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  11. 鳥羽僧正
新版 日本架空伝承人名事典

鳥羽僧正
とばそうじょう
1053‐1140(天喜1‐保延6)
 覚猷。密教図像の収集、書写に貢献し、後に天台座主にもなった平安時代の高僧。大納言源隆国の子。覚円に師事、四天王寺別当となり同寺復興に功をたてたあと、三井寺(園城寺)に法輪院を建立して籠居すること二十数年、密教事相の研究に努め、収集の図像は「法輪院本」として重きをなした。晩年は鳥羽上皇の信任篤く、鳥羽離宮に住し、鳥羽僧正と称された。画技をよくし、『古今著聞集』には風刺画に巧みであったと伝えられ、後世の滑稽な戯画を指す鳥羽絵の名称の起源ともなっている。古くから『鳥獣戯画』(高山寺)の筆者に擬せられてもいるが確証はない。むしろ転写本ではあるが、鳥羽僧正様『不動明王図像』(醍醐寺)などに彼の画業がうかがえる。また晩年の一一三六年鳥羽上皇が創建した勝光明院の扉絵制作を依頼され、このときは「老屈」と称して辞退している(『長秋記』)が、当時一流の絵仏師に伍して召された事実は本格的な画技の持主であったことを示すものであろう。
[田口 栄一]
鳥羽僧正は、ちかき世にはならびなき絵書なり。法勝寺金堂の扉の絵書たる人なり。いつほどの事にか、供米の不法の事ありける時、絵にかゝれける。辻風の吹たるに米の俵をおほく吹上たるが、塵灰のごとくに空にあがるを、大童子・法師原はしりちりてとりとゞめんとしたるを、さま〓〓おもしろう筆をふるひてかゝれたりけるを、たれかしたりけん、その絵を院御覧じて、御入興ありけり。其心を僧正に御尋ありければ、「あまりに供米不法に候て、実の物は入候はで、糟糠のみ入てかろく候故に、辻風に吹上られしを、さりとてはとて、小法師原がとりとゞめんとし候が、おかしう候を、書て候」と申されければ、比興の事なりとて、それより供米の沙汰きびしくなりて、不法の事なかりけり。
古今著聞集巻十一「鳥羽僧正絵を以て供米の不法に付き諷する事」
人ンげんをこはして書クがとばゑ也
編者/評者:初世川柳(評)
出典:『川柳評万句合勝句刷』
編・相印(月)・番号(枚、丁、日):満‐1
刊行/開き:1764年(明和1)(開き)
右句、「鳥羽絵」は直接鳥羽僧正とはかかわりはない。近世期に鳥羽絵と称する戯画が行われ、僧正を祖とするとされた。現代の漫画の祖に相当する。今日でも漫画は、描かれたモデル当人が見たら激怒するほど「こわして」描かれる。
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鳥羽僧正の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 91
検索コンテンツ
1. 鳥羽僧正
世界大百科事典
→覚猷(かくゆう) ...
2. とば‐そうじょう[‥ソウジャウ]【鳥羽僧正】
日本国語大辞典
当、園城寺長吏を歴任し大僧正に進み、のち天台座主となる。鳥羽の証金剛院に住したところから世に鳥羽僧正と称された。密教図像の収集・研究を行ない、また、画技にもすぐ ...
3. とばそうじょう【鳥羽僧正】
日本架空伝承人名事典
密教事相の研究に努め、収集の図像は「法輪院本」として重きをなした。晩年は鳥羽上皇の信任篤く、鳥羽離宮に住し、鳥羽僧正と称された。画技をよくし、『古今著聞集』には ...
4. 鳥羽僧正[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:30件 『鳥羽僧正』下店静市『園城寺と鳥羽僧正』下店静市『鳥羽僧正の画に就いて』中川忠順『骨描家としての鳥羽僧正』森田恒友『鳥獣戯画の作風』源豊 ...
5. 鳥羽僧正
日本大百科全書
→覚猷 ...
6. とばそうじょう【鳥羽僧正】
国史大辞典
⇒覚猷(かくゆう)  ...
7. とばそうじょう【鳥羽僧正】
日本人名大辞典
⇒覚猷(かくゆう) ...
