用いられた僧綱襟そうごうえり(広幅の襟を立てる形式)を着用する僧侶が描かれている。『信貴山縁起絵巻しぎさんえんぎえまき』(部分) 写国立
16. 『信貴山縁起絵巻』にみる棚[百科マルチメディア]画像
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山崎長者の台所の棚を描いたもの。中世に入ると棚を使用する層も広がり、絵巻などにもみられるようになる。『信貴山縁起絵巻しぎさんえんぎえまき』(部分) 写国立国会図
17. あぜくら【校倉】
国史大辞典
たるものと思われる。一般には束を立て、その上に壁体を組むが、束のないものもあったらしい(『信貴山縁起絵巻』)。校倉に類するものに丸太・角材・板などを組んだものが
18. 雨具画像
日本大百科全書
雨傘(笠かさ)類、雨靴類の3種に大別できる。日本では古くから蓑みのを雨具として用いていたが、これは『信貴山縁起しぎさんえんぎ』をはじめ、いろいろの絵巻物からも知
19. いと【糸】
国史大辞典
る。平安時代から室町時代にかけて麻笥は神宮・春日社・熊野速玉社の神宝中にみることができ、『信貴山縁起』には製糸のさまが描かれている。奈良時代におけるアサの産地と
20. 宇治拾遺物語
世界大百科事典
録の基調が布教よりは説話的興味にあったことがうかがわれる。この系統に属するものとしては,《信貴山縁起絵巻》の詞書と同話の巻八の〈信濃国の聖の事〉や,昔話〈わらし
21. 宇治拾遺物語 251ページ
日本古典文学全集
物どもしたため果てて、この鉢を忘れて  『今昔』巻一一―三六話は常陸の「明練」、『扶桑略記』は「命蓮」、『信貴山縁起絵巻』は、「命れむ」とする。奈良時代、僧・尼
22. 宇治拾遺物語 252ページ
日本古典文学全集
そう言えば思いあたる。いつも飛んで来る、あのさっきの鉢を。一丈は約三強。現在の大阪府の一部。『今昔』と『信貴山縁起絵巻』は、大和国(奈良県)とする。信貴山(四三
23. 宇治拾遺物語 254ページ
日本古典文学全集
この時の天皇の病気とは、延喜十五年(九一五)十月の疱瘡の折のこととみる藤田経世・秋山光和『信貴山縁起絵巻』の説に従うべきか。剣を編んで衣としたものをまとった仏法
24. 宇治拾遺物語 255ページ
日本古典文学全集
い。ご平癒になられた。この折の病気を注八のようにとりたいと思うのは、もし、この時を亀田孜「信貴山縁起虚実雑考」(仏教芸術27号、昭和31・3)のように、延長八年
25. 宇治拾遺物語 256ページ
日本古典文学全集
確かめてから。まうれんの所在をつきとめてから。南西方。東大寺からみて信貴山は南西の方角に当る。『信貴山縁起絵巻』は、「しうむ」すなわち「紫雲」とする。紫雲は天皇
26. 宇治拾遺物語 257ページ
日本古典文学全集
類話の『今昔』巻一一―三六話は、第一部の飛倉のことや第二、第三部を欠き、全体として簡略で、別伝承を思わせ、『信貴山縁起絵巻』の詞書は、第一部をほとんど欠く。
27. 絵本画像
日本大百科全書
描いた『鳥獣人物戯画』は、最古の物語絵の二大傑作である。同時代後半に、これら2作に比すべき『信貴山縁起しぎさんえんぎ』と『伴大納言絵詞ばんだいなごんえことば』の
28. 絵巻画像
日本大百科全書
これは叙事的である。この『信貴山縁起』の系統に属するものに『粉河寺縁起』『地獄草紙』『餓鬼草紙』『病草紙やまいのそうし』などがある。 以上の『源氏物語絵巻』や『
29. 絵巻
世界大百科事典
景を連続させて長い場面を構成するもので,時間的に展開していく話の筋を追うのに適している。《信貴山縁起》《伴大納言絵詞》などがこのタイプの代表作である。段落式絵巻
30. えまき【絵巻】画像
国史大辞典
その作風は濃彩で装飾的であり、当時「作り絵」と呼ばれた画法によるものである。説話画の遺品では『信貴山縁起』『粉河寺縁起』『伴大納言絵巻』『鳥獣戯画巻』などが十二
31. えんぎ‐えまき[‥ヱまき]【縁起絵巻】
日本国語大辞典
〔名〕社寺の由来、霊験などを描いた絵巻物。「北野天神縁起」「信貴山縁起」「清水寺縁起」など多数ある。エン
32. えんぎもの【縁起物】
国史大辞典
おおむね堂舎や法会の記録を出ることはなかった。しかるに、平安時代中期からは、『石山寺縁起』『信貴山縁起』などのように、仮名がきで絵を伴うものがあらわれてきた。鎌
33. おいがた【〓形】
国史大辞典
間斗束(けんとづか)あるいは大瓶束(たいへいづか)の両側につけられた装飾。『信貴山縁起絵巻』によれば、創建の東大寺大仏殿にすでにみられ、現存のものとしては興福
