京都の家庭で日常的なごはんのおかずにしている惣菜のことである。御番菜や御飯菜などと表し、江戸時代につくられた料理本『年中番菜録』(1849年)をきっかけに、この名称が広まったといわれている。「番」という字は、番傘や番茶の字と同様に、常用のものという意味があり、「菜」は粗食を例えた「一汁一菜」の「菜」と同義である。合わせると、常用のおかずという意味になる。

 いまや京都風の気軽な料理の代名詞になっているが、京都の年配の方々は、実際におかずを「おばんざい」とはほとんどいわない。聞いてみると、「おまわり」とか、「おぞよ」などといった、使われなくなったとされる呼称のほうが浸透している印象を受ける。「おまわり」というのは「おばんざい」とほぼ同義のことばで、いわゆる日々のおかずのことである。宮中料理などで主食を取り巻くように副菜を並べることから、おかずを表す名称として使われるようになったという。一方、「おぞよ」は「お雑用」と書く。字のごとく、これは大衆的なおかずを意味しており、おからやあらめ、ひじき、切り干し大根など、安くて簡単に調理できる、付け合わせ的なおかずの呼称である。これが鰯(いわし)の甘煮などのように、いつもよりちょっとだけ贅沢なおかずになると、呼び方も少しだけ格上となり、「おぞよもん」に変わるところが面白い。とはいえ、いつもの「おぞよ」には「とき(季)しらず」という別称もあり、相手に応じてことばを選ぶのは、京都人でなければ難しい使い分けだろう。


大豆と川エビを炊いたエビ豆はおばんざいの定番。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 長野県生まれ。66歳。ノンフィクション・ライター。『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。石原慎太郎都知事(当時)に請われて副知事に。石原知事の退任に伴い後継指名を受け、2012年12月の都知事選挙に立候補し433万票を獲得して第18代都知事に就任した。

 今春、米『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタビューで、2020年の五輪招致国に立候補表明しているイスタンブール(トルコ)を中傷する発言をして物議を醸し、首長失格という厳しい批判を浴びたことは記憶に新しい。

 この人のことは多少知っているつもりだが、とにかく人に好かれない。ノンフィクション・ライター時代、パーティに彼が来ると、誰も寄りつかないから彼の周りに空白地帯ができてしまう。

 猪瀬氏が敬愛していた本田靖春(ほんだ・やすはる)氏に、彼を評したこんな一文がある。

 「猪瀬氏は勉強家だし、仕事熱心だし、世渡りも上手だと思うのだが、なぜか、人に好かれない。それは、単に、威張り過ぎるから、といったような表面的理由だけによるものではなさそうである」

 自己顕示欲と権力欲の塊のような人間だから、同じものを持っている石原氏と気が合ったのかもしれない。都知事就任以降、彼と付き合った女性たちが週刊誌に語っているが、それを読むと、彼の人徳の無さがよくわかる。

 『週刊文春』(6/20号、以下『文春』)では『ストレイ・シープ』で文藝賞を受賞した作家の中平まみ氏が、猪瀬氏と付き合っていた“忌まわしい日々”を語っている。彼女の話の中で聞き捨てならないのは、酒を飲んで車を運転し、事故を起こしたのに、その場を逃げて、知らんふりをしたというくだりである。

 猪瀬氏は中平氏の車を借りて横浜中華街に出かけた。

 「帰り道、猪瀬氏がハンドルを握り高速道路を走っていました。今思えばアルコールを飲み、あたりは暗く、路面は雨で濡れてと悪条件が揃っていた。私は猪瀬氏がスピードを出しすぎていたように感じていました。

 そのとき、車列の前のほうで追突事故が起こり、私たちの前の車が急ブレーキをかけたのです。猪瀬氏は『あー!』と叫び、ハンドルを大きく切った。車は中央分離帯に激突、三百六十度回転した。凄い音と衝撃でした。全身を打ちつけられ、衝撃で『死んだかも』と思ったほどでした。

 私は当然、警察を待つのだと思っていました。ところがです。猪瀬氏は再びアクセルを踏み込んだ。フロントがグシャグシャの車で、ネズミ花火みたいな勢いで車を走らせ始めたのです。

