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  11. 直江兼続
国史大辞典

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直江兼続
なおえかねつぐ
一五六〇 - 一六一九
安土桃山・江戸時代前期の大名上杉家の宰相。永禄三年(一五六〇)越後国魚沼郡上田荘坂戸城で生まれる。樋口総右衛門の嫡男。幼名与六、元服して兼続、のち重光と改む。上杉景勝の近習となり、天正九年(一五八一)与板城主直江家を嗣ぎ、山城守を称し、戦国大名上杉氏の家宰の地位にあって、検地惣奉行・蔵入地奉行など強力な権限を与えられていた。学問への関心も深く、景勝に伴って上洛の際は、高野山に詣で、妙心寺の僧南化玄興の禅門に入り、文禄元年(一五九二)朝鮮出兵の際も、貴重な書籍や朝鮮古活字本などを蒐集し持ち帰った。古書の蒐集は、その後京都の日蓮宗妙覚寺の日典との交際によるものも多く、のちの禅林文庫の基礎となる。慶長三年(一五九八)上杉景勝は豊臣秀吉の命で会津百二十万石に移され、領地は倍増した。兼続は米沢城六万石の城代として重臣中最大の知行を与えられ、麾下の家臣団として、旧来の与板衆のほかに、多くの他衆も支配することになった。同五年の関ヶ原の戦で上杉氏は豊臣方に味方し、山形の最上氏と戦って善戦したが、関ヶ原の戦の敗報で帰陣し、戦後処分で上杉氏は米沢三十万石に封ぜられた。兼続は上杉氏米沢移封後も、奉行・郡代の上にあって家宰的地位を維持し、近世初頭の米沢藩政に独裁的勢力を振るっていた。軍備では鉄砲隊を重視し、城下町米沢の経営にあたっては、谷地河原に堤防を築いて松川の川筋を一本化し、堀立川の新堰を掘り、農村発展のため各種の産業開発に着手した。実際の著作年代は十七世紀末とみられる『四季農戒書』が、兼続の著と伝えられているのは兼続の業績の偉大さに仮託した面が強い。文武に優れた兼続は、京都五山の僧との交わりも深く、元和四年(一六一八)僧九山をして米沢に禅林寺を建てさせ、禅林文庫を設けて古典を整備し、『文選』出版のため直江版を起している。また詩歌連句の会を催し、近世初頭の米沢地方に学問・文化を起した功績も大きい。元和五年十二月十九日江戸で没。六十歳。法名達三全智居士。遺骨を高野山に納め、米沢の徳昌寺、のち林泉寺(山形県米沢市林泉寺一丁目)に分骨し葬る。→上杉景勝(うえすぎかげかつ)
[参考文献]
『大日本史料』一二ノ三二 元和五年十二月十九日条、木村徳衛『直江兼続伝』、藩政史研究会編『藩制成立史の綜合研究 米沢藩』
(横山 昭男)
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検索コンテンツ
1. 直江兼続
日本大百科全書
戦国期~近世初頭の武将。越後(えちご)上田(うえだ)城主長尾政景(ながおまさかげ)の家士、樋口(ひぐち)氏の長男で、幼名与六。22歳のとき、上杉家の重臣で与板( ... ...
2. 直江兼続
世界大百科事典
1560-1619(永禄3-元和5) 織豊期~江戸初期の武将。上杉景勝の執政。越後魚沼郡上田庄(現,新潟県南魚沼市,南魚沼郡)出身の樋口兼豊の子に生まれ,はじめ ... ...
3. なおえ‐かねつぐ【直江兼続】
デジタル大辞泉
[1560〜1619]安土桃山時代の武将。越後の人。山城守と称す。上杉謙信・景勝に仕え、名家老として知られた。慶長12年(1607)、活字によって刊行した「文選 ... ...
4. なおえ‐かねつぐ【直江兼続】
日本国語大辞典
安土桃山時代の武将。越後国坂戸城主樋口兼豊の子。上杉謙信・景勝に仕え、家老として手腕をふるった。のち重光と改名。「文選」六一巻を、日本で初めての銅活字で刊行。こ ... ...
5. なおえかねつぐ【直江兼続】 画像
国史大辞典
→上杉景勝(うえすぎかげかつ) [参考文献]『大日本史料』一二ノ三二 元和五年十二月十九日条、木村徳衛『直江兼続伝』、藩政史研究会編『藩制成立史の綜合研究 米沢 ... ...
6. 直江兼續(なおえかねつぐ)
古事類苑
泉貨部 洋巻 第1巻 140ページ ... ...