34. おおやまざき【大山崎】京都府:乙訓郡/大山崎町
日本歴史地名大系
焼いたという(文徳実録)。そのなかには商家も多かったと思われ、山崎は流通の一拠点をなした。「信貴山縁起」や「宇治拾遺物語」巻八に描かれる山崎長者は、そうした繁栄
35. 大山崎油座
世界大百科事典
1200)の条に藤原定家が山崎の油売の小屋に宿泊したことが見え,平安時代後期の作とされる《信貴山縁起絵巻》飛倉の巻は,校倉に米俵を多く蓄え,問丸の業務を務め,油
36. おおやまざきのじにん【大山崎神人】
国史大辞典
から認められていた。この地に早くから油絞りが居住していたことは、すでに平安時代末期成立の『信貴山縁起絵巻』飛倉の巻で、山崎長者の家に、油締木、荏胡麻を煎るための
37. おつどう・わかどう【乙童・若童】
国史大辞典
こうした形が護法童子の姿で、その背景に金剛童子などのイメージの投影が濃い。かかる姿を最も具体的に示したのは『信貴山縁起』にみえる剣蓋護法童子であろうが、性空の場
38. 御伽草子
世界大百科事典
物語絵巻》《寝覚物語絵巻》《葉月物語絵巻》また白描の《枕草子絵巻》など--や説話絵巻--《信貴山縁起》《長谷雄卿草子》《男衾三郎絵詞》など--とは明らかに一線を
39. 女絵
世界大百科事典
で培われたオーソドックスな画法で描かれたものと考えてよいだろう。東寺旧蔵の《山水屛風》や《信貴山縁起絵巻》《伴大納言絵詞》などは,男絵の代表的な作例である。→絵
40. おんなぐら【女鞍】
国史大辞典
垢取(あかとり)とよぶ布帛の存在であることを示している。二幅の垢取を鞦の下に敷いた有様は『信貴山縁起』の尼君の乗馬や『粉河寺縁起』の粉河詣での馬上の侍女、『石山
41. かくゆう【覚〓
国史大辞典
性行については『宇治拾遺物語』に逸話を載せている。これに関連して覚猷画と称する、米俵の飛ぶ飛倉を主題にする『信貴山縁起』三巻(朝護孫子寺蔵、国宝)や『鳥獣戯画巻
42. ぎが【戯画】
国史大辞典
製作された絵巻には、こうした誇張性をおびた表現が、特に説話画系の作品にしばしばみられる。『信貴山縁起』『粉河寺縁起』『吉備大臣入唐絵巻』にみる庶民の表情にこれが
43. 倉/蔵
世界大百科事典
架け,中央3間分は床も壁も設けず中空にした珍しい形式の双倉(ならびぐら)である。 長者の倉 平安時代後期の《信貴山縁起》に描かれた山崎長者の米倉は,土居桁(とい
44. けぐつ【毛沓】
国史大辞典
もっぱら武家の所用といい、『前九年合戦絵巻』には、将軍源頼義のはきものに表現されているが、同じ毛沓が『信貴山縁起』の馬上の尼君や、『粉河寺縁起』の河内の長者や馬
45. こ‐い[‥ヰ]【小院】
日本国語大辞典
御念仏始りて廻り読む様あはれに尊し。このこゐたちは皆聴衆結衆にて、長床(ながどこ)に候ふ」*信貴山縁起絵巻詞書〔12C後〕三「命れんこゐといふやあると人ごとにと
46. 粉河寺縁起
世界大百科事典
何度も反復してあらわし,背景も人物も穏やかな筆致で淡々と描いており,同時代の縁起絵巻である《信貴山縁起》の動勢に富んだ描線,構成に比して,むしろ古様な趣の画面が
47. こかわでらえんぎ【粉河寺縁起】
国史大辞典
数筆で点ずる画法は、『信貴山縁起』の流系に入る。また流走式に画面を展開する余裕ある情景描写は平安時代末期の霊験絵巻の型である。景物に季節感を盛り、叙情的でもあり
48. 国文学全史 1 平安朝篇 60ページ
東洋文庫
史』 朝日新聞社 昭和二五年 奥平英雄『絵巻』美術出版社 昭和三二年 藤田経世・秋山光和『信貴山縁起絵巻』東京大学出版会昭和三二年 蓮実重康編『弘仁貞観時代の美
49. こだい【古代】画像
国史大辞典
事物語をはじめ寺社縁起が盛んになり、それに挿絵をそえた絵物語が作られだした。朝護孫子寺の『信貴山縁起』、出光美術館の『伴大納言絵巻』、東京国立博物館その他の『地
50. 金剛生駒紀泉国定公園
日本大百科全書
じ、テレビ塔、宇宙科学館など近代施設の立ち並ぶ山上遊園地があり、毘沙門天びしゃもんてんと『信貴山縁起しぎさんえんぎ絵巻』で知られる信貴山中腹の朝護孫子寺ちょうご