8. うし‐ぐるま【牛車】
日本国語大辞典
其外日用人不勝手の事あるべし」*雑俳・媒口〔1703〕「朝毎の常雷よ牛車」*随筆・四方の硯〔1804〕「鳥羽僧正の旧迹(きうせき)鳥羽にあり。この僧正参内にのら ...
9. 宇治拾遺物語 112ページ
日本古典文学全集
五 鳥羽僧正、国俊と戯れの事  これも今は昔、法輪院大僧正覚猷といふ人おはしけり。その甥に陸奥前司国俊、僧正のもとへ行きて、「参りてこそ候へ」といはせければ、「 ...
10. 宇治拾遺物語 114ページ
日本古典文学全集
苦しそうにたどたどしい口調で何か言葉をおっしゃった。ずいぶん度を超していたのではなかろうか。鳥羽僧正の画才については、『古今著聞集』一一「画図」にも「近き世にな ...
11. え‐かき[ヱ‥]【絵書・絵描】
日本国語大辞典
とおほ)せて多(にへさ)に仏菩薩の像(みかた)を造る」*古今著聞集〔1254〕一一・三九五「鳥羽僧正は近き世には並びなき絵書なり」*八幡愚童訓(乙)〔1301〜 ...
12. 応源
世界大百科事典
12世紀前半(平安後期)の絵仏師。生没年不詳。応元とも記す。1114年(永久2)鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の命をうけ円珍請来の《胎蔵図像》《胎蔵旧図様》を模写し, ...
13. おうげん【応源】
国史大辞典
生没年不詳 平安時代後期の絵仏師。応元とも書く。鳥羽・崇徳天皇の御代に仏画を描いた。はじめは鳥羽僧正覚猷の図像を模写し、智証大師円珍が唐で写した図像を転写し、「 ...
14. おうげん【応源】
日本人名大辞典
?−? 平安時代後期の絵仏師。鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の命をうけ,円珍が唐(とう)(中国)でうつした「胎蔵旧図様」などを模写した。保延(ほうえん)元年(1135 ...
15. 伽婢子 2 349ページ
東洋文庫
藤原師実が白河天皇に献上し、 承保二年(一〇七五)に御願寺として造営を始め、 増築や装飾を重ねた。鳥羽僧正が法勝寺金堂の扉 の絵を描いたとされている(『古今著聞 ...
16. 花器
日本大百科全書
』に、中国からの輸入品であった大型の青磁の瓶にサクラの枝を挿したことがみえている。12世紀の鳥羽僧正(とばそうじょう)の作と伝える『鳥獣人物戯画』には、猿僧正が ...
17. 覚猷
日本大百科全書
平安時代の僧で、俗称鳥羽僧正(とばそうじょう)。大納言源隆国(だいなごんみなもとのたかくに)の第9子で本名顕智。園城寺(おんじょうじ)の覚円(1031―1098 ...
18. 覚猷
世界大百科事典
努め,収集の図像は〈法輪院本〉として重きをなした。晩年は鳥羽上皇の信任篤く,鳥羽離宮に住し,鳥羽僧正と称された。画技をよくし,《古今著聞集》には,風刺画に巧みで ...
19. かくゆう[カクイウ]【覚猷】
日本国語大辞典
〓とばそうじょう(鳥羽僧正) ...
20. かくゆう【覚〓
国史大辞典
られる。江戸時代の鳥羽絵は鳥羽僧正覚猷にちなんでつけられた漫画である。 [参考文献]『寺門伝記補録』、『天台座主記』、『(大正新修)大蔵経』図像篇、竹居明男「鳥 ...
21. かくゆう【覚猷】
日本人名大辞典
天台宗園城(おんじょう)寺の覚円に師事して出家。鳥羽上皇の信任あつく,鳥羽離宮の証金剛院の住持となったため,鳥羽僧正とよばれた。園城寺長吏などを歴任し,保延(ほ ...
22. かくゆう【覚猷】
日本架空伝承人名事典
鳥羽僧正 ...
23. 覚猷[文献目録]
日本人物文献目録
鳥羽僧正 ...
24. 甲子夜話 5 72ページ
東洋文庫
一、心猿意馬杉戸  一枚事は下の一斎序文に委し。この杉戸は狩野洞瑳〔由信〕に絵かせしなり。隣、鳥羽僧正所レ図の躍馬を摸 ...
