特別篇
国立国語研究所「外来語」委員会は、平成18(2006)年3月13日に「分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣いの工夫」という副題をもつ「「外来語」言い換え提案 第1回~第4回 総集編」を発表している。そこでは「アーカイブ(archive)」を「個人や組織が作成した記録や資料を,組織的に収集し保存したもの。また,その施設や機関」と説明し、その「言い換え語」として「保存記録」「記録保存館」が示されている。手許にある『リーダーズ英和中辞典』第2版(2017年、研究社)で「archive」を調べてみると、「文書館(公的・歴史的文書の保管所)」「(文書館の)保管文書」と説明されている。したがって、保管されている文書も、文書を保管している場所も「archive」で、その「文書」は「公的・歴史的」であることが一般的ということになる。それにしても、「言い換え」として示されている「記録保存館」はいかにも使いにくそうな語で、実際的な「言い換え語」になるのだろうか。
それはそれとしておく。さて、日本語が文字化されたのはいつか、という問いに正確に答えることは難しい。およその話としていえば、8世紀頃の日本語は現存している『万葉集』テキストなどから窺うことができそうだ。さらに前の日本語も(断片的に)わからないではないが、今は概観的にとらえるとして、文字化された日本語をある程度のひろがりをもって窺うことができるのは8世紀頃と考えておくことにしよう。そこから現在まで、文字化された日本語がすべて記録され、その「記録」のすべてが現存するわけではないことはいうまでもない。したがって、これまでに文字化された日本語すべてを記録することはできないし、そういう記録も残されていない。だから、現在の「努力」目標として、ということになるが、そういう試みをするとして、それを「日本語アーカイブ」と呼ぶとしよう。これまでに使われた日本語の「保管所」だ。
現在はいろいろなかたちで日本語を集積することが行なわれている。したがって、将来どのような「アーカイブ」ができあがるか、現時点ではわからないが、少なくとも『日本国語大辞典』第二版がそうした「アーカイブ」に近いものであることはいえるだろう。将来の第三版が「日本語アーカイブ」をはっきりと目指すのか、結果としてそのようなものになるのか、筆者にはわからないが、そうしたことを目指してもいいのではないかと思う。それを目指すとなると、採用する見出しは「歴史的」ということを少し(にしても)意識することになるだろう。
前回のシリーズ(シリーズ 5 「難波の葦は伊勢の浜荻」)では「国語辞典」と「百科事典」ということをめぐるいくつかのことがらについて述べた。『日本国語大辞典』は両方の「情報」を組み合わせているという述べ方をした。今回は「情報」を集積、蓄積するということについてもう少し詳しく述べてみよう。
明治28(1895)年に丸善株式会社から出版された、松村任三(じんぞう)『改正増補植物名彙』という本がある。外国産、内国産の植物の名前を「1874.Lonicera japonica Thunb./Sui-kazura.スヒカヅラ 忍冬(本)」のような形式で列挙していく。「1874」は見出しに与えられた番号で、それに続いて学名「Lonicera japonica」が示されている。「Lonicera」が「スイカズラ」なので、学名は「日本スイカズラ」ということになるだろう。「(本)」は「凡例」によれば、中国の明の時代に成立した本草書『本草綱目』のことだ。つまりこの見出しは、1895年時点で(という言い方にしておくが)、学名「Lonicera japonica」が与えられている植物は、『本草綱目』では「忍冬」と呼ばれている植物と同一で、それは日本では「スイカズラ」と呼ばれているということだ。
植物についてのことであるので、まず実際の植物があり、それに学名が与えられている。その植物を中国(の明代)においては「忍冬」と呼び、日本では「スイカズラ」と呼ぶというように、中国での「情報」、日本での「情報」を集積した。この本には「邦文本草書類目録」が添えられていて、松岡恕庵(じょあん)の『梅品』、宇田川榛斎(しんさい)の『遠西医方名物考』、伴信友の『動植名彙』など多数の本草書の名があげられている。この本は、そうした過去に編まれた本草書の「情報」を(取捨選択してであろうが)集積していることになる。今ここでは、成立年の古いところから新しいところへと並べた。つまり時間軸に沿った整理をしたことになるが、その観点を意識すると、「歴史的観点から情報を集積した」ことになる。
中国で編まれた辞書は、その辞書が編まれるまでに成立している辞書やその他の書物をとりこんで編まれている。これまでに明らかにされてきたことは何か、をまず示し、それに自身が付け加えたことは何か、を次に示すという「態度」は、「情報」が時間軸に沿って蓄積されていくという「情報の歴史」を意識することにつながる。
インターネットはまずは同時期の空間的な広がりを意識させる。また、国立国会図書館の「デジタルコレクション」のようなものもある。しかしそれは文献同士のつながりを示すものではない。そうした意味合いではインターネットは「歴史的な連続性」についてあまり意識させない、ということはないだろうか。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回(2月5日)は第6シリーズがスタート。今野真二さんの担当でお送りします。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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