 かなりの距離を走ったと思います。もう大丈夫と思ったのか猪瀬氏は車を路肩に止めハンドルに突っ伏してハァハァと喘いでいる。脂汗がダラダラ流れていた」

 猪瀬都知事は『文春』の取材に対して、彼女との不倫関係は認め、指摘されたことを深く反省すると答えているが、飲酒運転の事故に関しては、飲酒の事実はないと否定し、事故も「軽微な自損事故」だったとしている。

 猪瀬氏は、中平氏と別れて3か月もしないうちに新しい女性にアプローチを始めたが、その女性にもこう言われている。

 「彼は最初から私を女として口説きに来た。二月には彼に誘われて『オフィスイノセ』の契約社員にもなった。毎月四十万円という給料は、今思えばそういうもの(俺の女になれという意味)が含まれていたのかもしれません。でも、男女関係とはちょっと違う。いい思い出なんてありません。猪瀬さんは事務所スタッフや業界人から凄く嫌われていましたし、鳩や猫をパチンコやエアガンで打つような人でしたから」

 「だから猪瀬は嫌われる」。9月に2020年の五輪招致国が決まる。いまのトルコ状勢を見る限り、マドリードに決まると、私は思う。それを機に、責任をとった形で辞任するのがいいと、都民のひとりとしてそう思うのだが。

 

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 アメリカのオバマ大統領とのからみでも有名な長崎県雲仙市の小浜温泉で、2013年4月、地熱発電の新しいかたち「温泉バイナリー発電」の実証試験がスタートした。小浜温泉の熱量(源泉温度×湧出量)は、日本一どころか、世界一ともいわれている。ただし、そのすべてが活かされているわけではない。温泉としては温度が高すぎるので冷まさなくてはいけないし、湧出するお湯の7割が実際には海に直行する。この熱を有効活用しようという試みである。

 「バイナリー」とは「2つの」という意味。蒸気で直接に発電タービンを回すのではない。水よりも沸点が低い媒体・フッ素化合物を、温泉熱を使って気化させてから、タービンを動かすという仕組みだ。「加熱」「媒体」と2つの熱サイクルを踏むことから「バイナリー発電」と呼ばれる。従来の地熱発電の方式では温泉の枯渇が心配されたが、この方法であれば、余剰の熱エネルギーを用いて源泉の湯温調節に益しつつ発電が行なえることになる。今回の実験では1年間のデータを集め、事業化などへの道をさぐる予定だ。なお、小浜温泉のニュースは特に注目されることになったが、バイナリー発電の実験はこれだけでなく、各地の温泉地でチャレンジされている。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 人種や民族、宗教、性的指向、障害など、特定の属性をもつ人々に対して、憎しみや偏見の言葉を投げかけたり、差別的な表現を行なったりすることをヘイトスピーチ(憎悪表現)という。

 こうした憎悪表現を規制するために、人種差別撤廃条約第4条(b)では、人種差別を助長し扇動する団体・組織の宣伝活動を禁止し、「このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認める」ように加盟国に義務づけている。

 この条文に基づき、イギリス、フランス、ドイツなどでは、憎悪表現を法規制している。日本は、この条約に加盟しているものの、憲法が保障する集会、結社、表現の自由等を不当に制約する恐れもあるため、第4条には「憲法に抵触しない限度において履行する」といった留保をつけている。

 だが、ここにきて、日本でもヘイトスピーチになんらかの法規制が必要ではないかといった議論が生まれている。きっかけは、排外主義的な市民団体が、東京・新大久保で在日韓国人や朝鮮人などに対して行なったデモだ。

 「殺せ」「レイプしろ」。聞くに堪えない差別や暴力をあおるヘイトスピーチは、新聞やテレビでも報道され、多くの人が知るところとなった。

 歴史問題での日韓の対立もありヘイトスピーチは過激化しており、「表現の自由を超えている」「法規制すべき」といった声も聞かれるようになったのだ。

 20世紀半ば以降に人種差別思想が巻き起こった欧州諸国などと異なり、日本はあからさまな憎悪表現はマナーとして慎む習慣があった。そのマナーを守れない人々が増えてくると、なんらかのルールが必要になる。

 だが、ヘイトスピーチの規制は、政府にとって都合の悪い言論を規制し、表現の自由を制約することにもなりかねないため、慎重に判断する必要があるだろう。

 一方で法規制に頼らずに、ヘイトスピーチの反対を訴える市民の活動も出てきている。「仲良くしよう」といったプラカードを掲げ、排外主義的な団体のデモ隊の声を歩道からのアピールがかき消したのだ。