7. なおえ-かねつぐ【直江兼続】
日本人名大辞典
1560−1620* 織豊-江戸時代前期の武将。永禄(えいろく)3年生まれ。上杉謙信,上杉景勝につかえ執政として家中をささえた。内政外交の手腕にすぐれ,関ケ原の ... ...
8. 直江兼続[文献目録]
日本人物文献目録
直江城州公小伝』米沢市(編刊)『直江兼続小伝』木村徳衛『直江兼続伝』木村徳衛(著刊)『直江兼続と朝日軍道』渡辺茂蔵『閻魔の庁へ使者』細田潜『関ヶ原役と直江兼続』 ... ...
9. 直江兼続印[図版] 画像
国史大辞典
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10. 直江兼続花押[図版] 画像
国史大辞典
 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ... ...
11. 叛旗兵
デジタル大辞泉プラス
山田風太郎の伝奇小説。1976年刊行。 2013年05月 ... ...
12. あいづせいばつ【会津征伐】
国史大辞典
前年の八月以来帰国していた上杉景勝を喚問するために使者を送り、また西笑承兌に命じて景勝の老臣直江兼続を詰問させた(承兌にたいする兼続の答書は「直江状」と称して流 ... ...
13. あいづわかまつし【会津若松市】福島県
日本歴史地名大系
越後の上杉景勝が会津入りし、出羽・佐渡の領地を加え、一二〇万石を領した。景勝は慶長五年二月から、直江兼続を総奉行として神指城の築営を開始したが、徳川家康の会津征 ... ...
14. あおだほ【粟生田保】新潟県:三条市/上保内村
日本歴史地名大系
分帳および三条領闕所帳(市川浩一郎氏蔵)に保内は散見される。文禄四年(一五九五)六月一一日の直江兼続黒印状(上松文書)に保内六ヵ村として宮之浦村・粟生田村・二山 ... ...
15. あくつはちまんじんじゃ【安久津八幡神社】山形県:東置賜郡/高畠町/安久津村
日本歴史地名大系
伊達氏の移封により社領を没収され一時衰退したが、上杉氏から修復料五〇石が寄進され、元和三年(一六一七)直江兼続を大檀那として社殿が造営された(東置賜郡史)。その ... ...
16. あさひやまはちまんじんじゃ【朝日山八幡神社】山形県:酒田市/旧平田郷地区/大石村
日本歴史地名大系
勧請したのが始まりで、同年善勝坊(延命寺か)が別当に任じられるとともに神領を寄進されている。同一八年には直江兼続の代官川村彦左衛門が造営料として一千刈所を寄進し ... ...
17. あだちぐん【安達郡】福島県
日本歴史地名大系
村問屋に対する同一五年の杉田駅亭長証書(松藩捜古)、本宮南町町割に関する欠年(慶長五年か)の直江兼続書状(小沼文書)、寛永四年の苗代田村(現本宮町)に対する会津 ... ...
18. あまり‐し・い【余】
日本国語大辞典
「余り」を形容詞に活用させた語)あんまりだ。ひどすぎる。*上杉家文書‐(年月日未詳)〔室町〕直江兼続自筆書状(大日本古文書二・七六一)「御心元なく候はは、いかや ... ...
19. あらさわむら【荒沢村】山形県:東田川郡/朝日村
日本歴史地名大系
があり(大鳥村外創村旧記)、また田沢城の出城とみなされる中世の荒沢館跡がある。戦国時代末期、直江兼続によってつくられたという朝日軍道は、鱒淵を経て朝日岳を尾根伝 ... ...
20. あらとじょうあと【荒砥城跡】山形県:西置賜郡/白鷹町/石那田村
日本歴史地名大系
襲録」など)。同五年の出羽合戦では当地まで最上軍(庄内勢)が攻め込んでいる(年未詳一〇月日「直江兼続書状」本間真子氏所蔵文書など)。元和年中(一六一五―二四)に ... ...
21. いからしがわ【五十嵐川】新潟県:南蒲原郡/下田村
日本歴史地名大系
へ下り農耕治水の技術を伝え開発したという伝えにちなむという。文禄五年(一五九六)九月一六日の直江兼続条書(越佐史料稿本)に「いからし川かこせき甘糟方へ書状」とみ ... ...
22. いさざわむら【伊佐沢村】山形県:長井市
日本歴史地名大系
あげる。蒲生氏高目録帳では村柄は上、修正前の高は一千六二七石余。寛永八年分限帳によると当村に直江兼続後室ほか家臣一名の給地があった。寛永一六年(一六三九)の検地 ... ...