「信貴山縁起」の情報だけではなく、「信貴山縁起」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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江談抄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代後期の説話集で、大江匡房の談話を集めたもの。「江談」の偏をとって『水言鈔』とも題される。信西入道(藤原通憲)の父藤原実兼の筆録とされてきたが、内容からみて筆録者は複数であると考えられる。成立は匡房の没年(天永二年(一一一一))を下限と見るべきであろうが
発心集(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
中世の仏教説話集。鴨長明の編著。流布本は八巻八冊、異本は五巻五冊である。長明が説話の蒐集に取りかかったのは、出家して、大原の別所にいたころからであろうが、成立の年次は明らかでない。おそらく『方丈記』の書かれた建暦二年(一二一二)よりは後であろう。流布本は百二話
古事談(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鎌倉初期の説話集。王道后宮、臣節、僧行、勇士、神社仏寺、亭宅諸道の6巻からなる。源顕兼編で、編者の没年(1215)直前の成立か。称徳女帝の淫事、花山帝の出家の真相、在原業平と伊勢斎宮との密通事件とその事後処理など、貴族社会や政治にまつわる秘話や裏面話の数々があからさまに
撰集抄(国史大辞典・世界大百科事典)
鎌倉時代の仏教説話集。著者不明。九巻九冊もしくは三冊の広本と九巻三冊の略本とがあり、広本は説話数百二十一、略本は五十八。巻末に、寿永二年(一一八三)讃州善通寺の方丈の庵で記したとあるが、認め難い。成立年代については、多くの内部徴証を勘案した諸説があって
今物語(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
倉時代の説話集。一巻。『本朝書籍目録』に「信実朝臣抄」とし、藤原信実の編著と伝えられる。延応元年(一二三九)以後遠からぬ時期の成立か。平忠度・徳大寺実定などと女房たちとの情話をはじめ、和歌・連歌に関する芸能談を中心に、僧侶の滑稽談に及ぶ短篇五十三を収める


「信貴山縁起」は絵巻物に関連のある記事です。
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西行物語(世界大百科事典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
西行の生涯を多数の歌をまじえて記した,鎌倉時代の物語。作者未詳。《西行一生涯草紙》《西行四季物語》《西行一代記》《西行記》とも称され,絵巻の形でも伝わる。鳥羽院の北面の武士藤原義清(のりきよ)は文武に秀でた青年であったが,25歳のとき友人の死を身近に
三十六歌仙絵巻(日本大百科全書・世界大百科事典)
藤原公任撰(きんとうせん)の36人の歌人の画像に、略歴と歌1首を添えて構成した絵巻。もっとも古い遺品は佐竹家伝来の二巻本(通称「佐竹本」)で、鎌倉初期(13世紀前半)の制作になり、書は後京極良経(ごきょうごくよしつね)、絵は藤原信実(のぶざね)と
伴大納言絵詞(日本大百科全書・国史大辞典)
平安後期の絵巻。三巻。国宝。『伴大納言絵巻』ともいう。866年(貞観8)春に起きた応天門の放火事件に題材を得たもの。時の大納言伴善男(とものよしお)が政敵の左大臣源信(まこと)を失脚させるため、京の重要な門の一つである応天門に火を放ち、その罪を源信に
信貴山縁起(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
社寺縁起。奈良県信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)にまつわる次の三つの説話からなる。信濃(しなの)から出て東大寺で受戒した命蓮(みょうれん)が夢告で信貴山に登り、里にも下らず修行し、鉢を飛ばして供物を得ていたが、供物を怠っていた山崎の長者の米倉まで
源氏物語絵巻(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
絵巻。愛知・徳川美術館ならびに東京・五島(ごとう)美術館蔵。いずれも国宝。紫式部の『源氏物語』を題材としたもので、徳川本はもと3巻、五島本はもと1巻の巻物であったが、現在はいずれも各段ごと詞(ことば)と絵とを離して、額装(徳川本43面、五島本13面)


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