 こうした良識のある市民との対話によって、ヘイトスピーチが行なわれない節度のある社会になることを望みたい。

 

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 いま女性に流行中の「ペプラム」とは、ウエスト部分から広がった短いフレアやフリルをさす。比較的シンプルな装いにアクセントを付け、お腹やヒップといった気になるラインもカバー(なんといっても、これが重要?)。それでいて女らしい品も出るので、世代を問わない人気もうなずける。細身のスカートなどと合わせるのが普通だが、最近では着こなしも多様化。スカートやパンツ自体にペプラムがあるものも増えている。

 雑誌などでは古代ギリシャの女性が着た「ペプロス」が語源と紹介されるが、これは漫画などで知らないうちに目にしていることも多い「長衣」なので、現在のスタイルとは遠いかもしれない。ペプラムのようなシルエットがバスク人(ヨーロッパのピレネー山脈を中心に独特の文化をはぐくむ民族)の衣装に見られることから、フランスでは「バスク」と呼ばれることもある。新しい流行というより実はリバイバル。1940~50年代に婦人服業界を席巻した。当時のファッション誌をひもとけば、上品そうなマダムのペプラムをそこかしこに確認できる。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 日本政府が主導して開いている国際会議。5年ごとに開催し、アフリカ地域の開発、支援などについて幅広く協議する。

 5回目となる今回は2013年6月1~3日の日程で横浜市においてアフリカ51か国が参加した。

 TICAD(ティカッド)の初会合は1993年のことだが、地理的にも遠いアフリカの支援に、なぜ日本が乗り出したのか。

 背景には、当時、国連改革の議論が盛んで、日本が常任理事国入りに向けて熱心に運動していたことがある。アフリカは国連加盟国が多く、国連総会では大票田だ。そこで日本は、支持票集めのために支援に打って出た、というわけだ。話し合うテーマは主に貧困や飢餓、紛争問題、エイズなどの感染症対策などだった。

 しかし、21世紀に入り、TICADの性格は変わりつつある。アフリカ大陸が埋蔵する石油や天然ガス、レアアースなどの天然資源が注目されているからだ。

 市場としてもアフリカは魅力がある。人口は現在約10億人だが、増加率が高く2050年には22億人を超えるという推定もある。まさに潜在的な巨大市場であり、アジアに続く「世界の成長センター」になると期待されているのだ。

 そうしたアフリカに食指を動かしているのは日本だけではない。とりわけ熱心なのは中国だ。首脳級が何度も足を運んで外交活動を活発化させ、投資総額も500億ドルに迫る勢いだという。


 

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 水の清い川に棲む20センチメートル前後の淡水魚で、淡い黄緑色のきれいなヒレや尾をもっている。香魚ともいう。水苔を食べることから独特の香気があるためで、鮎好きは、旬の6月下旬から7月に、獲りたてを塩焼きにして蓼酢(たでず)をつけ、香りの強いはらわたから食べるのが一番おいしいという。『古事記』や『日本書紀』にも登場し、日本人が古くから愛してきた魚である。素揚げ、鮎寿司、なれずし、飴煮(甘露煮)、酢漬けなどと、食べ方も豊富にある。

 食通として知られた北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん)は、日本一うまい鮎の名所として、嵐山に注ぐ保津川上流部の上桂川をあげ、その理由や食味を幾度となく語り尽くしている。嵐山から川伝いに30キロメートルほど遡(さかのぼ)ると、かつての世木(せき)村が日吉ダム(南丹市)の底に沈んでいる。その辺りは、木材を京都へ運ぶため、筏流しの中継地があった場所で、鮎の名所としても知られていた。明治初期までは京都御所へ献上するための献上鮎を産しており、鮎釣は、杣(そま)師や筏師にとって貴重な収入源になっていた。世木村から京都の嵯峨・鳥居本にある鮎問屋までがおよそ30キロメートルで、鮎を入れたアユモチ桶を天秤棒にかけ、山道を歩いて運んでいた。そのアユモチが行き来した道筋は「鮎の道」と呼ばれている。

 江戸中期の食療本草書『本朝食鑑』(ほんちょうしょっかん)によれば、鮎の強い縄張り意識を利用し、オトリの鮎を使って捕らえる釣法の友釣りは、八瀬(やせ、左京区)の里人が編み出したとして記録されている。


愛宕神社の一ノ鳥居脇にある平野屋は、京都の「鮎の道」の歴史を今に伝える。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


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