食品の製造工程で、決められた大きさに合わない規格外の商品が発生することがある。また、ラベルに誤記があったり、包装が破れたりしたことで、販売できない商品もある。このように、品質には問題ないのに食べられずに捨てられてしまう食品を、福祉施設やホームレス支援団体などに提供するのが「フードバンク」だ。

 日本では、「セカンドハーベスト・ジャパン」などのNPO団体が食品メーカーや量販店からの支援、個人からの寄付を受け、失業者やシングルマザーなどの生活困窮者、児童養護施設などに食品を提供する活動を行なっている。こうした仕組みがあることで、生活困窮者は食品の提供を受けられ、食品ロスを減らすことにも貢献している。

 日本で1年間に供給された食料8446万トンのうち、約2割にあたる1788万トンが廃棄物として捨てられている。そのうち500~800万トンは食べられるのに捨てられる食品ロスだ。

 世界では全人口の13%に及ぶ約8億7000万人が飢餓にあえいでいる。生まれる国が違えば、お腹いっぱい食べられることは決して当たり前のことではない。世界中から食べ物を買い漁っている日本は、この数字の意味を重く受け止める必要がある。

 フードバンクの取り組みは、いま、目の前にいる生活困窮者を救うための重要な取り組みだ。だが、フードバンクにいつまでも頼らなければならないことは、人々にとって好ましいことではないはずだ。

 そもそもなぜ、これだけ豊かな日本で食べられない人がいるのか。なぜ食べられるのに捨てられる食品が生まれてしまうのか。

 貧困の裏にある教育問題、就労問題などに踏み込んだ解決策を探らなければ、いつまでたってもフードバンクを必要とする人はなくならないだろう。

 

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 イギリス・ロンドンのスローン・スクエアは、多くのブランドショップが軒を連ねる高級ファッション街。「スローン」とは大英博物館の基礎を築いた収集家、ハンス・スローン卿から来ている。この一帯がお気に入りのロンドンっ子は「スローン・レンジャー」と呼ばれるが……ピンと来た人も多いだろう、ジョニー・デップらが映画でリメイクした往年の西部劇ドラマ『ローン・レンジャー』をもじったものだ。故・ダイアナ妃もスローン・レンジャーとして知られた。

 彼女たちが好む、コンサバなファッションがいわゆる「スローン・スタイル」、または「スローニー・スタイル」。日本でこの言葉が注目されるようになったのは、なんといってもウィリアム王子の伴侶・キャサリン妃の存在が大きい。アパレルブランドのバイヤーの経験を持つ彼女のセンスある私服は、まさにスローニーの典型。世界中の女性誌で採り上げられている。2013年はロイヤルベビーの誕生で祝福されたが、ママになってもファッションリーダーとして君臨し続けることだろう。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 ホワイトカラーと呼ばれる一部の事務職を法定労働時間(1日8時間・週40時間)の規制の適用外とする制度。第1次安倍内閣時代(2006~07年)に一度は検討されたが、労働界などの反発で、導入が見送られた経緯がある。

 それが安倍政権の復活に合わせて再び導入が検討されだしたという。この8月、一部新聞メディアが報じた。

 産経新聞などによると、「年収800万円超の課長級以上」の社員を想定、一部大企業への試験的導入を認め、その上で対象を拡大していくという。発信源は政府の産業競争力会議や規制改革会議らしい。

 WEの利点は「自身の判断で働きやすい時間に働くことができる」ということだ。前回、導入が検討されたとき、旗振り役だった日本経団連は「頭脳労働では、調子が上向いた時に集中的に働く方が効率的。本人の達成感や満足感も高くなる」と提唱した。

 ただ、同制度が別名「残業代ゼロ制度」と言われるとおり、「要は企業の生産性を挙げるのが狙い。サービス残業の合法化につながる」との懸念は払拭されていない。

 国会で導入の是非をしっかり議論してほしいが、労働界(連合)を有力支持母体に持つ民主党が、衆院、参院両選挙で大敗したことが、どう影響するか。

 

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 「ばったり床几」とは、町家の軒先の壁に寄せて折りたたむことができる、机のような形をした台のことである。使うときは折り曲げてある脚を起こし、手前に天板を引き倒すと、数人は掛けられる畳一畳ほどの腰掛け台になる。昼間には野菜などを干すのに使われていた台は、日が暮れると、夕涼み用の腰掛けに早変わりする。軒先で一杯やりながら将棋などをさす年配の方々やその上で遊ぶ子どもの様子は、いつ見てもほっこり和む。