23. いしがきまち【石垣町】山形県:米沢市/米沢城下
日本歴史地名大系
う両側町。南原五町の一。慶長五年(一六〇〇)越後与板町(現新潟県三島郡与板町)に居住していた直江兼続の家臣が当地に移住して形成したと伝える。明和六年(一七六九) ... ...
24. いずもだのしょう【出雲田庄】新潟県:南蒲原郡
日本歴史地名大系
門尉分として「出雲田庄境村」とあり、これは現見附市坂井にあてられる。また文禄四年(一五九五)直江兼続が三条城の甘糟長重に検地を指示した、六月一一日付の黒印状(上 ... ...
25. いたやむら【板谷村】山形県:米沢市
日本歴史地名大系
役小角が五色の煙を見て発見したと伝える。天正年間(一五七三―九二)上杉氏重臣直江兼続がこの湯で奇病を治したという(直江兼続伝)。同湯の西に嘉永二年(一八四九)当 ... ...
26. いちのみやむら【一之宮村】新潟県:糸魚川市
日本歴史地名大系
東は蓮台寺村、南は大野村に続き、西は上苅村に接する。天正一一年(一五八三)五月一二日の御師蔵田左京亮宛直江兼続安堵状(伊勢古文書集所収文書)によれば、一之宮・蓮 ... ...
27. いといがわじょうあと【糸魚川城跡】新潟県:糸魚川市/一之宮村
日本歴史地名大系
清崎城ともいう。天正一一年(一五八三)四月一三日上杉景勝は糸魚川新地に城を築き、越中浪人を収容し、直江兼続の名で根知城主西方房家に材木・薪を出すよう命じている( ... ...
28. いわふねぐん【岩船郡】新潟県
日本歴史地名大系
現村上市、現朝日村・山北町一帯は一部鮎川氏分もあるがほとんどが本庄繁長の改易後その旧領を与えられた直江兼続の実弟大国実頼の知行地。現山北町には大川氏分もある。国 ... ...
29. いわふねまち【岩船町】新潟県:村上市
日本歴史地名大系
経由した(同年一一月八日山田九右衛門・下村角助連署賄料請取状「古文書集」所収文書、同年一一月一四日「直江兼続書状写」黒金文書など)。文禄三年(一五九四)の色部氏 ... ...
30. 上杉氏
世界大百科事典
登国制札がある。条目は大名から直接出されず,家臣たちが連署する形をとり,次代の景勝期には執政直江兼続(かねつぐ)から令達された場合が多い。阿部 洋輔 上杉重房  ... ...
31. 上杉景勝
日本大百科全書
90年出羽(でわ)(山形県)庄内(しょうない)3郡を領し、北信をあわせ90万石余の大領国に直臣直江兼続(なおえかねつぐ)中心の独裁的な支配を確立する。98年(慶 ... ...
32. 上杉景勝
世界大百科事典
下の大名となった。景勝の政権基盤は,本貫の魚沼郡上田庄出自の諸氏と新参の信濃出身者で,とくに直江兼続(かねつぐ)を執政として国政・外交ともにゆだね,景勝・兼続両 ... ...
33. うえすぎかげかつ【上杉景勝】 画像
国史大辞典
条件に和睦し、その力を背景に七年三月景虎を滅ぼし、反抗する上・中越の旧族を撃破し、八年八月争乱を収め、直江兼続(樋口与六)を執政とし、直臣団(上田衆)による専制 ... ...
34. うえすぎじんじゃ【上杉神社】山形県:米沢市/米沢城下/丸の内一丁目
日本歴史地名大系
多くの参拝者で賑う。宝物殿は稽照殿と称し、上杉謙信の遺品を中心に、同景勝・鷹山と景勝に仕えた直江兼続などの遺品や国指定重要文化財一二九点などが収蔵されている。重 ... ...
35. うしがしまむら【牛ヶ島村】新潟県:三条市
日本歴史地名大系
中原主水助分や馬場四郎左衛門尉分などに「牛か島村」が記される。文禄四年(一五九五)六月一一日の直江兼続黒印状(上松文書)には、蒲原郡保内六ヵ村の一として「牛ケ島 ... ...
36. うつのむら【宇津野村】山形県:西村山郡/朝日町
日本歴史地名大系
内野とも記した。中世には宇津野館があったといわれ、慶長五年(一六〇〇)九月、上杉景勝の将で米沢城将直江兼続は、山形城攻略の軍を起こし、「吉岡右近・土橋宮内少輔ハ ... ...
