歌舞伎(かぶき)役者が一堂に顔をそろえて開く特別の興行「顔見世」(かおみせ)が、毎年暮れの11月30日~12月26日の間、京都市東山区の南座で催される。開演初日に先立つ11月25日前後の日には、劇場正面に主な出演者の名前を大書した「まねき看板」(「まねき」ともいわれる)が飾り付けられる。京都に師走を告げる「まねき上げ」である。
 まねき看板は、長さ180センチメートル、幅30センチメートル、厚さ3センチメートルもある檜(ひのき)の一枚板で、上部に小屋根を付けたような庵形(いおりがた)の看板である。毎年、表面を削り直して名前は書き直している。土台の板は4~5年の間は使い続けているという。まねき上げの前日の夜、鳶(とび)の職人が集まり、60枚前後のまねきを2段にし、劇場正面の壁の竹矢来(たけやらい)に一晩がかりでくくり付ける。向かって右側が関西勢、左側には東京勢が並ぶ。翌朝、まねきが勢ぞろいすると、関係者が清めの塩まきと手締めの儀式を行ない、興行の無事を祈る。
 まねき看板に使う字体は勘亭流(かんていりゅう)という。太く四角く、マス目を隅まで埋めるように書く歌舞伎独特の字体であり、字間も詰めてすき間をなるべく少なくするのは、劇場にお客をぎっしりと「まねき」入れるという、大入りを願う験(げん)担ぎである。庵形の看板に勘亭流の字体を使うのは江戸時代から続く古式であるが、いまは南座でしか見られなくなってしまった。

   

   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 11/2号の『週刊朝日』(以下『朝日』)に河畠大四編集長の「おわびします」という文章が巻頭2ページで載った。その原因となったのは前号(10/26)のノンフィクション作家佐野眞一による「ハシシタ 奴の本性」という新連載だった。
 佐野氏といえば、民俗学者宮本常一と渋沢敬三の生涯を描いた『旅する巨人』で第28回大宅壮一ノンフィクション賞、『甘粕正彦 乱心の曠野(こうや)』で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞している。東電OL殺人事件では逮捕されたゴビンダ氏の無罪を一貫して主張し続けた。
 佐野氏は連載第1回で、橋下氏がこの先日本の政治を左右する存在になるとすれば「敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性」を問題にしなければいけないとし、そのためには「橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」と、橋下氏の父親が同和地区の出身(地名を明記)であることやヤクザだったことを書いた。
 発売後、橋下市長から「政策批判もしないでぼくの出自、ルーツを暴くことは部落差別につながる」と猛烈な抗議を受け、『朝日』はすぐに編集長名で「おわび」を発表し、翌週号で先の「おわびします」を掲載して連載を中止してしまった。編集長は更迭(こうてつ)、朝日新聞出版社長は引責辞任。
 その後、親会社である朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」の検証で、「本件記事全体の論調から、いわゆる出自が橋下氏の人柄、思想信条を形成しているとの見方を明瞭に示している」と断じられ、佐野氏も「人権や差別に対する配慮が足りなかった」と批判されている。
 だが、同和地区出身のノンフィクション作家上原善広氏は『新潮45』(12月号)で「そうしたルーツが橋下氏の人格形成と何の関係もないかといえば、それは別問題だ。(中略)このようにねじれた“地獄の底”から、橋下氏は余人の想像を絶する努力で這い上がってきた。この生い立ちこそが、彼の『成り上がり』の原動力であり、彼自身の人格を形成してきたのである」と、ルーツを探る取材を認めながら、「いまだ深刻な路地(同和地区=筆者注)の問題をタブー視する新聞社を親会社にもつ週刊誌では、土台、これは無理な連載だったのだ」と『朝日』側の甘さを指摘している。
 この『朝日』問題の本質は、売らんがために過激なタイトルを付け、内容に細心の注意を払わず、橋下氏からの抗議に対抗する論理を構築できないまま出してしまった『朝日』編集部と、筆者の人権差別に対する配慮を欠いた書き方にある。
 両者に「言論の覚悟」がなかったと、私は思う。上原氏は、もっと書かれ報道され、表立っていつでも語られることで、路地は解放されると書いている。今回のことで、こうした問題に再び蓋をしてしまうことにならないだろうか。

 

