ぼくが辞事典を活用するようになったきっかけは、中学のころ、SFの同人誌をつくり始めたことにあります。小説のネタになるものはないかと思って新聞をスクラップしはじめたのが最初で、そのうち本屋をめぐったり、辞典を調べたり、そしてインターネットを利用したりするようになりました。
ところが、辞事典で情報を調べていくうちに、調べることそのもの、つまり、関連した事項に次々と関心を広げていくことに、知的な快感を覚えるようになってきたんです。
たとえば、がんに苦しむ人を取り上げたいと思い、皮膚がんについて調べたことがありました。ところが、皮膚がんについて、ちょっと辞書を調べただけで、オゾン層破壊によって紫外線が強まり、皮膚がんが発生しやすくなったといわれていることがわかります。その結果、オゾン層の破壊がどうして起こったのか、つまり地球環境悪化について知りたくなり、「オゾン層」あるいは「地球環境」といった項目をめくることになります。地球環境悪化の背景には、モノを大量につくり、そしてどんどん捨てていく大量消費社会があります。その結果、どうして大量消費社会が成立したのか、その弊害が指摘されながら、どうして現代人はその社会を改造することができないのか、という疑問にぶつかります。そんな疑問と同時に、現代人の発想の対極にある老荘思想やインド哲学についても知りたくなります。結局、皮膚がんについて調べ始めたのに、いつのまにか、インド哲学の関連項目について、読み込んでいました。
いわば“芋づる式”に調べていくこのやり方には情報や知識を次々と得ていけるだけでなく、視野や発想がどんどん広がっていくという楽しさもあります。その結果、新たに得た視点やものの考え方をなんらかの形で紹介したいと感じ、ウェブ上にコラム『ざつがく・どっと・こむ』を書き始めるようになったのです。
だから『ざつがく・どっと・こむ』では、辞事典を調べることで、ぼくの関心がどんどん広がっていく様子を、そのままつづっています。例を挙げると、今年3月に書いた「歴史という観点」のコラムでは、自分の子どもと遊んでいて、彼にとっての1日と私にとっての1日では「長さ」が違うだろうなという思いが最初にありました。そうすると、同じように「昨日花をとってきたね」といっても、子どものとらえるニュアンスと大人のとらえるニュアンスは違うだろうと。そこで記憶のしくみなどを調べていたのですが、その中で人類の記憶としての歴史とはなんだろうと疑問が芽生えたのです。参考にと『DVD-ROM版スーパー・ニッポニカ』※で「歴史学」をひもといてみますと、「歴史の事実は現在にある」という表現が見つかる。それをきっかけにさらに書籍などにあたって、イスラム文明やアメリカ文明には過去を振り返るという観点がなく、「歴史」はない、一方で地中海文明や中国文明に「歴史」が「発明」されたのはなぜかといった点を調べ、紹介しました。
そんな『ざつがく・どっと・こむ』に、なんらかの目的があるとするなら、さまざまな視点や考え方を紹介することで、多くの人が情報を見る目、判断する視点を持つきっかけになってくれれば、ということでしょうか。
情報というのは、そのまま信じたり、単に見聞きしているだけでは意味がない。自分にとって必要な「データ」を取捨選択したのが「情報」とするなら、その情報を自分の経験や生き方にひきつけて生きた「知識」とする必要があります。さらに自分の「知識」を他の人たちの「知識」と交換しつつ、将来へ向けた力にする「知恵」の段階が大切です。ネットワークが発達して、さまざまなデータを簡単に仕入れることができるようになり、またネットワークを介してさまざまな人とデータを交換するようになりましたから、こうした「データ」を「情報」とし、それを活用できる「知識」に変え、さらに共有する「知恵」にしていく能力は不可欠とさえいえるかもしれません。そのために、多種多様な視点を身に付けることが欠かせないのです。
ですから、ぼく自身がコラムを発表することで、いろんな人から「こんな見方もできるんじゃないか」「その視点はおかしい」というような指摘をもらうことも楽しみのひとつです。つまり、ぼく自身が多種多様な視点を読者の方に育てていただいている。そこから新たなコラムの発想が生まれたこともあるくらいです。本が出せるほどコラムを書き溜めてしまったのも、どちらかといえば、この面白さに引きずられて、というところですかね。
ところで、1本のコラムを書くためには2~3日の調査が必要です。それだけ大量の情報が必要だということもありますが、やっぱり、調べるということ自体が楽しいからやっているのです。それに昔は百科事典をめくりつづけたりすることが結構大変だったんですが、今はネット上の辞書サイトも充実していますから、ますます調べる楽しみにはまりこんでいます(笑)。だからジャパンナレッジのワンルック検索は、そんなぼくにとって非常に便利なツールです。最近はじまった自然文検索も興味深いですね。このシステムが完成すれば、「辞事典を引くためにキーワードを考える」必要がなくなるわけですから。つまり「自分の中の漠然とした興味を明確にし、キーワードを探るために辞事典を引く」という考えが定着し、より多くの人が辞事典に親しむようになるはずです。あと、注文があるとするなら、大学の紀要など、研究論文を検索・閲覧できるシステムがほしいですね。