 現代に残る「ばったり床几」が町家に見られるようになったのは近世以降のことである。もともと平安期以降に京町家の形式が成立していくころ、路上に見世棚(みせだな)を押し広げて商品を並べていた、商店兼住居の町家が軒を連ねていたことがあった。この見世棚の機能を継承したのが、今日に残る「ばったり床几」といわれている。

 そもそも床几とは、侍の陣中や神社の儀式で用いられる折りたたみ式の腰掛けのことで、机のような簡単なつくりをした腰掛け台という意味もある。昭和初期までの京都では、北山杉の中心地である梅ヶ畑(うめがはた、右京区)の女性たちが、杉の廃材で作った床几や鞍掛(くらかけ)、梯子(はしご)などの木工品を担いで売り歩いていたという。この女たちを「畑の姥」(はたのうば)といい、働き者の商売上手として名が通っていたそうである。かの『東海道中膝栗毛』には、弥次さんが旅行中の身であるにもかかわらず、畑の姥から梯子を売りつけられてしまう場面が描かれており、京都の民衆の雰囲気がよく表されている。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 歌手。1969年、19歳のとき『新宿の女』でデビュー。70年には『女のブルース』『圭子の夢は夜ひらく』が大ヒットし、作家の五木寛之氏が、彼女の歌は「演歌」ではなく「怨歌」であると評し、人気に拍車がかかった。8月22日に東京・西新宿の高層マンションから飛び降り自殺。享年62歳。歌手・宇多田ヒカルは娘である。

 歌は世につれ世は歌につれといわれる。歌を語ることは自分の人生を語ることである。彼女の『夢は夜ひらく』に「十五、十六、十七と、私の人生暗かった」という歌詞がある。以前にも書いたと思うが、私もその年頃のとき二度目の結核に罹り、大学受験を諦め、自宅療養していた。

 吉永小百合・浜田光夫の映画『愛と死を見つめて』を何度も見て、一生分の涙を流した。大学に入ってからは、学生運動に熱中する連中を横目で見ながらバーテン稼業に精を出した。いつまた病に倒れるときが来るかもしれない、そんな不安が刹那的な生き方を後押しし、年上の銀座の“夜の蝶”と半同棲していた。巷には森進一の『年上の女(ひと)』や藤の『新宿の女』が流れていた。

 彼女は岩手県一関市で生まれ、北海道旭川市で育つ。幼い頃から浪曲師の父と三味線瞽女(ごぜ)の母と一緒に旅回りして歌っていた。

 『週刊朝日』(9/6号、以下『朝日』)で芸能リポーター石川敏男氏がこんなエピソードを語っている。

 「藤が『ジャムパンを食べたい』というのを映画で共演した女優が聞いて買ってあげたところ、藤は『子どものころ、ずっと食べたかったけれど、食べられなかった』と言って泣きだした」

 極貧で学校へも行けず、目の悪い母親をかばいながら健気に演歌を歌う美少女。レコード会社の惹句(じゃっく)にやや誇張はあったものの、お人形のような女の子がドスのきいた声で「こんな女でよかったら、命預けます」。痺れた!

 大ヒットを次々に飛ばす藤は、安保闘争で挫折した若者たちの熱烈な支持を受け社会現象になった。人気絶頂の21歳で歌手の前川清と結婚したが1年で破綻している。

 79年、28歳のとき突然引退を発表してアメリカへ居を移してしまう。82年に宇多田照實(てるざね)氏と結婚、83年に長女・光(宇多田ヒカル)を出産する。

 推測だが、この頃からヒカルが歌手デビューするまでの間が、藤の人生の中で一番平穏なときではなかったか。

 宇多田氏とも別れ、娘・ヒカルとも離れてギャンブルにのめり込み、湯水のようにカネを使って世界中を旅行したそうだ。その間にも何度か結婚・離婚を繰り返し精神的にもおかしくなっていったようである。