37. うんとうあん【雲洞庵】新潟県:南魚沼郡/塩沢町/雲洞村
日本歴史地名大系
天正一四年(一五八六)には直江兼続から境内山林のうち松・杉伐採の場合は一本につき金三両、雑木は一本につき金一両などの科料をとるなどの禁制が発せられている(同年九 ... ...
38. えちごちぢみ【越後縮】
国史大辞典
戦国時代末期上杉謙信は本座衆の特権を奪い、領主的管理の下におき、国内商人から青苧役を徴収した。謙信の養子景勝は直江兼続の献案を行い、上畑に青苧を植栽するよう奨励 ... ...
39. 越後国
世界大百科事典
御館(おたて)の乱とよばれる両勢力の抗争は2年後には景勝側の勝利となって終わり,景勝は,執政に直江兼続を起用してしだいに権勢を強化したが,景勝政権もまた試練を強 ... ...
40. えちごのくに【越後国】新潟県
日本歴史地名大系
様である信濃衆がその基盤をなしていたとみられる。その中枢を握ったのは上田庄の土豪樋口氏出身の直江兼続であった。謙信の養子だった上条宜順(政繁)も景勝の妹婿として ... ...
41. えちごのくにけいちょうよねんうえすぎいみんいっき【越後国慶長四年上杉遺民一揆】
国史大辞典
続けたが、顧みるところなく、上杉氏のよき時代を追慕する情が高まってきた。この機に乗じて上杉氏の智将直江兼続は、越後攪乱の術策をもって、遺民を煽動して乱を起した。 ... ...
42. えびしまむら【海老島村】山形県:鶴岡市/青竜寺川・内川流域地区
日本歴史地名大系
島・蝦島とも記された。検討の余地は残るが、天正一九年(一五九一)一一月二三日の直江兼続寄進状写(長泉寺文書)に「〓嶋村廿石之所」とみえ ... ...
43. えん‐ぽう[ヱンパウ]【遠邦】
日本国語大辞典
〔名〕「えんごく(遠国)」に同じ。*伊達家文書‐天正一四年〔1586〕三月一九日・直江兼続書状(大日本古文書一・三三九)「就中貴国近隣遠邦、不 ... ...
44. おおくちむら【大口村】新潟県:南蒲原郡/中之島村
日本歴史地名大系
御感入候」とある(上杉年譜)。三条城将甘糟長重に検地を指示した文禄四年(一五九五)六月一一日の直江兼続黒印状(上松文書)には、出雲田庄一五ヵ村のうちに「中之島村 ... ...
45. おおさきほ【大崎保】新潟県:三条市/東大崎村
日本歴史地名大系
書上げた三条領闕所帳(同氏蔵)にも伊与部次郎右衛門尉分として大崎が記される。なお、文禄四年(一五九五)の直江兼続黒印状(上松文書)には大槻庄のうちに「大崎村」が ... ...
46. おおしおむら【大塩村】福島県:耶麻郡/北塩原村
日本歴史地名大系
関ヶ原合戦を直前に控え、若松城主上杉景勝は東軍徳川家康方と軍事的に対峙していたが、景勝の重臣米沢城主直江兼続は大塩肝煎に伝馬二疋を備えることを命じ、当地を米沢と ... ...
47. おおつきのしょう【大槻庄】新潟県:三条市
日本歴史地名大系
「大槻之内石上」、河上新介分として「大槻之庄之内」とみえる。文禄四年(一五九五)六月一一日の直江兼続黒印状(上松文書)には、蒲原郡大槻庄として「大崎村、塚之目村 ... ...
48. おおとりいけ【大鳥池】山形県:東田川郡/朝日村/大鳥村
日本歴史地名大系
「奥羽軍談」によれば、慶長五年(一六〇〇)出羽合戦の折、最上勢と手合せに及ぼうとした上杉氏の将直江兼続は八千の兵を率い池北東の造り道に討って出たという。昭和八年 ... ...
49. おおまちどおり【大町通】福島県:会津若松市/若松城下
日本歴史地名大系
で御用屋敷があったが(戊辰若松城下明細図)、蒲生忠郷時代は家老町野幸和邸で、上杉氏時代は重臣直江兼続の装束屋敷があったため、西方に化政期まで直江清水があった(新 ... ...
50. おきたまぐん【置賜郡】山形県:出羽国
日本歴史地名大系
わって当郡は上杉景勝の所領になる。米沢城には上杉氏重臣直江兼続が入り、当郡を支配した。慶長五年の関ヶ原の戦で上杉氏は西軍に属し、直江兼続は萩野中山口(現西置賜郡 ... ...
「直江兼続」の情報だけではなく、「直江兼続」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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