1. 文覚
日本大百科全書
の堂宇はほぼ完成し、法皇の御幸を仰いだ。文覚はさらに空海の古跡である東寺とうじの復興をも図り、1189年(文治5)播磨はりま国が造営料国にあてられ、文覚は復興事
2. 文覚
世界大百科事典
延慶本〉はこれを,文覚が〈及杖(ぎつちよう)冠者〉とののしった後鳥羽院との確執によると伝え,死後,明恵の前に亡霊が出現して承久の乱を起こそうと告げたという。 物
3. 文覚
世界大百科事典
師のはからいで命は助かる。100日たっても元気な文覚の法力に感じて,法皇は勧進帳を聴聞するが,人々の主張で文覚は伊豆に流されることになる。文覚は摂津の渡辺から海
4. もんがく【文覚】
日本国語大辞典
北条時政に捕えられ駿河千本松原で殺されようとした時、文覚が頼朝の赦免状を受けてかけつけ、六代を助ける。六代。〔三〕謡曲。廃曲。高雄山の住僧文覚が那智の滝に籠って
5. もんがく【文覚】
国史大辞典
『高山寺明恵上人行状』(『高山寺資料叢書』一)、相原精次『文覚上人一代記』、山田昭全「僧文覚略年譜考」(『立教大学日本文学』一二)、同「文覚上人の弘法大師信仰に
6. 文覚
日本史年表
壬寅〉 4・26 文覚 ,源頼朝と会見(吾)。 1199年〈正治元(4・27) 己未〉 3・19 文覚 を佐渡国に配流(百練抄)。 1202年〈建仁2 壬戌⑩〉
7. もんがく【文覚】
日本人名大辞典
1139−1203 平安後期-鎌倉時代の僧。保延(ほうえん)5年生まれ。真言宗。京都高尾の神護寺再興をこころざし,後白河法皇に寄進を強要して伊豆(いず)に流され
8. もんがく【文覚】
日本架空伝承人名事典
朝か首を蒔絵の箱に入て、錦の袋に裹て文覚上人の頸に懸たり、正清か首をは檜の箱に入て布袋に裹て、文覚か弟子か頸にかけてそ下りける延慶本平家物語第四ノ十七「文覚を便
9. 文覚[文献目録]
日本人物文献目録
金五郎『西行と文覚』駒沢銀鈴『僧文覚略年譜考』山田昭全『奈良仏師と武家社会 特に文覚をめぐる関係』児玉通子『平家物語と文覚 宗教者としての問題』佐々木巧一『文覚
10. 文覚(著作ID:516212)
新日本古典籍データベース
もんがく もんがく 幸若舞曲
11. 滝籠文覚(著作ID:3355553)
新日本古典籍データベース
たきごもりもんがく 文覚 文覚滝籠 謡曲 能の本
12. 文覺上二源賴家一書 (見出し語:文覺)
古事類苑
政治部 洋巻 第3巻 222ページ
13. 文覺上二源賴家一書 (見出し語:文覺)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 234ページ
14. 文覺發心 (見出し語:文覺)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 1126ページ
15. 文覺神護寺勸進 (見出し語:文覺)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 868ページ
16. 文覺那智山苦行 (見出し語:文覺)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 1300ページ
17. 文覺配流 (見出し語:文覺)
古事類苑
法律部 洋巻 第1巻 178ページ
18. もんがくいけ【文覚池】京都府:船井郡/八木町/室橋村
日本歴史地名大系
舟枝の船井神社の南にあたる。如城寺蔵の「室橋縁由」と題する欠年月の記録には「治承二年ニ至リ文覚池開鑿成レリ」とある。伝えによると、文覚が当地を訪れた際、水不足に
19. 『文覚四十五箇条起請』
日本史年表
1185年〈文治元(8・14)(寿永4) 乙巳〉 1・19 文覚, 『文覚四十五箇条起請』 を定める(同書識語)。
20. もんがくちょう【文覚町】京都市:下京区/植柳学区地図
日本歴史地名大系
は既に「もんがくの町」とみえ、両町名が併用されていたのであろう。町名由来は、先掲「京雀」に、「文覚上人高尾の勧進帳をよみて、一院の御遊をさまたげ奉り、からめとら
21. 文覚一代記(著作ID:1762556)
新日本古典籍データベース
もんがくいちだいき 南杣笑楚満人一世(なんせんしょうそまひと1せい) 作 山東京伝(さんとうきょうでん) 画 黄表紙 天明四刊
22. 文覚勧進帳(著作ID:1762567)
新日本古典籍データベース
もんがくかんじんちょう 南杣笑楚満人一世(なんせんしょうそまひと1せい) 作 歌川豊国一世(うたがわとよくに1せい) 画 黄表紙 寛政五刊
23. 文覚四十五箇条起請文(著作ID:516234)
新日本古典籍データベース
もんがくしじゅうごかじょうきしょうもん 神護寺旧記 神護寺四十五箇条起請文 文覚(もんがく) 寺院 元暦二
24. 文覚上人国字文(著作ID:1762614)
新日本古典籍データベース
もんがくしょうにんかなぶみ 方壺(ほうこ) 書 書道 天明七刊
25. 文覚上人行略抄(著作ID:1023989)
新日本古典籍データベース
もんがくしょうにんぎょうりゃくしょう 説教因縁/文覚上人行状記 南溟(なんめい) 真言 宝暦二刊
26. 文覚上人消息(著作ID:516245)
新日本古典籍データベース