 『朝日』によれば、06年に藤自らが電話して出演したテレビ朝日のインタビューでこう話したという。

 「私はもう藤圭子でもなんでもない。(藤圭子は)お金もうけのために、人からもらった歌を歌って、喜びも悲しみもわかちあって、10年で幕を閉じた」

 今春、元夫・宇多田氏がツイッターで「救いの無い歌詞を長年歌っていると何だか人生救いが無くなる」と、藤が言っていたと呟いた。

 命までもと好いた男に捨てられても、京都から博多まで追っていく“バカな女”の怨み節は、他人から押し付けられた「借り着」だったのだろう。それを脱ぎ捨てたくてアメリカまで逃げていったのに、彼女が普通の女に戻ることは叶わなかった。

 娘の歌手としての成功は、彼女の中にかつての“悪夢”を甦(よみがえ)らせたのかもしれない。そんな自分と葛藤している間に夫と娘は離れていってしまった。

 さすらい流れた果てに、彼女は新宿へ戻ってきて自死を選んだ。苦労をともにした母親とは金銭がもとで別れたきりであった。娘・ヒカルが藤の亡骸(なきがら)と対面したのは彼女の死から6日後である。ヒカルは自分のブログにこう書いた。

 「彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」

 “彼女”という言い方が二人の距離を表しているようで、哀れである。 

  

 

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 映画における「リブート」とは、要するに「仕切り直し」のことだ。もともとは、パソコンが動かなくなったときの「再起動」から来ている。シリーズ作品が続くと、マンネリ化で収益が落ちたり、監督に継続の意思がなくなることはままある。そこで、これまでの話の続きを描くのではなく、キャストなど一新して次のステージに移るというわけだ。「前の監督・役者の作品のほうがよかった」という批評はついてまわるが、シリーズ自体には「固定客」がついているので、それなりに興業面で不安がないとされている。

 最近では、『スパイダーマン』(2002年)→『アメイジング・スパイダーマン』(2012年)などがリブートの代表例。『スーパーマンII』(1980年)の続きという設定で『スーパーマン リターンズ』(2006年)が製作されたが、これはリブートに当たらない。スーパーマンの「誕生」から始める『マン・オブ・スティール』(2013年)のように、「シリーズの第一作として仕切り直す」のが基本である。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 妊娠、出産をきっかけに、解雇されたり、契約を打ち切られたりするマタニティー・ハラスメント(マタハラ)が問題となっている。

 連合の調査によれば、妊娠経験のある女性の25.6%がマタハラの被害を受けている。たとえば、「妊娠・出産がきっかけで、解雇や契約打ち切り、自主退職への誘導等をされた」「妊娠中・産休明けなどに、残業や重労働などを強いられた」など、働きながら出産・子育てをする女性への無理解がうかがえる。

 労働基準法、男女雇用機会均等法、育児・介護休業法では、妊娠・出産した女性に関するさまざまな配慮義務を設けており、そもそも本人から申し出がないのに、妊娠や出産、育児を理由に解雇や雇用形態の変更を強要することは法律で禁止されている。その他、降格、減給、自宅待機を命じる、不利な配置転換、非正規労働者(期間労働者)との契約更新をしないなども違法行為だ。

 また、産前産後の休暇中、産休明け後30日間理由を問わず解雇することはできない。産後1年以内の解雇は、「妊娠・出産・産前産後休業取得などによる解雇でないこと」を事業主が証明しないかぎり、無効になる。

 労働基準法では妊娠中の時間外労働の免除や仕事の軽減を、男女雇用機会均等法では通院休暇の付与などを規定している。育児・介護休業法では、育児休業を取得する権利はもちろん、子どもが3歳になるまでは時短労働、フレックスタイム制の導入などの配慮義務も課している。また、小学校入学前の子どもが病気になったときは看護休暇を取れることも認めている。

 だが、必ずしもこうした配慮が行なわれていない企業もあり、当の労働者が法律の存在を知らないこともあるようだ。そのため、マタハラを受けても泣き寝入りしている女性も多い。心当たりのある人は、労働基準監督署、労働組合(ユニオン)、労働問題にくわしい弁護士などに相談を。

 安倍政権では、成長戦略のひとつとして「女性の活躍」を掲げて、育児休暇の3年取得、女性管理職の登用などを打ち出している。だが、すべての女性にその道が開かれているとは言い難い。希望するすべての女性が、働きながら子育てすることが当たり前の社会になるように、早急な環境の整備が求められる。


 

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   


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