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 芸能界ではいわゆる「年の差婚」が増え、もはや珍しいということもなくなってきた。FUJIWARAの藤本敏史(としふみ)、市村正親(まさちか)、ラサール石井……。なかでも熟年世代の希望(?)は、45歳年下の女性を伴侶とした加藤茶。結婚生活の仲むつまじさは、バラエティー番組などでもよく紹介されている。そんな姿に触発されて、若く美しい女性と結ばれるのを夢見る中高年が現れているそうだ。この現象は「カトちゃん病」と呼ばれている。命名したのは『週刊朝日』。2012年8月3日号の記事によれば、このところ結婚相談所には、「カトちゃん病」の中高年の男性が目立って増えているという。  
 ただし、浮き沈みの激しい芸能界で「現役」でいられるのは、それだけ精神性が若いということ。加藤茶のバイタリティーに一般の中高年が追いつくのは、なかなか難しそうにも思える。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 著作権法の一部が改正され、10月1日から違法ダウンロードの刑罰化が実施された。
 すでに2009年の改正で、インターネット上に違法にアップロードされたものと知りながら、有料で配信されている音楽や映像などをダウンロードすることは、個人が楽しむために使うものでも禁止されるようになった。ただし、罰則規定はなく、これまでは刑事罰に問われることはなかった。
 しかし、今回の改正で、有料配信されているものについての違法ダウンロードは刑事罰に問われることになり、2年以下の懲役もしくは200万円以下の罰金、またはその両方が科されることになったのだ。
 違法ダウンロードの刑罰化は、著作権保護を求める日本レコード協会などの圧力もあり改正されたが、憲法で保障されている表現の自由、情報へのアクセス権の侵害につながるとして問題視する声もある。また、改正の背景には、日本やアメリカを中心に秘密裡に交渉が進められてきたACTA(アクタ;模倣品・海賊版拡散防止条約)との関係が指摘されている。
 ACTAはブランド品のコピーやDVDの海賊版ソフトなどの偽造品取引やネット上の著作権侵害を世界規模で取り締まることを目的とした協定だが、その裏には国や多国籍企業など権力側に都合の悪い情報を規制する狙いがあるとの見方もある。
 ACTAの条文は漠然としており、拡大解釈によって規制が強化されたり、市民の自由が脅かされる恐れがあるとして、欧州では大規模な反対運動が巻き起こっている。そうした流れの中で、EU(欧州連合)はいったん署名したACTAの批准を欧州議会で見送る決断をした。
 EUが否決したACTAを、日本ではほとんど議論せずに、この9月に署名国の中で真っ先に批准したわけだが、そのACTAでも違法ダウンロードの刑事罰化は規定されていない。世界的にみれば、それほど今回の著作権法の一部改正は異常なことで、権力によるネット規制が進むのではないかと不安視する声が上がっている。

 

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 さまざまなエクササイズ法が現れては消えていく昨今だが、近ごろ、とみに話題を集めているのが「ドローイン」。「やせる」というと「脂肪を落とす」イメージがあるものの、適度な筋肉をつけ、姿勢をよくして内臓をあるべき位置に収めれば「やせて見える」ものである。ドローインが即効性のあるダイエットのように受け止められているのは、腰のくびれをつくる「腹横筋」に効果があるからだ。
 やり方はわかりやすい。息を吸ってからヘソのあたりを意識してゆっくり息を吐き、お腹を引っ込める(「draw in」は「引っ込める」という意味)。初心者はこのまま10秒をキープ、これを何セットか繰り返す。慣れてきたら30秒までがんばってみるとよいが、息を止めずにふつうに呼吸するのが重要とのこと。「仰向けに寝て行なう」と紹介されることが多いが、通勤電車の中など自由なタイミングでも行なえるところが、忙しい現代人にとってポイントが高いだろう。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 田中真紀子文部科学大臣がまた一騒動起こした。秋田公立美術大、岡崎女子大、札幌保健医療大の3大学の新設を認可しなかった「事件」のことだ。「待ってました」とばかりにワイドショーなどは連日大きく取り上げた。
 結局、田中大臣が全面撤回して3大学は予定通り、来春開校の運びだ。だが、その問題提起には傾聴すべき点が少なくない。
 「大学はたくさん作られてきたが、教育の質が低下している」
 騒動の中で田中大臣はこう指摘した。乱立と質的低下の背景にあるのが規制緩和だ。まず90年代初頭に当時の文部省がカリキュラムや教員編成などを自由化。「学部の多様化」に動いた。その後、2000年代に入り、今度は小泉内閣が認可を「事前規制」から「事後チェック」に変更。新規参入の壁をさらに取り払った。
 数字が如実に物語っている。通信制を除く大学の数は2012年現在で783校。20年前の約1.5倍に膨れあがっている。ところが、18歳人口は逆に1992年の205万人が2012年には119万人に減少しているのだ。学生数が減っているのに大学数が増えるという「経済原理」を無視したことが成り立っているのだ。質が悪ければ、学生も集まらない。大学の中には定員割れで経営難に陥るところも少なくない。
 国公立大はもちろん、私立大にもわれわれの税金が投入されていることを忘れてはならない。
 

 

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 風などで木の葉を吹き集めたり、種々のものを寄せ集めたりすることを吹寄(ふきよせ)という。
 京都はまもなく紅葉が見ごろを迎える。平年は11月末の一週間ほどが最盛期である。町中をつかの間の錦(にしき)に染めた木の葉は、一週間もすれば、北風に吹き飛ばされてしまう。風が吹いては落ち、吹き流され、それがひと所へと吹き溜(だ)まる。木枯らしに吹かれ、寒々と枯れていく景色に風情を感じる気持ちは、日本人らしい感受性の一つといえる。吹寄と名づけられた料理や菓子、器や着物が多いのは、そのことばの印象を思い思いにかたどってきた気持ちの表れである。
 お菓子の吹寄は、小麦粉に卵や砂糖などを加え、色づけも、形も、いろいろな種類のものを寄せ集めた焼き菓子。これと似たあられもあり、どちらも紅葉の時期によく食べる。同じ菓銘(かめい)でも店によってさまざまな菓子を組み合わせ、見た目の違いも楽しい。吹き溜まった落ち葉を踏んだときのように、さくさくとした軽い食感が吹寄ならではの風情である。


昆布や豆、あられ、海老煎餅などが入った、ぎぼし(京都市下京区)の「吹きよせ」。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


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