もんがくしょうにんしょうそく 文覚(もんがく) 書簡 正治二
27. 文覺神護寺勸進 (見出し語:勸進)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 868ページ
28. 文覺四十五ヶ條起請文 (見出し語:起請文)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 866ページ
29. もんがくしじゅうごかじょうつけたりかんぷ【文覚四十五箇条附官符】
国史大辞典
⇒神護寺旧記(じんごじきゅうき)
30. うぶんかく【宇文覚】(Yǔwén Jué)
世界人名大辞典
字:陁羅尼 諡号:孝閔皇帝 通称:孝閔帝〔542[大統8]~57[孝閔帝1]〕 中国南北朝北周の初代君主[557].武川(現,内モンゴル武川)の人.西魏の実権
31. はしくようぼんじのもんがく[はしクヤウボンジのモンガク]【橋供養梵字文覚】
日本国語大辞典
時代物。五幕。三世河竹新七作。明治一六年(一八八三)東京市村座初演。文覚上人にまつわる話を活歴風にまとめあげたもの。通称「文覚」。ハシクヨー=ボンジノモン
32. はしくようぼんじのもんがく【橋供養梵字文覚】
歌舞伎事典
三世河竹新七作。通称《文覚》。明治一六(1883)年五月東京・市村座初演。文覚・不動=九世市川団十郎、渡辺亘(わたる)=四世嵐璃寛、袈裟御前=四世助高屋高助。《
33. 大坂表討捕首注文覚(著作ID:2084062)
新日本古典籍データベース
おおさかおもてうちとりくびちゅうもんおぼえ 記録
34. 勧進文覚(著作ID:4299223)
新日本古典籍データベース
かんじんもんがく 謡曲 能の本
35. 謙信流具足威注文覚(著作ID:4368209)
新日本古典籍データベース
けんしんりゅうぐそくおどしちゅうもんおぼえ 武具
36. 御評判高雄文覚(著作ID:194376)
新日本古典籍データベース
ごひょうばんたかおのもんがく 七珍万宝(しっちんまんぽう) 作 北尾政美(きたおまさよし) 画 黄表紙 寛政三刊
37. 釈文覚復頼家将軍書(著作ID:1216304)
新日本古典籍データベース
しゃくもんがくよりいえしようぐんにふくするしょ 文覚(もんがく) 書簡
38. 寛文村々覚書(寛文覚書)[文献解題]愛知県
日本歴史地名大系
八冊 尾張藩撰 成立 寛文末年 分類 記録 原本 徳川林政史研究所 解説 本書の原題は「尾州〇〇郡覚書帳」と記されたものが多く、尾張八郡村々の調査記録。
39. 山家先書覚書(著作ID:450895)
新日本古典籍データベース
さんかせんしょおぼえがき 山家先生天文覚書 天文
40. 人形(著作ID:1545933)
新日本古典籍データベース
にんぎょう 人形文覚 謡曲 能の本
41. 六代(著作ID:538534)
新日本古典籍データベース
ろくだい 六代文覚 謡曲 能の本
42. うぶんご【宇文護】(Yǔwén Hù)
世界人名大辞典
文泰のもとで将帥として活躍した.宇文泰の死後,遺命により世子宇文覚(孝閔帝)を補佐し[556:恭帝3-],翌年,西魏恭帝から宇文覚に禅譲させて北周を成立させた[
43. うぶんたい【宇文泰】(Yǔwén Tài)
世界人名大辞典
拡大させ,江陵(湖北)に梁の宗室の蕭詧を立てて附庸(ふよう)国後梁を置いた[54:恭帝1].世子の宇文覚が後を継ぎ,翌年,禅譲によって北周を建てた.〖文献〗 周
44. あいあい‐し・い【愛愛】
日本国語大辞典
し〔形シク〕(1)あいらしい。かわいらしい。*源平盛衰記〔14C前〕一九・文覚発心「青黛の眉の渡(わたり)たんくゎの口付愛愛敷(アイアイシク)」*慶長見聞集〔1
45. あいぎょういん【愛行院】愛知県:西春日井郡/師勝町/鹿田村
日本歴史地名大系
。これを児子薬師如来と称し、霊験が四方に喧伝され、参拝者が群集したという(西春日井郡誌)。「寛文覚書」には「丹波薬師堂一宇 地内年貢地 堂守 山伏長学」とあり、
46. あいちぐん【愛知郡】
国史大辞典
加え約一〇万人以上が居住した。その後の増加によって明治初年の人口は約一三万人。城下を除く郡内人口は『寛文覚書』によると、寛文十一年(一六七一)―十二年ごろ五万九
47. あいちぐん【愛知郡】愛知県
日本歴史地名大系
およそ九万八千六〇〇石、耕地は田五千五三町・畑二千五六六町、牛馬が二千一八六匹と計出される(寛文覚書)。当郡は丘陵に富むため、灌漑用の池が知多郡に次いで多い。別
48. あい‐の‐もの[あひ‥]【間物】
日本国語大辞典
)平曲で、曲を章と段に区別し、どちらに入れるか判然としないもの。鵜川合戦、大塔建立、競、新都、文覚荒行、五節沙汰、入道逝去、木曾願書、維盛都落、宇佐御幸、藤戸、
49. あいはらむら【相原村】愛知県:名古屋市/緑区
日本歴史地名大系
野並(現天白区)より古鳴海を通る鎌倉街道がこの相原村を経て二村山(現豊明市)へ向かった。「元ハ鳴海村之内也」(寛文覚書)とあるが全村蔵入地の鳴海村と違い、「徇行
50. あおつかむら【青塚村】愛知県:津島市
日本歴史地名大系
田は一六町六反六畝余、畑は一一町六反三畝余。寛文一一年(一六七一)には戸数三五、人数一四〇(寛文覚書)。「徇行記」によれば「竹木茂リ村立屋並モヨシ、高ニ準シテハ