25. 甲子夜話三篇 1 256ページ
東洋文庫
旧伝なれば古風の存したると知るべし。能も見つべし。外々なる遊宴平常なる体のときは、夫に及ばざれば為ざる也(鳥羽僧正と云へるは、古人にて、狂戯の画をかきし人也。其 ...
26. 甲子夜話三篇 2 126ページ
東洋文庫
中古の白拍子などこれを謡たるか。(一右衛門殿に、土佐の十二つがひ、為家の詞書の物有り。又高倉殿に、鳥羽僧正の画にて、陰茎陰門のかたは、また煩を、残らずかきたる術 ...
27. 黄表紙 102ページ
日本古典文学全集
買うために即興で役者の声色や物真似などをしてみせたり、その服装も若い伊達風のスタイルである。鳥羽僧正作といわれる滑稽略画。艶二郎の容貌の滑稽なことを見立てる。閉 ...
28. 近世俳句集 361ページ
日本古典文学全集
大家と称され、鵬斎・抱一ととくに親交があった。酒を愛し、恬淡な文人肌の人物で、書は雄勁、画は鳥羽僧正・蕪村を慕って一境地を開き、句にも清高洒脱なものが多い。編著 ...
29. ぎが【戯画】
国史大辞典
集』二八)と称されている。『古今著聞集』一一に鳥羽僧正が寺に納められる供米の俵が軽いことを諷刺して、風に俵が舞い上る有様を絵にしたとか、鳥羽僧正の下にいる法師が ...
30. 高山寺
世界大百科事典
財。美術品では,明恵が常に念持していた仏眼仏母像,明恵の修禅三昧の姿を描いた明恵上人座禅像,鳥羽僧正筆の伝承がある有名な《鳥獣戯画》(以上国宝)をはじめとして, ...
31. 国文学全史 2 平安朝篇 215ページ
東洋文庫
ー隆俊-中納言隆隆 ~綱基/左中将-俊明大納言定会庄賢綱後園城寺僧隆覚仁和寺僧-覚猷天台座主鳥羽僧正女隆長子信俊右大臣俊家妻家賢俊実能俊資綱 ...
32. 木葉衣・鈴懸衣・踏雲録事 修験道史料1 227ページ
東洋文庫
争いにまきこまれて、三日で座主を辞した。天性絵画をこのみ、『鳥獣戯画図巻』をのこした。 世に鳥羽絵というのは、鳥羽僧正の画いたものの意である。一一 『宝物集』  ...
33. こんじゃくものがたりしゅう[コンジャクものがたりシフ]【今昔物語集】
日本国語大辞典
うち、八、一八、二一の三巻を欠く。保安元年(一一二〇)頃成立か。作者に関しては、古来の源隆国説、鳥羽僧正覚猷説その他があるが未詳。通称「今昔物語」。一二世紀の初 ...
34. 今昔物語集 256ページ
日本古典文学全集
只嗚呼絵書トノミナム知タリシ。而ル間、無動寺ノ修正行シケルニ、七日既ニ畢テ仏供ノ  戯画。伝鳥羽僧正作の『鳥獣戯画』の類。なお、これ以下「気色無シ」まで挿入句。 ...
35. 今昔物語集 1 本朝部 8ページ
東洋文庫
、『今昔』の編著者に擬するかといえば、まだいくつかの仮説が提案されてきたにすぎない。たとえば鳥羽僧正覚猷・忠尋僧正・源俊頼・知足院関白忠実などとする説があげられ ...
36. 催馬楽 161ページ
日本古典文学全集
又説、「大御酒わかせ 眉刀自女」。拍子、同じく打つ。美百万久左止利可戸百 万由止之女 末由百止之女 々々百々々々 々々百々々々 々百々々々々 々百々々々々 々百 ...
37. さむらいほうし【侍法師】
国史大辞典
」と称された例もある。『古今著聞集』巻第十一(画図第十六)には「鳥羽僧正侍法師の絵を難じ法師の所説に承伏の事」として、鳥羽僧正覚猷(かくゆう)のもとに僧正も舌を ...
