新生活や人事異動、あるいは陽光に誘われるままにと、とかく「うごく」季節である。
 動くことを表すことばの一つに「イノク」という言い方がある。一般的には、漢字で「居退く」と書き、「いた場所からしりぞく」という意味のことばを思い浮かべるはずである。ところが、京都でしっくりとくるのは「うごく」が訛(なま)って「イゴク」になり、さらに「イノク」へと変化した方言のほうである。

 掃除をして邪魔なので少し脇(わき)によってほしければ、「ちょっと、イノイてんか」という風になる。「イノク」とは、静かに少しだけ動くという意味で使われることばである。さらに、もう少し語気を強めたいときは、「そこ、ノイてんか」という具合である。実は、これよりもさらにきつい言い方があり、「そこ、イゴイてんか」なのである。こうなると、言ったほうも、言われたほうも、心中穏やかではない。「イノク」「ノク」「イゴク」という風に、意味は同じでも、内心考えていることは、徐々にきつくなっていくわけである。



鴨川の春の様子。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



"

 第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)準決勝でプエルトリコに敗れ,、侍JAPANの3連覇の夢が破れた。野村克也元監督の名言に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのがあるが、敗退はWBC開幕前から決まっていたという見方が多い。かくいう私もそう思っていた。

 開催前からケチがついた。収益金の分配や出場選手の報酬、待遇の格差を巡って日本選手会が参加拒否も辞さないという騒動に発展したのだ。結局、なし崩し的に出場が決まったものの全面解決にはほど遠く、WBCはMLB(メジャー・リーグ・ベースボール)の金儲け興行だというイメージが定着してしまった。 

 それはチケットの高さにも表れ、1次リーグの日本での試合は、一番いい席が1万4000円、外野席でも4000円もしたため、対中国戦では約36%しか席が埋まらなかった。

 決定的な敗因の原因は二つある。一つは中心になる選手がいなかったことだ。第1回では王貞治監督、第2回ではイチローがチームを引っ張ったが、今回、それほどカリスマ性のある選手や監督はいない。

 おまけに『フライデー』(3/22号)でメンバーの杉内俊哉と涌井(わくい)秀章が女性とのツーショットを撮られるなど、選手たちの緊張感の欠如も心配されていた。

 いま一つの心配は山本浩二監督の采配にあった。広島監督時代は10シーズンでリーグ優勝は1度だけ、Bクラスが7度。それに加えて現役を退いてから長いための「現場勘」のなさだったが、その心配が現実のものとなった。

 オランダ戦に勝った後「準決勝も前田健太でいく」と宣言してしまったことだった。『週刊新潮』(3/21号)でスポーツジャーナリストが、ブラジル戦で苦しんだのは相手投手の配球を知らなかったためなのに、「相手を知らずに苦い思いをしたという教訓をまったく活かさず、相手に先発を知らせて研究する余地を与えてしまっています」と呆れていた。

 案の定、大リーグナンバーワンの捕手、プエルトリコのY・モリーナは研究し尽くした見事な投手リードで日本打線を翻弄した。

 さらに2点をリードされた日本が8回に1点を返し、なおも1死1、2塁で4番・主砲阿部慎之助の打席に采配ミスが起きた。左バッターだから捕手は3塁に投げやすい。だから2塁走者は動かないと野球ファンなら誰しも考えるところである。だが、山本監督から「ダブルスチールにいってもいい」という信じられない曖昧なサインが出されるのだ。

 2塁走者の井端弘和が走ったのを見た1塁走者の内川聖一は猛然と走り始める。だが井端はモリーナの強肩を恐れて2塁へ戻ってしまって、内川は2塁手前で憤死する。試合後内川は涙に暮れたが、野球をよく知る人間なら誰もが彼に同情するはずだ。

 『日刊スポーツ』(3/19)は「大ざっぱで、曖昧で、ギャンブルだった。(中略)選手がすべてを背負い込んでしまうような采配だった」と厳しく批判している。

 シーズン開幕を控え大物大リーガーが次々に出場辞退したアメリカは準決勝にも進めず、盛り上がりに欠ける大会だった。私見だが、公式シーズン前のこの時期にやるのを止めて、アメリカではワールドシリーズ、日本では日本シリーズが終わった後、真の世界一を決める大会として衣替えしてはどうか。

 そうすればサッカーのW杯同様、WBCが世界の関心を集める一大イベントになるのは間違いない。 

"
 

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 メールでのコミュニケーションに欠かせない「顔文字」。英語圏でも使われているが、ところ変われば何とやら、日本式とはずいぶん異なる。たとえば「笑い」。日本では「(^_^)」がよく使われているが、海外では「:-)」「:-D」などが多い。最初は「顔」に見えない人もいるだろうが、それは「見方」が違う。そう、英語圏では横倒しにして「顔」を表現するのである(ちなみに、顔文字全般のことを海外では、「エモーション」と「アイコン」の合成語で「エモティコン」と呼ぶ)。

 2013年1月、ソーシャルゲームサービス「モバゲー」で知られるディー・エヌ・エー(DeNA)が自社の新しいロゴを発表した。「DeNA」の「D」の前に「両目」を表す「:」を付けて、「デライト・マーク」と呼ばれるエモティコン(「:D」)にしている。ロゴデザイン自体も、手書き調の温かみのあるものに変えた。デライト(delight)は、「喜び」といった意味の単語。公式ホームページによれば、「Delight and Impact the World ~世界に喜びと驚きを~」という意味を込めたという。日本発のIT企業の世界戦略を注視したいところだ。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 親世帯と結婚した子どもの家族が一緒に暮らすために、一軒の住宅にそれぞれ独立した玄関や台所、風呂などを備えたり、その一部を共用した2世帯住宅。これに、結婚の予定のない成人した未婚の子ども(子ども世帯の兄弟姉妹)も一緒に暮らすことを想定した住宅モデルが2.5世帯住宅だ。住宅メーカーの旭化成ホームズが発売したもので、未婚の子どもは30代後半のキャリア女性をイメージしているという。