38. しぎさんえんぎ【信貴山縁起】
日本国語大辞典
絵巻物。三巻。紙本着色。平安時代末期の作。伝鳥羽僧正覚猷(かくゆう)画というが確証はない。信貴山に毘沙門天をまつった僧命蓮(みょうれん)に関する説話を描いたもの ...
39. しぎさんじ【信貴山寺】奈良県:生駒郡/平群町/信貴畑村
日本歴史地名大系
中巻は延喜加持の巻、下巻は尼公の巻とよばれる。平安時代末頃の作で、日本絵画の優品の一つに数えられる。筆者は鳥羽僧正覚猷と伝えられるが不詳。金銅鉢は高さ一五・三セ ...
40. 獅子
世界大百科事典
狛犬は,極端に唐獅子の形状に近づいてゆくからである。この時期の独立した唐獅子のイメージは,伝鳥羽僧正の《鳥獣戯画》(12世紀末ころ)で見ることができる。一方,平 ...
41. してんのうじ【四天王寺】大阪府:大阪市/天王寺区/天王寺村地図
日本歴史地名大系
別所・八幡念仏所・極楽堂などにいた念仏聖たちで、貴族をはじめ民衆まで広く信者を組織していた。鳥羽僧正覚猷が別当在職中(一〇八一―九四)に二階建ての西門を建て、「 ...
42. しょうぐんづか【将軍塚】京都市:東山区/粟田口村/華頂山地図
日本歴史地名大系
高山寺(現右京区)に「将軍塚絵巻」一巻を伝える。伝説の由来を草々たる白描体で描いたもので、詞書はない。寺伝は鳥羽僧正筆とするが、鎌倉時代の製作とされる。将軍塚は ...
43. しょうぐんづかえまき[シャウグンづかヱまき]【将軍塚絵巻】
日本国語大辞典
絵巻物。一巻。紙本墨書。鳥羽僧正または藤原信実画と伝えるが不詳。鎌倉時代の作。京都東山の将軍塚築造の由来を白描体の軽妙な筆致で描く。詞(ことば)はない。京都高山 ...
44. しょうぐんづかえまき【将軍〓絵巻】
国史大辞典
墨線だけで草々たるうちに一気に描きあげている。用筆・用墨ともに磊落で、格法に拘束されず、自由な運筆である。鳥羽僧正筆と伝えるが、鎌倉時代中期の作と考えられる。重 ...
45. しょうちょう【承澄】
日本人名大辞典
京都の法菩提(ほうぼだい)院の住持をつとめ,小川僧正とよばれた。絵画にすぐれ,画法は覚猷(かくゆう)(鳥羽僧正)ににるといわれた。弘安(こうあん)5年10月22 ...
46. 新猿楽記 388ページ
東洋文庫
戯画』の画巻となる。前者は保元二年(二五七)以後に後白河法皇によって作られたといわれ、後者は鳥羽僧正覚猷(一〇五三-一一四〇)が描いたと伝える。『年中行事絵巻』 ...
47. 児童文学画像
日本大百科全書
の濃いミヒャエル・エンデの『はてしない物語』が新鮮な世界を開いた。神宮輝夫日本明治以前古くは鳥羽僧正(とばそうじょう)(覚猷(かくゆう))の作といわれる『鳥獣戯 ...
48. 十二支考 1 291ページ
東洋文庫
察しえぬのじゃ。 さて、おかしな噺をするようだが、真実芸術に志篤き人の参考までに申すは、むかし鳥羽僧正、ある侍法師絵を善くする者の絵、実に過ぎたるを欝めた時、そ ...
49. じょうち【定智】
国史大辞典
生没年不詳 平安時代後期三井寺を中心に活躍した画僧。鳥羽僧正覚猷の図像蒐集(三井法輪院)に際して、そのすぐれた画技でこれに協力したといわれる。その一部と思われ ...
50. 菅江真澄遊覧記 4 71ページ
東洋文庫
東)と思われる方向に、ほのかに、鳥羽僧正の戯画に描かれている手長、あしながのような姿で、たくさんの騎馬武者を出陣させたように、うす墨色に見えるのは、山市(蜃気楼 ...
「鳥羽僧正」の情報だけではなく、「鳥羽僧正」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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