 女性の社会進出、結婚観の変化などによって、生涯未婚率は上昇している。総務省の調査によれば、親と同居している35~44歳の未婚者は、2003年に191万人(同年齢人口の11.7%)だったのが、2010年には295万人(同年齢人口の16.1%)となっている。

 2.5世帯住宅は、こうした社会状況に着目し、多世帯同居を前向きにとらえた新しい住宅形態だ。しかし、親と同居している人の労働状況を見てみると、多世帯同居には複雑な事情も垣間見える。

 じつは、親と同居している35~44歳の未婚者は失業率が非常に高い。2010年の35~44歳の完全失業率は4.8%だが、これを親と同居している人に絞ると一気に11.5%まで上昇する。つまり、好んで親と同居している独身貴族というよりも、単身者にとっては経済的な事情から独立できず、行き場がないために仕方なく親と同居しているというのが本音ではないだろうか。

 

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 「『赤プリ』が魔術のように縮んでいる!」。2011年3月、その歴史に幕を閉じたグランドプリンスホテル赤坂(旧・赤坂プリンスホテル)。翌年6月から解体が始まったが、その工事の過程は大きな驚きをもって迎えられた。キーワードは「テコレップシステム」。大成建設の生み出した新しい工法で、「テコレップ」とは「Taisei Ecological Reproduction」を略したものである。

 この工法は、屋根部分はそのままに、ジャッキを内蔵した仮の柱でビルの内側を支え、1フロアずつ分解していくというもの。いってみれば、上へ上へビルを建設していく過程の「逆回し」である。都市部にある高層ビルの解体では、粉塵や騒音などに関して、周辺環境に特に配慮する必要がある。また、あまり知られていないが、高層での風はあまりにも強く、工事する者にとって危険は大きい。それらの問題を最小限に抑えるための新しい技術である。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 混合診療とは、病気にかかった際「公的医療保険がきく診療」と、「保険がきかない自由診療」を併用することをいう。
 
 現在は、例外ケースを除いて原則禁止されている。そのため自由診療を併用すると、本来は保険が適用される治療、投薬、入院費用などを含めて全額が自己負担となる。
 
 いま混合診療が注目されているのは、政府の規制改革会議が「混合診療の例外的な適用範囲の拡大」を検討課題に掲げたからだ。背景には安倍政権が、医療を「経済の成長エンジン」と位置づけ、医療分野の規制緩和に力こぶを入れていることがある。混合診療の適用範囲の拡大はその一環だ。

 患者の立場からすれば、混合診療の適用拡大はプラス、マイナス両面がある。

 プラス面は、がんなどで、世界最先端の未承認薬や治療法が受けやすくなることがある。

 マイナス面は、効果や安全性に疑問符がつく治療が広まる可能性があることだ。医師が患者の無知につけこんで保険外の高額な治療を行なう場合もありうる。日本医師会は、「経済力で受けられる治療に格差が出る」などの理由で反対している。

 患者側とすれば、混合診療の適用拡大はあってもいい。ただし、その場合、拡大対象は、効果がしっかり確認できた治療や投薬に限定すべきだ。

 

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 豆腐の加工食品。つぶした豆腐にすりおろした山芋を加えて練り、百合根(ゆりね)、銀杏(ぎんなん)、笹掻(ささが)きごぼうなどを包み込み、油で揚げたものである。

 正式にはひりょうず(飛竜頭)といい、ポルトガルでクリスマスに食べられるドーナツ風菓子filhos(フィリョース)が語源で、江戸時代になってから豆腐料理として親しまれるようになった。名称の由来はこの説が有力だが、京都では龍(りゅう)の頭に似ているから、という説のほうがなじみ深い。現代では形は丸いものが一般的だが、昔は三角形をしていたそうだ。そして、銀杏は龍の目、笹掻きは髭(ひげ)、百合根は鱗(うろこ)を表しているという。

 関東でいう「がんもどき」とさほど違いはないものの、こちらは、鳥のガンの肉に似ているもの、という意味である。古くは豆腐ではなく、麩(ふ)やこんにゃくを揚げたものであったという。江戸時代の豆腐の料理書『豆腐百珍』には、厳石豆腐(がんせきどうふ)という、がんもどき風の料理が載っている。これは豆腐と鶏肉を練って丸めたものをすまし仕立てした椀(わん)物である。当時は精進料理ばかりでなく、豆腐や麩(ふ)、こんにゃくなどに工夫を凝らしたたくさんの料理があった。

 京都で食べる彼岸の精進料理に、ひろうすの「お平(ひら)」がある。この料理は、ひろうすに熱湯をかけて油抜きをし、淡いおだしでゆっくりと煮ふくめる。あとは、すましのつゆでくずあんをつくり、椀に盛ったひろうすにかけ、擂(す)った土生姜(つちしょうが)を添えればできあがり。平椀に盛るので「お平」と呼ばれており、彼岸でなくても食べたくなるほどおいしいごちそうである。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太   


<<前へ       次へ>>